デイヴィッド・ライアン『監視社会』青土社。
おすすめ度5
難易度4
・総評
現代の監視社会を考える上での基本的な論点を上手く整理している良書。
この本が書かれた時点では、まだ技術的に十分に実現されていなかった消費社会の監視もかなり現実のものになってきており、本書の先見の明には恐れ入る。
・解説
都市には監視カメラが至るところにあり、ネット上の情報は何かしら監視されている現代。
人によっては監視社会がもつ不気味さを強く感じているかと。
けど、いたずらに監視社会を怖がっていても、監視社会の網の目をかいくぐれるわけではない。
大事なのは監視社会とはどのような社会なのかを知り、監視社会の不気味さに正しく不気味がることかと思う。
さて、監視社会は怖い、怖い、こんないつ個人情報が悪用されるか分からないシステムに頼りまくれるか、こんなシステムないほうがいいんじゃと叫ぶ人もいるでしょう。
たしかに監視社会にはデメリットも多いですが、メリットも多く、そのメリットのために進んで監視を受け入れている面があるということは頭に入れておいたほうがいいかと思います。
かつての村社会であれば、住民同士の対面の身体を通したコミュニュケーションがあったおかげで、住民同士の相互監視が自然に行われていました。そのような社会は別に監視カメラですみすみから他人のことを監視する必要もない安心できるものでした。
けど人の移動の激しい近代社会ではかつての対面のコミュニュケーションが減り、「身体が消滅」し社会であるがゆえに、時常によく知らない人との交流に不安を感じます。そのような状況で自分の安全を維持しようとするとテクロノジーによる監視は手頃な選択肢として人は受け容れます。
監視社会というとテクロノジーの進歩に対して警戒心が強く、どのようなテクノロジーが監視に用いられているかに関心が向けられがちですが、監視を必要とする社会とは何なのかという社会の問題だということも頭に入れておくべきかと思います。
さて、現代の監視社会では、監視カメラで撮られた映像が記録として残されたり、マイナンバーによって個人情報がデータベース上に管理されたりと具体的な個人の人格、主体が問題というよりも、ある人物のデータのほうが重要になっています。
実際事件があり、身分証明の必要があるときは具体的身体をもった自分よりもデータ上の情報が信頼できるものか、データ上の情報がちゃんと実物と照合できるかが大事になってきます。
考えてみれば、この自分の身体よりもデータのほうが優先されているのは変なことです。(デイヴィッド・ライアンはこのような事態を「身体の抽象化」と言っています。)
まあ、データが取られていても、ちゃんと監視をして安全・安心が維持されていれば特に気にならないのかもしれません。
けど、テクノロジーが発展しすぎるとある目的をもって集められたデータがどこへどう伝わるかよく分からないところがリスクがあります。
税金台帳への登録、有権者登録、社会保障の記録管理、福祉の申請。どれも個々の目的でデータを集めていれば、安全・安心の社会にとって有益ですが、テクノロジーの発展により当初と別目的に利用するのが容易なのは想像に難くないかと思います。
今だと集めたデータをGAFA等の企業がマーケティングに利用しているというのは有名な話です。ネット社会の光と闇の両方を含む話ですね。
*GAFAについてはこちらの記事を参照!
GAFA~現代の四騎士の統べる社会がどんな社会か見ていこう!
また、監視目的に大量のデータを取得して、犯罪を犯しそうな人を事前にシュミレーションして何かある前に予防できてしまうというのも何ともおぞましい話ということは分かっていないといけないと思います。
ぽけーとしているとアニメ『サイコパス』や映画『マイノリティリポート』の世界へまっしぐらというディストピアが待っているかもしれません。
*アニメ『サイコパス』のシュビラシステムは監視社会の恐怖を体現しているかと。
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*『マイノリティリポート』についてはこちらの記事を参照!
