宮本武蔵 般若坂の決斗(十七)「剣は念仏ではない。命だ」 | 俺の命はウルトラ・アイ

宮本武蔵 般若坂の決斗(十七)「剣は念仏ではない。命だ」

『宮本武蔵 般若坂の決斗』

映画 トーキー 106分

イーストマンカラー

  昭和三十七年(1962年)十一月十七日公開

 製作 東映京都

 


製作 大川博
 

企画 辻野公晴

     小川貴也

     翁長孝雄

 


原作 吉川英治

 
脚本 鈴木尚之

     内田吐夢

 


撮影 坪井誠

 照明 和多田弘

 録音 野津裕方

 美術 鈴木孝俊

 音楽 小杉太一郎

 編集 宮本信太郎

 


 助監督 山内鉄也

  記録  梅津泰子

  装置  館清士

  装飾  佐藤彰

  美粧  林政信

 結髪  桜井文子

  衣装  三上剛

  擬斗  足立伶二郎

  進行主任 神光頌尚

 
 

 

 出演

 

 

 

 

 

 中村錦之助(宮本武蔵)

 

 

 


 黒川弥太郎(宝蔵院胤舜)
 

 

 

 

 中村時之介(大友伴立)

 小田部通麿(野洲川安兵衛)

 加藤浩(山添団八)

 竹内満(城太郎)

 大前釣(大坊主)

 鈴木金哉(玄関坊)

 野間勝良(法師)

 兼田好三(法師)

 

 

 

 

 

 月形龍之介(日観)





 監督 内田吐夢

 

 

 

 ☆☆

  小川貴也=初代中村獅童=小川三喜雄

 

 中村錦之助=初代中村錦之助→初代萬屋錦之介

 

 大前釣→大前均

 

 鈴木金哉→鈴木康弘

 

 月形龍之介=月形陽候=月形竜之介

         =月形龍之助=中村東鬼蔵

                   =門田東鬼蔵
 
 ☆☆☆

 画像・台詞出典 『宮本武蔵 般若坂の決斗』DVD

 原作引用出典 吉川英治歴史時代文庫版

           『宮本武蔵(二)』(一九八九年十一月

           十一日発行 講談社)

  ☆☆☆

  台詞の引用・シークエンスの考察は、研究・

 学習の為です。 
 東映様にはおかれましては、ご理解・ご寛

 恕を賜りますようお願い申し上げます。

 残酷な画像をDVDより引用しますが、演出

の考察の為です。ご了承下さい。

 感想文では結末に言及します。未見の方

はご注意下さい。

  ☆☆☆

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  ☆☆☆

  平成十一年(1999年)六月五日新世界東映

  平成十二年(2000年)九月六日 高槻松竹

  平成十五年(2003年)五月十五日 京都文化博物館

  にて鑑賞
 ☆☆☆

 春麗らかな奈良般若坂。そこで起こった凄

惨な刃傷事件。

 

 剣士宮本武蔵の太刀は、牢人(浪人)山添

 

団八の顔を一閃し、その命を一瞬のうちに殺

害した。団八は仲間の牢人野洲川安兵衛・

大友伴立らと図り、試合で武蔵に敗死した阿

巌坊の仇討の機会宝蔵院の僧侶達の怒りを

焚きつけ、この地に誘き寄せようとしたのだが、

その目論見は武蔵に気付かれていた。

 武蔵の弟子城太郎少年は、師匠に大軍の

強敵が迫っていることを感じ、無事を祈った。

彼の心は、「神さま・八幡さま・金毘羅さま・春日

の宮の神さまたち」に祈り、武蔵が危機を突破

してくれることを熱く願った。

 

 「団八が殺られた!」と野洲川・大友は叫び

 

仲間達に知らせた。武蔵が見た通り、煙を立て

ていた存在が叢に潜んでいたのだ。

 沢山の牢人達と武装した僧侶達が現れ、武蔵

に対峙した。

 僧侶達の中には、頭領の存在が武蔵の関心を

呼んだ。初めて見る顔だ。この人こそ本日挑み

かかりたい強敵宝蔵院胤舜に違いない。

 

   武蔵「胤舜か?」

 

 

 棟梁の僧は頷いた。やはり胤舜だった。武蔵

 

は懐より、彼が書いたと風聞が立っている宝蔵

院誹謗の落首の紙を出した。

 

   武蔵「宮本はこのような落首は書かん。物

 

      事は目で見、耳できくばかりではなく

      胆で見ろ。坊主ともあろう者が!」

 

  自身に迫る僧侶・牢人の大軍を相手に、武蔵

 

