ハロウィン肖像画Ⅲー7 にちりん(垂井定子) | New 天の邪鬼日記

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小説家、画家、ミュージシャンとして活躍するAKIRAの言葉が、君の人生を変える。



にちりんのライブペインティングは、お父さんの7回忌とともにおこなわれた。

親戚や子供や孫たちが集まり、笑いの絶えない集まりだったという。
もちろんそれを知らないオレが描いた絵は、死者の日(お盆)に家族や死者が集まり、レストランで食事をした後の記念写真のようだ。
美しいレストランの前にマリーゴールドの花束を抱えたにちりんが笑っている。
にちりんの左には膵臓がんで亡くなったお父さん、存命のお母さんがレインボーの帽子をかぶって微笑んでいる。
右には夫や子供達が死者の日の晴れ着を着ている。
にちりんなのでレインボーカラーが盛りだくさんだ。
メニューの書かれた青いドアに隠れるようにのぞいてる少女は、にちりんのインナーチャイルド(内なる子供)だ。
天真爛漫で好奇心にあふれたにちりん本来の姿と言ってもいい。
子供の頃は一体だったが、学校や社会に出ると2人は「分離」(セパレーション)がはじまり、さまざまな試練や出会いによって本来の自分のに気づき「統合」(インテグラル)される。
それを祝福するかのように花が降り注ぐ。

ハロウィンメイクは、目にレインボーカラーの太陽。
ほほに植物の守り神。
あごはにちりんの好きな六芒星を描いた。
ではにちりん不思議な人生を紹介しよう。(以下にちりん著)


幼少期
父が自転車の後部座席にダンボール箱をロープで固定し、その中にI歳くらいの私を乗せ、猛スピードで小学校の校庭にある急な土手を登ったり降ったりしてくれた時の身体の感覚や、不思議と父の愛情を感じながらめっちゃ安心の中でスリルを楽しんでいたのを覚えている。

5歳くらいの時、夜中に歯痛で歯が痛いよ〜って泣き叫んでたら、天然の母は歯が痛いを腹痛いと言ってると勘違いし、私を夜中におんぶして2時間くらいかけて日赤病院まで連れて行ってくれました。
病院に着いた時には既に歯痛も治ってて、色々検査されましたが当然の事ながら何の異常もないと言う事でまた母におんぶされて帰るのですが、途中、真っ暗で何も見えなかった建物がうっすらと姿を表し始めたのを見ながら人生初の夜明けに感動してた。
その内、朝陽が登り始め、辺りが明るくなり、あまりにも眩しくて美しい太陽の光に母の背中で大感動したのを今でも覚えています。
今から考えると人生初の朝陽を見せる為だったんだと思いました。

とにかく、自然と遊ぶのが大好きで春はお花で色々な色のジュースを作ったり、つくしを採ってきて油で炒めて食べたり夏は虫取り三昧。
黄金虫の首に糸を巻きつけてわらしべ長者のように何匹も飛ばして遊んでた。
秋はアートの様に美しい落ち葉やどんぐりを集めたり、冬は雪が積もるので雪だるま作ったり雪合戦したりして四季を楽しみながら遊んでた。

小学校
活発な幼少期を過ごしていた為、運動神経は良くいつもリレーの国体選手に選ばれたりしてました。
授業中は先生の話より先生がつけてる腕時計のアクセサリーがゆらゆら揺れる様子をずうっと飽きもせず見てたな〜。
後、考えてる事と言えば、早く休憩にならないかなぁ〜とかお腹空いたから給食まだかなぁ〜と授業はほぼ聞いてない感じなのでお勉強は苦手。

男のお友達が集団で殴る蹴るのいじめに遭って、嘔吐している姿を見た時、いじめられているお友達の辛さや、いじめてるお友達の何の悪氣もなく遊んでる感覚も伝わったものの、私にはやめてあげて〜って叫ぶ勇気も先生に助けを求める勇氣もない、なんて情け無い人間なんやって自分を卑下してた。

いつも大人を良く観察してて、先生が贔屓したり悪口言ったり、理不尽な事を言ってるのを聞いたりして先生も人間なんや〜って思ってた。

ある日、父の勘違いで殴られた時、父が間違いに気付いた瞬間がわかった。それでも謝る事をしない父に対し、間違いに氣付いて可哀想な事をしたと反省したけど、威厳ある父としては素直に伝えれないだけなんや〜と感じ私は父を許してた。

