本日は我国建国の祖である神武天皇祭、神武天皇がお隠れになられた日、命日です。

 

令和の御代替わりの時には、上皇陛下上皇后陛下が春に、また初冬の時期には天皇陛下皇后陛下が、奈良にある神武天皇陵へ行幸啓されましたが、それは初代天皇であらせられる神武天皇への御代替わりのご報告をされたのです。上皇陛下は125代目、今上陛下は126代目の天皇ですが、その皇祖が神武天皇です。

 

曇りの中の参拝ですが、天皇陛下が拝礼されている間にみるみる晴れていく御参拝映像。


 

神武(じんむ)天皇は初代天皇です。神武という漢風諡名(おくりな)は平安初期に定められたもので、日本書記には神日本磐余彦尊彦火火出見天皇(かむやまといわれびこほほでみのすめらみこと)、または始馭天下之天皇(はつくにしらすすめらみこと)と和風名で本文に書かれています。


御名は神倭伊波礼毘古命/神日本磐余彦尊(かむやまといわれびこのみこと)、諱は彦火火出見(ひこほほでみ)。


御父は鵜葺草葺不合命(うかやふきあえずのみこと)、御母は海神の娘の玉依毘売(たまよりびめ)。


また御父の父、つまり御祖父は火遠理命(ほおりのみこと)/山佐知毘古(やまさちびこ)。そう海幸彦山幸彦神話の山幸彦なのです。その山幸彦神話が浦島太郎というおとぎ話を生んだともいいます。


そしてさらにその父は邇邇芸命(ににぎのみこと)で、天孫降臨の主役です。天孫というのは、邇邇芸命が天照大御神の孫だからなのです。


日向で育った神倭伊波礼毘古命が四十五歳の時に、天下に君臨するのにふさわしい東方の美き地(よきくに)である大和に都をかまえるために出発したのが神武東征の始まりです。


三人の兄が次々に亡くなり、全軍が倒れるようなこともあり、道に迷ったりもしましたが、天照大御神から授けられた剣や八咫烏に導かれ、苦難の末に大和を平定しました。


畝傍山の麓の橿原に宮殿を建て即位したのが、皇紀元年一月一日。現在の暦ではその日を二月十一日とし日本建国のいわれの日となります。

 

神武天皇は、即位四年目に詔をしました。


「我が皇祖の霊が、天から降り眺められて、我が身を助けて下さった。今、多くの敵は全て平らげて天下は何事もない。そこで天神を祀って大孝を申し上げたい。」


これは大和朝廷に古くからあった、天皇(大王)自身が祖先神(皇祖天神)を祭祀される伝統の原点を示すものです。つまりこれが日本人が先祖を祀る習慣の原点ともなるわけです。ここで詔されたということは、長い間そういう習慣があったからこそのことでしょう。


神武天皇祭は、幕末の孝明天皇の時代に御陵祭として始まりました。「諸事、神武創業の始に基づく」王政復古の大号令を発した明治維新政府は、明治三年(1870年)の三月十一日、神祗官に天皇の出御を仰ぎ、神武天皇祭を親祭として発足させました。つまり神武天皇にならったのです。それが同6年から新暦に換算して四月三日となり、その後国家的な祭日の日として休日に定められました。しかし、昭和二十三年(1948年)を最後に休日からは外されています。しかし、今も存続している大事な宮中祭祀の一つです。


宮中祭祀では初代神武天皇と先帝の三代までの祭日をお祭りされています。そしてその他の御歴代の天皇や皇后、皇族の方々は沢山いらっしゃいますので春季及び秋季皇霊祭にてまとめて一緒にお祭りされているのです。また100年という区切りの年毎にはどの天皇も大祭として当日のお祭りとなります。そして平成28年には神武天皇2600年大祭が行われました。

 

