「本」のつく言葉

本物、本質、本心、本物…

こういうのは 長持ちする。



偽物で包んで見えにくくすることはできても、「本」の度合いが高いものほど壊れない。

見えにくくても、見えにくいだけで確実にある。


それなら焦らずに追いかけなくてもいいな と、私はなぜか思っちゃうタチのようである。



たくさんの「偽」の被せものをするのが当たり前になっているなら
それを剥がすことをがんばらないと 「本」がどこにあるか分からなかったりもするから
そういうときは偽物を剥がすのをがんばればいいけれど

がんばらなくても、それが「本」であるがゆえに、いつだってそれはいたるところにある。



ただ、人間の形を持って生きているなら剥がすことができる偽物をいくらでもかぶった状態なので
人間でいるうちはどこまでも「本」を追いかけることができる。
いくらでもどこまでも剥がすことができる。

“人間でいるうちはどこまでも「本」を追いかけることができる”という言い方ではどうも弱いけれど
“人間でいるうちはどこまでも「本」を追いかける必要がある” “追いかけた方がいい” “剥がし続けなければならない”という言い方では強すぎるので どう言おうか言葉に迷う。

「追わなくてもいいしそこは個人の自由だ」と言いたいところだけれど、どちらかというと どうしても追うことになっているように見える。



私はどうも、逆ベクトルなことを思ってしまうようだ。


私の中に「本」ではないものにこそ惹かれている部分があるなぁと気づいて、こいつは興味深いなと 最近は自分のハートのそういう部分を観察することをしている。


「本」から遠いものは
すぐに壊れる
すぐに崩れる
すぐになくなる
すぐに変わる

弱いのだ。

だから
そんな弱きものに わずかでもおもしろみを感じることがあったなら
守りたくなったり
維持したくなったり…

まぁそこまでがんばって守ったり維持したりまではしなかったとしても、ちょっと多めに時間をとって眺めてみたくなったりするのだ。



「本」は、自分の状態によって見えにくくなることはあっても、守らなくても維持しなくても絶対的にあり続ける。

いつでも絶対的にあるなら 私は「本」の追求を急がなくていい気持ちになる。

「永遠にあるものは ずっとずっと永遠にあるのだから、求める必要がそもそもないのかもしれない」と いつの間にか心の奥で思いついたようで、
それに気づいて「それはなかなかおもしろい発想だな!」と思った。

たまに、心細くなったときに「やっほー、やっぱりあるねチョキ」と確認できればいい。みたいな感じ。

私自身がそれほどの「本」に迫れたことがあるかは不明だが…!


ともあれ、そうして私は弱々しい偽物たちを眺めているようだ。




これは「進化」とは逆の けっこう不健全な話なので、あんまり真似しないほうがいいと思います(笑)

「偽物」をどんどん剥がして 「本」に近づくほうがいいです。
いいとか悪いとかの話じゃないけれど、その方がいいですよ(笑)




進化を目標にする人は
いつか、さらなる進化のために
「進化する!」という意思からも
自由になる必要があることに気づく。
はず。


こういうことを考えちゃう人が
進化に関する占いをやっているところに
趣のようなものを感じるのであるよ。



余談:

最近、「本当の自分」という言い方がけっこう好きじゃなくなってきています。
これについても興味深く感じて 自分のハートを観察していました。

玉ねぎみたいに剥いても剥いても出てくるものがあって、
「これが本当の自分だ!」と一時的に思うことがあっても、そこからさらに剥けるものが見つけられちゃうのですな。

「これが本当の自分だ!」と 自分についてガチッと固定するような見方をしたのが、あとでもっと剥くときに邪魔になったりすることに気づいた。


本当の自分と感じられるものに気づいても、「これもまた後で剥くことになるだろうから、そのつもりでいようっと」なのですな。

そう思うと、
今の「偽」を幾重にも被った自分にしか感じられないもの・それがいつか失われる感覚であることに
愛しさとせつなさと心強さとな気持ちです。






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ストⅡの春麗の大腿が好きです。