私の父は厳しくて父の言う事は絶対服従状態だったのでお友達がお父さんと友達の様に馴れ馴れしく接している姿を見てビックリした事を覚えています。
母の前では言いたい事が言えるけど父には自分の意見なんか言えるはずもなく、何をしてようとタバコ買って来いと命令されたらすぐさま買いに行かないと機嫌が悪くなる為、子供ながらに氣を使い息苦しさを感じていたのも事実だと思う。

ある日父の生い立ちを聞かされた。
父が赤ちゃんの時に両親は離婚、腹違いの兄と父と祖母と暮らしてましたが、兄は戦死、父も祖母も父が中学の時に亡くなり悲しむ間もなく1人で寝る間を惜しんで必死で働いて戦後を生き抜き、母と出会い私達を厳しいけど愛情いっぱいで育ててくれました。


中学から高校
中学時代もいじめられてるお友達を助けてあげる事もできない私でしたが、高校で転換期がやって来た。
いじめられてるお友達がいたらすぐに止めに入り自分の意見を言える様になった。
ようやく長年のトラウマから解放され心が喜んでいるのを感じた。
この辺から正義を振りかざす様になっていく自分がいた。

修学旅行の帰り、1人で真っ暗な道を歩いていると後ろから変質者が私にピッタリくっついて歩いて来た。その時、私の身体にバリアが張られたのを感じた。そうなると怖いものがなくなり、変質者には指一本たりと私の身体には触れさせません!と言う感覚になり、家の前に辿り着いた時、初めて振り返って変質者を睨み付けたらビックリして走って逃げて行きました。あんなにピッタリくっついて歩いても叫び声もあげず堂々とゆっくり歩いている女子高生って怖かったに違いない。

高校時代 家の中で本を読んでたらこっちを見ろ〜と言う凄く強いエネルギーを感じ振り向くと、胸から上の黒い人影が見えた。影だけにも関わらず、坊主頭のイケメンの戦死した父のお兄さんだと言う事までわかった。きっと懐かしい感じで戻って来たんだと思った。
この様に
高校時代は色々な不思議体験をしてたなぁ。


大人
大人になってからもこれは正しい、これは間違っていると正義を振りかざした日常を送っていた為、当然、人間関係では当たりまくる。
それでも私は間違っていない自信があった。
強烈な人に会えば会うほどその上をいこうとする私がいた。
そんなある日、毎回、同じ繰り返しをしてる事に氣付き、いつもと同じパターンをやめて、考えられるやり方を片っ端から行動に移したが全く上手くいかなかった。
その内、相手に対する怒りで肝臓の細胞を攻撃する病気になり、あいつのせいだぁ〜と毎日イライラしてた。
何でこんな事になったのかよ〜く自分に聞いた時に相手を変えようとしている自分に氣付いた。
それ以来、自分と会話しながら相手の責任にせず、自分に優しく誠実に生きる事にした。

