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新人ライター奮闘記

自分は今、制作会社に企画要因、プロットライターとして参加しています。

ブログには、プロデューサーとの打ち合わせや企画書の書き方についても書いていきたいと思います。


また、「文章の書き方」、「企画の見つけ方」なども書いて行きたいと思います

パニック映画やSF映画でしか観た事がなかった状況が今、実際に日本で起きています。


新聞の見出しには、こんな事が書かれていました。


「原発事故 避難所で被爆検査へ」


よくパニック小説で、原子力が何らかの事件で爆発し、放射能が漏れて、日本中が大騒ぎになるという設定のものがありますよね。


あれが、現実のものとなりつつあります。


映画でもパニックもののパターンは、ヒットを狙いに行くための常套手段でした。


とくに、ハリウッド映画にはたくさんあります。


「アルマゲドン」、「ミスト」、「アウトブレイク」、「ダンテズピーク」


必ずしも原子力発電所から放射能が漏れてというパターンではありませんが、謎のウイルスや火山の爆発、隕石の落下などが物語を盛り上げる要素としてあって、放射能漏れのパターンと似ています。


ここに来て、僕はそれらの映画を思い出すようになっています。


やっぱり、ラストシーンがハッピーエンドだったか?が気になるんですよね(笑)


なんというか、大袈裟に言えば、今後の日本の未来を予言している気がしてならないわけなんです(笑)


どんな物語だったか思い出してみましょう。


「アルマゲドン」の主人公は、地球にいる国民を救うために、自らの命を犠牲にします。


「アウトブレイク」の主人公は、ウイルスに感染されてしまった恋人を救うために、必死になって、ウイルス源を探し続けます。


「ダンテズピーク」の主人公は、必死に火山からあふれ出たマグマを食い止めようとします。


映画の主人公のように、自己犠牲の精神を持つ事は不可能かもしれません。


でも、大事な人の側にいようとする事は出来るはずです。


ご家族や恋人がいる方は、こまめに連絡を取り合うようにしましょう。


映画の主人公から僕らが学べる事は、大事な人の側にいる事と、「なんとか生きてやろう!!」という積極的な気持ちです。


がんばりましょう!!僕の家の計画停電は、18時20分みたいです。


その時間は、強制的に休憩ですね(笑)

皆さん、無事ですか?


シナリオライター仲間、バイト仲間は怪我などしていないだろうか?


ちなみに、私は無事です。怪我もしていません。


ただ、地震発生時は、バイトで渋谷にいたために、帰宅難民になってしまいました。


最初はマンガ喫茶やホテルを探して彷徨い歩いたんですが、やっぱり満室で入る事が出来ず、渋谷マークシティ内で野宿をする事になってしまったんです。


夏なら野宿でもへっちゃらですが、さすがに今の季節はまだ寒さが残っていて、けっこうキツイ思いをしました。


でも、本当に辛かったのは、高齢者の方です。


冷たい地べたに座って、高齢者の方がどんどん元気を無くして行くのが目に見えるんです。


周囲の方々が心配して、係の人に、「特別に車を出して、先に帰宅して頂いたほうがいいんじゃないか?」と、提案していました。


しかし、その高齢者の方は、「自分よりも小さいお子さんがいる家族を優先してくれ」と言って、車に乗る事を断ってしまったです。


あの姿は、本当に立派だった。自分が歳をとったら同じような態度をとれるかどうか?


「本当のかっこ良さは、生き方に宿る!!」という言葉を聞いた事があります。


まさに、その言葉を表現するかのような生き方をされているのを見て、背筋が伸びる思いでした。


しかし、寒さはどんどん増して行きます。お店からダンボールを貰ってきて、風よけにしましたが、それでも寒いもんは寒い(笑)


どうしたものか?と他のアイディアを考えていた時です。救世主が現れました。


マークシティ内には、スターバックスがあるんですけど、そのスタバ店員の方達が

コーヒーを無料で配布しに来てくれたんですよ。


これもまた、カッコイイと思いました(笑)、そして、本当に救われました。


コンビニの飲み物がどんどん売れ切れていた時だったし、何より思いやりが嬉しいじゃありませんか?


でも、身も心も温まるコーヒーを飲みながら僕は考えていました。


「俺には、何ができるんだろうか?」


いや、正確には、「僕が目指している作家という職業は、本当に人が困った時に何が出来るのだろうか?」という疑問でした。


読者登録されている方は読んで頂いたかもしれませんが、前にブログで、作家という職業は非生産的なのではないか?というテーマでお話しをした事があります。


つまり、経済先進国には娯楽をつくる担い手として、作家、シナリオライターは必要な職業かもしれません。


しかし、発展途上国はどうでしょうか?、それらの国の問題を解決するのには、作家ではなく、医者や専門の知識を持った学者などが必要なのではないか?という疑問を昔、ブログに書いたわけなんです。


どんなに素晴らしい文章を読んでも、べつに病気が治るわけじゃないし、何か機械にトラブルがあった時に、修理できるわけじゃない。


だから、本当に困った時、作家は必要ないんですよね。


同じ理由でシナリオライターも必要ありません。本当に困っていたら、映画やドラマをを見ている余裕なんてありませんもんね(笑)


