本日は新嘗祭です。日本全国の神社で新嘗祭の祭祀が行われ、夜には天皇陛下が宮中祭祀としての新嘗祭が行われます。

 

現在、勤労感謝の日として祝日となっていますが、本来は新嘗祭の祝日でした。戦後新嘗祭の名前が消されてしまったのです。

 

新嘗祭は天皇陛下が宮中の神嘉殿において新穀を神々にお供えになり、収穫を感謝された後、陛下自らもお召し上がりになる祭祀です。この祭祀は1年で最も重要な祭祀とされてきたお祭りであり、このことは万葉集の東歌で当時の辺境の地である関東の普通の人が歌っていることから、古来から新嘗祭が意識されてきた日であることをうかがうことが出来ます。

にほどりの
葛飾早稲を
にへすとも
そのかなしきを
とに立てめやも

ちなみにこの歌は、新嘗祭で慎ましくしなくてはいけないとしつつも、恋の誘いには乗らずにはいられないという内容の、おおらかな歌です。

古来から民とはそんなものであったのでしょう。しかし、古来から天皇の祈りは変わっていません。いえ、神話の時代からです。なんといっても素戔嗚尊が天照大神を訪ねた誓約のあと調子に乗って暴れてだいなしにしたのは、新嘗祭のための準備の為の神田であり、また祭りのための神殿だったのです。そうした祭りを引き継いでこられたのが御歴代の天皇であり、今上陛下までそれは続いていらっしゃるのです。神話とは、神話になってしまうほどの大昔から続けられてきた、いつから始まったかわからない昔から始まったことを意味します。それがよくわかるのが、新嘗祭で使用される器としての柏の葉です。

神様へお供えするものを神饌といいますが、その神饌は古代の食事そのものとなっています。そしてその神饌が盛り付けられる容器には、柏の葉を何枚も重ねて作られた平皿「平手(ひらで)」、小鉢型の「窪手(くぼて)」、またお酒を供へる「平居瓶(ひらいかめ)」などが使用されます。

「『旧儀式図画帖』にみる宮廷の年中行事」の神饌図

 

以下の写真のAが平手、Bが窪手で両方とも柏の葉で作られたもの。國學院大學の冊子から。写真の模型は國學院大學内の博物館に常設展示されています。トングのような形のものは古来の箸です。

 

常時この模型は観ることが出来ます。國學院大學の博物館は基本通年開館で無料ですので、機会がありましたらご覧いただくといいかと思います。

オンラインミュージアムとして、展示されているものが動画にアップされてもいます。以下の動画の冒頭に新嘗祭と大嘗祭の神饌が紹介されています。


上記動画でも語られていますが、「古代の神祭りの様相を、現代に伝えるもの」が、神饌です。

 

このような大切なお祭りには最上最高のものを使用します。つまりこのお祭りが始められた時、この神饌の器が当時最上最高の器であった事を意味します。ということはこれはお皿ができる以前から続けられてきたお祭りであることを意味します。日本で最古の土器といえば縄文土器ですが、縄文土器の草創期は16000年前とされています。つまりそれ以上前から続けられてきたのが宮中祭祀でありそれを司られた御歴代の天皇ということになります。神饌に使われる器で、そのお供え物が追加された時代がいつか明確にわかるのかもしれません。

柏の葉がわかりやすい柏餅。この葉を器の形にします。

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そして、その時祈られることは、「国の中(うち)平らかに安らけく、年の穀(たなつもの)豊かに稔り、上下を覆(おお)ひ燾(おお)ひて、諸(もろもろ)の民を救ひ済(すく)はむ」と後鳥羽上皇は順徳天皇に語られており、天皇陛下御自身に関する祈りは全くなく国の平安と国民の幸せだけを祈られていらっしゃいます。そうしたことは、数々の御製から御歴代の天皇がされてきたことでもあることがわかります。

第十代崇神天皇は君民共治の詔を出されましたが、こうした詔を歴代の天皇は守られてきているわけです。

 

 

神は人の敬によりて威を増し人は神の徳によりて運を添ふ 、といいますが天皇は民の敬によりて威を増し、民は天皇の徳によりて運を添ふ、そんな国が我が国であり、その象徴が新嘗祭であると私は考えています。だからこそ、そうしたことを日本人から隠すためにウオーギルドインフォメーションプログラムというあらゆることをして天皇と民である日本人の紐帯を裂こうとしてきたその一つが、新嘗祭の祭の日を勤労感謝の日というなんの日だか分からない日に変えてしまったことです。

