赤渋楽譜出版のプライベートの様子を、つらつら書き綴るブログ。ヽ(゚◇゚ )ノ| 壁 |д・) オラだよ。
おはようございます。だんだん気温も高くなりつつある今日この頃。皆様いかがお過ごしでしょうか。今日は、年齢についての若者向けのお話です。まずはじめに、テレビで年寄りが街角インタビューを受けていると、どうしても、ワンカップ片手の酔っ払いとか、おかしな様子の老人とか、未来の無い話ばかりが目に付きますが、実際の高年齢の方は、かなりヤバイです。と言うお話です。===昨年1月より、三重県の吹奏楽団の指導をしていますが、そこの吹奏楽団は、定年を迎えられた方が、趣味で楽器を始めた方達の団体で、もちろん、上手くはありませんでしたが、今年に入って、私は恐ろしい現実を目の当たりにしたのです。それは何かと言うと、なんと!ご年配の方は、百戦錬磨の強者なので、問題解決能力が、ずば抜けていたのです。(・д・)ホォー例えば、楽器を吹いて2年目の方は、自分の成長パターンを知っているので、つまり (。・д´・。) こう言う事じゃろ。と、自分の経験に照らし合わせたアプローチで問題を解決し、今年に入って、1年が経過しましたが、今では、団員全員のチューニングは一瞬で綺麗な倍音を生み出し、練習曲も初見で完璧。曲の指導も、言った通りではなく、言った以上の表現力があり、(・д・)マジか。。。と驚いている次第でございます。===私は、楽器の技術的の上達は、中学生なら1年、高校生なら半年で身につくと思っています。と言うのも、音出すために作られた管楽器の演奏に何十年もかかっていたら、それは、製品として不良品だと思うからです。もちろん、表現力は歳を取った方が豊かになるはずですが、それは芸術の域の話で、好きな音楽を自分で楽しむレベルなら、それほど時間がかかるはずがありません。しかし、その経験とは、演奏経験だけでなく、人生経験そのものでもあるので、例え楽器初心者であっても、ちゃんとした経験を積まれた方の演奏は、薄っぺらなものではないのです。===さて、話は戻りますが、メンバーは全員、普通の方で、普通の会話をして、普通に笑っています。あはは(´・∀・`)(´・∀・`)(´・∀・`)(´・∀・`)あははただやはり、雰囲気は、深く渋く輝くオーラを放っています。この雰囲気は、変な老人の威張った感じやズルい感じではなく、大きな愛情と慈悲の雰囲気なので、私としても、ビビる事なく、その雰囲気に包まれております。そんな雰囲気に関わらず、練習中は私語もないので、緊張感があります。つまり、集中力が半端ないのであります。でも、普通の人達です。あはは(´・∀・`)(´・∀・`)(´・∀・`)(´・∀・`)あはは===そう考えてみると、歳を取ることとは、いったい何かと考えると、つまり、えっと、自分とは何かと言うと、僕は、「意識」だと思っています。肉体を自分だと捉えてしまうと、何歳の自分が本当の自分なのか、わからないからです。また、意識と言うエネルギーは、運動エネルギーと同じように、モノの動きを通じてしか観察出来ません。人間も同じだと思います。肉体を通じて、エネルギーを表現しているのだと思います。どんなエネルギーも目では見えないですからね。そして、意識(魂)が様々な挑戦を繰り返し、何度も生まれ変わったことで成長し、スーパーサイヤ人になるのだと思います。意識を中心に考えている人は、見た目に年齢がわかりません。「自分」=「自分(意識)」と考える人と、「私」=「70歳」と考える人の違いだと思います。肉体の年齢を自分だと捉えると、世間的にその年齢にふさわしい行動を取るからだと思います。(。ⓥдⓥ)ノ わしじゃよ。← 急にそんな事言わねえよ。逆にわざわざ若者ぶるのも、肉体を自分だと思っているのだと思います。(。◕ω◕)ノ こんにちニャン!← ご自由にどうぞ。===じゃ、ご年配がすごい人なら、なぜ老害が発生するのかと言うと、その人は、肉体は歳を取ったけど、意識(エネルギー)が変容しなかったのだと思います。本当の自分は意識だからです。本当の年齢は、その人の意識であり、逆に言えば、肉体が若いからと言って、意識も若いとは限りません。アスリートや将棋の世界や、未知の世界へ挑戦した人や、若い頃家庭環境で苦労した人は、意識の変容度合いも大きいので、意識の年齢は高いはずです。===その経験の差は、歳を取るほど、開いて行くと思います。例えば、意識 肉体1歳 = 1歳12歳= 30歳12歳= 50歳12歳= 70歳これ、ありえると思います。(・ω`・o) 。。。12歳が70歳の衣をまとえば、グズグズ言うと思います。やだ p´;Д;`)q やだ~!===では、なぜ成長が難しい事なのかと言うと、おそらく成長とは、一旦死を意味するからだと思います。芸術家の横尾忠則さんは、自分の視点が変わった時、新聞に死亡広告を出したそうです。タロットカードでも、Death(死)のカードは、死を意味すると同時に、新たな誕生を意味します。心理学も同様で、死のシンボルは、再生と同じ意味と捉えています。12歳の自分と、13歳の自分の意識は、同時に存在する事は出来ません。もちろん、意識そのものが死ぬわけでありませんが、12歳の過去の自分は、13歳の新しい自分のためにスペースを空ける必要があります。これが、今12歳の自分にとっての消滅や死の恐怖に結びつき、成長を拒む事につながるのだと思います。また、成長の直前では、一旦、暗闇に陥るのも、みんなが経験する成長過程のひとつです。挑戦や成長は、怖いんです。その例(1分CM)===個人的に不思議に思うんですけど、肉体の臨死体経験者の話を聞くと、一旦暗闇から光へ向かう場面など、どことなく、成長過程に似ているんです。また、成長を拒み堂々巡りをしている人は、天界の光を拒み、この世を徘徊している幽霊と同じように見えます。まるで、成長とは、成仏に似ているような気がします。なんだか不思議ですよね。成長して気持ち良くなる事はあっても、気持ち悪くなる事はないですもんね。これもまたひとつ、宇宙や生命の神秘だと私は思う (。・д´・。)のであります。===さて、長くなってしまいましたが、まとめとしては、テレビで放送しないだけで、ご年配は恐ろしいパワーと愛を持っているので、変なテレビを信用しないように。近頃の若者は、とか、近頃の老人は、など、肉体年齢だけで世代の特徴は計れません。問題は、自分はどうかと言う事だと思います。そんなわけで、まずは何より、私自身あとちょっとなので、がんばりたいと思います。ですよね~ ( ´∀`)σ)´Д`) あぅあぅでは、今怖いと思ってる方へ贈る曲です。これからの高齢化社会、素敵なご年配目指し、今をヾ(๑ゝω・ิ)ノ☆゚がんばってください。本日も最後まで読んでいただき(´ゝ∀・`)ノシ ありがとうございます。
おはようございます。みかんを外皮ごと食べると、お通じ良くなります。(o-∀-)(・д・)へぇさて、いよいよ3月。新しい時代へ向け、今、停滞気味の方もいらっしゃるのではないでしょうか。ここはぐっとこらえて、過去を整理して、未来への準備期間にあててみては、いかがでしょうか。===そんな感じで、今日は、挑戦について書いてみたいと思います。まず、一人で何かに挑戦するのは比較的楽なものですが、他にメンバーがいると、中々思うように物事は進みません。と言うのも、新しい企画を提案すると、まず、反対する人がいるからです。その反対の理由は言葉巧みで、重箱の隅を突っつくように、あれやこれやと、出来ない理由をインテリ風情で語り始めます。もちろん、最後に責任を取りたくないと言う気持ちも十分わかりますが、もっと言うなら、「怖い怖い(´;Д;`)」「やだやだヽ(´Д`)ノ」と言う、未知の世界へ対する恐怖心が一番の大きな理由になります。ただ、若い頃からこんな事を繰り返していると、結局、何歳になっても20代から何も変わらない人間になってしまうので、更に偏屈になって行きます。長い目で考えると、挑戦に失敗はありません。なぜなら、挑戦して失敗しても、成功しても、その経験を通じて、自分の力や役割が見えてくるからです。つまり、自分の基準や核が生まれると言う事です。ここが大事なところで、自分がどれだけちっぽけな人間であっても、基準さえわかれば、不足分を補い、少しずつでも成長する事は可能ですし、自分と言う存在は、誰にも代わりは出来ない。と言う事もわかります。もっと言うなら、自分はこのために生まれてきた。と言う自信にもつながって行きます。しかし、自分の基準がわからないと、いつまで経っても、自分は人よりデカイ事が出来ると思ったり、人より優れていると言う上下関係で物事を捉えたり、歴史に名を残せると思ったり、永遠の中2病になってしまいます。===ではここで、もう一歩踏み込んで考えてみましょう。一体何が怖いのでしょうか?それには、何か原因があるはずです。もちろん、何の保証も無い未知の世界は単純に怖いと言う感覚はわかりますが、大前提として、自分は生きてるだけで、役割を全うしている。とか、生まれてきた事がすごい事。と言う生まれてきた事へ対する感覚や考え方が、薄いからだと思います。一般的にこの考えは宗教的ですし、学校でもテレビでも、こんな話を聞く事はありませんが、逆にこの前提が無いと言う事は、自分は宇宙で独りきりの孤独な存在。人生に意味は無いから、目の前の不安だけを取り除こう。と考えてしまうのはむしろ自然な考えだと思います。下手に動けばリスクを伴いますし、結果は誰も保証してくれません。===じゃ、本当に人生には何か目的があり、なにがその意味を与えているのでしょう?私は、それを知るために、挑戦があるのだと思います。つまり、挑戦をして初めて理解出来る世界があり、挑戦をすれば、人生は孤独で無い事がわかる。と言う事です。例えば、オリンピック選手はちょっと身近でないけど、誰でも最初は挑戦者で、金メダルが取れる保証も無いし、代表に選ばれるかもわかりません。じゃ、どうして挑戦出来るのでしょう?オリンピック選手になれない理由を探せば、いくらでもあるし、それっぽい理屈なんかは、どれだけでも作れます。でも、挑戦出来ると言う事は、何かを信じてるって事だと思います。それは自分の人生かもしれないし、自分自身と言えると思います。もちろん、自分を信じて挑戦しても、望む結果が出るとは限りません。