オルランド・ヴィラス・ボアス
シングーなお話し、その25かな?
1943年、ブラジル連邦政府は、ホンカドール・シングー調査と呼ばれる探検隊を組織しました。このとき、クラウジオ、レオナルド、オルランドのヴィラス・ボアス3兄弟は、共にこの探検隊への参加を申し込みました。
ホンカドール・シングー調査は、1948年のシャバンテ族、1949年のジュルナ族、1951年のカヤビ族、1953年のトシカモンエ族、1959年のスイア族と5回に渡って行われました。この間に拓いた道路は1500キロ、6本の河の位置測定を行い、18部族ものインディオ村落を訪れました。
ホンカドール・シングー調査時代の写真
日本で放映された古いドキュメンタリー番組のアマゾン・インディオものには、ヴィラス・ボアス兄弟がしばしば登場していましたから、TVでご存知のかたもいるかもしれません。
シングー河のインディオ国立公園(現在のシングー国立公園)の設立を考案したのは、オルランドです。プロジェクトは、当時ブラジル大統領だった革新派ジャニオ・クアドロが承認しました。オルランドは、1961年から1967年の初代公園長を務め、「シングー・インディオの父」と尊称されていますね。
晩年のオルランド・ヴィラス・ボアス
シングー国立公園(その3)
保護地区のインディオたちは、ブラジルの法律で定められた野生動物の捕獲禁止は、自分たちが食べる分は免除されています。また税金の義務もありません。しかし、それだけの特典では、生きていくのに精一杯でしょう。太古の時代と変わらないどころか、昨今は動物達も減ってますから、昔よりずっと苦しい状況です。
政府が保護地区に設置した衛星TVなんか見ると、花のパリやリオ・デ・ジャネイロの優雅なセレブたちが映っています。オレたちも、ああいう贅沢がしたいもんだゼ。それには、稼がなくっちゃいけないナ。ブラジル政府が税金から流してくる金じゃあ足りないョ。
時は二十一世紀。保護地区のインディオたちは、いろいろな事業に力を入れ始めました。もちろん、インディオっぽい特色をだすことに頭をしぼっています。時流に乗ったエコ観光も始めました。自然の恵み、無農薬、無肥料などを謳うのも、それっぽい。密林の薬草生薬もいいじゃないか。
グランデ・オガワの知人の故Z氏は、プロポリス生成の技術指導のため、シングー国立公園に招かれています。おそらく、「野性のミツバチのつくるプロポリスは、効果抜群!」をキャッチにするのでしょう。
ちょっと以前のシングー国立公園は、無線でしか通信できませんでしたが、現在ではインターネットも設置されています。おそらく、オルカットやブログをやっているシングー・インディオもいるでしょう(笑)。
シングー国立公園(その2)・余談
スティングもオジさんになりました。彼のミュージックはあまり聞かないのですが、デゼルト・ローズ(砂漠のバラ)というのは、けっこう好きです。
ユーチューブの『Desert Rose (Original)』
http://www.youtube.com/watch?v=tjHkj-uSt_Y
余談の余談ですが、砂漠のバラって名前の石があります。石膏などが乾燥した環境で結晶になったヤツ。サハラ砂漠産が有名ですが、ブラジルの乾燥地帯からも産します。
砂漠のバラ(デゼルト・ローズ)
スティングがアマゾンの自然保護活動に共鳴した理由は、ラオニー酋長たちが調合した密林ドラッグにラリったからであるという説があります。おそらく事実でしょう(笑)。
シングー国立公園(その1)
さて現在、ブラジルで最大のインディオ居住エリアは、設立当時シングー・インディオ公園と呼ばれていたシングー国立公園 (PARQUE NACIONAL DO XINGU) です。セッチ・デ・セテンブロ川とクルエネ川合流点から少し下ったところから始まっていて、その面積は、ざっと九州と四国の中間ほどもあります。
シングー国立公園には、いろいろな種族が居住しています。クイクロ族、カラパロ族、ナウクア族、マチプー族(以上、カリビ語幹)、メイナク族、ワウラー族、ヤワラピチー族(以上、アルアック語幹)、アウェチ族、カマユラ族、カヤビ族、ジュルナ族(以上、トゥッピ・ガラニー語幹)、その他いろいろの言語をもつ部族もいます。下唇にお皿を入れる風習のあるカイアポー族のラオニー酋長もここに住んでいます。彼はセイブ・ザ・レイン・フォーレストのキャンペーンでイギリスのロック歌手スティングと世界中を回り、日本ではNHKに出演していますね。このキャンペーンで旧シングー・ダムのプロジェクトが休止になりました。
ロンドン将軍
シングーなお話し、その21くらいかな?
