【改訂:ネタバレあり】2度目が観られない"暗い結末"とまた観たい"暗い結末"はどこが違う? | 映画の楽しさ2300通り

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【警告】
この記事では以下に挙げる映画の結末に言及しています。これらの映画の1本でも結末を知らず、将来観ようとお考えの方は、これ以上先をお読みにならないことをお勧めします。


●愛の嵐●明日に向かって撃て●イージーライダー●いぬ●狼の挽歌●俺たちに明日はない●影の軍隊●ガラスの墓標●ガルシアの首●気ちがいピエロ●菊花の香り●ギャンブラー●ジェフ●シベールの日曜日●仁義●酔画仙●狙撃者●存在の耐えられない軽さ●デッドマン●デッドマンウォーキング●テルマ&ルイーズ●隣の女●ベニスに死す●ミリオンダラー・ベイビー●ライフ・イズ・ビューティフル●竜馬暗殺

ーーーーーーーここから映画の結末についてのネタバレあり




さて本題です。

まず、タイトルで"暗い結末"と書いたのはずばり"主人公(複数いる場合は誰か一人以上)が死んでしまう"結末を指します。タイトルからネタバレしてしまわないようあえてぼかしたためわかりにくくなった点、ご容赦ください。


もともとミーハーな映画ファンである自分は、多分多くの観客がそうであるようにハッピーエンドの映画が好きです。なので主人公が絶体絶命の危機に追い込まれ、これはもう助からないな、となっても奇跡的に生き残ることを願いますし、そのためにリアリティが若干棄損されることはやむを得ないとさえ思っています。
そんな自分なのでハッピー・エンドの対極と言える"主人公が死んでしまう"映画は、たとえ面白いよく出来た作品だと感じた場合でもなかなか愛することができず、もう1度観たいとは思えません

その典型が、先ごろInstagramの方で紹介した「俺たちに明日はない」「明日に向かって撃て」、そして「イージーライダー」です。アメリカン・ニュー・シネマを代表するこれらの作品はしばしば「傑作」「名作」と称され、かつそれまでの映画の常識を覆すエポックメイキング的な点からも評価が高い作品ですが、主人公たちが迎えた凄惨な末路を思いだすとどうしても再見する気になれないのです。

 


一方で、やはり最近Instagramで紹介した「ギャンブラー」は同じく主人公が非業の死を遂げる結末ながら、大好きでありもう一度見直したい、さらには「愛する映画」の1本に加えたい作品です。
映画の出来、と言う意味ではまったく遜色がなく(人によっては「明日に向かって撃て」の方が好きでしょう)、キャストや音楽(「俺たちに明日はない」の「フォギー・マウンテン・ブレイクダウン」は大好きな曲です)も好きなこれらの作品の中でこれだけ印象の違いがあるのはやはり結末、つまり主人公たちの死にざまの描き方に原因があるのだろうと考え、理由を探ってみることにしました。

 



考察に当たり、「実際主人公が死ぬ映画は愛せないのか」を「愛する映画」249本で検証してみました。結果、主人公(のうちの誰か一人以上)が死んでしまうのは54本、全体の2割強とけして少なくはなく、どうやら「主人公が死ぬのは絶対いや」というわけでもなさそうです。
ということはやはり"死に方(死にざま)"に問題がありそうだ、ということで、自分が許容できる主人公の死に方を以下のようにカテゴライズしてみました。

 

■命を賭して闘いを挑んだ覚悟の死


アクション映画や犯罪映画は大体が文字通りの生死をかけて闘う人々を主役としています。特に「いぬ」「狼の挽歌」「ガラスの墓標」「仁義」「ジェフ」「狙撃者」などなど命のやり取りを稼業とするギャング/殺し屋たちが主役であれば、成功と失敗がまさに紙一重の世界におけるある意味覚悟の死であるため、観客側も受け入れやすいのでしょう。
ギャングではなくても、一獲千金を夢見ながら恋人も失ってしまった「ガルシアの首」や、勝ち目の少ない占領下での抵抗を描いた「影の軍隊」では、生き残ることの方が難しい状況であり、死を賭した覚悟も痛いほど心に残ります
子供を護ることに命を懸ける「ライフ・イズ・ビューティフル」を含めこのカテゴリーに含まれる作品は数多く、結末として主人公の死を選ぶか生を選ぶかは作り手も悩むところだと思います。

■生き方の前提としてある死

死を前提としたうえで"どう生きるか”を描いた作品では、主人公の死は避けられません。例えば「菊花の香り」「デッドマン」「デッドマンウォーキング」「ミリオンダラー・ベイビー」「ベニスに死す」「竜馬暗殺」などは死にざまと対比する形で描かれた"生き方"の鮮烈さが強い印象を与えました。

■生きることの頂点としての死

現時点ではむしろ幸せでも、待ち受ける未来が見えず、死によって昇華する人生を描いた作品もあります。例えば「愛の嵐」「気ちがいピエロ」「シベールの日曜日」「酔画仙」「存在の耐えられない軽さ」「テルマ&ルイーズ」「隣の女」などがそうでしょうか。やりとげた感と燃えつきた感が同時に心を打ちます。

以上のような主人公の死に方は、いわゆる"意味のある死に方"としてあとに残された(実際に彼らが死んだわけではないですが)自分に深い感動と余韻を残しました。では、主人公の死に方ゆえに再見できないとした3つの作品における"主人公の死に方"はどうでしょうか。

はっきり言って彼らの死に方は理不尽でした。

 

悪事を働いているとはいえピクニックでつかの間の平和を楽しんでいるときに機関銃でハチの巣にされる「俺たちに明日はない」、バイクで走行中に通りすがりのピックアップから銃撃されて死ぬ「イージー・ライダー」、強盗として追跡を受けた末とは言え、異国の地で軍隊に包囲され一斉射撃を受ける(ものの生死は描かれていません)「明日に向かって撃て」は、上記のカテゴリーのいずれにもあてはまらず、覚悟の末でもなければ尊厳もなく必然でもない、むしろ真正の悪役にこそふさわしい死にざまのように見えるのです。

 


 

そんな風に逝ってしまった彼らが生きることを楽しむ生前の姿を、そうと知りつつ理不尽な死にざまと重ね合わせながら再び観ることはできそうにない、と思うのでした。