は「相手は誰か?」と問うた。牢人の一人が「俺

だ!」と叫んで斬りかかり、武蔵は一刀のもとに

斬殺した。牢人衆対武蔵の大血戦が始まった。

 襲撃してくる牢人達を相手に武蔵の身体は鶏

のように高く飛び、小走りに坂を降りる。

 

 



 武蔵は一人の牢人と対決し、刀を振り上げ

斬った。

 陽光麗らかな奈良の地に鮮血が飛ぶ。

ただ一人の武蔵の奮戦に遭って牢人衆は

苦戦し、次々と倒されていく。彼等は急に

不安となった。この日の戦いは宝蔵院の屈

強の僧達が武蔵を槍で突き殺してくれるもの

と楽観していたのだ。だが、僧達はじっと静観

して全く助けてくれないのだ。

 

 胤舜が弟子の僧達に戦いを指示した。

 

 

 牢人達はやっと動いてくれたと安堵する。と

 

ころが、胤舜指揮下の僧達槍で襲ったのは、

武蔵ではなく、牢人衆だったのだ。 大友や

野洲川は「違うぞ!」と悲鳴を挙げる。だが、

玄関坊・大坊主達の槍は冷厳に牢人衆を

攻撃した。

 大友も野洲川もその他の牢人衆も、全員

僧達の槍で刺殺された。
 武蔵は吃驚した。城太郎が抱き付く。

 

 胤舜は武蔵に丁寧に挨拶をする。

 

 

   胤舜「宮本氏。折角お尋ね頂いたのに 

 

       不在で残念でした。今日の理に

       叶った剣法。胤舜感じ入りました。」

 

 

       武蔵「実は拙者。貴方方こそ今日の敵

       と覚悟しておったのですが、何故

       拙者にお味方をして下さったのか?

       不審でならん!」

 

   胤舜「貴公にお味方した覚えはない。奈良

 

       の大掃除をした迄の事。貴方をよく

       知っている日観師から御話申すで

       しょう。」

 

 騎馬役人と共に日観師が現れた。牢人達を全

 

員刺殺するという「奈良の大掃除」をしてくれた

ことに役人は喜び、僧達に礼を言うって去ってい

った。

 

  日観「お前達も去れ。」

 

 

 胤舜以下僧侶達は一礼して去って行く。城太郎

 

少年は武蔵の無事を喜び駆けまわっている。

 

   日観「どうじゃの?今日は少し勉強になった

 

      かな?」

 

   武蔵「子細お聞かせ下さい!」

 

 

   日観「いや、もっともじゃ。実はの今帰った

 

       役人は奈良奉行大久保長安の与力

       衆でな。奉行も新任、あの衆も土地

       に馴れん。そこにつけこんで悪い牢

       人共が押し借り・強請・女隠し・後家

       見舞、ろくなことはせん。奉行も手を

       焼いての。山添団八・野洲川安兵衛

       ら十四、五人があのグレ牢人共の中

       心と見做されていた。」

 

 山添・野洲川らが賭け試合の誘いを武蔵に断

 

られ激怒し、法蔵院の僧侶達に阿巌の復讐をさ

せる名目で武蔵を殺害しようと企て、落首を書い

て各地に貼ったことを日観師は確かめ、「胤舜に

策を授けたのじゃ」と語る。

 武蔵にとっては、牢人・僧侶達の連合軍との戦

いと思い、全てを賭けて打ち込んだのに、師の手

の上で踊らされていたことになる。師は落ち着いた

声で続けた。


 

   日観「喜んだのは門下の坊主共と、奈良

      の奉行所、そして、この野原の鴉じゃ

      った。」

 

 

 鴉が牢人衆の遺骸に身体に襲いかかる。城

 

 

太郎は武蔵の無事が嬉しく走りまわる。武蔵の

目に悲憤が映る。

 

   武蔵「御老師。只今の御言葉ではこの武

 

      蔵の剣は貴公の策中に踊り利用され

      ていたと!?」

 

   日観「そう思うか?」

 

 

 武蔵は操られていたことに対する怒りを抑え

 

られない。

 

   日観「儂も仏門。人を陥れたり利用したり

 

      はせぬ。詮無いが強いばかりが兵法

      等と思ったら大間違い。そういう点で

      先輩の歩んだ道を御身も歩んでみると

      わかる。おおい、子供。」

 

   城太郎「何ですか?」

 

 

   日観「そんなことをしとらんで、石を拾って

 

       こい。」

 

   城太郎「はい。」

 

 

 城太郎は石を集めて、日観師に渡した。日観

 

師は筆で石に南無と書いた。

 

    日観「これをな、死骸に撒いておやり。供

 

       養になる。」

 

    城太郎「はい。」

 

 

 城太郎は殺害された牢人衆の遺体に石を置い

 

た。

    日観「さらばじゃ。」

 

 日観師は去って行った。

 

 

 武蔵は石を見た。

 

 

   武蔵「合掌。妙法蓮華経。」

 

 

 武蔵は自身の手を見た。血に染まっている。

 

 

 

  武蔵「殺しておいて合掌念仏。

 

 

     嘘だ!違う!違う!違う!

