新人ライター奮闘記 -23ページ目

新人ライター奮闘記

自分は今、制作会社に企画要因、プロットライターとして参加しています。

ブログには、プロデューサーとの打ち合わせや企画書の書き方についても書いていきたいと思います。


また、「文章の書き方」、「企画の見つけ方」なども書いて行きたいと思います

最近、東野圭吾氏の小説を企画書にする事が多い。




人気が高く、競争率も激しいので、企画が通っても間違いなく自分が脚本を書く事はないと思うけど(笑)、今人気の小説家の作品を読む事は、職業作家として大事だと思います。




でも、僕は不思議でしょうがない。




だって、東野作品って、けして明るい小説じゃないですよね?なのに、どうして、あんなに爆発的に売れているのだろうか?




一つには、文章が読みやすく解りやすいという事があると思うんです。




あとは、エンターティメントには欠かす事が出来ない、予想できないストーリ展開というものがあるでしょうね。




けれど、それだけじゃない。東野作品には、現代人が思わず読んでしまう、力強い思想、哲学が流れているんだと思うんです。




今回は、その東野作品に流れる、思想、哲学について考えてみたい。




まず、東野作品を思い出してみてください。「手紙」も「白夜行」も「幻夜」も、みんな綺麗ごと一切なし、希望も一切なしという、徹底したニヒリズムじゃなかったでしょうか?(笑)




僕は思うんですけど、もしかしたら、この徹底したニヒリズムが現代人には、心地好いのではないか?と思っているんですよ。




ちなみに、ニヒリズムという言葉を世の中に広めたのは、ニーチェという哲学者です。




今、「超訳 ニーチェの言葉」がベストセラーになっていますよね。




彼の考え方の根本になるのが、ニヒリズムという思想なわけなんです。




ニヒリズムを辞書で調べると




「虚無主義とも言う。世の中の価値や権威にはすべて意味がないとする立場。ニヒリズムを徹底的に貫くと、「世界はすべてが無価値である」、「人生に意味はない」、「世界は無価値のまま永遠に続く」という事になる」




と、書いてあるんです。生きる意味、生きる価値を求める、それまでの哲学を否定したことによって、当時の群衆や他の哲学者から大批判を受けた、ニーチェ。




のちに、ナチスに自身の思想を悪用されてしまうという悲劇的な結末を迎えてしまったりしたようなんです。




でも、僕がなぜニーチェの思想を東野さんは小説の中で表現していると思ったか?というと、まさに、この「人生に意味はない」という虚無感が、東野作品には溢れていると思ったんからなんですよ。




他にもニーチェは、「ルサンチマン」、「神は死んだ」、「畜群」、「遠近法的思考」、「力への意思」、「反キリスト教」というキーワードを残してくれています。




それらの言葉もすべて、東野作品に当てはまるような気がします。




とくに東野作品を読んでいて、ニーチェの思想を感じたのは、「欲望を認めている」という点です。




これも、ニーチェの「力への意志」という言葉に要約される思想だと思うんです。




う~ん、どうでしょう?哲学を研究している専門家から見れば、違うかもしれませんが、引き続きニーチェを研究したいと思います。




古本屋でニーチェの本を3冊も買ってしまいました(笑)

つい最近、「月刊 ドラマ」の最新号が発売されましたね?



日本中が大騒ぎしている中で、いつも愛読している雑誌を読むと、なんだかホッとします(笑)



僕が今月号で気になったのは



「シナリオセンター、40周年」についての特集です。



まず、「そんな昔から、あったんだ!!」と、驚きました!!(笑)



昔は、シナリオというものが今よりも文学、文化として認識されていたところがあったと思うので、創立者の新井一先生のご苦労は半端じゃなかったと思います。




「シナリオは勉強すれば誰でも、それなりに上手くなる」という新井先生の主張は、シナリオ才能論を重んじる大先生達の気持ちを逆なでしたのではないか?と思うんです(笑)




そんな逆風の中、シナリオセンターを存続させて来た新井先生の功績は、やはり素晴らしいと思います。




シナリオセンターが無かったら、今もシナリオは文学と同じように難しいものとして認識されていたかもしれません。




と、こんな事を書いていると僕をシナリオセンター卒業生と思う方がいるかもしれませんが、僕とシナリオセンターの接点はまったく無いんです(笑)




なんか卒業生っぽく書いちゃってすいません(笑)