インディオたちに居住地区を政府が与えるという政策の基盤を作ったのは、フォーセット大佐で登場したカンジド・ロンドン将軍です。ロンドン自身、インディオの血を母方から継いでいます。
生まれは、マット・グロッソ州のクイアバに近い(現在、車両で2時間くらい)のミモゾというところです。グランデ・オガワは、ミモゾに何回も熱帯魚採集に行っています。パンタナル地方の一角です。ひなびた田舎で、いいとこです。
ロンドンは、1910年にSPI(インディオ保護政府機関)を設立しました。これについては、友人だったUSA元大統領セオドア・ルーズベルトの示唆がありました。「インディオ開放の父」を冠するロンドンの名は、ブラジルの自治州の一つ、ロンドニアに残されています。
ちなみに、セオドアさんのニックは、テディです。有名なクマ人形テディ・ベアの逸話の人物ですが、アマゾンが好きだったみたいですね。ロンドンと一緒に、当時未踏だったドゥービダ川を下る探検をやっています。この川は、今はルーズベルト川と呼ばれています。最近、ダイアモンド産地としても鳴らしています。2004年にこの地域で密掘していたガリンペイロ(金や宝石の山師)がインディオに殺された事件がありましたっけ。
シングーの源流で遊ぶ
シングー源流クルエネ川流域(カナラーナってとこから入る)の探検チ-ムをやったことがあります。以前に私がやっていたミクシィ日記(現在、理由があって休止中)を見て連絡してきてくれた日本の若い3人が隊員でした。
参加隊員3人ともにフィッシング・マニアではありませんでした。メイン・テーマは、『未知の領域を旅行してゾクゾクを感じたい……』。
こういう楽しいテーマで日本から遠くアマゾンの、それも旅行ガイドブックに載ってない、旅行エージェントも絶対にツアーを組まない、知られざる領域に来る気概のある青年が日本にいる、ってことだけでグランデ・オガワは、かなり感動しましたネ。もちろん、チケット代だけで、20万円は吹っ飛びます。行動費を加算すれば、50万円近く必要です。
アマゾンに行きたいけどお金が……、という理由はたしかに正論方便です。でも、自分の夢を実現したい、楽しいコトがやりたい、という本気さえあれば、貯められない金額でないのは、彼らが実際に来たことでも明白でしょう。
彼らには事前に、『アマゾンの封印』って書物を読んでもらいました。フォーセット大佐の冒険に関することをブラジル人が描いた本の和訳です。もしかしたら、大佐の遺品をゲットかも、という伏線もあったチームでした。しかし、結局、アマゾン猛魚に夢中になって、釣りの部分にかなり専念って内容になりました。
シングー源流には、デカ・ビックーダ(ハイドロシナスガー)がいます
小ぶりですが、カショーロをゲットした隊員
赤鬼の子供? よく判らない種類のピラニア
わちきも、カショーロをゲット
ここシングー源流のカショーロ、尾部がたいへん黄色い。新種かもしれません。このときは釣れませんでしたが、大型タライロンもいます。5月~6月ころがタライロン・シーズンとのこと。ピライーバやジャウーの40キロくらいを釣ってたロッジのお客さんもいましいたね。そして、ここでよく釣れるのが…… カメちゃん。
ジェフロアカエルだ
美味しそうなモンキヨコクビも釣れた
シングー源流をいく
カピバラもおるでよ
ワニもおるでよ
ロッジの晩飯は、シュラスコ(肉塊の炭火焼き)
ロッジ従業員の女の子に迫られている隊員
利用したロッジは、ナッセンチ・シングー(シングーの生まれたとこ)というところでした。ここから少し下ったとこから、ブラジル最大のインディオ保護地区のシングー国立公園が始まります。
グランデ・オガワ的にも、楽しい旅でした。
フォーセット大佐(その3)
古文書から類推してゼット地点は、シングー河源流からアラグァイア河にかけてに違いない、と彼は考えました。
フォ-セット大佐とゼット地点の推定地図
