フォーセット大佐(その1)
1925年、エル・ドラド(伝説の黄金郷)を発見するために探検に入ったイギリス軍人のフォーセット大佐は、シングー河の源流地帯で消息を絶ちました。
フォーセット大佐
パーシー・ハリソン・フォーセットは、1867年にイギリスのデヴォン州で生まれました。若いときから神秘的なものに憧れを抱く気質をもっていたそうです。大英帝国の陸軍に勤務し、辺境の国々での測量士としての行動も、未知の領域を探るという、神秘フェチの延長だったと考察できるでしょう。
フォーセットは、ボリヴィア、ブラジル国境地域の踏査中、いまだ人知れない密林の奥に、古代人の都市があるという伝説に出会い興味を抱きました。1538年にスペイン人のゴンサーロ・ケサーダがコロンビアのチブチャ族を征服したとき、全身を金粉でまとった民族のお話しに出会っています。
16世紀の末には、ヴェネズエラの密林からでてきたファン・マルチネスが、マノーアと呼ばれる都市に監禁されていたことを語りました。マノーアは、黄金で飾られた神殿をもち、金の庭、金の歩道があり、祝祭のときに貴族たちは金粉で身体を飾っていたといいます。
シングーのお宝・Ⅱ
グランデ・オガワがゲットしたシングー宝島の財宝は、アメシストだけじゃありません。
ある日の昼下がり、グランデ・オガワ一行はとあるシングー河畔で昼食後の休息をとっていました。ギラギラ照りつける熱帯の太陽の時間は、水につかるのが最高です。同行のブラジル人ボート・パイロットたちは、沖まで泳いで潜って遊んでいました。一人が岸にあがってきて、こんなのが底に転がっていたと透明なガラスの小瓶をもってきました。
おぉお~、こ、これは!
一目で近代的な工業製品でないことが見てとれました。底の部分が丸くなっていて、ROSS’S という大きな字が側面に浮き彫られてました(写真)。すぐにイメージしたのは、「フォーセット大佐(後述します)の遺品かも!」でしたが、失踪した地点から離れすぎています。でも、これ、どこかで見たことがあるなぁ。たしか、ベレンの博物館だったかな。とにかく、なかなか貴重な年代ものに違いありません。
さて、泳ぎの達者な連中を動員してお宝を集めさせました。
あるわあるわ(笑)、うひひひ……
ビール瓶、ヘアー・トニック瓶、そしてジンを入れる陶器、さらにシックな模様が焼つけられたお皿やデミタスカップのカケラなどがザックザック。
前述したフランス人の測量士コーデローが記した『シングーの旅』の記述で、荷物を運んでいた船が未開インディオに襲われて、皆殺しになったという地点が、まさにそこだったんですな。
『転んでもタダでは起きない』主義のオガワですが、その強運(アマゾン・エネルギー)に自分でびっくり。やはりオレは異能力者だったんだ(笑)!
シングー河の底で拾ったガラス瓶(ヘア・トニック入れ)
100年前のある日、われわれがやっていたように、休息のため停泊していた船がいました。そこへ突然、武装した蛮族が襲いかかりました。船員や乗客は、あるものは弓矢で射抜かれ、あるものは棍棒で頭を砕かれ、河にうち棄てられました。辺りはまさに血の海と化したに違いありません。インディオたちは、船を叩き壊して底に沈めました。強奪が目的でなかったし、使い方も判らなかったのでしょう。しかし、当時の蛮郷シングー奥地で、髪などセットしてた粋なヤツもいたんですね(笑)。殺されたんでしょうけど…… 食われたかも?
調べてみたところ、河底から拾ったブツは、まさに100年以上のもので、すべてがヨーロッパで作られたものでした。オガワはまだ潜水具での探査をしたことがないのですが、機会があったらぜひやってみたいです。もしかしたら財宝級の逸品が拾えるかもしれません。どなたかそれに出資してみたいヒトいませんか? スポンサー募集中!
金貨がザクザク?
測量士コーデロー
.シングーなお話し、その13かな? コメントしにくいお話しが続いてゴメンナサイ。
1896年、フランス人の測量士のヘンリー・コーデロー(Henri Coudreau)は、時のパラ州知事の依頼で、下流から5ヶ月の遡行調査を行いました。最終地点は、アダルベルトよりずっと上流部、カラジャ族の領域のペドラ・セッカの滝でした。この探検の様子は、『シングーの旅』と題され上梓されています。グランデ・オガワもポルトガル語版を読みました。
ブラジル版の『シングーの旅』
コーデローのシングー・キャンプ
コーデローは、支流のイリリ河辺りまで、少数のセリンゲイロ(天然ゴム採集人)たちが入っているが、頻繁に未開インディオたちに襲われていることを記しています。彼は、測量の専門家でしたが、付近の博物もいろいろと記述しています。特に古代インディオが刻んだ岩絵(前にブログに載せたスケッチ)の記録は、なかなか興味深いです。伝説のマルチーリオス(砂金産地の地図)かも?