でも、その経験を通じて、得るものが大きいのは確かです。人によっては、選手になれなかったことで自分の本当にやりたいことが見つかったり、金メダル以上の活躍の場を見つけることが出来るかもしれません。そして、その経験を通じて、自分の役割を見つける事が出来れば、人間関係は上下関係ではなく、役割分担で成り立っている事が見えてくると思います。つまり、金メダリストだとしても、社長だとしても、それは、上や勝者ではなく、ひとつの役割と言う事です。この役割分担、共存共栄が、本来の自然界の仕組みです。===人生は基本的に何もしなくても存在するだけで生物には価値があると私は思っています。では、なぜ挑戦しなければならないかと言うと、目の前に挑戦の機会が現れたなら、それはその人の人生の流れで必要な事だからです。もちろん僕たちは、その挑戦を避ける自由意思も持っています。でも、あれやこれやと避けてしまっては、解決出来るまで、繰り返しその挑戦は姿形を変えても目の前に現れます。これをカルマと言うのだと思います。そしてカルマの解消こそ、人生の意味を理解するチャンスで、挑戦する意味なのだと思います。私は、きっと人生には何か、大きな前提があるだと思います。===~まとめ~このブログは、チャレンジャーの方も多く読まれていますが、もし、今自信を失いかけているなら、その気持ちは、今挑戦している証拠です。間もなく3月。最近物事が停滞気味に感じるかもしれませんが、大丈夫です。春は確実に訪れます。(´・∀・`)では、本日も最後まで読んでいただきヾ(´∀`*) ありがとうございます。
おはようございます。Σ(゚∀´(┗┐ヽ(・∀・ )ノもう夜だ!さて、明日は吹奏楽の指導をしてきます。以前にも書いたのですが、上達を妨げるものは、やる気でも無いし、知識不足でも無く、恐怖心であります。一体どういう事かと言うと、上達とは、今までの自分と違う自分になる事ですから、見える世界や、感じ方が変化すると言う事で、一体何が起こるかわからない。と言う不安や恐怖心から、上達を避けてしまうのが、中々上達しない原因なのです。逆に考えると、本人にとっては、今まで通り、下手な状態こそ、安定、安心した状態と言う事です。そんな時、こんな言い訳が生まれます。「変化しない事が、俺のポリシー」だとか、「言われた通りにしないのが、俺のプライド」だとか、なんだか格好よく言い訳をしてしまうのです。やならい方向でいくら格好良い事を言っても、それは全部言い訳で、周囲から見れば一目瞭然でも、本人は格好よく決めたつもりになってしまうので、中々厄介な話です。さて、そんなこんなで指導のポイントは、出来るようになれば、むしろ簡単な事だったと気づいてもらう事です。上達すると言うことは、楽になる事であり、自然に吹く事なので、一度上達を体験すると、どんどん自分から上達を求めるようになって行きます。逆に、下手な人の方が、無理やり口を押し付けて、無理やり全身に力を込めて、最後は神様にお祈りをし始めるので、日々の練習が疲労困憊になる割に上達への道は程遠くなります。でも、世間では上達するには、並大抵の努力ではできないと言います。何が並大抵では無いかと言うと、それは、恐怖心を手放すと言う事です。口を押し付けて吹く癖がある人に、「もっと力を抜きなさい」と言っても、怖いから、余計しがみついてしまいます。せっかく音が出るようになったのに、今までの苦労を手放すわけには行かないし、力を抜けば、また音が出なくなってしまうかもしれません。怖いですよね。癖のある吹き方が治らない理由は、こんな恐怖心があるからで、「無理やり口を押し付けてはいけない」と言う知識があっても、ここをクリアしない限り、変な癖を手放す事は出来ません。無理やり治そうとすれば、逆に怒って、絶対直さない方向へ進んでしまいます。そんな時、本人は「これが俺の吹き方だ。」とか、「これが俺の音楽だ。」とか、恐怖に怯えた顔で、格好良い言い訳をしてしまうのです。ではどうすればいいかと言うと、吹奏楽の場合は、他の人がいるので、比較的簡単です。周囲が上達する中で、自分だけ取り残されたら、何かおかしい。と気付くからです。では実際、力を入れずに自然に音を出す方法とは、具体的にどんな方法でしょう?それが明日の練習のテーマです。指導する上で大事な事は、演奏者が、自分自身の言葉で、昨日と今日の自分の違いを、説明できるようにする事です。自分が納得、理解して上達した時、こんな事なら、以前から出来ていた。と思える感覚になります。上達とは、決して難解な言葉を理解する事ではなく、石の上で修行を積む事ではなく、実は、元々自分の中にある力に気づかせることでもあります。そっちじゃなくて、ココだよ。の、「ココ」 がポイントと言う事です。では、明日はちょっと早起きになりますが、がんばって行ってきますね。では、また!ヾ(´∀`*)
おはようございます。作業も一段落して、ホット一息コーヒータイムです。(o-∀-)少し前の話だけど、こんな書き込みをネット上で見つけました。「俺の彼女は足軽女。あんな奴だと思ってなかった。」と言う内容だ。もちろん、別の言葉の書き間違いである事は明らかだけど、ふっと、そんな彼女について想像してみると、ちょっと面白い世界が見えてきた。敵の武将の首を狙って、戦場を駆け巡る足軽女の姿だ。女性として生まれながらに足軽の道を選ぶと言うのは、何か因縁か、宿命を背負っていることは間違いない。彼はそんな彼女の姿を見て、あんな奴だと思わなかったと言っているのだろう。===そこで、更に想像を広げてみると、女子 と言う場合と、女 と言う場合では、意味が大きく変わってくると言うことだ。例えば、「仏像女子(仏女)」と言う言葉が流行った事がある。この場合、僕たちの意識は、「仏像」へ向かう。阿修羅像や、大日如来像など、仏像には色々な種類があって、見る角度によって色々な世界が見えてくる。また、最近ではアートの視点や、高い精神性と生活様式に注目した「縄文女子」と言うライフスタイルも流行っているらしい。しかし、この「縄文女子」を「縄文女(おんな)」に差し替えてみるとどうだろう。まずは、太い骨格とたくましい筋肉、なぜか、髭面でボサボサの頭を想像してしまうのは、私だけではないはずだ。こんな感じに、女子は対象物を表現し、女は、本人を現す言葉と言えるのではないだろうか。他にも、女子が注目しなさそうなジャンルに、女子 と付けると、それなりに格好よく見える。例えば、ミグ女子。ロシアの航空機メーカーに萌える女子の事で、ミグの代表選手と言えば、あの無骨なミグ25。函館飛行場に強制着陸した事で、その名は日本中に広まる事になった機体だ。高速性能の割に、計器類にはまだ真空管が使われていたとのことで、ミグ女子の萌えるところは、まさにココと言えるだろう。しかし、ここでミグ女子を、ミグ女に差し替えて想像してみると、かなり強烈なキャラクターの持ち主が想像出来る。その女は大柄な体格を持ちながら、会社のトラブルや近所のいざこざがあると、音速の3倍のスピードでやってきて、機銃掃射のように言いたい事だけ言い放って、あっと言う間に立ち去って行くのが特徴だ。まさにインターセプターな生き様が彼女をミグ女と言わしめる所以なのである。===なのである。とか言いながら、「俺は一体何を(・д・)書いているのだ?」と思えてきたのでこれにて(*・`o´・*)退散壁|ω・ ) じ~壁|=3本日も最後まで読んでいただきヾ(´∀`*) ありがとうございます。
おはようございます。こちらは、ここのところ、何も無い穏やかな日が続いております。(@ ̄ρ ̄@)立春の季節に入り、土の中では、春の準備が始まっていますが、表面ではまだ何も変化していないように見えるのは、自然も人間も同じかもしれません。さて、そんなこんなで、今日は久しぶりにテレビを観ました。そこで見たニュースですが、こちら中部地方では、豚(とん)コレラと言うのが流行していて、大きな被害が出ているそうです。そこで、愛知県の保健所の対応の遅れについて、批判が出ていましたが、職員の話しを聞いてみると「判断に間違いは無かった。」との事。事故は起こったけど、判断は間違っていなかったと言う事は、交通事故は起こしたけど、判断は間違ってなかったから、私は無罪です。とでも言いたいのでしょうか。毎回この手の話しを聞くと、(-з-)ふ~ん。と思いつつ、心の中では、担当者の鼻に指を突っ込み、(o^-')b Good Jobと言いたくなってしまいます。なんだかテレビを見ると、変なテンションになるんだよね。(′ – ′)===では、次のニュースです。未来の天皇陛下、嘉仁(よしひと)様が、Σ(゚∀´(┗┐ヽ(・∀・ )ノそれは大正天皇だ!えっと、名前を忘れました。が、中学生になられるとの事で、良か事です。これが、一般の中学校に入学となると、おそらく、返事が小さいと言われ、出席簿で頭をパコ~ン!と叩かれたり、とっとと掃除しろ!と怒鳴られたり、ひどい目に遭うと思うので、特別な人の入る良い中学校に入学する事はとても良いことです。無駄に叩かれたりしないと思うので、ご安心いただきたい。あ、あと、変な中学校に入ると、妙な方向へグレてしまって、皇室警護の近衛(このえ)師団を引き連れて、「夜露死苦」だとか「ブラックエンペラー(黒天皇)」とか書いた旗を振り始めるかもしれないので、とにかく、国家泰平のためにも、良い学校へ進んでいただきたいものです。===はい。次。日本帝国陸軍が、昨年8月から続いた旅順攻囲戦において、ロシア旅順要塞を陥落し、それに伴ない、ここ岡崎市でも、提灯行列が連日夜の街を賑わせています。===で、次。自民党総裁でもある徳川綱吉総理が、国家の犬を守る法案を可決しました。事故が起きても、判断に間違いがなければ、無罪放免とのことです。===では、最後に天気予報です。明日は、冬型の西高東低の気圧配置により、大陸からPM2.5が飛来します。午後2時30分に何かが飛んでくるそうで、それが何かは人民次第で、現段階では不明です。時間によって、AM1.5 PM5.4など、名称が変動しますのでご注意下さい。では、今日のアカシブニュースでした。本日も最後までご視聴いただき(・ω・)/ありがとうございます。Σ(゚∀´(┗┐ヽ(・∀・ )ノ怒られるわ!