今回の地震発生時も同じように考えたわけなんですよ。でも、よおやく電車が動き出した頃、僕は災害時の作家の役割もあるような気がすると思うようになっていました。


物語は、何もまったくの白紙の状態から作り出されるものではありません。


作者が見て来たもの、自分が経験してきた事から作り出されているんです。


だから、その時、僕が目にした高齢者の方のかっこ良さ、スタバ店員の方のかっこ良さは、しっかりと僕の経験値として、心の記憶に保存され、自分が作る物語に反映されて行くはずなんです。


いや、反映させて行かなきゃいけない。


絶対にその人達のかっこ良さを忘れないこと。そして、そんなかっこ良さを自分の物語の中で表現して行こうとする事。


それこそが、災害時に作家志望者に課せられた、唯一の役割なのではないか?と考えます。


そもそも、文字、文章とは、忘れてはいけない事を人に伝えるために、生まれて来た文化だったはずです。


今こそ原点に帰って、我々、作家志望者、ライター志望者達は、現状を心に刻んで、自分の物語を生み出していくべきなのではないか?と思います。


という事で、計画停電で中止になってしまったバイトの時間を使って、ドラマ原作を読んでしまいたいと思います。


私に出来ることは本当にそのことだけです。


災害の被害が各地で出ている今だからこそ、自分がやっている職業で何が出来るのか?を考える。


そんな自問自答は、わりと大事な事なのかもしれませんね。

古い映画や新しい映画をたくさん観ていると、だんだんとある症状が出て来ます。


映画を観て、シンプルに感動すればいいのに、「この作品はあそこが悪い!」、「あのカットが悪い!」などと言って、まるで評論家にでもなった気分になってしまう。


このような病気の事を、僕は映画評論家病と呼んでいます。まんまですね(笑)


この病気、映画マニアには、とても多いです。あなたの周りにもいませんか?こっちが映画を観て感動し、良い気分になっているのに、いきなり評論を始めて、気分をぶち壊して来る奴(笑)


何を隠そう、実は僕もその一人だったんです(笑)、学生の頃、ありとあらゆる映画館で、古い映画や新しい映画を見て、同じような映画マニアと熱く映画の話しをするという青春時代を送っていたので、たまに一般の映画ファンと映画を見に行くと完全に浮いてました(笑)


まるで宇宙人か何かを見るような目で、見られたのを今でも覚えています(笑)


「ゴダールもロメールもトリュフォーも知らない人は、映画を語るな!!」とか、「ブレッソンや小津、ドライヤーは、やはり聖なる映画ではないか?」とか、そんなふうに解かったような事を言っていました(笑)


しかし、プロのシナリオライターを目指して、もう3年ぐらい経ち、その間に自分の映画を観るという行為に対する姿勢は、180度変わりました。


一番変わったのは、映画評論は、シナリオを書くうえで、役に立たないという事を知った事です(笑)


ただ、勘違いしないでほしいのは、シナリオを勉強するうえで映画やテレビドラマをたくさん観ておくのは、とても大事です。それは、間違いありません。


でも、映画を観て、ただ評論して解かった気でいるというのは、何も勉強にならないんですね。


僕はプロットライターをやって、その事を本当に実感しました。


そんな事を書くと、映画に詳しい方は、「ヌーヴェル・ヴァーグの映画人達は、映画評論家から映画監督になったじゃないか?」と反論して来る人がいるかもしれませんね。


ちなみに、ヌーヴェル・ヴァーグっていうのは、1960年代にフランスで起きた映画革命の事を言います。映画評論を書いていた映画青年達が、撮影所の助監督経験無し、スタジオ撮影無しで映画を作り、当時の映画界に新しい波を起こしたと言われています。


今の自主映画の元を作った映画運動だったんです。


だから、そんなヌーヴェル・ヴァーグ映画人達を知っている方は反論したくなるかもしれない。


でもですね、僕は思うんですけど、トリュフォーやロメール、シャブロル、ゴダール、リヴェットなどの映画人達の映画評論は、正確に言うと、「直し」だったと思うんですよ。


日本語訳にされたトリュフォーの評論文を読んだ事がありますが、必ず「僕だったらこうする」という文章が書かれていて、もはや評論ではなかったんです(笑)


あれは、台本直しだったんじゃないか?と僕は思うんですよ。


そんな事を考えると、やっぱり映画評論って、シナリオを書くうえでは役に立たないように思えて来るんです。


ただ観る側と作る側の橋渡し的存在になってくれる本物の映画評論家は必要だとは思います。


山田宏一さん、蓮實重彦さん、山根貞男さん、宇田川さん、そして淀川さん。


今書いた方達の映画評論本は、本当に面白くて、学生時代に夢中になって読みました。


でも、実際に職業作家として、飯を食って行くためには、評論じゃなくて直しをしなくちゃいけない。


その事を、忘れずに行きたいと思います。


今回は、おもいっきりマニアックなブログになってしまいました(笑)


次回は、もっと気楽に読める文章にします。いきなり反省(笑)