https://ameblo.jp/akushiroreshi/entry-12553681789.html
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・監視社会までの歴史
監視社会の現状についてある程度述べたのでどのように現在の監視社会へと至ったか、その歴史を今度は確認していきたいと思います。
監視社会を考える上ではパノプティパコンの問題は避けて通れないかと思います。
パノプティコンとはイギリスの哲学者ベンサムが囚人監視の効率的な建物として考えたものです。
*パノプティコン
*ジェレミ・ベンサム
このパノプティコンをフランスの思想家ミシェル・フーコーは
規律・訓練を効率的に実現する権力装置「一望監視装置=パノプティコン」
と『監獄の誕生』で分析し、
社会が見せしめを目的とした残酷な「身体刑」を実施する世の中から監禁による「規律・訓練」をすることで、<従順な主体>を生み出す世の中へと変遷していった過程をフーコーは描きます。
*ミシェル・フーコー スキンヘッドがカッコいいです。
パノプティコンにおける「規律・訓練」についてはフーコー次のように述べます。
「規律・訓練の行使は、視線の作用によって強制を加える仕組みを前提としている。見ることを可能にする技術によって、権力の効果が生じる装置、しかも逆に、強制権の諸手段によって、それらが適用される当の人々がはっきり可視的になる装置を前提とするのである。」フーコー『監獄の誕生』新潮社、1977年、pp.175-176。
パノプティコンは監視塔を中心に独房が丸く囲んで造られた建物です。囚人から見られていることを悟られることなく、監視者は囚人を監視できます。囚人は自分が監視されているかどうか確認できないため、監視人が実際にいなくても、常に監視されていると思って行動します。そうして、この建物はみずからすすんで自己監視し、服従し、規格化してゆく<従順な主体>を作り出すことに成功します。
あらゆるときに「見られている」、監視されているという意識が「規律・訓練」にはすごく重要なのです!そして、規律・訓練が上手く働くと暴力に訴えなくてもいいので、非常に統治という観点で効率的です。
*社会の秩序を維持するのに、暴力が有効なこともあるのでしょうが、監視社会の秩序の維持の仕方は『バトルロワイヤル』の世界のような純粋な暴力への恐怖によるものとは違うということは押さえておきたいです。
さて、監視社会の恐怖を考える上で他にも重要なのはジョージ・オーウェルの『一九八四年』ですね。
巨大国家権力による監視の恐怖はこの作品と結びつけて考えられることが多いですね。
オーウェルは巨大国家権力にすべてを見られているという恐怖を共産主義国家のものとして描きましたが、決して共産主義国家だけに当てはまる話でないところが非常に現代の監視社会を考える上で示唆的です。
一九八四年[新訳版] (ハヤカワepi文庫)
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ジョージ・オーウェル
監視に対する古典的な恐怖はフーコー、オーウェルを学べば分かるのですが、現代の監視社会を考える上では先程紹介したデータによる個人の監視は見えてこないです。
この問題を考える上では、近代社会が監視を必要とするのは人の移動が激しくなったからと述べましたが、その速さがもっともっと早くなった世の中なんだということを押さえる必要があります。
いくら人の移動が激しいといっても、移動したらある程度その場所にとどまるなら、労働者を「規律・訓練」して規律を内面化するのもいいのでしょうが、現在の派遣労働のようにあまりに頻繁に人が移動するといちいち労働者を「規律・訓練」しているのは手間でしかないです。
ここまで速度の速い社会の場合、あらかじめ個人のデータを取得しといて、データが信頼できるものか、どうかをシステムの方が管理しておくほうが手っ取り早くなります。
こうなると個人の情報はデジタル上の信頼に価するかどうか大事になります。
また、このようなことになったのは従来監視をするのは国家行政の仕事だったのに、テクノロジーの発達により民間でも監視の仕事ができるようになり、公的領域と私的領域が曖昧になり、監視が社会化したことも大きな要因です。(だから、監視国家でなく、監視社会なんです。)
これはフランスの哲学者ジル・ドゥルーズが『記号と事件』で分析した「管理機構」の話につながってくるかと思います。
*ジル・ドゥルーズ
「管理機構」といってもピンとこない人は先程紹介したアニメ『サイコパス』に出てくるシュビラシステムを想像されると分かりやすいと思います。
個人のデータからシュミレーションして、危険分子を事前処理しておいて、囲いの中では「平和」で「自由」であるというのは本当に「平和」で「自由」なのかはよく考えないといけない問題です。
これは以前紹介した監視社会と自由の問題に通じる話ですね。
https://www.instagram.com/p/B5-WGyRFP1c/
監視社会に関する基本的な情報は以上です。
監視社会に対して何か有効な対策があるわけではないですが、監視社会を知って、適切にビビることは個人の自由を守る上で大切なことだと思います!
ぜひ、ここで紹介した書籍等を参考に学んでください!