ガンガー記念日
ちょうど1年前の今日、バナラシにいた。
その一月半ほど前にも、バナラシにいた。
3月にインドに行って、4月に戻って来くると、耐えられない程のインド病が襲って来て、いても立ってもいられなくなり再びインドへ。一週間だけ。
インドに関しては、中学時代に何かの本を読んで「ああ、いつか俺はここに行くんだろうなあ」と、ぼんやりと思っていたかどうかは今となっては定かではない。
どうにも言葉にならない。
言葉にする必要がないのかしらん。
そんなことを考えていると「ああ、いつかまたあそこに行くんだろうなあ」と、ぼんやりと思っているかどうかも定かではない。
というのが俺にとってのインド。
かどうかも定かではない。
その一月半ほど前にも、バナラシにいた。
3月にインドに行って、4月に戻って来くると、耐えられない程のインド病が襲って来て、いても立ってもいられなくなり再びインドへ。一週間だけ。
インドに関しては、中学時代に何かの本を読んで「ああ、いつか俺はここに行くんだろうなあ」と、ぼんやりと思っていたかどうかは今となっては定かではない。
どうにも言葉にならない。
言葉にする必要がないのかしらん。
そんなことを考えていると「ああ、いつかまたあそこに行くんだろうなあ」と、ぼんやりと思っているかどうかも定かではない。
というのが俺にとってのインド。
かどうかも定かではない。
ホセんちのうまい酒
ホセ・クエルボ・レセルバ・デ・ラ・ファミリア
その名のなんと輝かしい事か。
”家族のための特別品”の名の通り、クエルボ社の出す最高級テキーラ。
日本には未輸入であり、ほとんどお目にかかる事はないであろう幻のテキーラと言っても差し支えはないはずだ。俺自身、一度バーでボトルを見せてもらった事があるだけだ(バーのマスター曰く、「いやー、二本だけ手に入ったんだけど、あんまりおいしいもんだから一本自分で空けちゃったよ」←正直殺意が湧いた(笑)
今回のメヒコ行きで、テキーラの産地、グァダハラに行って、クエルボ社直営店の酒屋等に行けば手に入るんじゃないかなあ、等と考えていたのだが、どうも日程的に無理がありそうだったので、今回はパスする事に。
そのかわり、行く先々で酒屋を見つけたら、あるかどうかを聞き回っていた。
しかし、メキシコシティでもどこにも置いていない。最早半分諦めていたのだが、、
時はメヒコ最後の日、場所はアメリカとの国境の街、ティファナ。
2軒程酒屋を見たが、やはり置いていない。いよいよ駄目か、、と思っていたら、ちょっとでかめの古ぼけた酒屋が一軒。ドラッグストアでさえ客引きをしているティファナの中、ひっそりと静かに、なんとも怪しげなオーラを放っている。
店のおっさんに聞いてみると、「お?」というちょっと驚いたような顔をしてから、ニヤリ、と笑って「こっちにこい」と案内してくれた。期待に胸を膨らませついていく。
「これだろ?」と店内の角にある棚の上の方を指差し、そこには………
ケースに収められ、鎮座まします麗しの"JOSE CUERVO RESERVA DE LA FAMILIA”!!
「うあああああ!!あったーーーーー!!!」
叫ばずにはいられなかった。
「このテキーラは俺の夢なんだよ、まさかあるとは」等と言うと、
「じゃあ、100ドルでおまえの夢を買えるぜ」というおっさん。
もちろんすぐその場で買える物だったら買いたかったが、、
……買えるか!!
シティで財布をすられ、ラパスで落ち合った友人に滞在費を借りて、ようやくここまで生きてこれた俺に100ドルなんて残ってる訳あるか!!
なので「……写真だけとってもいい?金ないんだよ……」と恐る恐る聞いてみる。
すると、快くOKしてくれて、店のカウンターに置いてくれるおっさん。
恥も外聞もかなぐり捨て、ケータイのカメラでパシャパシャやってました(笑)
……絶対いつか手に入れてやる、、とケータイを開く度にティファナでの事と共に、そんな思いが蘇ってくる今日この頃(待ち受け画面にしています(笑)
その名のなんと輝かしい事か。
”家族のための特別品”の名の通り、クエルボ社の出す最高級テキーラ。
日本には未輸入であり、ほとんどお目にかかる事はないであろう幻のテキーラと言っても差し支えはないはずだ。俺自身、一度バーでボトルを見せてもらった事があるだけだ(バーのマスター曰く、「いやー、二本だけ手に入ったんだけど、あんまりおいしいもんだから一本自分で空けちゃったよ」←正直殺意が湧いた(笑)
今回のメヒコ行きで、テキーラの産地、グァダハラに行って、クエルボ社直営店の酒屋等に行けば手に入るんじゃないかなあ、等と考えていたのだが、どうも日程的に無理がありそうだったので、今回はパスする事に。
そのかわり、行く先々で酒屋を見つけたら、あるかどうかを聞き回っていた。
しかし、メキシコシティでもどこにも置いていない。最早半分諦めていたのだが、、
時はメヒコ最後の日、場所はアメリカとの国境の街、ティファナ。
2軒程酒屋を見たが、やはり置いていない。いよいよ駄目か、、と思っていたら、ちょっとでかめの古ぼけた酒屋が一軒。ドラッグストアでさえ客引きをしているティファナの中、ひっそりと静かに、なんとも怪しげなオーラを放っている。
店のおっさんに聞いてみると、「お?」というちょっと驚いたような顔をしてから、ニヤリ、と笑って「こっちにこい」と案内してくれた。期待に胸を膨らませついていく。
「これだろ?」と店内の角にある棚の上の方を指差し、そこには………
ケースに収められ、鎮座まします麗しの"JOSE CUERVO RESERVA DE LA FAMILIA”!!
