年収は、その人の能力との関連性は必ずしも一致することはない。
そもそも年収の差はそのまま能力の差と比例することもない。
初めての投稿だけど、
匿名ならでは語れることを語ろうと思う。
私は、富裕層への増税と、低収入層への救済・支援措置の拡充を支持する思想である。
この思想を持った理由には、人生におけるあらゆる物事は全て確率によって決まることであるため、
富裕層が富裕層になったのも、低収入層が低収入層になったのも基本的に確率の仕業でしかない。
忘れてはいけないのは、我々は単なる社会性のある動物に過ぎないことだ。
自然界の中でも、動物基本的にそれぞれに一つのプロトタイプのようなものが存在している。
生物学で言うと種で、DNA上では基本構造が一致することだ。
現在色々わかったことだけど、人類にはさまざまな外見上の特徴や疾病の罹患、発生率にDNAによって決められ、そして遺伝することも多いし、突発変異することもある。
実は私たちが自分の能力とか、自分の努力の結果だとか言うのも、このDNAの域を出ることはない。
簡単に言うと、いくら努力しても人間という種からほとんどの個体は100メートルを10秒以下でクリアすることはない。
ボルトという突発変異のDNAを持つ個体だからこそできただけで、他の一般大勢には到底できそうにないことだ。
このDNAの設計はいわば限界値を決めたことだけで、
その限界値を持った個体が必ずしも一生のうち限界値まで達することを意味しない。
つまりボルトの速さには、
DNAによって決められた限界値が常人より良かったが、
他方ボルトがその限界値まで成長したのには自分の努力が必要である。
生まれつきの確率によって常人よりも高い限界値を得られて、
そして、努力の過程においても、結局さまざまな確率が絡み、
その結果限界値まで辿り着いたボルトがいたわけだ。
さまざまな確率とは何か、
まずは生まれた場所は、確率である。
誰も自分の生まれた場所を選べないことに異議を訴える人はいないだろう。
ボルトはジャマイカの生まれで、
確率的にいいか悪いかは私ジャマイカよくわからないのであれだけど、
少なくとも南米のベネズエラ辺りと比べるといいはず。
ベネズエラに生まれたらそもそも安全に成人できるすら怪しいかも。
そして両親はある程度の収入を持っていることも考えられる。
低収入層だと、確実にお金を稼げるところに若い頃から入るので、
仮にボルトがその家庭環境で生まれたら今頃まだ無名のままどこかで働いているだけだ。
そしてジャマイカの公用語が英語であるのも、プラスに働いていたはず。
英語が使えることによって獲得できる資源の違いはそうでない言語とだいぶ異なる。
例えば優秀なコーチを雇いたいときは、基本的に国際で活躍している優秀な方は共通言語として英語を使っているので。
あとは、DNAによる遺伝で、病弱体質を持っていないことも確率だし、
そして大きくなるまで不慮によって世を去ることもなかったことも確率である。
さらに、試合の際のコンディションや体調も結局確率だよ。
例えばセンター試験当日に風邪引いたとか、生理がきたとか、
そのせいで成績が悪くていい学校に入れなかった人はいるから、
これはもう確率でしかないんだよ。
では勉強という話をしよう。
勉強という能力も、確率である。
人類の知能を並べると、
中間に位置する100とその前後の80〜120という範囲が標準知能として決められており、
ほとんどの人間はその中に集中している。
これは、基本的に生まれつきであるので、後天的にどうこうできることではない。
立派な確率の結果だ。
人間社会(特に日本社会)のルールや制度構造などは、
基本的にこの80〜120までの大多数の人間のために作られたもので。
それより下の低知能者と、
それより上の高知能者は、
この社会では生き辛さを感じている人が多い。
学校教育制度も試験制度も、基本的にこの80〜120までの人間のために作られたもので、
その中で優劣を決めるだけだ。
そこで一番最初の話と、さっきのボルトの努力の話を元に私の見解を述べると、
学生それぞれに、初期設定はすでに生まれつきで決まっている。
その中にはいわゆる知能数とそれに関わる能力(記憶力、読解力、計算力、語学能力など)の上限値も当然含まれる。