地球の皆さまオハヨウゴザイマス。(ΦωΦ+)インフルエンザの感染により、全身ヴァージョンアップが完了し、インフル(。・ω・。)エンジェルとして復活です。(・д・)ホォー後遺症として、まだ声が出ないので、近所のコンビニに行った時は、キィ!ヘ(゚∀゚*)ノキィ!と掠れた高音の、変な声を発していますが、店員さんは、顔なじみなので、やれやれ┐( ̄ヘ ̄)┌と言う感じで、対応いただいております。ありがとうございます。を声に出すと、キィ!ヘ(゚∀゚*)ノになります。===さて、今日は、そんなインフルエンザの謎に迫りたいと思います。インフルエンザと言えば、香港だかどこだかの、家畜が発生源と言われていますが、どうやら、それは仮説に過ぎず、感染方法、感染経路など、詳細もまだ解明されていないのが、現状のようです。そんな中、インフルエンザは宇宙から飛来する宇宙生物なのでは?なんて言う説もあり、アストロバイオロジー(宇宙生物学)と言うジャンルだそうで、面白い話だな。なんて、思ったり思わなかったりしております。===個人的に思うのは、どんな微細な生物も、何かしら意味を持っていると私は考えています。では、インフルエンザには、一体どんな意味があるのかと言うと、こんな(。・ω・。)感じです。まず、人間を苦しめるだけの生物は存在しない。と言う考えを前提に、インフルエンザの症状としては、全身がすごぶる嫌な気持ちになり、呼吸系から、消化器系まで、グダグダになるのが特徴ですが、これは、全身に変化をもたらす事で起こる現象です。その変化にどんな意味があるかと言うと、それは、人体のヴァージョンアップやデータ整理のためのデフラグと言う事です。人間は普通に生活するだけでは、中々細胞レベルでのリセットや修復は出来ません。そこで毎年、人類の健康のために、宇宙(?)から更新プログラムが送信されてきます。その更新プログラムが、インフルエンザウィルスと言う事で、本来はウィルスではなく、ワクチンと言ってよいでしょう。これは、自然の仕組みの一部であり、宇宙人の仕業ではありません。このプログラムが体内に侵入すると、まず、通常よりも高い体温に上げ、免疫プログラムのリセットが開始されます。人間は、意識しなくても、様々な微生物と共存し、複雑な免疫機能を持つ生命の集合体です。体温が37.5度を超えると、この免疫システムが自動的に起動するので、システムチェックや、エラー修復のためにまずは、体温を上げるところから始まります。この作業を通じて、体内のシステムがリセット、更新されると、次に、壊れた細胞やデータの排出が始まります。下痢や痰、咳と言う形で排出されるので、体温が下がってからも、まだ体は本調子になりません。また、日頃自分の弱い個所は、入念な修復が必要になるので、私の場合は、今回喉の修復に時間がかかっております。キィ!ヘ(゚∀゚*)ノさて、このように考えてみると、インフルエンザとは何か、と言うと、それは、「修復プログラム」と言う事です。ただ人間の具合を、いたずらに悪くして、ただ存在している生物は、自然の摂理に適っていません。大抵、生物には、何かしら存在する意味があるのです。そのため、インフルエンザから回復された方は、大抵、スッキリ爽快な気分になるはずです。それはまるで、生まれ変わったような、新鮮な気持ちです。もちろん、長い時間寝ていて、そこから解放されただけでも気分は良いものですが、体全体が、以前より増して丈夫になったような感じがすると思います。子供の方がインフルエンザにかかりやすいのは、成長が早い分、情報処理の量も多いため、更新頻度が高まります。大人の場合、数年~数十年かかっていなかった方は、プログラムが古くなっているので、予防をしていても、自動更新が開始されます。感染経路、感染方法が不明。と言う事もここに原因があります。一度更新されると、このヴァージョンは体内の記録に残り同じ更新は行われません。これを、免疫と呼んでいます。この時、インフルエンザの症状を無理やり薬で改善しようとすれば、本来の更新が中途半端に終わり、システムエラーや異常行動の原因になります。(タ*フ*等)これは、人間がインフルエンザの本当の意味を間違って解釈しているからです。もちろん、あまりに高熱になった場合は、薬を使って熱を下げますが、本来は、自然治癒に任せた方が、より完成したヴァージョンアップが出来ます。私の場合は、何でも薬に頼るより、自然治癒に任せた方が、自分の力がわかるのと同時に、治癒までの、時間的な基準が出来るので、何かあった時、安心して体に任せています。体調は意思では治りませんからね。===さて、こんな感じで、インフルエンザ=悪ではなく、インフルエンザ=肉体システムの更新と考える事で、ただ苦しい症状も、希望が持てるのではないでしょうか。今、ハァ(´□`。)ハァして布団の中からこのブログを読まれている方は、ご安心下さい。ここを乗り越えれば、新しい「超自分」が誕生するはずです。(´・∀・`)今はそのための、更新期間( ゚Å゚)と言う事です。では、インフル(。・ω・。)エンジェルからのお知らせでした。本日も最後まで読んでいただき(´・∀・`)ありがとうございます。
病欠です。(´^`)あぅ~、、、、
おはようございます。毎回、あれやこれや、とりとめの無い話ですが、今回は、歴史の考え方について思いついたので、書いてみたいと思います。え~、個人的に歴史が好きかと言うと、(・ω`・o) 別に。。。と言う感じですが、時々歴史についてこんな話を耳にします。「歴史を知れば、未来がわかる。」とか「歴史は繰り返す。」など、昔は、「へぇ~、そうなんだ。」と思っていましたが、最近はそんな事思いません。===学校の勉強で習う歴史は、過去 ⇒ 現在 に向かって勉強しますが、本当に歴史の流れを知りたい時は、現在 ⇒ 過去 に向かって眺めた方が本当はわかりやすいと思います。と言うのも物事は、原因があって結果があるので、過去の歴史=今の原因として捉えることが出来れば、自然な流れを感じることが出来るからです。===わかりやすい例で考えると、第二次世界大戦に、日本がなぜ参戦したかと言うと、第一次世界大戦で、日本は儲けた経験があるからで、なぜ、第一次世界大戦に参戦したのかと言うと、日清日露戦争の成功体験をしたからで、なぜ、日清日露戦争を経験したのかと言うと、欧米列強と付き合う事になったからで、なぜ、彼らと付き合ったかと言うと、黒船が来たからで、と言う具合に、もっと詳しく見てみると、歴史に「もしも」は無いと言えますし、つまり、今と言うのは、過去の積み重ねの必然と言うことになります。これは個人レベルの行動も同じで、なぜ今、自分はアイスクリームを食べてしまったのか?と言うと、そこにはやはり、原因があるのです。===で、この考えで、歴史をもっと遡ってみると、ちょっと不思議な世界が見えてきます。今の世界が過去の必然の結果なら、一番最初の始まりの時、それが原因となって、今も未来も、全ては決まっている。と言うことです。(・д・)ホォー運命は決まっていると言う意味は、ここからも見ることができます。===でも、更に不思議なことは、今自分が何をしているのかは、現在進行形ではわからないので、時が過ぎてから「あ~、あの時の意味はこう言うことだったんだ。」と後からしかわからないことです。ここが謎なんですよね。俺は一体((φ(・Д´・ *)今何をやってるんだ!===どうです?(。・д´・。)面白いでしょ?本日も最後まで読んでいただき(*´・∀・) ありがとうございます。
おはようございます。寒い日が続いておりますが、皆さまいかがお過ごしでしょうか。こんな日は、体を丸めて、音楽鑑賞でもしたいと思います。ま、あれですよ。(・ω`・o)音楽は自分が好きな曲を聴くのが一番ですが、一般的に、好きな曲と言うのは、食べ物もそうですが、だいたい、20才までに聴いた音楽の事で、勘違いしてしまうのは、最近の若い人の音楽はどうのこうの、と言う人がいますが、その人は、自分が20歳までに聴いた音楽を、好きな曲=良い曲=名曲だと勘違いしているのです。だから、世代によって名曲が違うのは当たり前なのです。それに、音楽と言うのは、新しい時代の方が、試行錯誤で工夫が多くなるし、色彩も豊な傾向にあるので、音楽全体の質は、新しい時代の方が良いと思います。僕ももちろん、子供の頃に聞いた音楽の影響は、大きく受けていて、自分が好きな曲をあげると、やっぱり、元気の良い曲が好きなようです。ちなみに、好きな曲の多くは作曲家「三沢郷さん(1928~2007)」の作品です。何か嬉しい時はウ~ラウラウラ(*・`o´・*)ウラ~!と未だに言いたくなります。でも、本当の「ウラ~!」は、こちらが正解。(音量に注意)(30分流れるので要注意)日本の応援団の「フレ~!」の語源です。この声を流しながら、カチューシャを聴くと楽しいです。冬らしい音楽ですね。(*・`o´・*) Урааааааа!(ウラー!)====================一緒に歌うかい?(下に日本語訳あり)ラースツヴィ|ターリ |ヤーブラニー イ グ|ルーシーパープリー|リー トゥ|マーニ ナド リッ|コーイヴィーハー|ヂーラ |ナー ビリッ カ|チューシャナー ヴィ|ソーキ |ビェーリク ナ クルッ|トーイヴィーハ|ヂーラ |ピェースニュ ザヴァ|ヂーラプラー スチプ|ノーヴァ |シーザヴァ アル|ラープラー ター|ヴォー カ|トーラヴァ リュ|ビーラプラー タ|ヴォー チ |ピースマ ビェーリッグ|ラーオーイ ティ |ピェースニャ |ピェーシンカ ヂ|ヴィーチャティー リッ|チー ザー |ヤースニム ソンツィム フス|リェートイー バイ|ツー ナ |ダールニム パグラッ|ニーチェアッ カ|チューシ |ピェーリッダイ プリ|ヴェートプースチョン フス|ポームニッ |ヂェーヴシク プラス|トゥーユプースチュス|リーシット |カーカナー パイ|ヨートプースチョーン |ジェームリュ |ビーリッジョートラッド|ヌーユア リュ|ボーフィ カ|チューシャ ズビーリ|ジョート======================日本語訳林檎と梨の木が咲き誇っていた霧が川面に漂っていたカチューシャは川岸に歩み出た高く険しい川岸に歩み出て、その少女は歌い始めた草原の薄墨色の鷲のことを彼女が愛したあの人のことを大切な手紙をくれたあの人のことをああ、歌よ、少女の歌よ輝く太陽を追って飛べそして遠い国境にいる兵士にカチューシャから想いを伝えて彼に一途な少女のことを思い出させて彼女が歌うのを聞かせて彼に祖国の地を守らせて愛はカチューシャが守る===================(o-∀-)) ~♫