僕がシナリオの勉強を始めたのは、日本映画学校(現在は大学)に入学してからなので、シナリオセンターとはご縁がありませんでした。




しかし、今、振り返ってみると、意外にシナリオセンターが指導されているような事を、自然に学んでいたのではないか?と考えているんです。




それは、なんで何だろう?と考えてみると、その原因がすぐに解りました。




僕は学生の頃、新井一先生の「シナリオの基礎技術「シナリオの技術」を読んでいたんですよ。




だから、シナリオセンターが指導されているような事を身体で覚えているんですね。




たとえば、ファーストシーンには、撫ぜ型と張り手型がある事、登場人物を描く時のリトマス法、シャレードの使い方、カセの重要性、起承転結の起でアンチテーゼを入れること、などなど。




今はシナリオやプロットを書く時に、自然に心がけている事ばかりです。




そう言えば、書いてて思い出しましたが、難しい事ばかり書いてあるシナリオ本が多い中で、新井先生の本をみつけた時、なんだかホッとした記憶があります(笑)




それだけ、新井先生の本は、他のどのシナリオ本よりも読みやすかった。




プロのシナリオライターの方の中に、「20枚シナリオは役に立たない」という意見を持っている方もいます。




業界に必ずいる、アンチシナリオセンターのライターさんですね(笑)




しかし、「ワンシーンワンシーンの積み重ねが、長編作品になるので、短いワンシーンの芝居をしっかりと描けなければ、結局、つまらない長編作品を書いてしまうのではないか?」という新井先生の主張は、一理あると思うのです。




だから、僕はシナリオセンターの教育方針を擁護(ようご)する派です(笑)




やっぱり、いきなり長編を書いたら、100パーセント途中で挫折すると思うんですよ(笑)

そこは、意見が分かれるところかもしれませんね。




様々な意見がある中で、シナリオを馴染みのあるものにしたのは間違いなく、シナリオセンターだったと思うので、何はともあれ、40周年達成、おめでとうございますとお伝えしたい。



遅くなりましたが、シナリオセンターさん、40周年、おめでとうございます。

「命がけ」という言葉がある。


辞書で調べると、「生死を顧みないで物事をすること」、と書いてある。



なんだか、それだけ読むと、めちゃめちゃかっこ良くて、ワクワクするけれど、すぐに冷静になってしまう自分がいる。



命という言葉の重みに、沈黙してしまうのだ。



でも、忘れてはならないのは、僕が目指している物書き、作家という職業は、本来、命がけでやるものだという事です。



日本の偉大な文学者達の事を思い出してみてください。



川端康成、三島由紀夫、太宰治、ほとんどの人が自殺するか、うつ病を患っていますね(笑)



この歴史的事実は、物語を書くという事が、魂を削る作業である事を教えてくれています。



これは、シナリオライターも例外ではありません。かの有名な黒澤明は、異常なほどのこだわりを見せて、最終的に倒れてしまったと言います。



「仁義なき戦い」で有名な笠原和夫さんは、シナリオを書き終わると、つねに風邪をひいてしまい、彼もまた最終的に病院に運ばれてしまったという伝説が残っています。



もし、命をかけてシナリオを書くことができるのか?と聞かれたら、先輩たちの異常な努力を前にしても、「う~ん、がんばります」と答えるのが精一杯です(笑)



きっと、皆さんもそうでしょ?命がけで仕事をするって、口では簡単に言えるけど、なかなか実行に移すのは難しい。



だけど、今僕らは、命がけで仕事をしている人達を毎日、テレビや新聞で目の当たりにしていますよね。



そうです、原子力発電所に勤務する、東京電力の方達です。



あの方たちは、毎日、死と隣りあわせの状態にいます。つねに、自分が被ばくするかもしれない状態で、100パーセントの仕事をしなければならない。



それは、尋常じゃないプレッシャーだと思います。ご家族やお子さんにもきっと会いたいと思うし、多くの従業員の方は最悪の状態を覚悟しているのだと思います。



どんな言葉をかけても、軽くなってしまうので控えますが、ただ一つ言える事があります。



原子力発電所に勤務する、東京電力の方達の姿を見て、僕らはもう一度自分の仕事について考えるべきです。



今、自分がやっている仕事、あるいは、自分がやろうとしている仕事は、どんなかたちで社会に影響を与えているのだろうか?その自問自答を繰り返す事が必要です。



それは正社員、バイト、関係なく考えるべきです。また、給料をもらうという意味だけではなく、もっと大きな意味の仕事もあるはずです。



べつに、マザーテレサやダライ・ラマになれと言ってるわけじゃありませんが、何か給料から離れた大きな仕事という意味です。



金のためとか、生活のためとか、普段から自分が考えている価値観とは違った、もっと

幅広い価値観。



それは、使命感と言っていいかもしれません。


僕も映画やテレビドラマの可能性を引き続き探って行きたいと思います。