先日、皇學館大學の学生さん達に会う機会があったので、最近いつも持ち歩いている「建國の正史」を見せたら、森淸人先生の名前はご存知だし、この冊子が何冊も学校に置いてあるというので流石だ!と思いました。今では本屋で扱っておらず、古本では17千円(先日検索して驚きました)以上してしかもあまりみつけられなかったのですが、それでもあるところにはあるんです。

 

 

 

皇學館大学といえば、國學院大學と並び、日本の大学で神職の勉強ができ資格がとれるところです。日本には、沢山キリスト教系や仏教系等宗教系の大学があるのに、日本古来の神道系の大学は二つしかありません。また日本の楽器を専門とする音楽系の大学もつい最近まで一つしかありませんでした。

宗教系大学の不思議

筝琴(そうきん)の違い・・・世界最古の邦楽の伝統

 

 

神道という言葉は実は普及したのはそんなに昔のことではありませんが、神社、あるいは祠は古来から日本中にあり、その神社について探究するのに最適なのが神社検定のテキストです。そのそのテキストは既に何冊もありますが、2冊目ぐらいから神社を知ることは日本の歴史を知ることなんだと気づかされます。神社の歴史は日本の歴史にほかならないからです。

日本のいろは・・・日本の教科書

日本のいろは・・・神社検定(^O^)/

 

 

 

神社といえば神話となりますが、その神話から始まる代表が、記紀、古事記と日本書記です。記紀は神話から始まりその神話が上代の天皇につながっていきます。この神話から繋がる天皇の歴史というのが重要です。神話から繋がるということは、神話になるほど大昔から続いていることを意味するからです。

 

上代の天皇については、その宝算(天子の年齢)が長寿過ぎると昔から言われてきました。そして長寿過ぎるから実在していないのではないかとも。特に神武天皇から8代目までは欠史八代と書かれることが多いですし、もっと後の天皇も伝承でいないとされることも多いです。

 

教科書などでは、推古天皇から天皇が登場したりしますが、推古天皇は33代目の天皇です。推古天皇が存在するならその前の32代の天皇も存在しないはずはありません。

 

 

そうしたところに異を唱え、解き明かそうと書かれたのが「建國の正史」であると、既に紹介しました。

 

なお「建國の正史」の平成2年の再刊に際し、献辞を寄せた名越二荒之助氏はその中で、アメリカの教科書では日本について記紀に基づく日本の紀元を解説しているのに我国の教科書は考古学と支那の歴史書に基づく記述しかなかったと嘆いておられます。

 

 

 

ということで、いよいよ核心に迫りたいと思います。

 

まず最初に断わっておきますが日本には古来春秋歴があり半年を1年としたことがあったと知ってからこのブログでは、それで説明がつくのではないかととりあげてきましたが、この「建國の正史」では、それはとりません。

 

先ず第一に書かれているのは、普通の人の長寿を論ずるには、「生理の常則」で事足りるけれども、天皇の年寿を論ずるのに単なる「生理の常則」では尽くしえないものがあることを考えねばならないと述べています。皇位や皇位継承、またその治めた年数の事を考えずに上代天皇の年数を論ずるのは完璧なこととはいえないというのです。

 

そして古事記において、もっとも力を注いで記しているのは御歴代の系譜であって、だからこそ仁賢天皇の巻以降はただそれだけを記しており、日本書記においても皇室の系譜及び皇位継承の記事がほとんど各巻の中心を成していることが当代年数の基礎となっていることからして、上代天皇の年数をみるのにこれをしりぞけるのはおかしいと。

 

しかし一方で、上代天皇の中には、遺亡脱漏天皇、不正位天皇、不称天皇、廃位天皇、異称天皇のあることは否定できないことであり、それは例えば景行天皇記に不録皇子がいたように、天皇にも不録の天皇がなかったとはいえないだろうといいます。或いは直系ではなく傍系等の古い継承で伝わらなかったり、意図的に伝えなかったものもあったかもしれないとして、市邊天皇や弘文天皇の例をあげています。

 

他にも知られているのが、記紀には天皇として載っていない倭尊天皇や飯豊天皇、清貞天皇、神功天皇がいます。例えば倭尊天皇こと日本武尊は風土記では天皇として記載されているのが知られていますし、他の天皇も別々の書物に書かれています。

 

こうした天皇に限らず、他の書物にも書かれている、伝わった人達がいるのにも関わらずそうした天皇や皇族が実在しなかったというのもおかしな話であるわけです。

 

そして天皇空位の期間が推古天皇以前では、23回、通計空位年数が22年となっており、上代が遡るほど増えていくことから記録不備の時代のことを考えればどれだけあったかしれないし、そうした時代の数字が比隣天皇の時代に入っていたことが推察できるといいます。というのも、そうしたことが例えば弘文天皇の時代が天武天皇の時代に組み込まれたり、天智天皇が天皇となる前の時代が天智天皇の時代に組み込まれたり、あるいは持統天皇の例もあるからです。