おはようございます。o(´^`)o音楽業界は、何時に会っても「おはようございます。」です。さて、今日はちょっと視点を変えて、先日見たアメリカの動画から考えさせられた話です。直接自分には何の関係も無いけど、とある動画から、こんな言葉を耳にしたのだ。それは、アジア人と黒人が一緒に歩いているシーンで、白人が、「おまえら黒人とアジア人は、いつも仲がいいな。」と、皮肉っぽいと言うか、どんな意味なのかわからないけど、それを聴いて、ちょっと妙な気分になったのだ。で、自分も黒人を見ると勝手な想像で優しいと感じてしまうし、友達になれるならなってみたいと思ってしまう。これは一体どうしてだろう?と考えてみて気がついたんだけど、それは、映画や音楽の影響だけでなく、歴史上、黒人はアジア圏に、爆弾を落とした事が無いのだ。それと、アジア人もアフリカを攻めた事は無いし、黒人を奴隷にした事も無い。つまり、お互い相手に対して、何も思っていないから、単純に友達だと思ってしまうのだ。そう考えると、白人の有色人種へ対する差別意識は、過去の歴史から生まれて来る感覚で、差別とは、一方的な暴力を振るった側が、自責の念から逃れるための、都合の良い、言い訳なんだと思う。===こんな話がある。アメリカ建国1787年から現在まで、アメリカの93%の時間は、戦争に費やされてきたそうだ。つまり、大きな戦争だけでなく、南米への内政干渉や、中東、アフリカでの紛争も含め、アメリカの歴史は、戦争の歴史と言う事らしい。もちろん、アメリカ大陸の先住民に対しても戦争を行い、95%の先住民が殺されたと言われている。===これはやはり、良いことでない。もし、自然の摂理が働くなら、今後どうなるのだろう?と考えるみると、こうだと思う。アメリカそのものは残るが、白人は減少する。アメリカは白人社会と考えられていて、1960年には、全人口の85%を占めていたが、今後2050年までに、45%に減少すると言われている。65%は、黒人、ヒスパニック、アジアンが占めると言うことで、そこまでくると、加速度的に白人以外の人口は増えるはずだ。そして、勝手な想像だけど、その時になって初めて、アメリカ建国の本当の目的は、世界の人種のパラダイスを建国するためだった。と言われるようになるのではないだろうか。===また、あまりニュースでは見かけないけど、インターネットを通じて、ヨーロッパのニュースを眺めていると、10年ほど前からロンドンやパリ、ベルリンを始め、ヨーロッパの主要都市では、中東の移民流入が増加の一途で、犯罪や失業者の増加に伴い、移民に対する反対デモも激化しているらしい。ただ、中東の人から見れば、一方的なイスラエルの建国、第一次中東戦争以来、祖国混乱の元凶は西ヨーロッパなので、責任をとってもらいたい気持ちもあるのだろうと思う。===そう考えてみると、西洋諸国は、武力によって世界中へ侵略を続けたことで、それがカルマとなって、今自分の身に降りかかってきているのではないだろうか。日本も、中国人に土地を買われる。と言っているが、この仕組みに照らし合わせると、世界で初めて、一般市民に絨毯爆撃を行ったのは日本軍だし、実際、中国へ対しては侵略戦争を行っているので、どことなく中国へ対し、反感と後ろめたさが、同居しているようなそんな気がしてしまうのだ。中国人より、日本人の方が優れていると言う感覚も、そんな後ろめたさが原因かもしれない。===そんなこんなで、数百年に渡って続いた白人物質文明もそろそろ転換期なのでは?なんて思ったり思わなかったりしながら、今からおやつにリッツを食べようと思います。リッツのトッピングは、もちろん(。・д´・。)リッツです。今日は珍しく世界について考えてみました。今日も最後まで読んでいただきヾ(´∀`*) ありがとうございます。
タイトルが変でした。(爆)皆様おはようございます。ヾ(´∀`*)前半 ~北海道について~寒い季節なので、北海道の話題です。北海道では、北海道新聞を「道新」(どうしん)と読んだり、北海道銀行を「道銀」(どうぎん)と言ったり、北海道のことを「道」と言います。つまり、道が付けば、それは、北海道の事なのです。その道の人。= 北海道の人。その道を極める。= 北海道に住み続ける。曹洞宗開祖「道元」= 元々道民。あとは、飛行機会社でAir Do(エア・ドゥ)と言う会社も出来て、最近では、道をDoと言うこともあります。そのため、「あなたは北海道の人ですか?」と聞かれたら、Do民は、「Yes I Do!(´・∀・`) 」と返事をしま。。Σ(゚∀´(┗┐ヽ(・∀・ )ノ嘘つけ!以上で (。・д´・。)あります!===後半 ~来世~最近、色々な人の話を聞いたり、読んだりしている内に、この世の仕組みもだいぶわかってきました。いつも小出しですが、今日は、来世について考えてみたいと思います。今生きてる世界が、現世。死んで生まれ変わるまでが、中間世。そして、生まれ変わるのが、来世。になります。「前世」~「中間世」~「現世」~「中間世」~「来世」こんな感じですね。で、前世はどんな人間だったのか、とか、来世はどんな人間になるか、とか、まるで別人のような気持ちで過去や未来を考えてしまいますが、どうやら、本人の意識や個性は、そのままらしいです。そう考えると、現世と来世で、一体自分は何が違うかと言うと、それは、環境です。例えば、今女性の方が、来世で男性になった場合、今の意識のままだとしても、性格は変わるはずです。(๑>◡<๑) いやんとか言わないで、(。・д´・。) ごっつぁんですと言うようになります。もちろん、兄弟の有無、長男か、末っ子かでも、性格は変わってきます。お兄ちゃんがスポーツ選手だったら、弟もスポーツに興味を持つはずですし、生まれた場所が北海道なら、寒冷地仕様の体になります。「(・д・)そだね~!」とか言っちゃいます。「そおだね~!」と言うと、体内の暖気が逃げるので、体温温存のためにも、伸ばす言葉はなるべく使いたくありません。「あ」や「お」 が母音の言葉は、特に伸ばしたくありません。(個人的に)===で、私は思うわけですが、このように、環境によって条件が与えられる事を、運命とか宿命と言うのではないでしょうか。そしてどうやら、その環境は、自分で設定して生まれてくるらしいのです。ちょっと真面目に考えてみると、もし、自分が来世に生まれ変わった時、優しい両親で、お金持ちで、欲しい物をなんでも買ってもらえるとしたら、今の自分は立派に成長出来るだろうか?と考えると、やっぱり無理っぽいので、自分を鍛えるためにも、強烈キャラの両親を選ぶと思います。(⑅∫°ਊ°)∫パパだよ~。༾(◉◞હ̱◟◉)༿ ママだよ~。☜(◔◞౪◟◔)☞ 私で~す。☚(꒪ټ꒪☚) 妹で~す。いや、、、やっぱりやめときます。( •́ .̫ •̀, )===で、そうそう、環境や、教育、思い込み、思想等々、それらをとっぱらった状態が「本当の自分。」と言うことです。このように、本当の自分には本来条件は無いみたいです。私はこんな性格で、こんな人だから、と自分で自分を決め付けると、行動にブレーキがかかり成長が止まるので、一日の間の一瞬でも、本当の自分に帰る事で、安心感につながると思います。===こんな感じに、あの世とこの世の仕組みを考えることで、今を生きる勇気が持てればと思います。今日も最後まで読んでいただきヽ(`∀´)ゝありがとうございます。
おはようございます。年末年始は楽しめましたか?私は、北海道と沖縄へ行ってきました。Google ストリートビューで。(。・д´・。)Σ(゚∀´(┗┐ヽ(・∀・ )ノでしょうね!あと、箱根駅伝も行きました。YOUTUBE で。(*・`o´・*)Σ(゚∀´(┗┐ヽ(・∀・ )ノお疲れさん!そういえば、箱根駅伝のコースは、走った事があるので、道は知っています。車で。( ゚Å゚)Σ(゚∀´(┗┐ヽ(・∀・ )ノもうええわ!と言ったわけで、1年の始まりです。===今年も引き続き、音楽を通じて、人生の謎を解明して行きたいと思っています。早速今日は、まずは、こんな感じ。「心の無い音楽とは?」僕は以前から、心だけでは音楽にならないから、音を大切にしてください。と言ってきました。ここら辺をオカルトを絡めて語ってみたいと思います。===僕たちは、ボールの飛ぶ様子をみて、そこに運動エネルギーがある事を理解します。そして火を見れば、そこに熱エネルギーがある事がわかります。ニュートンは、落ちるりんごを見て、引力を発見しました。僕たちは、物体を通じてしか、エネルギーを感じることはできないのです。それが、この世の仕組みです。===音楽とは、音を楽しむことである。なんて言いますが、こう言われると、音楽=心と思ってしまいますよね。だから、上手く行かない演奏は、心に問題があると思ってしまうのです。でも本当は、音楽とは、音=音波=物質楽=心=エネルギーの2つの要素で出来ていると言うことです。心配しないでいただきたいのは、音を大切にする事で、心が粗末になることはありません。音を大切にする心が、音楽を通じて伝わると言うことです。演奏とは、自分が音を鳴らして楽しむだけでなく、その曲が一体何なのか、どんな仕組みなのか、聴き手に説明する役割もあるので、音を大切に演奏する事は、お客さんのために演奏すると言う事につながり、それが本来の、人前での演奏の目的になります。===では、心の無い音楽とは何か?つまり、演奏者不在で、ピアノが鳴った場合、それは一体何なのか?と言うことですが、この現象は、ポルターガイストと呼ばれ、とても怖い現象になります。===♪~ いぇ~い! ← これはわかる。(音+心)♪~らんらんら~ん ← 存在はわからない。(心)♪~ ぽろろんろ~ん ← ポルターガイスト。(音)===どうです?(・Д´・ *) 怖いでしょ!?とても (⑅∫°ਊ°)∫怖いです。Σ(⑅∫°ਊ´(┗┐ヽ(・∀・ )ノおまえがだ!と言ったわけで、本日も最後まで読んでいただき、ヽ(。・ω・。) ありがとうございます。
