前回の更新から2か月も空いてしまった。昨日ふと見たら、
アクセスが260以上あった。これって、どういう仕組みなの

でしょうか?amebaのどこかに、リンクが載るのかしらん?
ひそやかに生きている私としては、少し怖かったり(笑;;

珍しく、リアル生活ブログにします。

この間、高齢の母を見送った。脳梗塞から1年数か月…。
ベッドの上で静かにこの世を去った。眠ったままだった。
年齢に不満は言えないとしても、さみしいです。まだお墓に
入れてあげていないので、それまではしっかりしないと、と
思っています。来月、四十九日の後に納骨します。

音楽関係は2回キャンセルした。プロだと、親の死に目に、
などという話を聞くが、私は休ませてもらう。仕方がない。

それでも陰で文句が出る。それが聞こえると、言っている
人に対する不信感は心深くに刻まれる。

ここしばらく動き回るようにしていた。じっとしていると、
いろいろと落ち込むことも多いから、なるべく外に出て、
考えないようにしていた。ようやく何もする気力が出ず、
夜もきちんと眠れないという状況が出てきた。この連休、
私自身が死んだふりをしていこうと思っています。

人間、ときどき死んだふりをするのも大切なことです。常に
動き回っていたり、行動したりしていると、結局のところ、
心の奥深くに疲労が溜まってきてしまって、病になります。
お酒を飲んで気を紛らわす、というのは、危険なのです。
アルコールは脳に刺激を与える。脳を休める必要があるのに
昂奮させては絶対によくない。死んだふりをするのがよい。

と言っても、本当に死んではいけないから、適度にフリを
するのがよいだろうと、今、絶賛死んだふり中です(;^ω^)



 


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ピアノ系鍵盤楽器は、基本的に「叩く」もので鍵盤を押すのではない。叩く強弱によってニュアンスが出るので、十本の指すべてで、微妙な強弱をつけます。
 

もっとも、私が弾けるのはクラシック崩れのポピュラーピアノだから、大雑把に言って、右手に旋律、左手に和声を担当させているので、左手側にはあまり強弱ニュアンス負担はない。アルペジオ中に多少の強弱を用いるくらいです。でもその分、右手でニュアンスを作らなくてはならないので、右手の指に過重な負担がかかるのです。

 

先日、朝起きたら右手の薬指と小指の関節が痛かった。前日、弾きすぎた。叩くという作業は指を立てないと強く叩けない。どうしても関節に負担がかかるのです。現在、シップをしてバンテージを巻いています。右手の中でも、人差指と中指は日常で使っている指なので体力(指力?)があるのに、薬指と小指は彼らより脆弱なのかもしれません(;;

 

土曜日まで楽器はお休みして、PCのキーを叩く作業をやろうかと思っています。

 

 

 

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私は、クラシックのピアノから逃げ出してからも、聴く音楽はほとんどクラシックばかりだった。オケはマーラー、ピアノはドビュッシーとラヴェルが好きだった。それで、洋の東西を問わず、流行の音楽には無反応で冷淡だった。
 
でもしかし、ジェローム・カーンさんという作曲家を知り、1930年代のジャズの歌にはいい曲があるなぁと感心した。そこからアル・ヘイグさんというジャズピアニストが好きになり、ピアノ・トリオのジャンルを聴くようになった。ジャズに耳は慣らしていったが、当時は仕事が忙しく時間もなくて、自分がジャズピアノを勉強するまでには至らなかった。
 
先日、ブルースコードでセッションをさせてもらって、結構無茶ぶりで「はい、ピアノ!」とか言われて、アドリブをかました。ブルース曲のアドリブの引き出しなどないので、ブルーノートのスケール上を勝手に指を飛ばした。それはそれで楽しかった。
 
その話を他の人にしたら、結局、どんな音楽をやっているのが一番好きなの?と訊かれて、答えに詰まった。そう訊ねられれば、自分の作った曲、オリジナルをやっているのが一番楽しいのかなぁとぼんやりと思っていた。音楽の雑感です。
 
 
 

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「音楽」のレベルは、90%は才能で決まる。残りの10%が、環境と本人の努力。それは、残念ながら厳然とした事実だ。才能がある子は、7~8歳でも、舌を巻くほどすごい。


でも、「歌」の世界では、音楽50%に文学50%。ボブ・ディランがノーベル文学賞をもらったのは、彼の「歌」がまさに「文学」として、多くの人の心を揺さぶったからなのだ。
「文学」だから、その人の生きざまが歌に出る。歌の詞は、純文学的「詞」ではなくて、音に言葉を載せて表現するためのものだから、「歌詞」として独自の世界と評価がある。しかも、表現手段の中心は歌う人の「声」であり、上手下手を超えた要素がある。声の魅力。

 

そもそも「音楽」には、多ジャンルの要素を内包して一つの分野として成立させるマルチ媒体としての側面が強くあるから、「文学」、「映像」など様々なものと結びつくことが可能なのだ。音楽について、ぼんやりとそんなことを考えている。

 

 

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今年最後の施設演奏が終わった。基本的にアウェイ感満載でピアノを引き受けているけれど、それでも演奏していること自体が楽しいです。自分のフィールドの曲は「Over the rainbow」くらいだもんなぁ。でも、山下達郎のクリスマスイブを1曲歌った。

帰りにストリートピアノを1曲弾いてきた。「On the sunny side of street」。すごい、とか、もう1曲とか、言われて、いつも気分よく帰ってこれます。ぎゃんぎゃんに派手に弾いてしまった(笑;;

今週は、ホント、いろいろあって、二日酔いにもなったし、人生は難しいと思いました。でも、このまま何とか年越しを迎えられるか?あ、いや、まだ心配事がいくつかあるなぁ…。