 

 

次に述べているのは、記録の整備された中世以降にあっては、天皇の宝算(後年齢)と御宇年(御代)は判然と区別されているけれども、記録も不完全で諸事大らかであった上世にあっては、天皇の名前=その御宇の名でもあったことから、その天皇の宝算と御宇年が混濁したこともあったろうといいます。

 

そしてここで登場するのが襲名のことです。

 

日本では古来から襲名が行われており、それは神話の時代のヒコホホデミノミコトが5百8歳であったということから、十数代に渡って続いたことがわかるといいます。そしてこの名前を引き継がれているのが神武天皇です。

 

他にもその例として挙げられているのは以下の名前です。

大己貴命

事代主命

ヒメタタライスズヒメノ命

塩土老翁

武内宿禰

 

いつ頃のものか書かれていなかったのですが「ありのまま」という書があるようで、ここからの引用として「いにしへは同じ名前何代も継がせたまへりと見ゆ。・・・省略・・・上も下も父祖の名を襲ひ用いる事、上世より我國の國風にして、おほけなきたとえながら、近き世にも初代の藤四郎、二代目の藤四郎、また永正の助定、天正の助定などと云へる如くなるべし」とあげています。

 

日本には今も襲名を行っている伝統的なところはたくさんあり、その代表的な例が歌舞伎や能、猿楽でしょう。その歌舞伎の市川海老蔵さんは現在十一代目で、その襲名前の新之助は七代目でした。初代海老蔵は、1660~1704年、初代新之助も1791~1859年の人ですから江戸時代から始まった襲名です。(現在新之助は不在で空きの状態)

 

これには目からウロコ状態となりました。

 

そして後年天皇が、加後号を使うようになるのもこの襲名の変形ではないかと思ったのです。

 

 

また歌舞伎等もそうですが、日本では大切な事は口伝で伝えてきました。現在では書にしたためられているものも近年までは口伝でしか伝えられてゐなかったものが多くありますし、今も口伝で伝えられているものもあるでしょう。そうして伝えられてきたものには雅楽がありますし、歌舞伎の他にも能、猿楽などもそうです。神社で大祓詞などの祝詞がそのように伝えられてきています。一番有名な大祓祝詞は、奈良時代にすでに原型ができており、既にいつから伝えられてきたのかわからないほどになっていたといいます。そうした伝統があってそうしたものをまとめたものが記紀ともいわれるのですから、襲名というものを天皇にあてはめてもおかしくはありませんし、事実古事記などには襲名の形がわかる記載となっているものもあるわけですから、そうした観点で考えてもおかしくはないわけです。

 

古いことで事実かどうかわからないから本当ではないという前に、これほどの長い時を伝えられてきたという事実と現在も残る我国の古くからの伝統や習慣をあてはめて考えることの方が実際的であるともいえるかと思います。

 

 

森淸人氏は、日本書記の記載に多くの誤謬があることは素直に認めねばならないとしていますし、書記の紀年についても論証しうるところと論証しえないところがあると書いていますが、これだけの昔のことであり、文字にしたのが1300年前のことでもありますから、それは致し方のないことであるかと思います。

 

しかしそれをいうなら、支那や半島の史書にもそれがいえるのにもかかわらず、日本の方だけ全否定というのもおかしな話なのです。特に事大主義で周辺を貶めて書くことの多かった支那本を全て信じることこそ愚かではないかと思います。

 

ただし、そんな支那本で当時の日本について褒められて書かれたことが何度かあります。そうした習慣を持つ国がわざわざ褒めて書いたということは本当のことなんだろうともいえるかといいます。

 

最後に、紀元節が讖緯(しんい)説や辛酉革命説に無理矢理合わせて書かれているといわれていることについて、どのように森氏が解説しているかというと、単純な話ですが記紀が書かれた時代はこの説はそれほど行われておらず、そうした説に基づいて動くようになるのは記紀成立の2、300年後となる平安時代からであるといっています。そして日本書記編纂翌年の養老五年がたまたま辛酉の年に当たっているけれども改元されていないとわかりやすい例としてあげています。つまり、讖緯(しんい)説や辛酉革命説で年代が設定されているから信じられないということこそが信じられない説ということになります。

 

 

以上3回に渡って、抜粋で「建國の正史」の内容を紹介してきましたが、実際はもっと詳細に説明されています。私の抜粋の仕方が上手くないのはご了承くださいませ。

 

また「建國の正史」の詳細な説明とは記紀等の記載のことですから、上記をヒントに記紀を探究してみるのもいいかと思います。

 

こうしたことを知ってから記紀を読むと感じられることもまた違ってくるかと思いますし、なんらかの気づきもあるかもしれません。