私の場合、タイツへのフェチ心が湧き起ったのは、わりと

遅い時期で、少なくとも自分がタイツ少年だったころには

そんなこだわりはなかった。タイツ少年を卒業した後から、

徐々に心の中でフェチ心が醸成されてきたように思える。

小学生時代の私は主に防寒着としてタイツを着用していて、

半ズボンからタイツの足が覗いていても、フェチ的感動は

持っていなかったし、逆に恥ずかしさも感じていなかった。

 

確かに、原体験として、学芸会のことがある。劇の衣装で
タイツを穿かされて多くの人の前で演技をしたことは強い
インパクトを心の中に残している。けれども、それだけで

フェチ心が芽生えたのではない。ことはそう単純ではない。

 

フェチは、心の奥で『性欲』が関与しているものだと思う。

性的欲情の対象物を他に置き換えていたとしても、下には

強い性欲が存在する。性欲は、男性ホルモンの働きなので

テストステロンの分泌が多い男性にフェチの人が多いのは

当然のことだ。女性のフェチとかあまり聞いたことがない。

テストステロンは、男性より量は少ないにしても女性にも

あるからそれが性欲を興す。でも、女性のフェチは少数派。

 

私の場合、タイツへのフェチ心は男性ホルモンが多く分泌

されるようになってから性欲の一形態として現れたものだ

と思っている。小学生時代に穿いていたタイツは、日常の

服装として意識されていたため、特別な思いが少なくて、

タイツ少年時代の記憶は、心の底に埋もれてしまっている。

フェチ心を抱えて大人になった私が一生懸命自分の記憶を

掘り起こして、自分のタイツ姿はどうだったかを脳の中で

再現しているという何か苦笑いをしてしまうような状況が

このブログで書かれていることです。まぁアホなことです。

 

ネット検索すると次の説明文が出てきた。「心理学におけ

るフェティシズムは、人間の身体のパーツ、生き物、物体

などに惹きつけられて性的な魅力を感じる、倒錯した性的

嗜好のことである。」う~む、倒錯した性的嗜好かぁ(;;



 

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私がタイツを好きだというのは、一種のフェティシズムに
なるのだろうが、フェチといってもいろいろな種類がある。

例えば私なども、タイツはよくてもスパッツやトレンカは

好まない。似たようなものだと思うかもしれないけれども、

そこには毅然とした差異がある。フェチとはそういうこと。

タイツの中で、私は厚めの生地(最低80デニール以上)が

好みなので、パンティストッキングにはあまり反応しない。

 

タイツとパンストの分類では30デニールくらいが分岐点。

メーカーでもそれ以上厚い物をタイツ、それより薄い物を

パンストと分類していることが多いようだ。イギリスなど
総じてタイツと呼ぶ国もあるようだし、アメリカなどでは

最近、あまり厳密に両者を分けなくなっている気がする。

 

フェチに上品も下品もないが、他種類のフェチには冷淡だ。
例えば、奥さんのタイツ画像を投稿している人のページを
見ていると、パンツが透けている、あるいは見えそうだ、

というのに反応している人たちがいる。一般にパンチラは

かなり根強いフェチの分野だ。ネットだけならばよいのに、

それを街中で求める人がいるのが迷惑だ。盗撮は犯罪です。

 

犯罪は論外にしても、私のような純粋なタイツファンには

パンチラや下着透け好みというのはどうにも下品に思える。
そもそも、下着の中を見たい、という心情は理解できても、

中身を覆う下着それ自体を見たいというのは気が知れない。

繰り返すが、まぁフェチにどっちが上も下もなく、一般の

人からみれば、目糞鼻糞を笑う、という類の話ですけどw

 

 

タイツ姿も、男性のタイツで股間がもっこりしているのは

好まない。女性でその部分がすっきり見えている方がよい。

だから、自分でタイツを穿いても、あまり感興が起きない。

女性が穿いた股間部が平らかなタイツ姿に反応するのです。

この辺りがフェチの面倒クサイところでもある。発動する

条件が一定程度あるので、何でもよいわけではないです。

 

 

 

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私的な記憶の辿り方についてのお話。少年時代の何十年も

昔のことを連続映像の形で思い出せるはずもない。世には

そういうことが可能な人もいるかもしれないけれど、まぁ

私のような凡人には、そういう特殊能力は備わっていない。

 

過去ブログ「学校行事と黒タイツ」を例に取ると、最初は

片付けの最中に小学校の卒業写真を見ていた。見ていると

男子で半ズボンなのは自分だけか?と思った。しかも黒い

タイツを穿いている。あれ?確かに少年時代、寒い時期に

自分はタイツを穿いて学校に通っていたな、と思い出した。

 

そこから少しずつ、記憶の復元を始めた。そして学芸会の

ことを思い出して文章にした。それが「野ネズミの子C」。

その脳内作業中に、卒業式当時のことも思い出してきた。

確かに卒業式で半ズボンとタイツの男子は自分だけだった。

卒業式直前に隣の女子に教えられて、それに気づいたのだ。

で、卒業式会場の体育館の様子が写真のように思い浮かぶ。

 

