引き裂かれたカーテン Torn Curtain (1966) ☆☆ | 映画の楽しさ2300通り

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「太陽の中の対決」のレビューにコメントしてくれた方が、本作を「大好きで何回も観た」とおっしゃるので、最近ポール・ニューマンの遅れてきたファンになり、TVの洋画劇場で白黒で観たせいか記憶があいまいだった自分は俄然興味を掻き立てられ、Amazon Primeで(会員にならずに)再見しました。

なるほど、確かに面白い!テンポよく展開するはらはらどきどきのストーリーに、ヒッチコックらしい細かな目配りとこだわりがちりばめられ、緊張感に溢れながらもユーモアが感じられる、めちゃくちゃ楽しい作品でした。
アルフレッド・ヒッチコックの作品は、Wikipediaでも「『』のあと『フレンジー』の前まで凡庸な作品が続いた」みたいに言われていますが、その間の作品といえば「マーニー」、「引き裂かれたカーテン」、「トパーズ」の3本だけ。これだけ面白いのにまさに凡庸な作品のひとつとして評価されているのは不当なような気がします。

思うに、本作が公開されたのはちょうど007シリーズが始まり、ハリーパーマーシリーズの「国際諜報局」や、よりリアリスティックな諜報活動を描いた「寒い国から帰ったスパイ」が公開されるなど、スパイ映画の全盛期だったことから、リアルな生活感のある設定の中でゲームを楽しむようなストーリーがかえって現実離れして見えたのではないでしょうか。スパイ映画の特徴ともいえる「非情さ」に欠けていたとも言えそうです。
確かに次々と襲いかかる危機を切り抜ける方法がシンプルで、味方側には死傷者も逮捕者もほとんど出ないなど、少々ご都合主義っぽい感じはありますが、ではヒッチコックの他の作品、例えば評価の高い「知りすぎていた男」と比べてどうかといえば、同じくらいもっともらしくもあり都合良くもあり、要するに遜色なく面白いのです。

どうやら、当時の映画通(特にヒッチコックファン?)の評価が定着した結果、今日に至るまで不当な扱いを受けているように思えます。"サスペンスの神様"と言われたヒッチコックも過去の人となりつつある今こそ、カビの生えた定説に惑わされることなく、名人芸を楽しんでもらいたいです。

ここでもポール・ニューマンは不屈ぶりをみせ、政府に派遣されたわけではなく自ら鉄のカーテン(死語?)の内側で国家秘密を探り出そうとする人物を演じて好演。共演のジュリー・アンドリュースはご存知「メリー・ポピンズ」「サウンド・オブ・ミュージック」などミュージカルで成功したスターですが、歌わない役柄も十二分に演じられることを証明してみせました。
特徴的なのは、この主役二人のクローズアップが多いこと。二人のきわどい登場シーンから始まり、特にジュリー・アンドリュースのアップと顔の表情による演技の多さは、ヒッチコックは彼女に気があったのかと思わせるほどですが、一瞬の気の緩みも許されない神経戦が展開する中、効果的な演出であり演技でした。二人のチームワークも絶妙で、いつもながらヒッチコックは男女のバディムービーが上手い!と感心。

それなのに評価が低かった原因のひとつになったかと感じたのは、東ドイツ側の警備に甘さが目立ち間抜け過ぎて見えることですが、監視カメラも携帯電話もない時代の現実の諜報活動はこんなものだったのかな、という気もしないではありません。
人間の不完全さに対するヒッチコックの洞察の顕れであり、だからこそ予測不能なサスペンスが生じるのだと思えば納得もでき、自らも揺れ動く状況の参加者になった気分で楽しめる所以でもあります。