(過去記事1)をはじめとして中が受験の特殊算を否定してきた。

 特殊算は算盤とおなじでやりたい人がやる分には個人の自由だけど、文科省管轄の学校法人の入試問題で子供向けに出すべきものではない。

 特殊算は言ってみれば和算の一部で戦後に学習塾が復活させたものだ。

 和算がダメなのは歴史が証明しているのだ。
 今から156年前明治維新が起こって西洋文明が大量に政策として入ってきて、1872年学制発布で全国に小学校が作られることになった。従来の学問の権威はみな江戸にいて旧幕府と繋がりがある。新政府の中心をになう薩長など外様は彼らを遠ざける必要があった。そこで当時海軍の一部の人間しか知らなかった西洋の数学を全国の小学校で教えるという暴挙に出た。
 今で言えば、情報技術を知ってる中高教員などいないのに、文科省がいきなり情報教育をしようとして教員にあらたな免許つくってるのと同じだ。何もないところに政府の命令だけで一から短期で作り上げるのだ。
 大学教育では、菊池大麓(1955-1917)が1877年ケンブリッジ大卒業し帰国してそのまま東京大学理学部教授となった。日本の大学へ西洋数学を輸入した。
 西洋数学の文脈の中で、日本人で最初に世界的に意味のある数学研究成果を出したのは菊池より20年若い高木貞治(1875-1960)と彼と同期の吉江琢兒(1874-1947)である。
 しかし、菊池大麓、高木の師匠である藤澤喜太郎(1861-1933),林鶴一(1873-1935),三上義夫(1875-1950)らをはじめとして、政府や三井財閥などの援助を受けて、明治以前の和算の保存と西洋数学への翻訳が行われた。



 そして明治以前の家元制度で閉鎖的に行われていた和算の記録を掘り起こし、保存し、西洋数学の枠組みで構成し直してみて分かったことは、明治以降の西洋数学に付け加える価値のあるものは何もないということだった。

 江戸時代の和算家ってね、現代では高校生が習う部分積分の公式も知らなかった。だからいろんな図形について巧妙に変換させたりして各藩各流派独自の厳密に証明もされていない非体系的で各論的な方法が散財していた。今となっては統一的な方法で解ける。いろんな特殊算をケースバイケースで覚えなくても方程式一発で解けるのと同じ。


 林鶴一は関孝和が世界最初に行列式の理論をつくっていたことを発見した。

 しかし西洋では独立に発見され、日本を追い越していた。


 学問はじめ職業がギルド的閉鎖性を持っていたのは西洋も同じだった。しかし近世において意識改革が起きたことは(過去記事2)に書いた。ルソーらの思想である。

 世の中の真理は全て聖書に書かれており、頭の良い一部のエリート職が読んで解釈した説を庶民がありがたがる。そんな時代から、一般の庶民たちがひろく読み書き計算を学び、各自発見したことを広く交流して検証し共有してさらに発展させる、そんな時代へのシフトである。知識のオープンアクセス化であり、特許もその考えに基づく。


 そのような仕組みで科学、数学は爆発的に進展した。


 明治以前の和算は歴史としての興味を除けばもはや価値はない。


 和算も特殊算も算盤も歴史懐古趣味のものである。

 現代の価値はない。


 昔の社会制度や思想について、頭ごなしに批判する人が多い。しかし多くはその時代において合理的理由があったと思う。そして現代ではその前提条件が変わってしまい合理的理由を失ったものがある。しかしそれでも歴史的慣性の法則で、すでに合理性を失った制度、思想、道具にこだわってしまうことがある。

 それは馬鹿らしいことだ。


 世界的に見ても、日本の特殊算を我が国の教育に取り入れよう、なんて、そんな動向は無い。


 インドでは高校で3*3行列も微分方程式も習う。そしてインド工科大学全23校を受ける受験生の人数は、日本の1年間の出生数より多い。

 誤答は白紙よりマイナス点なので当てずっぽうで得点することは無い。自信を持って出した回答しか得点されない。


 国際競争力を高めるためには、中学受験で国内カースト形成はマイナスである。

 

 江戸時代末期では既に戦場で無用の弓が格上とされていた(過去記事4)。


 ガラパゴス和算である特殊算に未来はない。弓と同じく趣味人だけがやれば良い。




(過去記事1)


(過去記事2)



(過去記事3)


(過去記事4)