私が学んだハワイと云う場所。 | アロハマッサ-ジのブログ

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アメリカのラストステイツHAWAIIに移住して1ダ-スYear過ごし、
ハワイの伝統ロミロミマッサ-ジの技術指導をして参りました。
癒フィ-リングマッサ-ジ 

 

 

ハワイは躍進しようとする方達が多いです!

 

ハワイに降り立ちトランクケ-ス2つだけ持ち
家族とも、友人とも離れてたった一人でハワイに降り立った。

 

たった一人で馴染んだ生活環境から別の場所で生活すると言う事は
非常に多数の人に反対もされたし、促されもしたし
だけど私の気持ちは固まっていて
自身の思いと気持ちの強さにアクションを起こしたのである。

 

勿論それ相応の切っ掛けは有ったものの
その思いの勢いは止まらなかった。

 

その為に熟さなくてはいけないハ-ド-ルもかなり高いものであった。
それらをひとつずつ一人で熟していく作業は大変な労力と時間を要する事になった。

 

今まで住んで居た物の片付けや
ビザの申請
初めてビザの申請をするので熟さないといけないぺ-パ-ワ-クが多数あるのです。
私の場合はスチュ-デンとビザでしたので
1年間の生活費として200万の普通預金の口座のコピ-が必要。
(当座預金の場合はビザはおりません)

 

その金額を貯める為に
就労以外に
荷物の整理として今まで高価なものを購入していたので
それをフリ-マ-ケットにて販売
(車もフリ-マ-ケットで販売)フリ-マ-ケットで車の販売したのは私が初めてではないか?
ビジネスをしようと思って購入していたストッキング等の在庫が有ったので
多数の美容関係の場所に電話を掛け、予約を取り多数のカラ-ストッキング等を
見てもらい説明し販売してビザの必要経費と渡航費をようやく貯める。

 

更にはハワイでの住居の手配をし
現在住んで居る場所の物の整理と手続き等
渡航チケットの購入
そして家族と友人とのお別れセレモニー

 

そして旅立ちの時

 

それまでにも何度もハワイに行っていた私は
ハワイの空気感と自由度と鮮やかな景観とフレンドリ-気質でオ-プンハ-トなところとスロ-ライフが
非常に好きであり
私の心を魅了したのである。

 

ハワイではファ-ストネイㇺで呼び合うところがあり
就労していても殆どがファ-ストネイㇺを使うのである。
ファミリーネイㇺではないのである。
何故なら
個人が一人で赴く場合があり
個人と云う事を尊重していてアイデンティティが形成されているから他ならない。
ハワイのそう云うところが私は非常に好きな所である。
だからシガラミがなく個人の自由度が有る場所なのである。

 

皆それぞれに違いがあり、多数の国からテンポラル来訪したり、移住するケ-ス等があり
家族単位で来る人は居ないのである。
居るとすればカップル単位かな・・

 

私はそう云うハワイの慣習にインスパイヤ-され
長くに住む事が出来とてもラッキーだったと思う。
(ハワイに長く住みたいけれど帰らないといけない方達を何度も見送っていたので)

 

ハワイではスチュ-デンとビザの場合
1年程経過した場合語学学校がスポンサ-になってくれ
1日4時間の就労は出来る事となっていたが・・
それでも長い滞在の場合は結構大変な事が有るのである。

 

私の場合は
その期間にパ-トナ-とテゥ・ラブになり結婚をするに至ったが
スチュ-デントでずっとハワイでの生活を長く滞在すると言う事は
非常に難しい状況であった。
(中には珍しい方で5年間その状態で生活していると言う方も居たがレアなケ-スである)
当時一カ月の学費が$650程
毎日4時間の授業
これを熟さなければスチュ-デントビザが適応されなくなるのである。
1年間はバイトなども出来ない状況なので
生活費の200万が必要不可欠となるのである。

 

私が選んだ語学学校は小じんまりした語学学校でバルタニアンストリ-トに有るスク-ル
授業も最初は先生1人に対して生徒4人程でなされていて
勿論全て英語のみの授業であり日本語は使用不可
1人・2人と少しずつ生徒数が増えていった。
年齢はバラバラだったけれど少ない人数だった事も有り
和気藹々の雰囲気と個人が今まで何をしていたか等一切聞かない
どこに住んで居るか等も聞かない
日々のハワイのイロハ等を話し合い
個人が云いたいと思えば話してくれる環境であった。

 

ある時その語学スク-ルがクロ-ズすると言う事になった。
理由はオ-ナ-がもうスク-ルするのが嫌になったと言う事だったそうだ!
語学学校に通い始めて2カ月経過したぐらいのときであった。

 

私達に与えられたのはハワイの語学学校で2つの学校の紹介であった。
どこかの語学学校に行かなければビザが継続できないので
どちらかの学校を選ぶまでに1カ月の猶予期間があり
その間は学校にも行かなくてよく自由時間だったのである。

 

私は迷わずその時間を活用してマッサ-ジのワ-クショップに通う事にしたのである!

 

その際チョイスしたのは空港で多くの媒体をA4サイズの封筒に入れ
多数の紹介がなされている
その媒体に電話をして取り付けたのである。

 

そこから私のハワイ生活の軸になるロミロミマッサ-ジとの出会いで
彩り豊かな生活が始まったのである。