蛇足ですが、コーデローは、後にアマゾン北岸のトロンベッタ川流域でインディオに撲殺されちゃいました。
民族学者ステイネン
1884年、ドイツ人の人類学者カール・フォン・デン・ステイネンが、始めて流域の本格的な探索を行いました。ステイネンは、マット・グロッソ地方の源流から入り、一帯のインディオの生活や風習などを民俗学的に調査しながら源流に進みました。彼が下った上流部の支流に、フォン・デン・ステイネン川という地名が残されています。
ステイネンは、『マルチーリオスの砂金伝説』についてちょっと記述しています。この伝説は、17世紀末のバンデイランチ(ブラジル奥地探検隊)の間で噂されたマルチーリオスと呼ばれる古代インディオの岩絵と膨大な砂金のありか、というお話しです。伝説については、アマゾン・アカデミーで準備中のガリンペイロ・シリーズの「黄金伝説」で詳細を記述する予定です。
おそらくステイネンも、あわよくば砂金を発見したいと思いながら旅をしたのでしょう。
アダルベルト王子
シングーなお話し、その11かな?
今日からちょっと。シングー河の探検史を記します。
シングー河は、アマゾン流域の探検史上、そして開拓史上、もっとも踏査が遅れた巨大支流でした。その理由は、地勢の項で記した下流部の激流地帯にあります。この部分は、船の航行がまったく不可能です。
商業的な魅力があれば、そこには探検家的な商人たちが果敢に侵入します。これはアマゾン全域に及んで通例の出来事でした。シングー河流域には、ブラジルナッツや天然ゴム樹が豊富に自生していて、魅力がないという訳ではありません。しかし、集めた産物が水路で運べなければ、遡行は完全な愚行になってしまいます。
そんな要因があって、シングー河の流域は、十九世紀始めころまで、まったく未知の蛮境でした。内陸には、たいへん多くの戦闘的なインディオが、西洋文明と接触することなく住んでいました。
ブラジルで出版された『ブラジル・アマゾナス・シングー』(ポルトガル語)
1842年に、当時のプロイセン(現在ロシア、ポーランド領になったドイツ王国)の王子アダルベルトが、シングー河の下流から支流イリリ川付近まで遡りました。彼の立場は、経費バランスを考える必要がなかったし、そろそろ他のアプローチの簡単なアマゾン支流で、未探検の場所が乏しくなってきたところに眼をつけたのでしょう。アダルベルトは、『ブラジル・アマゾナス・シングー』という探検紀行文を著しています。グランデ・オガワも読みました。
ジュルナ族の娘さん
王子さまは、ジュルナ族インディオの村で、ユカ芋を女性が口で咀嚼してつくるカシリ(インディオのユカ芋発酵ビール)を飲まされました。男がつくったカシリだったら飲まなかったかも(笑)。
シングーの地勢
シングーという名の語源には、はっきりした定説がありません。おそらく先住民の呼び名だったのでしょう。
河畔の街アルタミラの観光局が出版している案内本に、「日本の新宮、あるいは神宮と発音がよく似ているのが不思議である」という興味深い記述があります(これもホントの話し)。郷土の歴史家の筆だと思いますが、よく調べたものですね。しかし、縄文の時代に日本人と同じ言語民族が移住して、その名を残したとは言及していません(笑)。
支流: ①セッチ・デ・セテンブロ川 ②クルエネ川 ③タミタトアラ川
④フォン・デン・ステイネン川 ⑤イリリ川 ⑥バカジャ川
最上流部は、クルエネ川とセッチ・デ・セテンブロ川に分岐しています。この周辺は、ブラジル高原の一部であるマット・グロッソ高原のテーブル台地上で、流れは比較的穏やかです。
上流部は、ブラジル最大のインディオ保護地区であるシングー国立公園の中を縫って下ります。流れがマット・グロッソ州からパラ州に入ると、中流部となる。周辺には、インディオ保護地区がたくさんあります。ブラジル高原からアマゾン低地に向かう斜面となると、岸辺には岩場が発達し、急流部がそこかしこに現れます。
河畔のサン・フェリックス・ド・シングーを過ぎると、再びインディオ保護地区が増えてきます。
最大の支流イリリ川の合流点付近は、奇岩帯、激流部、瀞部が交互に現れます。乾期の水は、たいへんよく澄んでいますね。先カンブリア代の岩盤は、古生代初期の火山活動が成因の鉱物類が豊富です。アメシストもその一つです。
流域で最大の街アルタミラの付近から下流部となります。町を過ぎてしばらくすると、巨大な飛沫が轟音をあげる最後の激流地帯に突入します。ここがダム工事の予定地区ですね。
この急端の難所を過ぎると、流れはウソのように静まって河幅も広がり、まるで海のような景観になります。ここから下流は、大西洋の潮汐があって、水面が毎日上下します。河畔には、ヴィトリア・ド・シングー、セナドール・ジョゼ・ポルフィリオスなどの街があります。
巨大な河幅の部分は、350キロほど続いて、東岸にあるポルト・デ・モスの街の付近が最下流です。西岸は低地帯で、多数の細い水路が入り組んでいます。そして、アマゾン河本流に南側から流入し、2千キロメートルに及ぶ長旅を終えます。
神秘のザ・シングー
ちょっと記事が中断しちゃいました。ごめんなさい。
シングーなお話しを続けましょう。その9かな?