神武天皇祭では宮中の皇霊殿で儀式が行われるとともに、勅使を差遣して畝傍山東北陵に奉幣を行います。また、橿原神宮や宮崎神宮などの神武天皇を祀る神社をはじめ、日本全国の神社で遥拝式あるいは祭典が行われます。本来であれば日本国中で行われるはずなのが神武天皇祭ですが、多くの人がなにもしていなくても、実は日本全国の神社で行われているのが神武天皇祭です。なかには公に祭祀を公表していなくても行われている神社がたくさんあると、神社務めをしていた友人から聞いています。

 

参列できなくても、遥拝することもできます。

早稲田にある穴八幡宮の遥拝所。私は一昨日こちらでお参りしてきました。

 

神武天皇は古事記によれば百三十七歳、日本書記では百二十七歳で崩御されました。
古代、日本では半年を1年とする数え方がありました。そのように数えれば古事記では68歳前後、日本書紀では63歳前後で崩御されたことになります。その場合2600年はどうなのか?という風にもなるかもしれませんが、それだけ大昔から日本が続いてきたということです。なにしろ日本は神話から続く神の子孫のシラス国なのですから。

 

 

御陵は、畝傍山東北陵(うねびやまうしとらのみささぎ)、奈良県橿原市大久保町にあります。その畝傍山は神武天皇の即位された宮があり、その跡地に明治二十三年(1890年)に創建されたのが橿原神宮です。その北東の位置にあるのが神武天皇陵となります。

 

 

参照:「宮中祭祀」
「天皇のすべて」
「現代語古事記」
「全現代語訳日本書記」
「天皇の『まつりごと』」

 

神武天皇を祀る神社は橿原神宮の他にもあります。橿原神宮は明治時代に創建されましたが、以下の二つの神社は創建も古い神社です。

 

神武天皇の宮崎に残された子孫、孫によって創建された歴史の古い神社

 

日本武尊によって祀られた創建1900年ほどとなる神社


我国の建国は、神武天皇が即位したことに始まり、その即位された日を日本の紀元の日であるとして紀元節といいます。紀元の節目の時というわけです。現在紀元節は、毎年日本各地の神社でお祝いされていますが、一般には建国記念の日、として知られています。これは戦後、GHQのウォーギルドインフォメーションプログラムの一貫として、天皇・皇室については教えられないようにされたため、我国建国の祖である神武天皇の事績についても教えられなくなったからです。


我が国の始まり、建国については記紀に書かれています。古事記と日本書記は我国建国の書となっています。日本人として我が国の建国を知ることは自己認識を高めるためにも必要なことです。2年前は日本書記編纂1300年の年でした。そして、古事記は今年編纂1310年となりました。こうした機会に日本の建国についての見識を深め、世界でも稀な神話から続く我が国の誇りを培いたいものだと思います。

 

 

多くの日本人は、建国記念の日の2月11日をただの休日として過ごしています。しかし、どんなものにも始まりがあるように我が国にも始まりがあり、その始まった日が2月11日です。しかし、その2月11日も紀元節として認識されるようになったのは明治時代新暦になってからのことです。2月11日は、旧暦が新暦に変わった時にその旧暦をあてはめたら新暦のこの日だったというだけで、旧暦では別の日だったのです。では元の日はいつだったのかといえば、元旦です。元旦は、実は神武天皇の誕生日、即位された日、そして日本の誕生日という3つのおめでたい日が重なっています。だからこそ宮中祭祀で一番重要な日は、収穫を感謝する新嘗祭の11月23日ですが、その次に重要な日は元旦となっています。これは日本はもちろん日本の開祖の誕生日であるから大切にされてきたのです。しかし、そのような大切な日であっても2番目とされ、第一は収穫で感謝する時であるということが我国の我国である所以でもあります。

またかつて日本では数歳というものがありました。年が変わるとみな一斉に年齢が重ったのです。つまり元旦が日本人全員の誕生日でした。だからこそ新しい年の前にはみな神社で禊をし、その前の年末には負債を清算し、新しい気持ちで新年を始めようとしました。季節の行事で元旦が盛大なのは日本と日本人全体のお祝いの日だったからです。そしてその習慣の大元には神武天皇がいらしたのです。