そんなある日、父が膵臓癌になった。ホスピスを勧められたが父は家に帰る事を選んだので私は父の希望を叶える為に、家の事は家族にお願いし、私は実家に帰って母と2人で父の介護をする事にしました。
毎日、朝陽を浴びた両手で父の身体にヒーリングをすると氣持ちが良いのかすぐに眠ってくれました。その内、しんどい時は他の誰が行っても追い返されて来て、私を呼ぶ様になった。
何が違うのか良くわからなかったけど、私を頼ってくれてると思うと嬉しかった。
家族に迷惑かけまいと立てなくなるまで自分でできる事は必死で頑張ってくれてたなぁ〜
でも父がこれからどんな工程を経て最期を迎えるのか私にはわかった。
だから後悔しないように最後まで親孝行しようと思いました。
毎日、夜中でも関係なくしんどいと言う声で起こされ身体をさすると安心して眠ってくれた。
この一見誰か見ても大変そうな毎日が私にとっては父の身体に触れられている事に喜びを感じてたので嬉しかったしほぼ寝てないのに元氣でした。
立てなくなり、呼び鈴の鈴を振る力もなくなって来た頃のある朝、私が想像していた通り、一瞬元氣になり
寝たまま乗れる寝台車に乗って百貨店に行きたいと言いだした。猛反対する母を横目に父の願いは何でも叶えたいと思っていたし、残された時間が短い事も感じていたので急いで妹と2人で車椅子に乗せて百貨店に行った。こんな時でも皆んなを氣づかって自分は食べれないのにお肉を買ってくれたりしました。
しかし弱ってる身体は少しの振動が体力を奪い、帰ったらすぐ眠っていました。
その夜に私に髪を切って欲しいと言ってきたが、寝たきりの父の散髪は私には無理なので翌日、専門の理容師さんに来てもらいました。散髪したいと言われた時に父は死に支度をしていると感じました。
その頃から話せなくなって目の焦点が合わなくなりましたが耳だけは良く聞こえている感じでした。
目は閉じたらいいよて言っても閉じたくないみたいでずっと開けていました。
その内たんが絡みだし、綿棒で痰を絡めて出してましたが、洗いに行ってる間に痰が絡み出した姿を見て母が苦しそうや〜誰か来て〜って叫んだので慌てて父に駆け寄り、父の身体を少し起こして背中を叩いたりしたけど喉のゴロゴロは治らず、私にはもうこれ以上無理かも〜て伝えた瞬間、目の焦点が合わなかった父と目が合い、私に抱かれながら息を引き取りました。
と同時に何故か南無阿弥陀を父の口に唱えていました。
父のベッドの四隅に観音様が立ち、父を天界に連れて行ってくれました。
死に顔は穏やかな仏様でした。
私はやり切った感もあり、涙が出る事もなく、清々しい氣持ちで、苦労して育ててくれてありがとう。あなたの子供で良かった。お疲れ様でした。
もう自由に走りまわっていいよ。と伝えました。
最後に親孝行ができた事が本当に嬉しかったです。


ある時、お友達からUFOを見に行く企画があるから一緒に行こう。と誘われて行きました。
参加者は全員、何度もUFO🛸見てます。宇宙人👽と話してます。とか言ってる人の集まりの中、私だけそんな体験した事もなく、何の期待もせずに参加していたから今夜は私のおかげでUFOが姿を現す事無いかも〜って思いながら夜の空を皆んなで眺めていた。時々、微妙な光が現れたら皆んなが一斉に歓声をあげる。
なぁ〜んだ、こんなのUFOちゃうやん、まぁこんなもんよなぁ〜とそもそも期待してなかった私は思った。
そして寝転んでいた身体を起こし、主催者のグレゴリーサリバンさんのお話を皆んなで輪になって聞いていた時、私の目の前にとてつもなく大きな黄金色のまるでドラゴンボールの元氣玉の様な生きてる眩しい光が暗闇の中に現れ、猛スピードで宇宙へ飛んで行ったからもうびっくり仰天!
しかし誰からも歓声は上がらない。
何何何?て小声で言ってたら、隣の人が何か見たんですか?って言うからこんなの見たよ〜って言ったらそれは信じた方が良いですよ。と言われた時、あ〜皆んなには見えて無いんや〜と思った。
しかしあの光景は一生忘れる事はないな。
今、考えると大転換期になった出来事かも知れない。
その辺りからめちゃくちゃ嫌がって拒否っていたスピリチュアルな世界に無理矢理向かされ、その内、受け入れざるおえない現実を起こされ、今に至ります。
氣が付くと私の周りは変態ばかりになっていた。

24歳で農家に嫁いでから子育てと家庭の事と農業するだけの小さな世界で行きていてほぼ外の世界とは関わりがなかった30年だったがある意味それが良かったのかも?です。
今から残りの人生は魂に沿った生き方をし、あー楽しい人生やったと思える悔いのない人生を歩みます。(以上にちりん著)


にちりんが撮ったUFO動画見たけど、瞬く光が急に移動する。こんな動きは飛行機ではできない。
こんな不思議な光景を日常的に見てるにちりんは、ただものではないな。
今回の絵は、死者の日を祝う家族たちを描いた。
死者の仕事は残された家族を見守ること。
にちりんは亡くなったお父さんや祖先たち、生きている子供や孫たち、さまざまな仲間にに守られて生かされている。
あなたが今生きていることがとてつもない奇跡なのである。


F15号(652×530mmSold

にちりんのライブペインティング動画
にちりんのハロウィンメイクの動画









ハロウィン肖像画Ⅲー4 PICO


ハロウィン肖像画Ⅲー3 吉永くみこ








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