あらためまして、あけましておめでとうございます。いよいよ2019年の幕開け。皆さまいかがお過ごしでしょうか。さて、今日はわたくし、自称プロの「似非占星術師╰(◉ᾥ◉)╯」がお届けする2019年大胆予想をお送りいたします。ここでは、細かい星座別ではなく、世間全体のお話しでございます。では早速、o(*≧∇≦)ノ Here We Gyao!ホゥホゥ(o-∀-))よろしければ、BGMどうぞ。===================振り返れば、8年前に遡りますが、特に、ここ2年ほど、かなりしんどい思いをされていた方もいらっしゃると思います。これは一体何が起こっているかと言うと、星の動きによるものです。もしくは、星と私達の動きが一致していると言う事です。宇宙はどうやら、すでに永遠をプログラミング済と言う事らしいです。===2011年3月12日から変化と改革の星、「天王星」が84年ぶりに火の星座「おひつじ座」に入った事から、世の中は、パワフルな変化の時代に突入しました。そこから8年。今年2019年3月06日に、ようやく天王星は、豊かさの星「おうし座」へ移動し、新しい時代が幕を開けます。この時期が、平成の終わりと重なる事も、意味のある偶然のはずです。皆さんにとっても、過去8年を振り返ってみると、激動の時代だったのではないでしょうか。そして、今年に入ってからまだ少ししか経っていませんが、新しい風を予感されている方も多いと思います。===震災の翌日、2011年3月12日から始まったこの時代の変化を、世間の視点で考えると、例えば、3.11の震災まで、私達日本人は、まだ第二次世界大戦の延長にいて、「日本人は、アメリカだけではなく、アジアとヨーロッパの国々に対して、多大な迷惑をかけた。」と、教えられてきました。そのため、長い間自信を失い、自虐史観の中で生きてきましたが、3.11の時、世界中の人からの支援と励ましを受けて、自信を取り戻す事が出来るようになったと思います。最初は、「どうして日本の災害に対して、こんなに世界が騒いでいるんだ?」と疑問に思う方も多かったと思いますが、日本人の良さや、先の大戦の世界の視点を海外の方から教えてもらえた事で、極端な自虐史観から、抜け出す事ができたと思います。また、観光立国の方針を打ち出した事で、昨年も過去最高の観光客が日本を訪れ、この8年を通じて、日本人は海外の方から日本の良さを教えられながら、自信を回復する事が出来たと思います。この物語の行き先は、天王星が経済の星座「おうし座」に移動する事で、2026年4月26日まで、経済的な変化、改革と言う形で現れるはずです。震災からの流れが、東京オリンピック、大阪万博につながっているのも、決して偶然ではないと思います。===では、個人的な視点ではどうか、と言うと、この8年間はかなりしんどい時期だったと思います。と言うのも、過去の価値観が通用しないので、様々な葛藤があったはずだからです。どれだけあがいても、解決出来ない問題が繰り返されたり、先の見えない未来に不安を覚えて恐怖に押しつぶされそうになったり、そしてこの時期は、自殺者が増加した時期でもあります。また昨年、変化の最後の年は、過去の清算も必要になるので、政治の世界でも、長年の隠し事がバレたり、スキャンダルなニュースが世間を騒がせました。しかし、これらの事件は、「悪い事が起こった」のではなく、「先に進むために必要な準備」と言う事です。昨年、最後の試練は、皆さんに色々な経験を与えてくれたと思います。そして今、勇気を持って苦難を乗り越えた皆さんは、今年から気分的に随分楽に感じつつ、静かな笑みを浮かべていると思います。そして、これから同じ事が起こったとしても、もう諦めたり、悲しむ必要が無い事を、自分の心は理解しているはずです。実際はまだ、現実の状況は昨年と変わっていないと思いますが、今は、もう一度過去を振り返り、確認をするための時期で、3月になれば、具体的な新しい世界が広がってきます。占星術は、今週の予想とか、今日とか、細かい日程での変化は中々実感がわきません。季節の変化のように徐々に変化して行くものなので、年始のお休みの中で今までを振り返ってみてはいかがでしょうか。来月2月には、3月の夜明けに向けて、一旦、サナギになるような感覚や、何かが崩れ去った感覚があるかもしれませんが、それが、先へ進むためのスタートのファンファーレになります。以前なら、「もうだめだ」と感じたような事でも、2月のトラブルには、どこか光を感じるような余裕や、ワクワクした感じを、意識の奥底に感じる事が出来るはずです。占星術の捉え方は様々で、「どうせ星の動きで運勢は決まるなら、何もしなくてよい。」とも言えますが、何か起こった時、そこにどんな意味があるのか、ポジティブに捉える事で、意味のある前進が出来ます。そして、問題点を感情だけでなく、言葉に変換して整理出来れば、人生には何も悪い事は起こっていない。と気づく事が出来るはずです。この事に気付くために、この8年間があったのだと思います。逆に、この経験をネガティブに捉えてしまっては、何も前に進みません。ただ嫌な事ばかりが起こって、人生に嫌われているのでは?と思ってしまっては、神たまも、手のほどこしようがないからです。自分が頑張ったか、諦めたかは、本当は神たまではなく、自分自身が一番わかっているので、本当の神たまは、自分の中にあるのです。今、晴れやかな気持で過ごしている方と、まだモヤモヤしている方と、両方の方がいらっしゃると思いますが、まだ3月までは時間があります。これは、振り返る時期、確認の時期と言われていますので、もし、まだの方がいらっしゃいましたら、心静かに、今までを振り返ってみてはいかがでしょうか。今までの経験は、決して不幸な出来事ではなく、今と、これからの未来につながる貴重な経験だった事が見えてくると思います。この経験が、将来、良い思い出や経験、そして、自分自身の本当の意味での誇りにつながります。もし将来、寿命間近で病院から配布される「人生を振り返るアンケート」に記入する時は、自信をもって、誇らしげな私の人生を語って下さい。誰にも責任転嫁する事なく、正々堂々と、I am what I am.私は私である。と力強く宣言してください。それが、今回私達の人生の楽しみであり、生まれて来た目的のはずです。===それにしても、長い8年間でしたよね。(・∀・)皆さま、本当にお疲れ様でした。今年は、色々な経験を通じて自立した人達が、共に協力しあう年になると、先日ゲッターズ飯田さんがテレビで言っていました。(笑)本日も最後まで読んでいただきo(*≧∇≦)ノ ありがとうございます!
あけましておめでとうございます!ヾ(´∀`*)2019年 謹賀新年 =3 ?A Happy New Year ! (´・∀・`)昨年は大変お世話になりました。(*´▽`*)ゞなんとも独特な視点と内容ですが、今年も音楽とオカルト、ためになる話から、勝手な妄想まで、幅広くはありませんが、奥の深い話を書いて行きたいと思います。~♫~♬~♪~♦♫♦・*:..。♦(≧∇≦)どうぞ~!(*・∀・)_σ(´~`*)(⑅∫°ਊ°)∫ うめぇ~本年もよろしくお願いいたします。(●ゝω・)ゞ(´・∀・`)y
おはようございます。間もなくお正月。初詣でございます。イスラムの世界では初モーゼと申します。Σ(゚∀´(┗┐ヽ(・∀・ )ノ嘘つけ!===最近、宗教やら神たまやらで、頭が少しイカレ気味ですが、せっかくだから、以前から思っていた事も含め書き切ってしまおう!と思う次第でございます。さて、今回は神社についてでございます。神道の歴史については諸説あり、ネットでも色々情報が出ているので、興味のある方は、見てみてください。今回の視点は、「神たまって、いるんじゃね?」ヽ(゚Д゚;)ノと言うお話です。(。・д´・。) ほほぅ===第一部 ~人間臭い神様~自分自身、神社について何を知っているかと言うと、別に何も知りませんが、何となくこんな気がします。まず、お寺や仏教には祟りは無いけど、神社の神様は祟る気がするのです。勝手な雰囲気の認識ですけど。。。そして、同時にご利益もある気がするのは、神社なのです。そして、神社の神様は、人間臭い感情があるような気がするのです。えぇ、もちろん雰囲気のお話ですけど。(・ε・。)~♪===神道は八百万の神で、基本は土着信仰で、自然崇拝の色彩が濃く、元々体系化された宗教ではなかったそうですが、平安時代に、仏教伝来と共に、日本の宗教としてまとめられたそうです。現在の神道の形は、戦後まとめられた体系になります。そのため、その土地土地で意味も信仰方法も八百万通りで様々ですが、その中の、お稲荷さんと呼ばれる神社は、渡来人の秦氏の氏神(先祖神)として作られたそうです。で、自分が気になったのは、このお稲荷さん。===良く言われるのは、「神様は、細かいことを気にしないし、あったかい気持ちで見守ってくれるから、それほど、細かい作法は気にしなくて良い。」なんて言葉も聞きますが、このお稲荷さんは大宇宙の神様とは違って、何かこう、細かい事にこだわる人間臭い雰囲気を感じてしまうのです。===そんな事をおぼろげに考えていたところ、アラブ圏のイスラム教の話を目にして、この宗教の中に、「ジン」 と呼ばれる神様がいる事を知りました。その神様は、人間界と天界の中間にいて、人間らしい感情もあるし、恋愛をしたり、食事もしたり、人間と同じような感情で生きているそうで、粗末な扱いをされると怒るそうです。だから、人間がちゃんとお願いをすると手助けをしてくれて、そのお礼を言わないと、災いを起こすそうです。なんとなく、お稲荷さんに似てるな。なんて思いました。『アラビアン・ナイト』(千夜一夜物語)のランプの魔神が、ジンの一種です。===また、これはタイの仏教のお話しですが、タイのとある洞窟には、「ジッ」と呼ばれる神様がいて、人間界と天界の中間にいて、以下ジン同上。お供えモノにも好き嫌いがあり、お祈りをする人の態度が悪いとへそを曲げるそうです。なんとなく、お稲荷さんに似てるな。と思いました。そして、このジッと言う神様は、実際に洞窟の上から、色々なモノ(物質化現象)を降らせるそうで、儀式を通じて、あの世とこの世の接点を体験できるそうです。