ジャンル:オカルト
製作国:日本
監督:鈴木清順
愛するポイント:吹っ飛んだストーリーと吹っ飛んだ役者(演技)を妖しく絡めとる絵造りの力強さ

映画の楽しみ方は人それぞれですね。
もっともこれは映画に限らず絵画、音楽、演劇、書籍、(観る)スポーツ、ゲームなどすべてのエンタメに言えることですが、映画には絵(動画)・音楽・ストーリー・アクション・役者等々さまざまな要素が盛り込まれているだけに、より多角的な、あるいは極端に偏った楽しみ方が出来るように思います。
僕はといえば、ストーリーはもちろん音楽もアクションも役者の演技&ビジュアルも楽しむ方ですが、中でも一番重視しているお楽しみ要素は"絵"です。絵と言ってわかりにくければ、"スクリーンに映し出された画面を切り取った画像"と言えば少しは分かりやすいでしょうか。
写真(静止画)であれば被写体をどう写すか、アップかロングか、上からか下からか、順光か逆光か、単独か集合かなどいろいろな撮り方がありますが、基本的に動きのある映画はそれらに加え、ストーリーや俳優のアクションの流れの中でどういうタイミング、どういうコンティニュイティで撮るかという判断が必要になります。
風景のロングショット、俳優のクローズアップ、アクションが決まった瞬間などなどをどう"絵"として見せるか、そこが映画監督の力の見せ所でしょう。もちろん、監督のイメージをスクリーン上に具現化できる撮影監督の力も重要です。
前置きが長くなりましたが、それというのも本作の監督鈴木清順がまさに絵造りにこだわることにかけては第一人者だから。
クライム・サスペンス(「野獣の青春」「東京流れ者」日活を追い出され10年間映画を撮れなくなる原因となった「殺しの烙印」など)、任侠もの(「関東無宿」「刺青一代」)、さらには青春(?)ドラマ(「けんかえれじい」)でも、清順美学と言われる監督こだわりの映像美がさく裂。僕も大好きな作品ばかり(特に「刺青一代」と「けんかえれじい」)ですが、いかんせん愛する映画にはなりきれません。
というのも、絵造りにこだわる系監督(やはり大好きな岡本喜八とか市川崑とか)の作品はどういうわけかあるいは必然的にそうなるのか、ストーリーとアクションを円滑に繋げていく力が弱い、いうなれぱどこかぎくしゃくしていると感じるのです。
決まった!と思える素敵な絵が挿し込まれるたびにストーリーやアクションの流れが断ち切られる、そんなもどかしさを感じることが少なくありません(余談ですがその点世界の黒澤はやはりすごいと思います)。
そんな清順ですがこの「ツィゴイネルワイゼン」は違いました。
どう違ったかというと、まずオカルトなストーリーが清順の絵造りにぴったりだったこと。
荒唐無稽な部分はあっても起承転結がしっかりしていないと面白さが半減してしまう(のりきれない)クライム・サスペンスや任侠ものに比べ、論理的にも倫理的にも少々吹っ飛んでいるくらいが面白いストーリー展開と、凝りに凝った(そして吹っ飛んだ)絵(撮影は清順との仕事が多い永塚一栄)が、絶妙にマッチしていました。
その吹っ飛んだ世界に実体験が呼び起こす妖しい夢のようなリアルさをもたらしたのが、容姿もアクションも絵になる役者たち。
予想外に役にぴったりハマっていた映画監督のビンパチこと藤田敏八(「八月の濡れた砂」「赤い鳥逃げた?」ほか)を始め、原田芳雄、大谷直子、大楠道代、樹木希林(!)などがそれぞれの持ち味をフルに出しきった好演(怪演?)。中でも原田と大谷のビジュアルは清順の絵造りと相まって最高の見物でした。
吹っ飛んだストーリーと役者の芝居がある種の説得力を持っていたのは、内田百閒の「サラサーテの盤」を原作とした脚本(田中陽造)がしっかりしていたからでしょう。目に楽しい絵のみが悪目立ちすることなく、生と死のあわいの世界をおどろおどろしくもどことなく滑稽で珍妙に描き出しました。
本作に続く清順の「(大正)浪漫三部作」とされる「陽炎座」「夢二」がもうひとつ突き抜けなかったのは、シナリオの出来と役者の力の差ゆえと感じます。
大好きな優作(「陽炎座」)も当時はまだ原田芳雄の役者力には達してなかったなあと思うと、つくづくその早世が惜しまれます。
「父と暮らせば」でも好演、本作でも強い印象を残し、この先にも「竜馬暗殺」の紹介が控えている原田芳雄なのに、大好き男優にリストインさせていなかったことが発覚。早速リストを見直しましたので、よろしければついでにご覧ください。
映画鑑賞数が累計2400本に達したのでブログのタイトルを更新しました。