こんばんは!
@Rico です。
まだまだ続く、鎌倉巡礼✨
お次はこちら⬇️
八雲神社さん✨
→上町の鎮守さま、として親しまれているそうな🙏
「八雲さん」「お天王さん」の愛称があるみたいね^^
開運・厄除けってあるよ😎
八雲☁️といえば、
やっぱり思い出すのが
八雲立つ 出雲八重垣 妻籠に
八重垣作る その八重垣を
御祭神である
須佐之男命が詠んだとされる
日本最古の和歌ですね✨✨✨
(出雲で、須我神社さんに参拝⬇️)
→てか、出雲もトピで終わってるよね😎w
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それでは、失礼いたします🙏
テクテク👣
テクテク👣
緑濃い景色が目の前に鮮やかに映ります✨
清々しい想いで
参道を進んでいきますよ^^
御本殿✨
御祭神
須佐之男命✨
稲田比賣命✨
八王子命✨
佐竹氏の御霊✨
ん⁉️
佐竹氏🤔。。。
↑歴史を調べてみよう‼️
源頼朝が鎌倉に本格的な武家政権を樹立すると、
鎌倉には御家人達が集住した。
佐竹氏も鎌倉と関わりの深い一族である。
佐竹氏は、源頼朝と同じ河内源氏の流れを汲み、
八幡太郎義家の弟、新羅三郎義光を祖とする。
義光は常陸国の争乱を治める為、京都から坂東へ
下向すると常陸平氏の娘を嫁に迎え、やがて子孫は
常陸国久慈郡佐竹郷(現在の茨城県常陸太田市)に根付いた。
この地は関東と奥州を結ぶ要地で、
佐竹氏は奥州藤原氏と結びつきを強めていく。
1180年8月に源頼朝が挙兵し、南関東を影響下に置くと、
同年11月、奥州藤原氏と繋がる佐竹氏を攻撃した。
この合戦に敗れた佐竹氏は勢力を大きく削がれてしまう。
しかし後に源頼朝による奥州藤原氏征伐に従軍し、
以後は将軍家に従った。
また、
こちら八雲神社(大町)は、かつて佐竹屋敷の祠を
合祀したことから「佐竹天王」と称していた。
とある。。。
鎌倉、そして頼朝に深い関わりがあり
さらには
八雲神社⛩の発祥にも
深く関わっている、ということが
分かります🙏
⬇️ ⬇️ ⬇️
ご由緒✨の深掘り
源義光(新羅三郎、源頼義の三男)が
兄、源義家(八幡太郎、源頼義の嫡男)を
助勢するため、奥州に赴く途中で鎌倉に
立ち寄った際に、
疫病が流行っていたため、京都の祇園八坂社
(現、八坂神社)の祭神を勧請したのが、
こちら八雲神社のはじまりと伝えられています。
※源頼義は、鶴岡八幡宮の創建のときの話で
出てきましたね^^
(鶴岡八幡宮の話⬇️)
(京都遠征👣八坂神社⛩の写真⬇️)
→本編は後日やね^^
やはり、
鎌倉では頼朝公に関わらない場所は
ないんじゃなかろうか、、、って
あらためて感じるよね💧
して。
境内には、
諏訪神社✨
稲荷神社✨
於岩稲荷社✨
🙏🙏🙏
さらに、
めっちゃデカい御神木✨
根元に見えるのは、
先ほどのご由緒にあった
新羅三郎(義光)の手玉石🪨❗️
してして、
宝物殿✨は
ガラス越しになってしまうけれど
御神輿や歴史あるものが展示されていて
拝見することが出来ます🙏
で。
めっちゃ気になった
こちらの看板⬇️
登山口。。。
今回は、時間ないから諦めます💧
(しかも、街歩きの靴やし🤣)
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さらに☝️
実は、
この記事を書くときに
Google先生、教えてね✨と
「鎌倉 八雲神社」
と検索するつもりが
なぜか
「鎌倉 熊野神社」
と間違えて検索しとって🤣🤣🤣
なんと😲
めっちゃ気になる場所がヒット‼️
⬇️ ⬇️ ⬇️
朝比奈 熊野神社✨
(詳細はこちらのURLを参照あれ!)
ご由緒をみると、
源頼朝鎌倉に覇府を開くや、
その艮方に当る朝比奈山上に
熊野三柱大神を勧請
とある。。。
→艮(鬼門)の守護とした、ってコトね
さらに、さらに
こちらの朝比奈熊野神社を管轄している
神社に辿り着いて、それがこちら⬇️
瀬戸神社さん✨
なぜ、めっちゃ気になったか❓というと、
こちらの御祭神のラインナップ‼️
実は、昨年2022年後半あたりから
大山祇命✨の流れがきてて、、、
(個人的にですよ^^)
大山祇神社⛩さんと
三嶋大社⛩さんが
めっちゃ気になっていたりしたのですよ😲
そこに、この瀬戸神社(瀬戸明神)さんが
スマッシュヒット^^
ご由緒を拝見すると、、、
鎌倉時代、幕府を開いた源頼朝は、
伊豆での挙兵にあたって御利益を蒙った
伊豆三島明神(三島大社)の分霊を
この「せと」の聖地に祭り、篤く信仰しました
とある。。。
いやぁ、
八雲からのさらに新たな発見‼️
どちらか参拝された方、
いらっしゃったら教えてくださいな🙏
てなワケで
鎌倉巡礼✨
まだまだ続きますよーーー🏃♀️💨
では。
いつも、ありがとう^^
@Rico
幸せは自分のために
世界が平和であるために