平成28年、神武天皇2600年大祭が神武天皇の宮跡の橿原神宮で行われました。宮中祭祀として天皇陛下が皇居でされている神武天皇祭は、橿原神宮でも毎年行われているため、橿原市周辺では神武さんとして親しまれていますが、日本中のほとんどの人がその存在を知りませんでした。他には神武天皇即位前の生誕の地、宮崎県にある宮崎神宮も神武天皇となる神日本磐余彦天皇を御祭神として4月3日に神事が行われていますので、その周辺の方々はご存知でした。私はこのような2600年を慰霊顕彰する祭りの存在を知らないのは勿体ないと周りの人々、特に歴史に興味のある方々にお伝えして、一緒にその大祭に参列させていただきました。二度と体験できることのできない貴重な参列でした。なんといっても次に行われる大祭は百年後の2700年大祭ですから、今回参列した人は誰ももういませんし、50年毎ならまだしも百年毎ということは、参列したいと多くの人が望んでいても参列することの難しい祭りですから、このような機会にいあわせたことが物凄くありがたく感じられました。

 

 

 

当日は、天皇陛下皇后陛下(現在の上皇陛下上皇后陛下)、秋篠宮殿下同妃殿下が橿原へ行幸啓をされ、神武天皇陵で山稜の儀をされました。また皇居の皇霊殿では、皇太子殿下(現在の天皇陛下)が陛下の名代として儀式に臨まれ、皇太子妃殿下(現在の皇后陛下)、また皇族の方々が御臨席されています。

 

令和の御代替わりは、インターネットやテレビ映像で世界中に配信され、世界中が驚き感銘を受けたことがわかりました。なんといってもあれほど多くの国家元首が集まったのは日本が歴史の古い国であり、古来から伝わる行事があったからです。その凄さを一番わかっていないのが我が国で、せっかく二百年以上ぶりに見れたかもしれない行事を省略したり変更したりして私達多くの人の貴重な機会が奪われました。 
 

世界中で2600年前のお祭りを行っている国が他にあるでしょうか?たとえ中断された時期があったとしても我が国では生きたお祭りが行われています。今上陛下のご先祖様であり、天皇の始まりとされる神武天皇の祭日は毎年行われています。これは、世界中で伝統やしきたりが途絶えたりしている中で、日本人として誇りといえることではないかと思います。そして天皇陛下がご先祖様である神武天皇をお祀りしているように、日本人は自身の祖先を祀ってきました。仏教だから違うと思うかもしれませんが、本来の仏教は輪廻転生で死者を祀りません。仏教は日本に来て、日本的なものと融合して今の形となっています。

 

私達がこうした歴史をきちんと認識した時、日本は本来の日本らしさを取り戻せるのではないかと思います。日本は、その時代時代でどこの国よりも、国民のための政治が行われていた国でした。現在と比較するのではなく、同時代の国々と比較してです。ところが、現在の国難の中、また世界情勢により日本への攻撃の危機が増している中、日本が思うように動けない、他国のような毅然とした動きができないのは戦後そのようなシステムに国が変えられてしまったためであり、その後そのシステムを元に戻せなかったためです。そのシステムが現在の国難の時期に私達の足枷となって、当たり前の政策ができなくなっているのに、多くの人がそれがわからず、ただ現政権を責めているような状態となっています。その状態を維持してしまったのは私達です。

 

戦後復興には300年かかるとおっしゃった昭和天皇の思し召しが事あることによみがえります。昭和天皇がこうした思し召しをされたのは、いかに国史を学ばれていたかの表れです。ところが、戦後私達は国史ではなく日本史を学んできました。国史は国の中の視点で歴史を観ますが、日本史は海外目線で日本の歴史を観ます。しかし、日本人は日本人の観点から歴史を観なければ日本を理解できませんし他人事です。それが、おかしな自虐史観を生み出し、おかしな目線の人達も生み出して、我が国のことを考えることをできなくしているのです。