===そして、お稲荷さんを作った秦氏は渡来人として知られていますが、出生地はわからないそうで、もしかしたら、イスラエルのユダヤ人とも言われていて、そう考えると、秦氏は、中東から東南アジア経由で、日本に渡ってきたのでは?と想像してしまうのです。ジン → ジッ → ジン社みたいな。(。・ω・。)===そう考えると、お稲荷さんは、従来の説の日本古来の狼信仰がキツネに変化したものと言うより、秦氏が大陸から連れてきた氏神で、別次元とは言え、実在の存在なのかも?なんて思ってみたりしてワクワクしてきます。秦氏はかなりの豪族で、大金持ちだったそうですが、この氏神のご加護で世界各地で繁栄したのかもしれません。そして、そのご利益をいただきたい気持から、日本でも、広く全国へ広まったのかもしれません。(19800個所)====================「神宮」「宮」「大神宮」「大社」「神社」「社」32000社の中で、最大勢力。====================皆さんも、本当にいるのかも?なんて気持ちで、初詣に出かけてはいかがでしょうか。いつも感じる神社の雰囲気とは違うもう一つ別の何かの存在を感じる事が出来るかもしれません。参考資料イスラム教のジン====================第二部 まどろっこしい話。こんな感じに、宗教は違えど、似た話しは世界中で沢山あるので、こじつけはいくらでも出来ますが、なんとなく、全ての話しの大元は、個人的には、エジプトにあるのでは?なんて思ったりしています。例えば、太陽信仰は神道(天照大神)(日の丸)も同じですし、スフィンクスはインド、中国経由で狛犬になり、そして、稲荷のキツネの原型はエジプトの壁画に描かれている「アヌビス神」ではないでしょうか。この神様は「聖地の主人」とも言われ、お稲荷さんも「稲成」が元で「土地の神様」でもあります。他にも共通点はあるけど、神社を象徴する鳥居は何を表しているかと言うと、本殿のご神体を中心に考えると、2つの山の間から昇る太陽を表していて、これは「新しい日の夜明け」と表現され、歴代アメリカ大統領の全ての人がこの言葉を使っているそうで、その形をシンボル化したのが、僕は鳥居だと思っています。どうしてアメリカ人がこんな事を言うのかと言うと、キリスト教が正式に宗教に認められたのが、西暦325年のニケーア会議ですが、この会議の中で、聖書はエジプト由来の宗教との融合が行われた(三位一体など)そうです。他にも、キリストの誕生と復活については、エジプト太陽信仰が元で、12月22日の冬至(太陽の死)から3日後、12月25日に太陽は復活する。と言う意味があるそうです。本当のキリストの誕生日は不明と言う話しは良く聞きますが、ここから来たと思います。=====================もちろん、神道にも冬至は「万物が蘇る」と言う思想があり、太陽の復活を祈った行事を新嘗祭(にいなめさい)と言います。(現在は11月)他にも、エジプトの太陽と天空の神「ホルス神」は、12月25日生まれ。磔の処刑で3日後に蘇る。紀元前1200年ギリシャフリージアのアティス(フリギアのアッティス)死と再生の神12月25日生まれ。磔の処刑で3日後に蘇る。紀元前900年インドのクリシュナ神12月25日生まれ。死後蘇る。紀元前500年 ギリシャのダイオナイシース12月25日生まれ。死後蘇る。と言う話もあります。=====================こう考えて行くと、自分の想像ですが、鳥居の中央は、神様の通り道と言われていますが、おそらく太陽の軌道か、光の通り道。鳥居の真ん中を通るのはいけない。と言う理由は、光を遮るからいけない。と言う意味があるのだと思います。12月25日の太陽が昇る時、光が鳥居を通して、御神体の鏡に反射する事で、神様が姿を現し、この神様を「天照大神」と呼ぶのだと思います。そして冬至から3日間、太陽の復活を祈り、25日に姿を現すまでの間が新嘗祭でこの物語を、「天岩屋戸の物語」と呼ぶのが、神話の原点だと思います。天岩屋戸がどこにあったかとか、天照は美人だったのか?と言う問題ではなく、全ての生命の源である太陽を崇拝する意味を擬人化したのではないでしょうか。もちろん、ジンも妖怪も幽霊も、太陽に支えられています。そして、神社の御神体が「鏡」である理由も太陽の光が神であると考えると、何となく説明出来るような気がします。日本は、英語ではJapanですが、リスペクトした気持で日本を表現する場合Rising Sunフランス語でも、Le pays du soleil levant太陽の昇る国。と呼ばれています。こんな感じに、先史時代の古代文明の神様が、日本だけでなく、実は世界中で現在でも脈々と生き続けていて、世の中の方向を指し示しているのでは?と思いますし、ここ10年の世界を眺めてみると、世界は一つになりつつあり、今まで続いたアングロサクソン物質文明は、今後、日本から発信される精神文明に引き継がれるのでは?なんて思ったりしてみると、来年の初詣は今までとちょっと違う気持ちで出かけられるのではないでしょうか。(・д・)(・д・)(・д・)ホォー((●>ω<)っ))) なんちゃって!なんの証明も出来ない漠然とした話しでしたが、今日も一緒に遊んでいただき、(´・∀・`)ありがとうございます!
おはようございます。せっかく頭の中があの世モードなので、もうすこしあの世について考えてみたいと思います。おっとっと=3 ヾ(・∀・` ) やぁ自分もあの世が近づいてきてるから。と言う理由もあるけど、もっと前から興味があったのだ。どんな感じに興味を持ったかと言うと、どうもこの世は、話しが上手く出来過ぎている。例えば、皆既日食を眺めてみると、太陽と月は、全く違う距離にあるのに、地球から見ると同じ大きさに見えたり、植物は何も喋らないのに、地球の重力や大気、自分のいる環境を想定して様々な形の種を遠くへ飛ばしている。昆虫と植物の共同作業や、草食動物との連携。そして、草食動物の数を調整する肉食動物の役割。自分を考えてみると、意識しなくても、食べ物は消化、吸収、排出され、病気や怪我をすれば、自然に治る。生物は、DNAの設計図により、色々な形や習性を持ち、互いに協力をして生きている。そして、最も謎なことは、自分は知識を持っていなくても、良心を持っていること。この良心と言うのは、教典や聖書を知らなくても、自然に人生の方向を教えてくれるのだ。===学校の勉強や宗教や、メディアの情報を差し引いて、自分の感覚だけでこの世を眺めると、バカバカしいほどの秩序と調和を保っている。これらの仕組みは、神が作った説や、宇宙人が作った説があるけど、どちらも正しい答えは見当たらず、いずれにしても、何かしらの知性の介入が無ければ成り立たないと言う意味なんだと思う。===科学の目線で考えると、電気が存在するためには、+と- が必要で、磁力が存在するためには、NとS が必要で、 道教の世界では、物事は、表と裏や、光と影で出来ていると考える。そのため、宇宙誕生で生まれた物質は、それと反対の性質を持つ、反物質が存在するのでは?と考える説もある。だとしたら、物質の反対側に、反物質としてのあの世が存在しても良いでは?と思ってしまう。そして生命は、電気や磁力の循環のように、この世とあの世を循環するダークエネルギーなのだと思う。この世が存在するためには、あの世が必要と言うことだ。===そして、そのエネルギーは、知性を持っている。知性とは、物事を拡大、発展する方向へ推し進める力だ。例えば、この世に細胞が一匹いたとする。その細胞を潰してしまえば、この世は終わるが、その細胞を、1匹から2匹へ増やすためには、DNAを生み出す知性が必要と言うことだ。喧嘩はバカでもできる。と言われる所以である。===僕は、神と言う存在は考えない。神と聞くと、なぜか眉をひそめてしまうのは、過去2000年以上に渡って、政治や権力に利用されてきたからだ。神から免罪符を購入することで、罪は消えるとか、値段の高い仏像の方がご利益があるとか、死んでも、名前は長い方が良くて、長くなるほど、値段は高くなり、棺桶すらも、質やデザインによって値段が変わる。死んでもなお、人より上か下かを競いあう。幸せになるためには、開運のお守りを買い、不幸を避けたければ、お札を部屋中に貼って、お金が欲しければ、七福神の置物を所せましと並べ立て、何かを買えば、幸せになれると思い込まされている。逆に言えば、何も買わない人は、不幸になると言う意味だ。神に逆らうことは、その時代や国のその場限りの法律を犯すことであり、権力に逆らう者は地獄へ落ちるとしつこく説教をされる。決して神が悪いわけではなく、その名を語る人間が悪いのだ。そして未だに、神が誰だかわからない。今後神は、AIに名前を変え、誰かの都合に合わせて、ありがたい言葉をテキストデータ音声出力で語り始めるのだと思う。===しかし、神ではなく、あの世を想定すると、色々な謎が解けてくる。最近思うのは、科学はあの世を証明出来ないのではなく、あの世を隠そうとしているのでは?と言うことだ。近年、新しい文明の発見が相次ぎ、最古の文明は5000年、1万年、20万年のように、どんどん古い文明が見つかっている。文明は滅びても、人類が滅びたわけでないので、その英知を受け継ぐ人または団体があるはずだ。その智慧の中には、政治的に捏造された神ではなく、本当の意味で、この世の仕組みを解明した本や資料もあるはずで、だとしたら、権力者は、その存在を隠したいと思うのではないだろうか。なぜなら、あの世の知性を活かし、この世であの世を体現するなら、この世を統治する権力者などは必要無いことが、バレてしまうからだ。また、科学は先端へ行けば行くほど、あの世の壁に突き当たり、特に、医療の現場では、あの世がいよいよ無視出来ない存在になっているような気もする。===権力者がいるから国民は幸せと言う発想は、洗脳に過ぎない。その証拠に、今日も昨日もその前も、税金は払っても、権力者に助けられた人はいないはずだ。災害があっても、助け合うのは国民同士で、国はゴミの集積場を提供していると言うかもしれないけど、その土地は、国民のものなのだ。もちろん、壊れた橋や道路を直すのも、権力ではなく国民なのだ。権力者がいなければ、戦争も起こらない。