「うあああああ!!あったーーーーー!!!」
叫ばずにはいられなかった。
「このテキーラは俺の夢なんだよ、まさかあるとは」等と言うと、
「じゃあ、100ドルでおまえの夢を買えるぜ」というおっさん。
もちろんすぐその場で買える物だったら買いたかったが、、
……買えるか!!
シティで財布をすられ、ラパスで落ち合った友人に滞在費を借りて、ようやくここまで生きてこれた俺に100ドルなんて残ってる訳あるか!!
なので「……写真だけとってもいい?金ないんだよ……」と恐る恐る聞いてみる。
すると、快くOKしてくれて、店のカウンターに置いてくれるおっさん。
恥も外聞もかなぐり捨て、ケータイのカメラでパシャパシャやってました(笑)
……絶対いつか手に入れてやる、、とケータイを開く度にティファナでの事と共に、そんな思いが蘇ってくる今日この頃(待ち受け画面にしています(笑)
再会その2(の、その2)
サンディエゴでお世話になったタケ(仮)。
たまたまカスマ(仮)を通じて知り合ったのだが、2、3回一緒に飲んだぐらいで、その後彼はサンディエゴに留学ということでさっぱり会わなかった。
のに、一年ぶりに会った場所はサンディエゴ。
なんとも不思議な感覚だった。
普段会わない人間と、フツウに暮らしてるだけでは会えない場所で出会う。
懐かしいのに新鮮。初めてのような初めてじゃないような。
なのに「おお、久しぶり」とか言い合ったり。
なんなんだろこれ。
んで、L.A.着いて「じゃあ、いつかまた日本で会おう」と言って別れ‥‥
‥…てから二か月後。
また会いました。
ゼミの飲み会で。ゼミが違うどころか学校も違うのに。
「おお、久しぶり」とか言い合って。
なんなんだろこれ(笑)
たまたまカスマ(仮)を通じて知り合ったのだが、2、3回一緒に飲んだぐらいで、その後彼はサンディエゴに留学ということでさっぱり会わなかった。
のに、一年ぶりに会った場所はサンディエゴ。
なんとも不思議な感覚だった。
普段会わない人間と、フツウに暮らしてるだけでは会えない場所で出会う。
懐かしいのに新鮮。初めてのような初めてじゃないような。
なのに「おお、久しぶり」とか言い合ったり。
なんなんだろこれ。
んで、L.A.着いて「じゃあ、いつかまた日本で会おう」と言って別れ‥‥
‥…てから二か月後。
また会いました。
ゼミの飲み会で。ゼミが違うどころか学校も違うのに。
「おお、久しぶり」とか言い合って。
なんなんだろこれ(笑)
友よ、ラパスで会おう
先日、昼間っからベンチに座ってコロナを飲んだ。(学校で)
薄っぺらいコロナの味とライムの香り。
ぽかぽかの太陽。
ちょっと肌寒いぐらいの強めの風。
もう2か月も前の事だというのに、細胞の一つ一つがメキシコのあの日を思い起こすから不思議な物だ。
お昼をちょっと過ぎた時間。
少し(ほんの少し)ぎらつき始めた太陽。
海から吹き付ける肌寒いぐらいの強めの風。
ラパスの海岸沿い、マレコンをふらふらと歩く。
遠くに見えるレストラン「キウィ」。
待ち合わせ時間は12時ジャストだったが、そろそろ半になるぐらい。
「キウィ」に向かって歩いていくと、髭もじゃのおっさんとばったりあった。フェリーから一緒だったドイツ人のフランツだ。
「いやーあそこのレストランに俺の友達がいるかもしれないんだよ、いるかどうかは分かんないけどさ」
「おぉ、まじか!?会えるといいなぁ、幸運を!」
等と言いつつ別れる。
徐々に近付いてくるレストラン。ビーチに面した席に、黒髪の東洋系の女の顔が見える。 その向い側には微妙な茶髪の男の後ろ姿。
‥あれっぽくねぇ?……あれだよな?……あれだ。……アイツだ、間違いない!
ビーチを走り、店の塀越しに思わず叫ぶ。
「ぉぉぉぉおおおおおお!!カスマ(仮)ーーーー!!!!」
驚いて振り向くカスマ(仮)、と店員。
「おおおおjoe!!joe!!!」
塀を乗り越え、ビーチに飛び下りるカスマ(仮)。そしてぎゃぁぎゃぁと騒いでハグ→相撲をとる訳の分からない日本人が2人。
呆然と見る(しかない)連れのカズミ(仮)(このとき初対面)、と店員。
そんな2005年バレンタインデーの夏だった。


