カメリエーレ・ピエロ | 無縁(むえん)の縁(ふち)から

無縁(むえん)の縁(ふち)から

老いた母と暮らす夫なし・子なしのフリーランスライター。「真っ当なアウトサイダー」は年を重ねる毎に生きづらくなるばかり。自身の避難所(アジール)になるよう、日々のつぶやきを掲載します。とはいえ、基本「サザエさん」なので面白おかしく綴ります。たまに毒舌あり。

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(PHOTO: Cameriere Piero e io/カメリエーレ・ピエロと私)

 

イタリアで生活するのにバールは欠かせない。いいバールを見つけるか見つけないかで、その街の印象が大きく変わる。

 

パレルモ中央駅からコルソ・トゥコリに入り一つ目の角、靴屋さんを左に曲がると一軒のバールがある。

バールそのものはごくごく普通で、ちょっとしたテイクアウトの食事やパンを売っているコーナーと、カフェを出す2つのカウンターがある。店内は2つほどテーブルがあって、夏には道沿いでジェラートを売り出す、パレルモのどこにでもあるバールだ。

ただ、カメリエーレのピエロのたたずまいが、他とは全く違っていた。

 

制服である緑のベストに真っ白なシャツ、蝶ネクタイ、カメリエーレのエプロンの着こなしには一部の隙もない。短く刈った真っ黒な髪はいつもぴしっとセットされていて、シチリア人にしては白い肌の色に黒いふちの眼鏡、すっと通った鼻筋に薄い唇。インテリジェンスすら漂わすピエロは、ちゃらちゃらしていたり、やる気がないようなカメリエーレが多いパレルモの街で異色の存在だった。

 

彼は、一言無駄口を叩かない。お客様には「ボンジョルノ」、馴染みのお客様に限って「チャオ」と挨拶をする。カフェを注文すると、無駄のない、それはそれは美しい動きでカフェの粉をとんとんと詰め、エスプレッソマシーンにセットする。何人から同時に注文があっても、それを聞き分け、瞬時のうちにコーヒーカップとスプーンをセットし、すっと目の前に出してくる。その細く美しい手の動きに見とれてしまう毎日だった。(左手の薬指には、しっかり指輪が光っていたが)また、そのカフェの味はどこよりも美味しい。

 

私のように外国人の女がくると、相手になってくれるカメリエーレが多い中、ピエロは一度も私を特別扱いしなかった。「ボンジョルノ(buon giorno)」「com’e va?(元気?)」

「arrivederci!(さよなら)」その三言だけ。時々私が話しかけると、必要最小限は答えてくれるが仕事最優先。でも、ちっとも嫌な感じはしない。だらだらしたパレルモの中では、感動的なほどプロフェッショナルに徹した男性だった。

 

時々、いいレストランに行くと、素晴らしい見のこなしでサービスをしてくれるカメリエーレに出会うことがある。歩き方、お皿の持ち方、置き方…。そういう人は、お客様に目配りをする様子すら芸術的なたたずまいを見せる。

ピエロは、まさしくそういうカメリエーレだった。だからと言って、私はカフェのカウンターしか見ません、というのではなく、人がいないときは、ちゃんとテイクアウトのカウンターへ走っていって、にこやかに対応している。

 

暑い暑いパレルモには、こういう涼しげな男性もいるのだ。

 

※1999~2000年、私がシチリアに住んでいた時の話です。