     敗れて何の兵法があろう!?

     剣は念仏ではない!

     命だ!」

 

 武蔵は熱く怒り、石を放り投げた。

 

 

 

 

 

 

 

 

  ☆☆☆剣は命☆☆☆

 

 内田吐夢が映画演出で大切にしていた

 

事柄は「命一コマ」であった。フィルムの一

コマ一コマに命を燃やし命を賭ける。これは

吐夢の七十三年の生涯を貫くものであったと

思われる。

 ラスト・シーンの台詞「剣は念仏ではない!

命だ」は映画内の武蔵の課題を明かす言葉

であると共に。人間内田吐夢の映画に全て

を賭け尽くした生き方との呼応を感じる。

 命を剣に見出した武蔵と映画に自己の生を

賭けた吐夢だが、その確かめが悩み苦しみな

がら為されたものではなかったか?

 『宮本武蔵 般若坂の決斗』の大詰の物語

は、吐夢の苦渋と悲しみ、それらを経て確か

めた意志を、深く伝えてくれいるように思われ

るのだ。

 

 奈良の若草山は自分にとって、大切な場だ。

 

緑いっぱいの地。鹿が歩む。その地近くにあ

る般若坂。

 春の暖かい陽光と豊かに繁る緑という平和

的な地で起こる、刀と刀と槍の大決戦。

 この演出に吐夢の表現の深さを感じる。春

に大自然がその姿を生き生きと息吹いている

時に、人間達は命と命の激闘をしている。

 それは剣士武蔵にとって、侍の道であり、避

けられない事柄であった。

 山添団八を斬り、彼の顔が鮮血で染まる。こ

のシーンは迫力がある。

 野洲川・大友が逃げる。

 

 武蔵は胤舜と対面し、落首の書き手が自身

ではないと明言する。牢人衆・僧侶達の連合

軍との決戦を確かめ、斬りかかってきた牢人

の一人を斬る。この場面に大自然の中で

起こる戦いの悲しみと壮絶さが光る。

 

 牢人達の集団を相手に孤軍奮闘する武蔵。

 

跳躍に中村錦之助の芸が光る。

  黒川弥太郎の胤舜が大きな存在感を示す。

突如胤舜が指揮を、牢人追討に示し、僧侶

達は槍を牢人に刺し始める。逃げる野洲川の

恐怖を小田部通麿が見せる。

 大坊主の大前釣、玄関坊の鈴木金哉が

冷酷非情を凄み豊かに表現する。

 悪逆の徒である牢人衆が、殺される時は

哀れに見える。

 吐夢の演出は鋭い。

 

 武蔵は、眼前で起こったことがわからず驚

 

く。 

 胤舜は礼儀を尽くして武蔵の剣を讃える。

黒川弥太郎が宝蔵院の名僧を重厚に勤め

る。「奈良の大掃除」の言葉が、武蔵に心に

突き刺さる。

 

 日観師が登場する。

 

 月形龍之介の大いなる芸が深く明かされる。

 

奈良の治安は牢人の悪行で荒れ放題になり、

住民は不安になり、与力も対処法がわからず

迷っている。賭け試合の誘いを断った武蔵に

怒りを抱き落首を書き、宝蔵院の僧侶達に復

讐をさせようと考えた牢人衆の策を見破り、胤

舜に策を授け武蔵との決戦を般若坂ですると

見せて、彼等を誘き出して一斉に斬殺したこと

を、師は静かに語った。

 

 牢人衆は悪いが、大坊主や玄関坊はもっと

悪い。

 

 胤舜は更に大きな悪だ。

 

 

 日観師はその巨悪の背後にいる大悪の頭領

 

である。

 

 純粋な武蔵の剣は、牢人誘導の為に誘き寄

 

せる道具であった。

 

 吉川英治の『宮本武蔵』原作小説では、日観

 

の策の種明かしと武蔵の対応を、次のように

書いている。

 

   「その山添、野洲川などが、おぬしに怒り

 

   を抱いたことがあろう。だが、おぬしの実

   力を知っているので、その復讐を宝蔵院

   の手でさせてやろう、こう、うまいことを彼

   奴らは考えた。そこで仲間と語らい、宝蔵

   院の悪口をいいふらし、落首などを貼りち

   らして、それを皆、宮本の所為だと、いちい

   ち、こっちへ告げ口にきたものだ。―わし

   を盲目と思うてな」

    聞いている武蔵の眼は、微笑してきた。

                       (60頁)

 

 日観は牢人衆の企みを察し、奈良の大掃除を

 

着想し胤舜に策を教授した。この掃除への道を

聞き、武蔵の眼は微笑みを浮かべる。

 これは兵法の達人の言葉を聞き、教えを乞う

弟子も又、その達意を確かめたことを明かして

いるのではなかろうか?