当時、シングー河の源流部についてもっとも詳しかったのは、ブラジル陸軍のカンジド・ロンドン将軍でした。
フォーセットは、将軍と会見し情報を求めました。将軍は、「その辺りのインディオたちは、まだたいへん野蛮だからやめておけ」という忠告を与えています。二十世紀の初頭のシングーの源流部は、まったくの蛮地だったのです。
マクロ・ジェ言語族、トゥッピ言語族、カリベ言語族などが入り乱れて居住し、中には人喰い人種もいました。彼らは常に戦闘を好み、他部族を襲って皆殺し、あるいは男だけ殺して若い女を略奪する生活に明け暮れていました。
インディオにとってもっと野蛮であり、尊大な態度をとる白人たちを嫌悪していた部族も多かったのですね。
フォー
セットは、1920年からゼットの探索を開始しました。マット・グロッソ地方のクイアバから北上し、現在のバカイリ族インディオ保護地区の方向に進みました。行軍は騎馬だったが、頼りの馬が死んだポイントで1回目の探索を終えています。彼は不屈の闘志で2回目の探検に望みました。1925年、前回の死馬のポイントを通過し、さらに奥へ進み、そして永遠に消息を絶ったのです。おそらく、インディオに食われたんでしょう。
その後、一行の遺品を発見したら、新聞協会が高額の賞金をだすという展開があって、著名人たちもそれに挑戦したため、フォーセットの知名度は上昇しました。
ちなみにフォーセット大佐は、映画でハリソン・フォードが主演した小説のインディアナ・ジョーンズのモデルといわれています。もっともこれは、いろいろな説があって、前述のマチュピッチュを発見したビンガムがモデルだったというヒトもいます。
改訂版が完成
シングー・シリーズの途中ですが、このところ作業を進めていたアマゾン・アカデミーの『タウバテ魚類化石』、『博物ハンターの時代』の2編の改訂(2010年度版)が完成しました。
また前と似たような宣伝ですけど……
★『タウバテ魚類化石』では、2004年に発表されたミナス・ジェライス州産のカラシン化石(新種ですが、まだ学名なし)を3種類追加。その他、写真の追加と学名変更など。
新生代第三紀・始新世~漸新世(3500万~3000万年前ころ)のカラシン化石
★『博物ハンターの時代』では、主に写真の追加を行いました。
洞窟に生息する眼球のないナマズ、ピメロデラ・クローネイ
改訂版は、こちらで販売しています。
スーパーメルカード、アマゾン・アカデミー
http://www.supermercardo.com/asf_031.htm
フォーセット大佐(その2)
ある日のこと、フォーセットはブラジルのリオ・デ・ジャネイロ国立図書館で、内陸で消息を絶ったポルトガル人探検家が残したという古文書に出会いました。512号書類と呼ばれる古文書は、奥地探検中に記されたもので、部下のインディオに託されて中央に届いたものだったとされています。その内容の概略はこんな感じでした。
「われわれは奥地の山岳で、古代の廃墟に出会った。それはまるでブラジル王宮のように壮大だったが、すべては静寂の中に眠っていた。都市の入り口のアーチには、解読不能の文字が刻まれていた。われわれは廃墟の傍を流れる川で、大量の砂金を発見した……」
この古文書の内容も、前述したマルチーリオスの砂金伝説と同一線上にあるものと考えられますね。フォーセットは、この古文書の記述を真実と信じました。そして、この謎の都市に、ゼット(Z)という名称をつけました。
来年は、発見100年記念で、いろいろなマチュピチュ・イベントが催されるでしょう。
フォーセットは、考えました……
1911年、アメリカ人のハイラム・ビンガムは、アンデス山中に眠っていたマチュピチュの廃墟を見つけているではないか。同じような遺跡がアマゾンにあって、何の不思議もない。もしこの謎の都市ゼットを発見したら、探険家の歴史上、輝かしい業績として刻まれるに違いない。おまけに砂金もたくさん手に入る。ウヒヒ……
《お話しは、続く》