戦争とは、国対国の戦いではなく、権力者の国民へ対する一方的な暴力なのだ。戦争でなくても、100万人規模のデモが起こった場合、国の軍隊は、権力者を守る。100万人が行動を起こすと言うことは、明らかに権力者に問題があるはずだから、もし、軍隊が国民を守る存在なら、その銃口は、国会へ向けられるはずだ。しかし、実際武力で制圧されるのは、どこの国でも、そこの国民なのである。===科学の発展は、宗教の代わりに、政治の方便に取り入れられるようになり、科学的に正しいことが、真理だと教えてきた。(直接政治に協力する科学者を、御用学者と言う。)しかし、その科学も宗教と同じく、時代や国によって、真理は変化する。新しい発見があっても、今の時代にそぐわなければ、闇から闇へと葬られるのだ。例えば、火星の表面が地球と同じだと、今の時代の世界観にそぐわないので、赤いフィルターをかけて、大気は真っ赤で、気温はマイナス100度以下で、一瞬でも人間は存在出来ない。と発表をする。そして、時が流れ、そんな嘘が隠しきれなくなっても、その当時の虚偽を謝罪することはない。科学は、時代によって進歩するから、新しい説が生まれるのは仕方ないと言う事らしい。つまり、今言ってることも、政治情勢によって将来どう変化するかわからない。と言う意味なのだ。例えば、電子レンジひとつ考えてみても、便利だと言って使っているのは西側諸国で、ロシアは栄養素を破壊する機械だとして、使用する人は少ない。電子レンジは、冷戦時代のアメリカ発祥だから、科学が政治で変化する良い例だと思う。===つまり、科学であの世を証明出来ないからと言って、あの世が無いことにはならないし、あえて、あの世の問題に触れないように思えてしまうのだ。西洋社会では、未だに、死を生と対極に置き、死を最高の不幸だと教え恐怖心を煽っている。この意味は、「キリスト=権力者」 に従うことで、魂は救われる。とすることで、労働を強制したり、反政府に走らないように、脅かしているのだと思う。民衆を助けるはずの仏教も、権力の一部となった事で権威化がすすみ、坊主が民衆を見下すようになって行き、形骸化した結果衰退し、今、その役割が問われている。本来カルマを解く仏教が、まさにカルマを背負い、苦しんでいるのである。===============個人的には、ブッダもキリストも、すごい人だとは思ってるけど、問題は、それを都合良く利用した時の政治家が問題だと思っています。===============逆に、チベットや南太平洋の島々のいわゆる後進国と呼ばれる人々は、死を当たり前のこととして捉えている。死は誰にでも訪れる自然現象で、それを怖がる意味がわからない。と言う発想だ。そして、あの世と上手く付き合っている。おかしな教育や常識から離れ、改めて自分の目でこの世を眺めると、全くと言っていいほど違う世界が見えてくる。===生まれて来ることは死に向かっている事とか、人は、生まれながらに死神を背負っているとか、死を悪と捉える前提があるから、ネガティブな言葉も多いけど、あの世にいれば、この世に生まれる準備期間と考えるだろうし、この世にいれば、あの世へ向けての準備期間と考える。そんな無限ループから離れる方法が、「今」を生きる事なんだと思う。今を生きれば、生も死も関係なく、今しかないからだ。僕たちは、死んだらどこへ行くのかとか、来世はどんな人生なのだろうかとか、あれやこれやと心配するけど、太古の昔から未来永劫、今ここにいるのだと思います。ちょっと長い話になってしまいましたが、あの世はあると考えれば、今どうすればいいか見えてくると思い書いてみました。本日も最後まで読んでいただき(´・∀・`)ありがとうございます!
おはようございます。間もなくクリスマス。皆さまいかがお過ごしでしょうか。どうぞ~ (o-∀-)) (・ε・。) ===最近、死後の世界だけでなく、子供を中心に、生まれる前の記憶の調査も行われるようになり、人間の生きる仕組みについての考えも柔軟になって来ている今日この頃ですが、色々な話しを聞いているうちに、こんな考えも浮かんできました。===生まれ変わるのは、死を経験しなくても出来る。と言う事です。例えば、今は辛くても、死んだら天国に行って幸せになれる。と言う考えがありますが、この考えは、ちょっと違うようです。生きてる最中に、邪悪な事を考えていて、( `Д´ )ブツブツ。。。死んだ途端に、羽根が生えて、真っ白い服に着替えて、頭に輪っかを乗せて、ボク (。・ω・。) 天使だおとは、ならないようです。考えてみれば、そりゃそうですよね。もし、神様がいるなら、Σ(゚∀´(┗┐ヽ(・∀・ )ノなんでやねん!とつっこみが入ると思います。(病気の場合は、肉体から離れるので、痛みは消えるそうです。)===では、死んだらどうなるかと言うと、なんと!今のままの意識(性格)だそうです。(*・`o´・*)ホ―でも、それもまぁ、考えてみればそうだと思います。だって、死んだ途端に、羽根が生えて、真っ白い服に着替えて。。。Σ(゚∀´(┗┐ヽ(・∀・ )ノさっき聞いた。===では、今と同じ性格なら、この世とあの世の違いは何かと言うと、どうやら、あの世では、自分に近い魂が集まるそうです。わかりやすく書くと、ずるい人は、ずるい魂の集まりに入り、優しい人は、優しい魂の集まりに入る。と言うことらしいです。(=ω=) ん~わかるようで、わかりません。例えば、意識をエネルギーで考えてみると、火は火と共鳴し炎になり、電気は電気と共鳴し強くなります。同じエネルギーは、共振・共鳴するので、互いに引っ張り合うと言うことらしいです。じゃ、嫌な場所に行かないようにするにはどうすればいいかと言うと、死んでから性格を変えるのではなく、生きている間に、なりたい自分になるしかないようです。と言うのも、死んで肉体を失って、意識だけでは成長出来ないそうで、性格も変えようが無いからです。だから、生まれて来て、色々な経験を積んで、理想の自分に近づく努力をするらしいのです。何となくそんな気もする。と言うレベルの話ですが、そうであっても、そうでなくても、信じることで、今を楽しめるなら、信じても良いかな?なんて思ったりしてしまいます。===臨死体験者や、生前の記憶を持つ子供達の話を聞いていると、やっぱり、何か大きな仕組み(あの世)があるように思えてきます。そして、その延長で考えると、自殺者は、生まれ変わった時、いきなり、性格が前向きになるわけではなく、前世と同じ性格なので、同じ問題で悩んでしまいます。同じ問題が出てくると言うことは、それを解決するために生まれてきているので、辛い時こそ、正念場と言うことです。つまり、今の責任は来世へ棚上げ出来ない言うことで、今出来ないことは、来世でも出来ないと言うことなので、いつ生まれ変わるかと言うと、今しかありません。人間は11ヶ月ほどで、肉体の全てが新しい細胞に生まれ変わるらしいので、肉体的な生まれ変わりは、何度も経験します。あとは、自分の考え方を切り替え、心から生まれ変われば、死を経験しなくても、生まれ変われると言うことになります。===話が行ったり来たりしますが、あの世では、同じ魂が集まると言われていますが、実は、今この世にいても、同じ魂が集まっていると言えます。このブログの読者の皆さんも、たぶん、似た傾向の方に読んでいただいてると思います。皆さんヾ(・∀・` )こんにちは~!ち~っす (´・∀・`)y(´・∀・`)y(´・∀・`)yそして、私が邪悪な世界に落ちて行けば、皆さんも離れていってしまいます。(⑅∫°ਊ°)∫きえぇ~!ばいばい (¬ω¬*)(¬ω¬*)(¬ω¬*)そして、そこでまた似た仲間が集まってきます。(⑅∫°ਊ°)∫(⑅∫°ਊ°)∫(⑅∫°ਊ°)∫ひゃっひゃっひゃこれを地獄と呼び、自分の思いが自分の環境を作っている意味になります。===たぶん、あの世も、この世も、連携した相互作用で、互いに発展する仕組みがあるのだと思います。意味が無ければ、生まれてくる理由もありません。その意味が原因で、そこから結果が生まれ、それが原因となって、また次の人生を形作って行きます。そのため、人生に答えはありません。これさえ出来れば。と思って、そこに到達したとしても、そこには、また新しい原因が生まれるからです。=====================これは、仏教的な考えですが、漫画家手塚治虫さんの長編アニメ「火の鳥」は、この原因と結果の考えを元に、延々と宇宙規模で輪廻転生を繰り返すお話です。=====================ただ、そんな事を延々繰り返していては、疲れ果ててしまいます。そのため、人間は生まれてくる時に、過去の全てを忘れて生まれて来るのです。記憶に(´ρ`)ございません。Σ(゚∀´(┗┐ヽ(・∀・ )ノロッキード!Σ(゚∀´(┗┐Σ(゚∀´(┗┐ヽ(・∀・ )ノ古っ!===なんだか、頭がぐるぐる回る話ですが、僕はやっぱり、何か大きな仕組みの上で、この人生があると(。・д´・。)思います。今日も最後まで読んでいただき、(´・∀・`)ありがとうございます。