 日観師は名人であり、弟子の武蔵も名人であ

る。

 南無妙法蓮華経の題目を石に書き、城太郎

によって、牢人の遺体に置かした日観の振舞に

武蔵は、黙って見つめる。

 武蔵は「忘れ物」として日観師に一手のご指南

を仰ぐが、日観師は笑い、「お前さんに教えるこ

とと言えば、強過ぎるということしかないよ」(63頁)

と語り、柳生石舟斎様、上泉伊勢守殿の歩んだ

通りを尋ねるようにと教えて去って行く。

 武蔵は俯く。

 

 これが原作『宮本武蔵』における描写である。

 

吐夢監督の『宮本武蔵 般若坂の決斗』とは

大きく違っている。と言うよりも全く違うものに

なっている。

 

 武蔵は日観師に利用されたことに激怒する。

 

日観は落ち着いて語り、強いばかりが兵法で

はないと諭し、先輩の歩んだ道を尋ねるように

と伝え去る。

 日観が城太郎に牢人達の遺骸に冒せた、南

無の文字が書かれた石を取り、自身の手も血に

染まり、「違う!違う!違う!剣は念仏ではな

い!命だ」と絶叫する。

 

 吉川英治は明治二十五年(1892年)八月十一

日に誕生し、昭和三十七年(1962年)九月七日

に七十歳で死去した。内田吐夢の『宮本武蔵』

第一部では企画の相談に乗ってくれたという。

 吉川が撮影風景を見学に来た写真も現存

している。

 本作の予告編では故人となった吉川英治の

不朽の名作の映画化作品であることが字幕で

示される。

 監督内田吐夢の貴重な肉声も収録されてい

る。

スタートをかける吐夢
 

 吐夢が、吉川英治追悼として、本作を撮影

・演出したことは確かと思われる。二か月前に

亡くなった吉川英治に捧げる。このことが吐夢

にとって大きな課題であった。

 原作の武蔵が、微笑を浮かべるのに対し、映

画の武蔵は怒り、悲しみ、師の言葉に反発して

絶叫し、供養の石を投げ捨てる。

 

 初代中村錦之助と月形龍之介は、これまで数

 

々の東映映画で、仇討志願の若者対強大な仇

敵、主君と老臣、息子と父、義理の息子と舅と

いった様々な関係性で熱き演技合戦を展開して

きた。そこに弟子・師匠、息子・父の関係性が、

二人の敬意と呼応し、深く示されている。

 『宮本武蔵 般若坂の決斗』における錦之助

の武蔵と龍之介の日観の弟子・師弟、息子性・

父性の大激突を、自分は二大名優の演技合戦

の集大成と個人的に確かめている。

 

 日観師の名言を聞き、覚醒するのではなく、

 

激怒・反発する若き武蔵。「殺しておいて合掌

念仏」の教えに全身全心を挙げて怒り燃える

武蔵。

 

 一見吐夢・尚之脚本は、英治先生の原作を

 

否定しているように映る。だが、ここにこそ、映

画版の英治原作小説への限りない敬意を感じ

るのである。

 

 微笑む武蔵を読んで、怒れる武蔵を映す。

 

 

 「吉川先生。師の深き教えに会えば、弟子

 

は覚めず、怒り悲しみ反発するのではないで

すか」という声を感じるのである。

 

 達人の教えに出遇い、跳ね飛ばされ喘ぎ迷

 

い怒りを爆発させる。

 

 これは弟子が教えに出遇い、深く聞いている

 

ことの証である。

 

 初代中村錦之助の宮本武蔵は、深い悲しみ

 

と燃えたぎる怒りの中において、深き師教に

反対し、その苦悩の中で、「剣は念仏ではない。

命だ」と自己の生涯の主題を見出したのだ。

 

 第二部は、苦闘と激怒の中で、「剣は命」の生

 

き甲斐を確かめる武蔵を描く。

 

 怒りによって、武蔵は自己自身を見つけ、自己

 

自身と出会い、自己を生きている。

 

 武蔵の自己確認を怒りにおいて探求する。

 

 

 ここに映画監督内田吐夢の主題があったの

だ。

 

                   文中一部敬称略

 

 

 

                          合掌

 

 

                     南無阿弥陀仏

 

 

                          セブン

吐夢 誠