まず、そもそも小学四年児童にとっては、たかが学芸会で
あろうとも、セリフを憶えて演技をするということ自体が
かなりなストレスのあることだ。児童劇団などに所属して
子役をやる子はそれなりの経験を積むのだろうけれども、
ズブのシロウトの子供にとっては、それはかなりのことだ。
「葛藤」の第一は、演技のストレスだっただろう。さらに、
劇衣装によって「劇」が日常と切り離された空間に変わる。
手作りの小道具を付けただけの衣装であっても、子供には
それがメタモルフォーゼの序曲のようになるのだと思う。
今の子供コスプレと同じ効果だ。想像力を強く刺激される。
衣装を着て演技をする。このことで、日常から離れられる。
タイツの衣装が恥ずかしかったといっても、舞台の上では、
そういうことは忘れている。劇の中に入り込んでいるから、
恥ずかしいも何もない。だから脳の表面的にはそのことは
きちんと心の中で整理されているように錯覚していたのだ。
でも、たぶん、その羞恥心は、心の深い場所へ潜り込んで
しまっていたのだろう。意識の表面から消えているように
見えていても、しかしずっと心に抱え込んでしまっていた。
タイツについては、私は学芸会後、母にタイツ少年にされ、
小学校高学年秋冬をずっと半ズボンの下にタイツを穿いて
過ごしていたから、そんなに葛藤があるとは思えなかった。
でも、やはり最初のインパクトは心の中に残るものなのだ。
それと学芸会日にタイツ姿で帰宅したことは、存外大きな
葛藤要素になっていたのかもしれない。演技の興奮が覚め
我に返ると、それはそれで相当に恥ずかしいことに思えた。
あれやこれや、様々な要素が小学生の脳には消化しきれず、
「夢を見る」ことで脳内再整理がなされていたというのが
現時点の結論だが、勃起のことについては、上手い説明が
自分の中でもできていない。羞恥心が何らかのスパイスに
なっているらしいのは確かだが、それがどう性的な何かと
結合する仕組みか、今一歩、自分の想像力が及ばないのだ。
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