ここで一つ例を言います。
お金持ちの家に生まれたAさんと、
中流の家に生まれたBさん、
そして貧困層の家に生まれたCさん
の話をしよう。
Aさんは、知能が80で、一般知能とはいえ下っ端に属している。
記憶力の上限値が80、
読解力の上限値が70、
計算力の上限値が65、
語学力の上限値が70、
Bさんは、知能が100で、一番真ん中にいる、
記憶力の上限値が100、
読解力の上限値が80、
計算力の上限値が85、
語学力の上限値が100、
Cさんは、知能が125で、一般知能を僅かに超えた。
記憶力の上限値が120、
読解力の上限値が100、
計算力の上限値が100、
語学力の上限値が110、
これだけ比べると、確かにCさんが一番優秀だから、勉強も一番できるだろうとみんな予想をしたけど、
能力の上限値はあくまで上限値であって、そこまで伸ばせるには努力する必要がある。
しかしCさんは貧困層の出なのだ、そもそもまともに勉強する環境にいない日々が多くて、あと記憶力が良くても、記憶するものと記憶に使う時間がないとただの容量の大きい空っぽのストレージでしかない。
対してAさんはお金持ちの家に生まれたから、知能が低くでも能力を上限値まで伸ばせる時間も環境もたっぷりあり、
学校に入った段階ではすでに上限近くまで達している。
Bさんは一般的な家庭の生まれなので、良くも悪くもそこそこ能力を伸ばせる。
学校に入った時点では、3人の能力値の現在値と上限を表すとこんな感じ。
Aさん
記憶力 80/80、
読解力 70/70、
計算力 65/65、
語学力 70/70、
Bさん
記憶力50/100、
読解力50/80、
計算力50/85、
語学力 50/100、
Cさん
記憶力 30/120、
読解力 30/100、
計算力 30/100、
語学力 30/110、
このまま試験に臨むと、誰もがAさんがトップの成績を取ることを予想できる。
そして周りから頭がいいと言われ、そのままいい学校に入れて、
卒業後いい企業に入り、いい年収を得ることができる。
逆にCさんは、将来優秀であるにもかかわらず、恵まれていない環境の関係で、
能力を伸ばすこともできず、周りから頭悪いと言われ、
上位の学校にも入れず、卒業後もまともに収入を得られない。
こんなことは今の社会では普通である。
しかもこれらは全部確率なのだ。
収入の高い人がよくいう全部自分が色々努力した結果だというのは、
真っ赤の嘘だ。
ほとんどが確率で、俗にいう運でしかない。
先のCさんみたいな家庭で生まれたらいくら努力しても逆転することはなかなか難しい。
親が高収入の子は、高学歴高収入者になることが多い。
逆もそうだ。
これが現実である。
だから、富裕層(特に資産数億円以上、年間収入も数億円以上の層)から貧困層への富の再配分が必要だと私は思う。
生まれた家を自分で選べないし、自分の脳や体、健康、能力など、全てが生まれつきなのに、
その確率の結果で順風満帆の人生を送る人が、
不運の連続の人生を送る人に「自己責任だ」というのは、
ただの既得権益を手放したくないだけの、極めて自己中の人たちだと私は思う。
ただし一つ加えることがあるとすれば、
私は学校教育に関して全て無償で提供すべきだと考えている。
特に私立に関しても同じ。
なぜなら、公立だけを対象にしてしまうと、
特に大学の場合、優秀だと言われる大学の多くは国公立であるため、
結局たくさん勉強できる環境に恵まれたお金持ちの子供が進学できて、
貧困層は入れず、結局もっとお金のかかる私立に借金して入るか、進学自体をやめるかというどっちも悪い選択肢をしなければならない。
だったら私立も無償にすべき。
加えて、進学した際の生活費の支援なども行い
さらに、親の所得や資産に応じて学校ごとに入学できる枠を決めることも必要。
こうすれば優秀な大学にCさんのような上限値の高いけど今はまだ発揮できない貧困層までも入れれば、貧困層の解消と将来の国の成長に貢献することができる。
まあまだ色々自分の中でも考えているので、また考え方が変わったりすることもあるが、
貧困層へ生活保護と次世代への支援、富裕層(特に超富裕層を中心に)への増税が必要なのは変わらないと思う。