ドル三部作はお好き?(もちろん!) | 映画の楽しさ2300通り

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先日の記事「ドル三部作とわたくし」では、ネタバレなしで"ドル三部作"の概要を紹介しましたが、今回はそれぞれに対する感想を書こうと思います。
従いましてちょっぴりネタバレがありますので、三部作をこれからまっさらな状態で鑑賞したいと思う方は、この先は読まないでください(ちょっとくらいのネタバレは気にしない、と言う方はこのままお進みください)。

荒野の用心棒】(For a Fistful Dollars 1964)


さてドル三部作は自分映画史の中でも特別な作品であり、当然どれも何度か観ていますし、サントラの30cmLPも持っているのは前記事に書いたとおりですが、何事にも初めがあるわけで、最初に観たのは本作でした。
ご存知の通り、「荒野の用心棒」は黒澤明の「用心棒」(1961)をまるごとパクった作品。もともと盗作の意図はなく、許諾を得られる前にフライングしたようですが(盗作・剽窃にしてはあまりにも内容が一緒すぎ)、当時はともかく後々には大スター(助演陣も含め)、大監督、大作曲家になる人々が結集した作品なので当然面白い。個人的にはオリジナルよりこちらの方がずっと好きです。

主役がイチオシのクリント・イーストウッドだから、ということもありますが、クライマックスの対決に関してはこちらの方が工夫されていて、のちの「最も危険な遊戯」(1978)に逆輸入されましたし、イーストウッド本人も監督・主演した「ガントレット」(1977)で採用しています。これも好みの問題ですが、敵役としても仲代達也よりジャン=マリア・ヴォロンテのほうが狂気じみて迫力がありました。
もちろん優れた脚本(菊島隆三+黒澤明)があってこそなので、「用心棒」が劣っているということではありません。そもそも「用心棒」は西部劇風のセッティングを持った"西部劇風時代劇"と言えるので、許諾の有無はともかく本場の西部劇でないマカロニ・ウエスタンにぴったりはまったということでしょう。
さらにオリジナルの上をいったのがエンニオ・モリコーネの音楽。切なくも激しい「さすらいの口笛」は、へたくそな自分の口笛のレパートリーになりました。

夕陽のガンマン】(For a few Dollars More 1965)


好評を受けて、でしょうが同じ監督・主演・音楽トリオで本作が作られます。直接の続編ではないものの、タイトルが前作を受けているので、何らかのつながりはあると見てもいいのでしょう。
「夕陽のガンマン」は一般的に三部作のうちでは最も評価が低いようで、僕もこれのみ"愛する映画"に入れていません。理由は明白で、本作ではイーストウッドではなくリー・ヴァン・クリーフ(写真右)が一番輝いているから。
イーストウッドもヴォロンテも、なんならクラウス・キンスキー(写真左)もすっかり食ってしまった存在感は、ヴァン・クリーフファンであれば三部作のトップに挙げることでしょう。相対的にイーストウッドがやや軽薄に見えるのも彼のファンにはマイナスだと感じます。
一方モリコーネの音楽には磨きがかかりました。確か映画を観る以前に載せていただいたお車で聴いた(当時はケース入りのカセットテープ)「夕陽のガンマン」の主題曲がすっかり気に入ったのですが、映画の中ではヴァン・クリーフの使うオルゴール付き懐中時計をベースにした曲がさらに印象的でした。
この曲はクライマックスの決闘シーンにも使われ、以降レオーネ作品だけでなくセルジオ・コルブッチの「豹/ジャガー」(1968)などでも、音楽が決闘の緊張感を盛り上げるBGMとなるような演出がひとつのスタイルとして定着します。

続・夕陽のガンマン】(The Good, the Bad and the Ugly 1966)


そして三作目がこれ。ヴォロンテは出ていませんが、イーストウッド、ヴァン・クリーフに加えた三人目の主役に芸達者なイーライ・ウォーラック(写真左。荒野の七人)を起用。本来レオーネ演出が持っているユーモラス/コミカルな部分を担当して物語の深みを増しました。考えてみると「夕陽のガンマン」ではコミカルな部分をイーストウッドに任せたのがいけなかったようです。
一方、「夕陽のガンマン」で完全に画面をさらったヴァン・クリーフ。「続・」での役柄もありますが出番も少なく少々印象薄めでトリプル主役としてはちょっとバランスが悪いと感じていたのですが、DVDの特典映像を観て納得。元々は彼の出演シーンがもっとあったようなのです。上映時間が長くなるのを嫌った製作会社なり配給元なりが、あとの二人と比べてわりに単独行動の多いヴァン・クリーフのシーンをカットした(させた?)と思われます。レオーネはほかの作品でもさんざん同じような目にあっています。8,90年代の作品であればディレクターズカットとしてより完璧な姿で観られたかもしれず、彼にとってもファンにとっても残念なことでした。
そして音楽。三作目にしてモリコーネの力が全開。「続・夕陽のガンマン」は彼なくして傑作たり得なかったでしょう。どなたか忘れましたが日本の著名な評論家が評していた「華麗なバロックオペラのよう」。特にクライマックスの墓地のシーンから名高い"三角決闘"に至るくだりでの音楽はほぼ神がかっていました。

【三作の関連性は?】

さてこれら三部作は主役(イーストウッド)は同じでも直接的な関連はないとされています。確かにそうも見えますが、登場人物を中心にするとひとつの流れが見えてきます。

まず三作目の「続・夕陽のガンマン」は南北戦争を舞台にしているので第一エピソード。ここでイーストウッドは着用していたロングコート(写真参照)を瀕死の兵士に着せてやり、代わりにお馴染みのポンチョを着る(羽織る)ようになります。

第二エピソードは「夕陽のガンマン」。ここでのヴァン・クリーフは南北戦争帰りの退役(多分)軍人に扮しています。戦争直後っぽいので1970年よりは前でしょう。イーストウッドは最初からポンチョスタイルなので、時間的には「続」の後であると判断できます。

第三エピソードが「荒野の用心棒」。すでに指摘されていますが、劇中に登場する墓石の表記から1973年以降と見られるので、時代的には一番新しくなります。当然イーストウッドは冒頭からポンチョですね。
「夕陽のガンマン」の賞金稼ぎで相当稼いだはずなのにそういう様子は見えませんが、そもそも生い立ちも目的も謎の男ですからそれだけでは違う人物だと言いきることもできません。

三作の関連は公式には認められておらず自説にもあまり説得力はありませんが、ドル三部作におけるイーストウッドは同じ人物、あるいは後年の「荒野のストレンジャー」(1973)や「ペイルライダー」(1985)に登場するのと同じ"西部の精霊(ゴースト)"であると見るのが妥当なのかもしれません。

 

ブロトピ:2024/04/14