(過去記事1)の最後で触れた

リチャード・ファインマンの父メルビルの話.

 

メルビルは洋服のセールスマンで学校歴は無かったが,かなり教養があって科学心のある人だったようだ.

リチャードは父を尊敬していたようだ.

 

 

 上のブログ記事の方が詳しいと思うが,

私が気に入っているエピソードはこれだ.

 

子供のリチャードが父メルビルに,

あの鳥の名前は分かる?

と聞いた.

 

なんとメルビルは,その鳥の名前を

英語,ポルトガル語,イタリア語,中国語,日本語など

いくつもの名前を教えた後,こういった.

 

「いくら名前を並べてみても、あの鳥についていろいろな国の人が、あの鳥をどう呼んでいるのかわかっているだけの話で、あの鳥の生態についてはよくわかっていない。
さあ、あの鳥が何をしているのか観察してみるとしようか。
大事なのはそこなんだよ」

 

 いつだったろうか.若い頃わたしはこの話を聞いて大変感動した.

 

 このメルビルの言葉の中に,

科学とは何か,知見とは何か,

の本質が宿っていると思う.

 

 これこそが(過去記事2)で書きたかったことだ.

 

 身分に対して頭を下げない,下げさせない

 

 私が学歴厨を嫌いな理由はここにある.私は他人の身分に対して頭を下げるのも嫌いだが,

自分の身分に対して頭を下げる他人も嫌いなのだ.

 

 実力不相応の身分を自分や子供につけて,それにたいして他人に頭を下げさせよう

という魂胆が嫌なのだ.

 当人が勉強が好きで向いていてやるのならまだ良いけれど,親が将来の身分のために勉強を押し付けるというのが,嫌いなのだ.

メルビル・ファインマンは決してそのような父親では無かったと思う.結果的に子供二人とも科学者にしているが.

 

 (過去記事2)で言いたかったのはこう言う事だった.

 

 (過去記事3,4,5)で言語聴覚士,公認心理士,特別支援教育教師などのいわゆる”専門家”と言われている人たちの知識について述べた.

 

 どれも,発達障害や神経発達症はどういうものか,その本質や具体的方法については書かれていないのだ.発達障害の周辺知識しか書かれていない.

 鳥で言えば,その名前や蘊蓄が書かれているだけで,どういう生態なのかについて書かれていないようなものだ.

 

 神経発達症の原因も治療法も何も書かれていない.”現在何も分かっていない”ということが書かれているのだ.

 

 (過去記事6)で取り上げたブログの人も,こういうことを言いたかったのだと思う.何も分かっていないことに勝手にわかったふりする自称専門家がうさん臭い.

 

 未来のために研究していくことが大切だ.分かったことがあればその知見を共有していけばよい.

 

 むしろ長年の研究で分かってきたことは治療法など無いという事だ.むしろ,これは病気や障害ではなく,生物の多様性として必然的な現象であろうということが分かってきた.

 

 学校というのは個人を訓練して社会に適応させようという古い思想がある.その古い思想に学校教員らが抜け切れていない.

 

 

 

 

(過去記事1)

 『組織論2・チャレンジャー号爆発事故(1986.1)』(過去記事1)の続き 手段として設立されたはずの組織が、大きくなると、組織を維持することそのものが目的化してくる。 学校も省庁もNASAもみな同じである。チャ…リンクameblo.jp

 

(過去記事2)

 

 

 

 

(過去記事3)

 

 

(過去記事4)

 

 

(過去記事5)

 

 

(過去記事6)