後は、他の情報も整理する。そうだ、あの半ズボンは母が

卒業式直前に買ってきたものだ。そして他の学校行事でも

母が用意する服装は半ズボンにタイツだった。そういえば

自分は長ズボンが嫌いだった。その理由は、叔父が撮った

写真だ。半ベソの自分の姿が写っていた。などなど連想。

 

記憶の復元が少しできてくるとそれを時系列で再整理する。

卒業式の流れに沿って思い浮かべると断片でしかなかった

映像が、流れになって繋がってくる。当時の母の考えにも

考察が及ぶ。何で母はタイツに拘っていたのだろう?あぁ、

過保護で過剰な防寒意識のせいだ。大人になってからも、

わざわざ男性用タイツを送ってよこしたことがあったし…。

 

 

実際のところ、細かい部分は後からの想像で補っているし

正確ではないかもしれない。それに、事実と記憶の齟齬は

あるだろうと思う。けれども、おおよその復元ができれば、

それはそれで、本人にとっては随分と楽しい作業なのです。

 

 

 

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今はもう廃れてしまった、男の子の半ズボンの話をしたい。
昭和時代、男の子のスタンダードな服装は半ズボンだった。

今のクォーターパンツという分類が近いのだろうか、丈は

2~3分、太腿の半ばくらいまでを覆うショートパンツだ。
振り返ってみると、わりと多く脚を出している服装だった。

 

体操服でみると、男子は短パン、女子はブルマー、という
時代が長かったが、そのうち、女子のブルマーが嫌われて

短パンに替わり、さらにハーフパンツへと移行していった。

そして男子が短パンからハーフパンツになるのと並行して

男の子の半ズボンも次第に廃れていった。服装の主流は、

ハーフパンツか、あるいは低学年児童でも長ズボンになる。

 

服装のセンスは時代と共に変遷する。女性だけではなくて

男性の服装だって、移り変わっている。一番変化の少ない

男性ビジネス服だって目立たない変化は多くあるのだから、

子供服も、親の感覚が違ってくれば変化するのも当然だ。

 

ウィキペディアによれば、半ズボン全盛は19501990年。

その年代の前半に少年だった私などは、半ズボンで育って

いるのでそれを懐かしく思い出す。太腿を露出していた服。

なぜか足に白い粉を拭くようになる寒い冬の日、その中で、

男の子たちは半ズボン姿で公園などを駆け回っていたのだ。

 

その姿を寒そうだと感じていた私の母親は冬に長ズボンを

着せようとしていたのだが、私は長ズボンが大嫌いだった。

そのいきさつは、以前のブログで書いているので省略する。

結局、私が生足半ズボンだったのは小学校1~4年までで、

4年の冬からはタイツ男子にさせられた。半ズボンの下に

タイツを穿いて秋冬を過ごしていたのです。幸か不幸か(;;

 

少年タイツは、半ズボンとセットだ。ズボンの丈が伸びて
ハーフサイズになってしまうと、タイツはハイソックスに

その地位を譲らざるを得なかった。「ショタ」スタイルって

タイツを穿かないハイソックス少年のイメージですものね。

 

 

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ひとつの記憶を脳内の沼の中から引き出してくる行為では、

『記憶』を取り出す度に、その解釈が微妙に変わってきて

しまうことがある。そもそも、完全なる記憶を引き出して

くることができるはずもないから、朧気で曖昧で、しかも

解釈の余地が多い内容でしか記憶を引き出してこられない。

 

例えば、肌色タイツの記憶で最初に引き出してきたのは、

恥ずかしさを伴ったものだった。肌色タイツを穿くことを

自分は恥ずかしく思っていたのだと解釈して、そう書いた。

しかし、私は、その恥ずかしさを好んでいたことを徐々に

強く意識してくるようになる。恥ずかしさのそのすぐ隣に

紙一重の距離で、美味しさがある。それは表裏一体なのだ。

 

肌色タイツは気恥ずかしかった。でもだから、好きだった。

その矛盾が自分の嗜好を形づくる大きな要素になっている。

セーターに合わせて肌色タイツを穿くのが好きだったのを

思い出したのは、自分の精神理解上、重要なことの一つだ。

 

一つを思い出すと他の情報も呼び覚まされる。母の性質や

祖母の服飾趣味など、当時は意識していなかったけれども

長い年月の中で、ああ、そういうことだったのかと合点が

いくことも多く発見できてくる。祖母、母、叔母など母の

実家の関係性も、別の方面から理解できるようになるのだ。

 

 

少年時代に私が恵まれていたことの根本は、両親が家庭を

しっかり営んでくれたていたことで、生活や精神の安定が

あったこと。祖母や叔母など、外部スポンサー的な存在が

いてくれたことで、経済的な面で何も不満がなかったこと。

などなど外部要因があるのだけれども、自分自身も健康で

元気な少年でいられたことも大きいだろうと思っている。

 

今、思い浮かぶのは、川沿いの遊歩道。グラウンドの横を

犬と一緒に駆けて行く自分の姿だ。紺色のタイツを穿いて

風を切るように元気に走った。時空を超えて彼に会ったら、

これから困難に遭っても頑張れよ、と声をかけてあげたい。

 

 

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