 


そして戦後の食糧事情の悪い中から始まったのが日本人の命(いのち)の根(ね)である稲(いね)をじわじわと日本から引き離していくことです。これが極端に切り替えられたのだったら大きな抵抗があったでしょうが、ジワジワと行う事で日本は実はとても危ういことになっています。

日本の恐ろしい食料事情は、食料政策の変化で我が国の穀物自給率がわずか28%で先進国中最低となっているということです。米(こめ)は100%ですがその実態はそんなものではないというのです。

 

日本の歴史は、天皇抜きに語れませんが、その天皇=日本の歴史は稲普及の歴史でもあります。なんといっても神話の時代から稲は重要な位置にある我が国です。そしてそうした伝統を守り維持されてきたのも天皇であり、その一番の象徴が新嘗祭です。

私は日本について学び直しを始め、神社や天皇について探究を始めるまで新嘗祭なんて言葉を全然知りませんでした。そして今も多くの日本人が新嘗祭を知りません。そしてそれと同時に、稲について大切に思う気持ちの共有が日本人の中かから失われていっているのです。物凄い勢いでパン屋が増えていることには危機感を感じますが多くの人は美味しいお店が出来る喜びしか感じていないようです。しかし我が国の穀物の基本は稲であり、食文化だけでなく多くの伝統や経済の基本も稲、お米中心となっています。それが小麦、パン食へと移行することにより、輸入に頼らざるを得ないような状況にじわじわと持っていかれているのは、我が国の隣国が危険な国ばかりなことや現在の国際状況を考えると恐ろしい上に、そのことを多くの日本人が自覚していないことがさらに怖さを倍増させます。

時代が変わったから、食生活が変わったから等、色々と言われる人もいますが、どんな時代でどれほど食生活が変わろうとも収穫がなければ食事が出来ないことに変わりはありません。そして自給自足できることが国として一番重要であることは、古今東西変わらない現実でもあるのです。だからこ古来から日本では、天皇が食に関する詔を何度も何度も発しています。

 

さらに日本は豊葦原の瑞穂の国と言われ、稲を大切にしてきた国であったことを考えると、嘆かわしいことだと感じるのです。

 

 

 

 

日本は技術大国、あるいは輸出入で成り立っているなどといいますが、それでも食料の自給自足はどんな国であろうと基本です。

そうしたことを見越されていらっしゃった昭和天皇が、古来に戻って自ら稲作りを始めるようになり上皇陛下、今上陛下がそれを引き継がれました。日本の米生産状況が悪化するなか、最近では米作り体験をする人が増えるようになり、学校でもそうした体験をさせるようになっているのは天皇陛下が毎年田植えをされ、稲刈されているニュースや映像が流れていることも大きいのではないかと考えています。

食に関する最後の詔が出されたのは戦後すぐの昭和の時代でした↓

 

宮中祭祀は基本非公開でありますが、それでも本来であれば天皇陛下が本日祭祀を司ることを稲作りのようにもっともっとメディアで取り上げてもいいと思います。しかし、そのようなことはありません。ただ、令和の御代替わりの大嘗祭で多くの人が宮中祭祀に注目しました。これを口コミでも天皇陛下のなされていらっしゃることを伝えていくことが肝要かと思います。ここ数年、世界中でメディアが信用できない事、本来伝えるべきことを伝えていないことが今までに知られていない人にも知られるようになってきているかと思います。そんなメディアを頼らなくても、伝えていくことが出来る時代になってきているのは幸せなことだと思います。

そしてせっかくですから本日は多くの人にお近くの神社で新嘗祭のお祭りの行事に参列してほしいと思います。神社では参列者がいようがいまいが粛々と毎年続けられていますが、参列者が多ければ多いほど良いことに変わりありません。ただし、非公開のところや神職だけで行われているお祭りもあるかと思います。でも、祭祀に参列できなくても、あるいは祭祀のない小さい神社でもお参りいただければ、その祈りの力は強いと思うのです。

 

 