 

そもそも、なぜ我が国のことを我が国と言える人がいないのでしょうか。公の席で我が国のことを我が国と言っている政治家をはじめとする日本人はいません、天皇陛下以外には。

 

現在、国史を学びなおしている人達が多くいます。私もそうですが、最初は日本開催のワールドカップサッカーがきっかけ、そして次はフィギュアスケートの日本人選手に優秀な人が出てきてのフィギュアスケート人気をきっかけに、なぜこんなおかしなことが起きているのか?と疑問を持った人が増えました。人々が目覚め始めたのです。その後も、震災がきっかけとなったり、御代替わりがきっかけとなったりと色んなきっかけがあるかと思います。日本を愛し、日本を憂いていた三浦春馬さんがきっかけとなっている人達もいます。そしてネット社会が当たり前となったことで、こうした情報が拡散されるようになりました。そしてそれと同時に、国史を学びなおすにふさわしい本や動画などがたくさん出てきています。もちろんそれに反するものもたくさん出てきましたが、目覚めた人たちは騙されなくなりました。

 

このブログで何度も紹介している『FULL POWER』の翻訳本によれば、家族の歴史を知っている子供は困難なことに直面した時の対応力があり、また回復力がありストレスにも強いといいます。そして、創業史を知っている従業員は意欲的になれるといいます。これは世代を超えた自我や自分よりも大きい何かの一部であると知っていることが自信に結び付くからです。我が国は、「国家」という言葉を造ったように国は家族であるという認識の国です。その大きな国を知ることはつまり私達を強くするということです。つまり逆に言えば、だからこそアメリカは日本弱体化のために国史を教えないようにさせたのであり、それを未だに引きずっているのが日本の教育の現状です。

 

「復刻版初等科国史」を見ると、冒頭に天照大神の神勅と御歴代天皇の名前表があり、神話の国生みから天孫降臨の神話に始まり、神武天皇に6ページが割かれています。我が国に天皇があらせられるのですから、ここから始まるのが当たり前の国史として記されているのです。

 

この教科書は実質1年半ぐらいしか使われなかったようですが、この教科書の前の教科書もこれに近かったのではないかと思います。そうした国史を学ばれてきた先人達が、アメリカを恐れさせるほど我が国防衛のために戦われた多くの若い兵隊さんとなられ、また戦後復興を牽引された方々となられました。戦後20年足らずで東京でオリンピックを行えるような国にまでしました。

 

黙々と復興をされた方々が引退されたあたりから、日本がおかしくなってきているのは、戦後教育された人達に世代交代しているからです。

 

未来に生きる私達のために闘われた先人達のためにも、今私達ができることは自らを強くするために国史をまずきちんと学びぶことなのではないかと思います。国史を知らないと政治が上手く行われないことがわかっているからです。

 

このような千年、二千年を超えるお祭りを行っているような国が他にあるでしょうか?昨年は聖徳太子1400年祭と重なる日でもありました。そうした日が重なるときに居合わせえる。こうしたことを味わえる稀有な国に私たちは生まれています。そうした地球上で貴重な人たちの中に私たちは含まれているのに、それを知らない、経験できないというのはなんともったいないことでしょうか?せっかく日本に生まれたのですから、こうしたことを知り日本に生まれたことを感謝していきたいと日々考えています。

 

 

各地の神武天皇の伝承をたどる本。実在していなければこれほど各地に伝承地が伝わるはずもありません。

 

映像で綴る神武東征

 

 

神武東征は水田の伝搬であったことがわかりやすい本。

 

 

神話の時代から始まる天皇歴史を紹介した『天皇の国史』

 

 

神武天皇の建国の精神、シリーズ7まであります。

 

現在順次アップされている竹田学校。歴史が中心ですが神話やDNAの話もあり面白いです。

 

唱歌に神武天皇の歌もあります

 

 

 

 

神話から建国までの影絵の君が代

 

 

 

 

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