A MAN IN SUSTAINABLE SOCIETY -43ページ目

脳に支配されず脳を管理する生き方

アンソニー ロビンズ, Anthony Robbins, 本田 健
一瞬で自分を変える法―世界No.1カリスマコーチが教える

人は物事を体験し、様々なことを感じる。

それによる恩恵も多々あるが、一方で、その感情に操られてしまうことも多い。

それがまさに脳に支配される生き方。


筆者は、そうではない、脳を管理する生き方を推奨している。

そして、その為のツールとしてNLPの様々なテクニックを教えてくれる。



そのテクニックは、自分の中で、1つ大きなテーマとして掲げている、

人を変えようとする前に自分を変えるということの実践に非常に役立っている。


自分が将来、持続可能な社会の生成の一端を担おうとする時に、

やはり、自分1人だけでやろうとするのは無理であり、周りを変えていく必要がある。


しかし、人を変えて自分の都合の良いようにしようなんて試みは、

そうそううまく行くはずもない。

人を変えるには、多大な影響力が必要で、今の自分にあるとは思えない。


また、自ら変わろうとしない人間が言った通りに変わろうとしてくれるような人など、

そうそういるはずもない。


だからこそ、まず自分が変わろうとしなくてはならない。

自分を変えて初めて、人に「変わって欲しい」と伝える権利を得られるのだと思う。

このことを常に肝に銘じながら、脳を管理しながら、歩んでいきたい。

子どもを産まないことは悪なのか?

「産む機械」発言に対してというよりは、

「子どもを産まないことは悪」的な風潮について、疑問に思うことがある。


先に、この発言に関して触れておくと、

「まあ、思慮を欠いた発言でしたね。立場考えて発言しようね」

ただ、それだけ。


「女性の人権を踏み躙る発言ですよ、プンプンッ!」とかは特に思わない。

柳沢氏はそこまで考えてない気もする。そういう意味も含めた思慮の無さは感じる。

ただ、それだけ。



彼の発言に限らず、色んな識者の発言を聞いていると、根底にある、

子どもを産むのは良いこと

子どもを産まないのは悪いこと

という固定観念を感じざるを得ない。


しかし、果たしてそうなのか?


そもそも、人類の種の保存に関する本能的な部分のことを、

「良い」「悪い」なんていう感情・主観で捉えようとすること自体が、

何かおかしく感じてしまう要因なのかもしれない。


他の動物は、何の疑問も持つことなく(?)、子どもを産み、種の保存に努める。

しかし、少なくとも現代の人はそうではないようだ。


自分で種の保存についても決断できる。それはなぜか?


・人には感情があり、理性がある。

・人には自由がある。

産まなくても種の保存がなされる環境にある。


他にも色々あるだろう。

上2つはまあそう言われりゃそうだけど…と思うだろう。

一番下のヤツは、自分なりの解釈なので、少し説明したい。


端的に言うと、本当に人類が滅びそうなら、

本能に種の保存が埋め込まれている限りは、産もうとするだろ、ということ。

今は、そうではなく、むしろ人が多すぎると言われる時代。


むしろ、産もうと思わない人が子どもを産まないということが、

人類がこれ以上増えることを防ぎ、地球環境がこれ以上悪くなることを防ぐ…

という意味で、実は理に適った行動なのではないか? と考えることもできる。



あと、識者と言われる人々の発言は、

どうも、日本という1つの国レベルの枠を出ない意見のような気がしてならない。


日本では高齢者が多くなるからとか言うけど、

子ども産んで、その子ども達が高齢者の生活を支え、

さらに寿命が長くなって、さらに人が増えて、

その子ども達が大きくなり、高齢者達が亡くなった頃に、

人が増えすぎて地球自体が滅びちゃいました、とかなったら、たまったもんじゃない。


自分は、決して、この国を作ってきたお年寄りの方々に、

敬意を払わなくて良い、自分で生活しろよ、と言っているわけではない。

自分も将来は高齢者になる訳だし。


でも、「これまで国の為に努めてきた高齢者の為に、国の為に、子どもを産むことは正しい、義務だ」という考え方は、

あまりに、一方に偏りすぎているような気がしてならない。


子どもを産むことが「責任」とか「義務」とか言い始めたら、キリがない。

そもそも、何でこんなに高齢者多いのか?って考えたら、

そのさらに親の世代が「産みすぎた」からでしょ、彼らの責任でしょ、

とかいうことになり、責任のとらせようもないし。


子どもを産むことは本能であり、義務なんかではない。

1人1人が思うままに、産んだり産まなかったりすれば良い。

産んだり産まなかったりできるという現状に身を委ね、若い人々に決断させることが、

実は自然の摂理に適っているのかもしれない。


もちろん、「いじめとかあるし、産みたいけど産みたくない」みたいな人が多いのなら、

それを改善する為にとるべき政策があるだろう。


でも、少なくとも、子どもを産まないことの善悪を論議するのはおかしいと思う。

男と女の適正なパワーバランス

人間社会の歴史の中で、
現代ほど女性のパワーが強くなった時代はなかっただろう。


この変化は、かなり短い期間の間に進んできた。
この急激な変化が現代社会の歪みの一つの原因になっているような気がするのは自分だけだろうか?


例えば、学校崩壊。
この一つの原因として、父性の喪失が挙げられたりする。

妻に馬鹿にされ、威厳を失う夫。それを見て育つ子ども。
以前は家族のあらゆる判断の基準だった父親像は消え、子どもには怖いものがなくなった。


もちろん、それだけが原因ではない。

情報の氾濫など様々な原因が考えられるだろう。その1つとして挙げたまで。
今更、元に戻った方が良いと主張するつもりもないし、元に戻すことなんて出来ないと思う。


何が言いたいのかというと、、、


女性は変わり、社会は変わりつつある。
その変化に対応するために、男性も女性も変化し続けなくてはならない。

ということ。


歪みを感じている人もいれば、感じていない人もいる。

どちらの捉え方が正しいのかは分からないし、どちらが正しいなんていうのは無いとは思う。


ただ、自分の感覚としては、何か歯車が狂い始めているような気がする。

女性優位社会への変化に対応しきれていない男性。

その状況により生まれた歪みを直しきれない女性を含めた社会全体。


しかし、ある一定の目指すべき「理想の状態」というのがあるのか?というと、

そういう訳でもない気がする。


特に現代社会のように、個人の「自由」を基礎とする社会においては、

個人が本当に自由に振舞うため、

ある一定の「理想の状態」で社会や組織が維持されるということはまずない。


誰かの言葉で、

「万物は流転する。流転するということを除いては。」

みたいな言葉があったが、まさに言い得て妙。


全てのものは変化する。

それに応じて求められるものが変わるのは当然。

変化しているという状態こそが、理想の状態なのかもしれない。


そう考えると、女性が変化していっていることは理想的で、

それに応じて男性が、そして社会全体が変化していけば、理想的なのかもしれない。


今、我々は変化のサイクルの中で一番変化が急激な場面に遭遇しているのだろう。

あらゆる面に関してそう思える。 環境、教育、政治・・・etc

ここをしっかりと乗り越えれば、明るい持続可能な未来が見えてくる。

その為に自分が何を出来るのか、常に考えていきたい。