昭和の半ば頃絶大な人気を誇った歌手がこういう歌を歌っていました。全う過ぎて現在との違いに驚かされます

 

私達の素晴らしいお祭りを伝えていきましょう(^O^)/

『「旧儀式図画帖」にみる宮廷の年中行事』では、新嘗祭について以下のように書かれています。
宮中の年中行事のうち、その期限が最も古いものの一つとして、天皇自らがその年の新穀の初穂を神にお供えし、御自身もこれを召し上がる新嘗祭が挙げられます。もとは秋の収穫祭であったと思われますが、宮廷行事として整備されてのちは、十一月中卯日に挙行される規定でした。祭祀は宵儀(よいのぎ)と暁儀(あかつきのぎ)から構成され、夜間に中和院の神嘉殿という神殿で行われました。同殿の内部には上座として八重畳や坂枕といった珍しい寝具が用意されました。

新嘗祭は原始的な面影をとどめる素朴な祭祀であり、天皇は御斎服という純白の束帯形式の衣服を着用され、延臣たちも小忌衣(おみごろも)を着用しました。小忌衣とは白地に山藍で花鳥草木の文様を摺って肩に紅紐を付けた衣服であり、その形式は『古事記』や『日本書紀』に記される古俗を伝えています。調度品についても、柏の葉を綴じ合わせた皿や椀、素焼きした土器の高坏(たかつき)や瓶、白木を組んだ机といった簡素な工芸品が用意されました。

新嘗祭は乱世のうちに途絶えてしまい、江戸時代になって神祇官代である吉田神社の斎場所で新嘗御祈という略儀が再興されました。その後、紫宸殿を神嘉殿代とする新嘗祭が再興され、ついには神嘉殿が造営されて古式に則った新嘗祭が挙行されました。

なお、天皇が即位して最初に挙行される新嘗祭を特に大嘗祭といい、これは大嘗宮という神殿を特設して行う一代一度の大神事であり、最も厳重な宮廷行事とされています。


神嘉殿に入られる天皇の図


秘儀が行われる神嘉殿内


新嘗祭の詳細については以下に以前のブログのリンクを下に貼ってありますのでそれをご覧いただきたいのですが、一つ、現在は新米が出来たらすぐ食べることが出来るのになぜ今もこの時期が新嘗祭なのか?という話をぜひ知っていただきたいと思います。

天皇陛下が稲を刈られたニュースも随分前となりました。実はこの間、古来からの習わし通りに新穀で新嘗祭のご準備をされていらっしゃるのです。宮中で出来ないのは酒税法に関わるお酒造りだけで、それ以外は全て宮中で用意されていると聞いております。それもこれも、大事な祈りを行うため。皆さんも大切なことを行う時は細心の注意を払って準備をするかと思います。天皇陛下は、日本と日本人のため、そして日本は世界との関わり抜きにありえませんから全世界のために祈られるからこそ、手抜きなどなされないのです。丁寧にそのご準備をされるためお時間が必要だからこそ、今も変わらずこの時期に新嘗祭は行われます。そして、そのようなご準備をされる天皇陛下より前に新米を戴く、食するのが当たり前となっているのは日本の国として、ゆゆしきことだと考えるのです。

新穀・新米は新嘗祭の翌日からと覚えていただきたいと思います。

 

新嘗祭の①は昨日の鎮魂祭となります。

 


本日は新嘗祭
再確認↓

 


『ごはんをまいにち食べて健康になる』の著者、農学博士の大森正司氏は「一人一人がごはん食を見直し食生活の中心に据えることが、重要な食料であるお米を守り自給率の回復に繋がります。お米を守ることは国を守ることでもあるのです。」と本書でおっしゃっています。国を守るということはつまり私たち国民が守られることに繋がります。


 


土井善晴氏は日本人の基本食として『一汁一菜でよいという提案』を書かれています。これだけで栄養満点で、飽きの来ない日本の伝統食でありながらアレンジ可能な新しい食でもあります。一汁一菜とは、ごはんとお味噌汁と漬物の食事の型のことです。これを土居氏はこのように書かれています。

一汁一菜とは、ただの「和食献立のすすめ」ではありません。一汁一菜という「システム」であり、「思想」であり、「美学」であり、日本人としての「生き方」だと思います。


 

 

 

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