最近、東野圭吾氏の小説を企画書にする事が多い。
人気が高く、競争率も激しいので、企画が通っても間違いなく自分が脚本を書く事はないと思うけど(笑)、今人気の小説家の作品を読む事は、職業作家として大事だと思います。
でも、僕は不思議でしょうがない。
だって、東野作品って、けして明るい小説じゃないですよね?なのに、どうして、あんなに爆発的に売れているのだろうか?
一つには、文章が読みやすく解りやすいという事があると思うんです。
あとは、エンターティメントには欠かす事が出来ない、予想できないストーリ展開というものがあるでしょうね。
けれど、それだけじゃない。東野作品には、現代人が思わず読んでしまう、力強い思想、哲学が流れているんだと思うんです。
今回は、その東野作品に流れる、思想、哲学について考えてみたい。
まず、東野作品を思い出してみてください。「手紙」も「白夜行」も「幻夜」も、みんな綺麗ごと一切なし、希望も一切なしという、徹底したニヒリズムじゃなかったでしょうか?(笑)
僕は思うんですけど、もしかしたら、この徹底したニヒリズムが現代人には、心地好いのではないか?と思っているんですよ。
ちなみに、ニヒリズムという言葉を世の中に広めたのは、ニーチェという哲学者です。
今、「超訳 ニーチェの言葉」がベストセラーになっていますよね。
彼の考え方の根本になるのが、ニヒリズムという思想なわけなんです。
ニヒリズムを辞書で調べると
「虚無主義とも言う。世の中の価値や権威にはすべて意味がないとする立場。ニヒリズムを徹底的に貫くと、「世界はすべてが無価値である」、「人生に意味はない」、「世界は無価値のまま永遠に続く」という事になる」
と、書いてあるんです。生きる意味、生きる価値を求める、それまでの哲学を否定したことによって、当時の群衆や他の哲学者から大批判を受けた、ニーチェ。
のちに、ナチスに自身の思想を悪用されてしまうという悲劇的な結末を迎えてしまったりしたようなんです。
でも、僕がなぜニーチェの思想を東野さんは小説の中で表現していると思ったか?というと、まさに、この「人生に意味はない」という虚無感が、東野作品には溢れていると思ったんからなんですよ。
他にもニーチェは、「ルサンチマン」、「神は死んだ」、「畜群」、「遠近法的思考」、「力への意思」、「反キリスト教」というキーワードを残してくれています。
それらの言葉もすべて、東野作品に当てはまるような気がします。
とくに東野作品を読んでいて、ニーチェの思想を感じたのは、「欲望を認めている」という点です。
これも、ニーチェの「力への意志」という言葉に要約される思想だと思うんです。
う~ん、どうでしょう?哲学を研究している専門家から見れば、違うかもしれませんが、引き続きニーチェを研究したいと思います。
古本屋でニーチェの本を3冊も買ってしまいました(笑)