映画評論よ、さようなら!! | 新人ライター奮闘記

新人ライター奮闘記

自分は今、制作会社に企画要因、プロットライターとして参加しています。

ブログには、プロデューサーとの打ち合わせや企画書の書き方についても書いていきたいと思います。


また、「文章の書き方」、「企画の見つけ方」なども書いて行きたいと思います

古い映画や新しい映画をたくさん観ていると、だんだんとある症状が出て来ます。


映画を観て、シンプルに感動すればいいのに、「この作品はあそこが悪い!」、「あのカットが悪い!」などと言って、まるで評論家にでもなった気分になってしまう。


このような病気の事を、僕は映画評論家病と呼んでいます。まんまですね(笑)


この病気、映画マニアには、とても多いです。あなたの周りにもいませんか?こっちが映画を観て感動し、良い気分になっているのに、いきなり評論を始めて、気分をぶち壊して来る奴(笑)


何を隠そう、実は僕もその一人だったんです(笑)、学生の頃、ありとあらゆる映画館で、古い映画や新しい映画を見て、同じような映画マニアと熱く映画の話しをするという青春時代を送っていたので、たまに一般の映画ファンと映画を見に行くと完全に浮いてました(笑)


まるで宇宙人か何かを見るような目で、見られたのを今でも覚えています(笑)


「ゴダールもロメールもトリュフォーも知らない人は、映画を語るな!!」とか、「ブレッソンや小津、ドライヤーは、やはり聖なる映画ではないか?」とか、そんなふうに解かったような事を言っていました(笑)


しかし、プロのシナリオライターを目指して、もう3年ぐらい経ち、その間に自分の映画を観るという行為に対する姿勢は、180度変わりました。


一番変わったのは、映画評論は、シナリオを書くうえで、役に立たないという事を知った事です(笑)


ただ、勘違いしないでほしいのは、シナリオを勉強するうえで映画やテレビドラマをたくさん観ておくのは、とても大事です。それは、間違いありません。


でも、映画を観て、ただ評論して解かった気でいるというのは、何も勉強にならないんですね。


僕はプロットライターをやって、その事を本当に実感しました。


そんな事を書くと、映画に詳しい方は、「ヌーヴェル・ヴァーグの映画人達は、映画評論家から映画監督になったじゃないか?」と反論して来る人がいるかもしれませんね。


ちなみに、ヌーヴェル・ヴァーグっていうのは、1960年代にフランスで起きた映画革命の事を言います。映画評論を書いていた映画青年達が、撮影所の助監督経験無し、スタジオ撮影無しで映画を作り、当時の映画界に新しい波を起こしたと言われています。


今の自主映画の元を作った映画運動だったんです。


だから、そんなヌーヴェル・ヴァーグ映画人達を知っている方は反論したくなるかもしれない。


でもですね、僕は思うんですけど、トリュフォーやロメール、シャブロル、ゴダール、リヴェットなどの映画人達の映画評論は、正確に言うと、「直し」だったと思うんですよ。


日本語訳にされたトリュフォーの評論文を読んだ事がありますが、必ず「僕だったらこうする」という文章が書かれていて、もはや評論ではなかったんです(笑)


あれは、台本直しだったんじゃないか?と僕は思うんですよ。


そんな事を考えると、やっぱり映画評論って、シナリオを書くうえでは役に立たないように思えて来るんです。


ただ観る側と作る側の橋渡し的存在になってくれる本物の映画評論家は必要だとは思います。


山田宏一さん、蓮實重彦さん、山根貞男さん、宇田川さん、そして淀川さん。


今書いた方達の映画評論本は、本当に面白くて、学生時代に夢中になって読みました。


でも、実際に職業作家として、飯を食って行くためには、評論じゃなくて直しをしなくちゃいけない。


その事を、忘れずに行きたいと思います。


今回は、おもいっきりマニアックなブログになってしまいました(笑)


次回は、もっと気楽に読める文章にします。いきなり反省(笑)