ウォーレン・バフェット
- メアリー バフェット, デビッド クラーク, Mary Buffett, David Clark, 井手 正介, 中熊 靖和
- 億万長者をめざすバフェットの銘柄選択術
世界で2番目の金持ち、ウォーレン・バフェット。(1位はビル・ゲイツ)
何で、金持ちになったかというと、証券投資。それが仕事。
バフェットについて書かれた本は数あれど、
彼が出した本というのは見たことが無い。
まあ、そんな中で、
この本はバフェットに近い人達が書いた本なので、
一番信用できる一冊なのではないだろうか。
バフェットの凄いのは、変に考えすぎないこと。
シンプルに、買うべき時に買い、我慢すべき時に我慢する。
この我慢が、人間にとって非常に難しい。
逆に言えば、我慢すれば、場合によっては金持ちになれるということだ。
「カネ」というと悪いイメージが付きまとう。
特に、日本ではカネを厭う風潮が強い。
本来、カネは、取引時の便利ツールとして生み出されたにも拘らず。
日本の場合、金持ちと言われている人の多くが、
カネをほとんど自分の為に使う。
当たり前のように思えるが、世界ではそうでもない。
金持ちの多くが、持っている金の多くを社会の為に使ったりする。
そういう話を、日本ではあまり聞かない。
もちろんやっている人はいるのだろうけれども。
カネを得る→寄付など→負のパワー払拭→さらにカネ集まる
カネには負のパワーがあるので、
それを振り払う為にも寄付などを通じて社会に貢献すべきだ、
というのは、
神田昌則氏やロバート・キヨサキ氏もおっしゃっていた。
どうしてもカネを得てしまうと、それに固執してしまう。
カネを愛しつつも、カネに溺れないこと。
カネとの上手な付き合い方こそが、金持ちであることを維持する秘訣なのかもしれない。
エリート意識を持つべきか?持たざるべきか?
エリート意識。
こいつは曲者だ。
端的に言えば、
「自分をエリートだと誇りに思い、エリートの名に相応しくあろうとする心」
みたいなものだろうか。
「そもそもエリートって何なんだ?」
という根本的な疑問が湧いてくるが、
考えてみたいことの本質から外れるので、
「選ばれし者」という抽象的な定義を付けておこう。
では、本題に。
タイトル=「選ばれし者は選ばれたと感じるべきか?」
ということである。
以前は感じるべきではないと思っていた。
エリート意識を優越感としか考えていなかったから。
誇りに思うというのは綺麗事に過ぎず、
むしろ傲慢さを生み出すとしか考えられなかった。
この考え方は狭かったなと今更ながら思う。
傲慢さは副次的な物に過ぎず、
第一義的には、エリート意識とは、
責任感であるべきなんだと後になって気付いた。
だが、日本の「エリート」は、
責任感の前に優越感を感じているような気がする。
本来的には、エリートはエリート意識を持つべき。
でも、今の日本の「エリート」にエリート意識を持たせても、ろくなことはなさそうだ。
日本という国にとっては、
エリートについて国全体で再考することは
大きな意味がありそうだ。
こいつは曲者だ。
端的に言えば、
「自分をエリートだと誇りに思い、エリートの名に相応しくあろうとする心」
みたいなものだろうか。
「そもそもエリートって何なんだ?」
という根本的な疑問が湧いてくるが、
考えてみたいことの本質から外れるので、
「選ばれし者」という抽象的な定義を付けておこう。
では、本題に。
タイトル=「選ばれし者は選ばれたと感じるべきか?」
ということである。
以前は感じるべきではないと思っていた。
エリート意識を優越感としか考えていなかったから。
誇りに思うというのは綺麗事に過ぎず、
むしろ傲慢さを生み出すとしか考えられなかった。
この考え方は狭かったなと今更ながら思う。
傲慢さは副次的な物に過ぎず、
第一義的には、エリート意識とは、
責任感であるべきなんだと後になって気付いた。
だが、日本の「エリート」は、
責任感の前に優越感を感じているような気がする。
本来的には、エリートはエリート意識を持つべき。
でも、今の日本の「エリート」にエリート意識を持たせても、ろくなことはなさそうだ。
日本という国にとっては、
エリートについて国全体で再考することは
大きな意味がありそうだ。
環境問題と存在
環境を破壊する人間が「いる」
環境破壊を止めるよう訴える人間が「いる」
これらの事実を見ている人間が「いる」
人間がいなくなれば…と考える人間が「いる」
持続可能な社会を考える時、
必ずブチ当たるのが、
こういった存在論。
「我思う。故に我あり」じゃないが、
人がいなければ環境破壊はなかっただろうし、
人がいなければ破壊されてると気付かれないし、
人がいなければ直そうという動きも起こらない。
結局、環境問題に限らず、
あらゆる問題は、
人が存在することにより、
発生し察知され改善される。
一種の波みたいなものかもしれない。
人がいない世界は波のない湖。
人がいる世界は波のある海。
今、現に人は存在する。
つまり海の世界。
湖になろうとしても無駄。
波があることを受け止め、新たな良い波を生み出すことが、
求められているのかもしれない。
環境破壊を止めるよう訴える人間が「いる」
これらの事実を見ている人間が「いる」
人間がいなくなれば…と考える人間が「いる」
持続可能な社会を考える時、
必ずブチ当たるのが、
こういった存在論。
「我思う。故に我あり」じゃないが、
人がいなければ環境破壊はなかっただろうし、
人がいなければ破壊されてると気付かれないし、
人がいなければ直そうという動きも起こらない。
結局、環境問題に限らず、
あらゆる問題は、
人が存在することにより、
発生し察知され改善される。
一種の波みたいなものかもしれない。
人がいない世界は波のない湖。
人がいる世界は波のある海。
今、現に人は存在する。
つまり海の世界。
湖になろうとしても無駄。
波があることを受け止め、新たな良い波を生み出すことが、
求められているのかもしれない。