明治23年(1890)10月30日、教育勅語が当時の内閣総理大臣山形有朋と文部大臣吉川顕正に下賜され発布されました。

 

本日は教育勅語が明治天皇に下賜されてから127年目の日です。

 



翌明治24年には小学校祝日大祭日儀式規定制定、学校などで式典がある場合に朗読されました。その時に歌われたのが勅語奉答の歌で勝海舟作詞となっています。作詞もやっていたとは驚きですが、和歌が長くなったと思えば不思議ではないのかもしれません。

 


 

明治神宮には明治天皇の事績が描かれた絵画の小さいコピー写真がありますがその中にはもちろん教育勅語下賜の絵があります。原画は聖徳記念絵画館にあります。




明治神宮でいただける教育勅語のしおり。原文と口語訳文両方記載されています。





裏側には、五箇条の御誓文と御製と御歌があります。


明治神宮のサイト⇒教育勅語を書いてみましょう


教育勅語は、急激な時代の変化と西洋化による人々の変化に心を痛めた明治天皇が道徳教育の基本方針を立てたいと願い、内閣法制局長官井上毅と儒学者である元田永孚が中心になって最終案まで作成しました。この教育勅語は天皇ご自身も実践に努めると宣言する形となっています。一緒に頑張ろう、という君主、他の国では昔も今もなかなかない聞かない光景ですが、国務に関わる法令・文書ではなく天皇自身の言葉として扱われたため実現したものでしょう。教育勅語は井上・元田が関わる前の初期の草案では宗教色や哲学色がありましたが、宗教・哲学・政治・学問とは関わりない中立的な内容で記すことを前提として原案を練り直しました。そのため国民の誰もが共有できる内容となっています。

内容は天皇が国民に語り掛ける形となっており、皇祖皇宗、つまり天皇の祖先は日本の国家を起こした時から道義道徳を大切にするという理想をかかげ、また全国民が国家と家庭のためにそれを実行してきたことが日本の成果となってあらわれているとして、その教えをこれからも続けて行こうと、12の徳目をあげ、天皇と一緒にその徳目を守り実践していこうと締めくくっているのです。

 

 

 

戦後教育勅語が悪いもののように言われていますが、その内容をみれば世界中どこでも通じる普遍的な内容であることがわかります。

 

 

教育勅語の12の徳目は、以下になります。

1.父母への孝行
2.兄弟姉妹仲良く
3.夫婦助け合い
4.友達を信じる
5.自分を慎み
6.すべての人に博愛の心を
7.勉学に励み職を身につける
8.知徳を磨く
9.人格の向上
10.公のための仕事に励む
11.法律や規則を守る
12.国に危機があったなら国のために力を尽くす

 

 

 

 

全う過ぎてホッとします。これが戦争に繋がるとかなんだとか言う人達こそ一体どういう人達なのか?そちらを心配した方がいいというものです。

 

倉山満さんが、教育勅語をわかりやすくするために逆教育勅語の本を出されていますが、こてはとてもわかりやすいです。逆教育勅語の世界はとても怖いです。

 

笑える?でも笑えない。

これが「逆・教育勅語」だ!
1、親に孝養をつくしてはいけません
2、兄弟・姉妹は仲良くしてはいけません
3、夫婦は仲良くしてはいけません
4、友だちを信じて付き合ってはいけません
5、自分の言動を慎んではいけません
6、広く全ての人に愛の手をさしのべてはいけません
7、職業を身につけてはいけません
8、知識を養い才能を伸ばしてはいけません
9、人格の向上に努めてはいけません
10、社会のためになる仕事に励んではいけません
11、法律や規則を守り社会の秩序に従ってはいけません
12、勇気をもって国のため真心を尽くしてはいけません

 

逆に考えるとなんでもわかりやすい→逆教育勅語って怖い!!

 

 

 

明治天皇が憂えた明治の時代がとてもわかりやすいのは、江崎道郎氏のご著書「コミンテルンの謀略と日本の敗戦」です。

 

実は明治以降の日本は庶民の日本とエリートの日本に分かれ、さらにそのエリートが3つに分かれてしまっており、そのエリート達は急激な文明開化により、伝統の否定と西洋文明の受け入れにより深刻な内面の亀裂に悩まされていたのです。そう知ると、当時の識者に精神病等病に倒れた人達、自殺してしまった人達が多くいることも納得できるのです。また、夏目漱石や芥川龍之介など明治・大正文学の一面や文豪たちの心身の健康状態が危うくなっていったのはなぜかといえば、伝統の否定により日本人としての自己認識が危うくなってしまったからなのです。そうしたことを見越した明治天皇の感覚はとても鋭いですが、それは先の未来まで見据えてきた天皇の視線だからこそなのかもしれません。

History is identity・・・国史は自己認識を強化する

三百年先、千年先を見据える目

 

 

その明治天皇の憂いにより出来上がったのが、五か条の御誓文であり、教育勅語です。

 

 

 

そしてこれを元に作られたアメリカの道徳書は、聖書に次ぐベストセラーとなっているのです。

 

 

 

これはごく当たり前のことで、日露戦争に日本が勝利するとその勝因は「教育勅語」にあったとして、ヨーロッパで噂が広がりました。また東大と京大の総長を務めた菊池大麓博士が2年にわたり欧米で「教育勅語」の講演を行った際には絶賛されたといいます。しかし、これが後に警戒され、教育勅語や道徳教育である修身教育は、終戦後GHQによる廃止に繋がるのです。

現在、戦後71年経ちました。堂々と大々的に教育勅語の復活がなされていい時です。

 

 

教育勅語が悪いことのように未だに言う人がいるというのは異常です。

「教育勅語」は、その言葉通り

「教育に関する天皇のお言葉」という意味です。我々日本人をおおみたからとしてきた天皇が、我々に悪いことをおっしゃるはずがないではないですか。

 

 

教育勅語五十周年記念式典の君が代の貴重な映像がありますので是非ご覧ください。百年目の年には、このような大々的なことはありませんでしたが、例えば150年目となる2040年には既に教育勅語がきちんと復活して教えとして生かされ、大々的な式典が行われるよう、復活させるのが今を生きる私達の務めかもしれません。

 

その前にまずは130年目となる2020年です。

 


以下、昭和十五年(1940)十月三十日、教育勅語渙発50周年記念式典が憲法記念館で行われた際に君が代が歌われた映像です。

このような古い映像の記録で当時を振り返ることができるのは、教育勅語の現況との比較の上でも重要だと思います。

 

 

 

 

下の二つは三重県鈴鹿市の椿大神社にある碑 百二十周年を記念した碑。

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教育勅語の誕生日

教育勅語が楽しくわかりやすい歌↓


   

 





 





新米の時期なので再確認↓

新米を食べる日・・・日本人の心得

 

 


 


日本製を選べば自分が儲かる
トップが変われば下も変わる