シングー河の源流は、ブラジル中央部のマット・グロッソ州、ホンカロール山地にあります。奇妙な命名ですが、ホンカドールとは、ポルトガル語で「イビキをかく人」という意味をもっています。これは古くインディオ時代から、そして近代になってからも、この山地のどこかから、イビキに似た異様な響きが聞こえてくることに起因しています。
その原因は、宇宙人の基地があるから、という説があって、周辺はブラジルUMAマニアの聖地の一つにもなっています。地下深くの洞窟に、大地の精霊が住んでいるというインディオ伝説もあります。この地方で発生した奇妙な新興宗教もあります。以上は全部、ホントの実話です。グランデ流の創作じゃありません(笑)。
シングーは、生まれながらにして神秘に包まれた流れなのです。
シングーお宝・外伝
かすみさんから2月の誕生石アメシストのカラー・グレードの質問もあったので、ちょっと脱線。
カラー・グレードは、一般にブラジルものだけに使われるようです。限りなく透明に近いものから限りなく濃紫色まで、1~10で分けます。もちろん濃いほどお値段が高い。しかしながら、9とか10の大きなルース(磨いた石)では、味気ない真っ黒になってしまいます(笑)。
アマゾン地方は、良質アメシストが産しますが、特にシングーと同じ岩盤のパラ州アラグアィア・トカンチンス地方が有名です。オレンジ・ロイヤルのいる辺りのアラグァイアでは、世界最高級グレードも産します。
酒池肉林の大好きなワイン神バッカスは、今年の葡萄の不作に怒っていました。酔った勢いで、面白いゲームを思いつきました(バッカスもゲイマーだった)。今から出会う最初の人間をバッカスの家来のトラに食わせちゃおうという趣向です。そこへ通りかかったのが清純なニンフ(妖精)アメシストです。
バッカスは、トラをけしかけました。逃げる間もなかったアメシストは、とっさに女神に祈りを捧げました。女神は、得意の白魔術光線を放ちました。
クリスタル光線を浴びたアメシストは、美しい透き通った石になりました。それを見て酔いが醒めたバッカスは、石になったアメシストに赤ワインを注ぎました。すると、透明石は美しい葡萄酒色に染まりましたとさ……
この伝説の含みから、宝石のアメシストには『悪酔いしない』、『心を浄化する』などのパワーがあるとされています。ダヴィンチ・コードの悪玉司教も大きいのを持ってましたね。
グラ伝のシングーお宝
桃太郎伝説ってRPGがありました。ハドソンだったかな? かぐや姫の前でオナラをして嫌われたスリの銀二ってのがいましたっけ。何で詳しいかというと、かくいうグランデ・オガワ、別名アマゾン・ゲイマー(笑)、桃伝をスーパーファミコン時代に完結までやったことあるんです(大笑)。
桃電もやったなぁ。キングボンビー!
さて、グラ伝(グラ太郎伝説)でも、鬼退治の後にお宝をゲットするのは、当然が無論でしょう。
アメシスト(紫水晶)がザックザック。
シングー河畔で、アメシストの鉱床を発見しました。この画像も何回か使ったっけ。かなり紫の濃い、グレード5~6くらいの品質です。邪悪を浄化する妖精パワーに満ちていました。
グランデ・オガワ得意の脱線シングー話しは、もう少し続きます。
ご案内
あれ? 前と違う…… そうです(笑)。
ブログ・タイトルを変更しちゃいました!
グランデ・オガワの在住地、南米での釣りのお話しをメイン記事にしようかなと始めたブログですが、だんだん生き物ネタになってきちゃいました。ついでにヘッダーも変えてみました。
前の『南米・魚釣漫遊』と同様、ご声援くだされば至上の喜びです。
ペルー・アマゾン・イキトスのアジトにて
2010年7月22日
グランデ・オガワ








