3/18横浜発のダイヤモンドプリンセスに乗船してきました。

 

「グラバー園第2ゲート」は↓写真「旧三菱第2ドックハウス」の左側。

このドックハウスがグラバー園で一番高いところです。
第1ゲートから入場した人たちも動く歩道と階段を使って皆さんここまで上がってきてから見学が始まるつくりになってます。

 

 
ドックハウスはガイドツアーの受付や明治風衣装のレンタルなどもやってました。
少し待つと13時から60分ツアーに参加できるタイミングだったので参加します。
 
13時ちょうどにツアーがスタートですが、それまでの間に…とガイドさんが時間つぶしで、ロケ地になった長崎の写真を見せてくれました。
私は知らなかったんですが、洋風住宅群や眼鏡橋などが2024年1月~の月9に出ていたらしく、若い人は聖地巡礼などで盛り上がってるそうです。
入館者が年間100人ほどだった施設に土日で200人来たとか。ドラマの影響力ってすごいですね。
 
 
「旧ウォーカー住宅」祈念坂沿いに建っていたものから洋風部分だけを移築。
当時のお屋敷にしては小さいと思ったら、母屋やお風呂和室などが別にあったそうです。お話を聞きながら、ですよねーっと思ってしまいました。
日本人女性と結婚したウォーカー2世さんは長崎に住み続けて、いまでも子孫は長崎で普通に生活しているそうです。

洋風建築らしい軒先とダイプリがいっしょに撮れてお気に入りの写真になりました。
 
 
「旧長崎地方裁判所長官舎」は数年に及ぶ改修工事に入ったところで見れずに残念。
改修工事は園内の建物を順繰りにやっていて、今後もどれかしらが工事中になるそうです。
 
「明治時代の水道共用栓」ガイドツアーじゃなかったら素通りすることろでした。
丸いところを押すと実際に水が出ます!
ガイドさんの持つ当時の写真は、ここに来る前に通ってきたアーケード街の昔の姿でした。街歩きをしてから来てよかったと思います。

 

 

 

 

 

「プッチーニと三浦環」こちらもツアーじゃないと素通りでした。
プッチーニのオペラ「マダムバタフライ(蝶々夫人)」は長崎の女性がモデルですが、当時は蝶々夫人のような境遇の女性が多く特定の誰かというわけではないそうです。三浦環さんはマダムバタフライを演じたオペラ歌手だそうです。
グラバー邸がアメリカ軍に接収されていた時に「マダムバタフライ ハウス」と呼ばれていたらしく、アメリカ人にはグラバー邸=マダムバタフライとして有名なんだとか。

 
 
東洋一の豪華ホテルと言われた「長崎ホテルの食器」
家具等は残っていないけど食器だけは同じイニシャルの奈良ホテルが引き取っていたものが残っていたらしいです。
なんでもデザインして造っていた量産品のない時代ならではの逸話ですね。

 

 

 

 

 

「旧リンガー住宅」長崎の経済や産業に大きく影響をもたらした人だそうで長崎で古くから商売をしてる人はリンガー商会にどこかでつながっているんだとか?
洋館の写真をみて日本人が真似て作った西洋住宅じゃなくて、本物の西洋人が設計してるんで天井の高さが3メートルくらいあります。広くて羨ましい。

 
 
「旧グラバー住宅」世界遺産(明治日本の産業革命)の一つになってるとは知らなかったです。
建築を学ぶと「建築史」の授業で絶対に出てくる建物です。スケール感が洋式で間取りも洋式だけど壁と屋根は漆喰と瓦で日本的。
日本人には洋風に見えるけど、欧米からは和風に見えるそうです。
 
長崎はいろいろ混ざった独自の文化「和華蘭(わからん)文化」というのがあるらしいです。和華蘭文化の真っただ中にいたであろう明治の長崎の大工さんだからこそ、和洋折衷なグラバー邸が出来たのかも?と想像するとおもしろい。

 
温室からは、グラバーさんがここに家を構える理由になった大きな一本松があったそうです。遠くからでも一本松がグラバーさん宅だとよくわかる目印だったとか。

ガイドさんからは、グラバーさんのご子息の話なども伺いました。
戦艦武蔵の造船がみえるからと邸宅を追い出されたり、日英ハーフとして生まれたゆえに両国からスパイを疑われたり・・・不遇の倉場氏といわれる気のどくな方だったようです。
ウォーカー家は今も続いてると聞いた後だったので、グラバーさんのご子孫がいなくてひときわ残念に思います。とにかく戦争は悪いの一言に尽きますね。
 
気を取り直して「グラバー園第1ゲート」から出て帰路につきます。

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