おはようございます。いよいよ年末な雰囲気ですが、皆様いかがお過ごしでしょうか。さて、先日は、自分軸で物事を考えた方が良い。と言うお話しでしたが、自分中心に物ごとを考えるのを、自己チュ~(*´・з・`*)というのでは?と感じた方もいらっしゃるかもしれないので、今日は、自分軸と自己チュ~の違いについて書いてみたいと思います。===自分軸と自己ちゅ~の違いは簡単です。周囲に人がいても、いなくても関係ないのが自分軸。周囲に人がいないと成立しないのが自己チュ~です。もう少し別の視点から書いてみますね。自分で自分の価値を認めるのが、自分軸。他人に自分を認めてもらうのが、自己チュ~。自分軸 =自分目線が基準自己チュ~=他人目線が基準つまり、自己チュ~とは、自分が自分の価値を認める事が出来ないので、他人に承認を得ようとする心の在り方で、一見、自分が一番と思っているように見えるけど、実は、自分が誰よりダメ人間だと思っているのです。そのため、自分が自分にエネルギーを与える事が出来ないので、他人からエネルギーをチャージしようとします。そこで周囲は、エネルギーを奪われ疲弊してしまい、自己チューの人がいると、疲れる原因の一つになっています。===では、自己チューの人は可哀そうだと言う事で、色々お話しを聞いて、褒めてあげたとします。するとどうなるかと言うと、数時間おきに連絡が入り、褒めて欲しいと言ってきます。もちろん、ハッキリ褒めて欲しいと言えば可愛いのですが、あの手この手を使って、遠回りに、察して欲しいアピールをするので、この時点で、疲れてしまいます。こちらは、何を求められているのか、推測して答えなければいけません。外した場合は、簡単にむくれて不機嫌になってしまいます。o(*≧д≦)o)) 全然わかってな~い!Σ(゚∀´(┗┐ヽ(・∀・ )ノやかましいわ!この状態は一体どんなシチュエーションかと言うと、お腹が空いて彷徨う人に、ご飯をあげたのと同じ状態で、お腹が空けば、繰り返し優しいあなたの所へやってきて、もっと欲しいと言ってきます。最初は可哀そうだから分けてあげますが、彼らは感謝の気持を持っていないので、もらって当然とか、上から目線で味に難癖をつけてきます。もっとこうしたらいい。とか、今日は悪くない。などなど。もちろん言われた方は、カチンと来ますが、彼らは人から何かをしてもらったり、感謝する事を、負けだと思っているので、なんとしてでも優位を保とうとどんな状況でも、上から目線で話かけてきます。では僕たちは、そんな人にどう言った対応をすれば良いかと言うと、食べ物をあげるのではなく、食料の作り方を教えてあげるのが良い方法です。彼らの問題は、自分で食料を作る方法を知らないと言う事なのです。===~エネルギー生産方法~自己チューになっている時は、自分で自分を認める事が出来ないので、自分は孤独で、自分の存在は、周囲に影響を与えない。と思ってしまいます。つまり、「どうせ自分なんか。。。。」(¬ω¬*)と言う感じです。そこで彼らに思い出して欲しいのは、今まで自分の言葉が多くの人を傷付けて来た。と言う事です。つまり、それが悪影響であったとしても、影響力を持っている事に気付く事が大切です。そこで、この影響力を、良い方向で使ってみます。具体的には、コンビニで買い物をした時、「ありがとう」を言う事です。たったこれだけの事ですが、今まで言った事が無い人にとっては、かなり難易度の高い技になります。そこで、実際買い物に行って「ありがとう」を言ってみると、最初は無視されると思います。なぜなら、言い慣れていないので、タイミングが悪く、滑舌も良くないので、相手の耳に届かないからです。しかし、ここでイジけてしまっては元も子もないので、翌日はどうすれば相手に聞こえるか、考えてから言ってみましょう。大抵の店員さんは「ありがとう」と言われて気分を害する事はありません。もちろん、心を込める事を忘れてはいけません。(⑅∫°ਊ°)∫アリガトオではなく、あ (-∀-○) ありがと。。こんな感じでも良いです。気持と言葉が通じるようになると、ほんのわずかな0.3秒間相手の心に火が灯った事がわかるようになります。知らない相手の人生が80年として、たったの0.3秒ですが、自分が誰かを幸せに出来た瞬間です。もちろん、お店の忙しさや状況によって、いつも伝わるとは限りません。言った自分がバカっぽい気持ちになる時もあると思います。慣れてきた時に限って、無視される現象が起こりますが、本当に心から「ありがとう」が言えるようになったのか、試されているのです。慣れてきたら、1つの店から2つの店へコンビニから飲食店等へ広げて行きます。そうすれば、1日、1秒、2秒と誰かを幸せにする時間が増えて行きます。===そこで、ここからが本質ですが、実はこの時、火が灯ったのは、相手の心だけでなく、自分の中でも変化が起こっていると言う事です。そして気づく事は、自分が誰かを幸せにする事は、自分が幸せになる事と同じ。逆も然り。(例 - 人を呪わば穴二つ)と言う事です。ここに気づけば、誰かに褒めてもらう必要はもうありません。そして、相手に伝わらない事も経験する事で、相手の事情を理解出来るようにもなって行きます。心で理解出来ていない時は、「ありがとう」と言ってやったのに、返事をくれない。と思って腐ってしまいますが、意思の疎通が理解出来るようになれば、無理して言わなくて良いタイミングもわかってきますし、意思の疎通に、性別や年齢は関係ない事もわかってきます。===そして、次が最終ステージです。ここからは少し難しいですが、「ありがとう」を言う経験を通じて、次は、「ありがとう」を言われる存在になれるよう一歩踏み出してみましょう。もちろん、遠まわしに「ありがとう」と言われるように相手を操作し、言わざる得ない方向に仕向けるのではありません。相手が自分へ、心からありがとう。と言ってくれた時、自己チュ~の自分は、自分軸へシフト出来ているはずです。今日も最後まで読んでいただき(*≧∇≦)ノありがとうございます。
おはようございます。(・д・) ・・・(・д・)(・д・)・・・(・д・)(・д・)(・д・)・・・Σ(゚∀´(゚∀´(゚∀´(┗┐ヽ(・∀・ )ノ何か言え!===もしよろしければ、BGM付きでどうぞ。そんなこんなで、先日の記事を書いたせいで、人生について考えてしまったのだ。ボクは人生について、タイトルのように、互いに絡み合う二重構造になっているようなそんな気がしてる。それはどんな事かと言うと、まずは、決まったルートを歩く人生(心)。そして、もう一つは自分が思い込んだ人生だ(頭)。そして、自分が思い込んだ人生は、あまり良い人生にはならないような気がしてる。===少し不思議な感じの話だけど、不幸な状態を考えてみると、それは、人生の本当のルートから外れた時だと思う。例えば、自分で会社を作りたくて生まれて来たのに、親の意見と世間体を優先して、一流企業に就職した事で、体調を壊す事になってしまったり、行きたくも無い大学へ行って、余計に先行きが不安になってしまったり、そんな感じだ。===人生のルートは面白いように上手く出来ている。あの人は成功してるのに、自分は失敗ばかりだと思っても、トータルで見れば、全員が100%ラッキーでアンラッキーを経験している。そんな事は無いと思う理由は、自分が、自分の人生を無視して、世間体を優先してるからだ。毎日見るテレビや新聞は、ただの広告に過ぎないのに、セレブの生活ばかりを見ているせいで、自分がひどく貧しく感じるようになってしまう。幸せな家庭とは、週末に高級ワンボックスカーで遠くへ出かけて、美味しいモノを食べて、みんなが絶えず笑顔で溢れている。だから、そんな生活の出来ない自分は、世間から取り残された不幸な人生だと思ってしまうのだ。そんな世界のメッセージは、購買意欲を高めるために、いつも、他人より上位機種を目指す事を訴えている。そのため、人を見れば、自分が上だ、下だと順位をつけたがる。だから、他人の不幸は、自分を幸せにしてくれるように思ってしまい、CMの合間に流れる報道番組の他人の不幸を笑顔で聞き入るようになって行く。===初対面の相手には、まず、自分がいかに偉いかをアピールする。自分を認めてもらうためには、相手より上に立つ必要があると勘違いしてしまうのだ。だから、いつも相手を攻撃してしまう。だから、いつも視線が怯えてしまう。自分が人を責めた分、自分も責められると思うようになるからだ。だから、些細な言葉にも反応してしまい、勝手に責められてるような気分になってしまい、言われる前に、相手の弱点を探し出し、結局いつも疎遠になって行く。こんな感じに、自分は負けないと思えば思うほど、心は固く閉じてしまい、何も見えなくなって行き、心の中では、いつも誰かに呪いの言葉を吐き続ける事になる。===そのうち、自分が偉い人間だと思えるように、裏付けの無い肩書きを持つようになる。肩書きが自分を守ってくれるお守りになるからだ。気が付けば、心を開いて話のできる仲間は去り、ひとりテレビへ向かって文句を言う。政治家はわかっていない。経済をわかっていない。誰も何もわかっていない。そして、呆然と立ちすくむ。自分は一体、何者なんだろう?===もちろん、若い頃なら、誰でも経験する苦い思い出だけど、このまま最期まで行く人もいる。病院の70歳以降の末期患者へ、人生を振り返ったアンケートでは、「もっと勇気を持てば良かった。」が第一位だ。(オーストラリア)勇気を持つとは、何に対して持つのかと言うと、それは、自分の人生を信頼する勇気だ。人生は、自分の運命を優しい言葉で説明してはくれない。だから不安になる。何か保証でもあればいいけど、何も教えてくれない人生を信頼するのはとても怖い事だ。ましてや、現代科学では、運命や死後の世界や魂の存在は無い事が常識になっている。死んだら何も残らないなら、生きてるうちに何をやってもいい。と思いがちになってしまう。こんな感じに保証は無いし、誰も助けてくれないから、勇気がいる。でも、僕たちは、ひとりで生まれて、ひとりで死んで行く。その時、誰かが何かの保証をしてくれるのだろうか。===この恐怖心は一体何なのだろう。何が怖いんだろう。どうして怯えて生きて行かなければいけないのだろう。ぼくたちは、新興宗教や呪い師に洗脳された人を見て、バカだな~と言う。でも、そんな僕たちも、洗脳されているのだ。洗脳は周囲から見るとバカバカしいけど、本人にとっては、心地よく安心感を得る事が出来る。もちろんそれは、自己喪失の上での偽物の幸福感だ。人生の責任から解放された安心感と言っても良い。僕たちの洗脳は、他人より下になると負けになる。努力しないと不幸になる。週一で家族旅行をしない家は不幸な一家だ。点数が上の者が、上位の人間。ブランドバックは勝者の証。成功者と書いてセレブと読む。新機種を持たない奴は変わり者。この壺を買えば幸せになれる。この肩書きを持てば、勝者になれる。黄金の仏像は木造より価値がある。これさえ買えば、私の人生は保証される。と教え込まれている。洗脳から離れられないのは、世間から離れ、孤独になる恐怖心があるからだ。たった一人と言う感覚は、とても怖いことなのだ。そこには何の保証もない。===この洗脳から解き放たれるためには、人生を信頼する勇気が必要だ。自分より物の方が信頼できると言う事は、自分の人生を放棄したと言っていい。人生がいかに巧妙に出来ているか、その仕組みを理解するには、覚悟と勇気がいる。怖い。でも先ほどのアンケートによると、60%以上の人が後悔してる。どうして勇気を持てなかったんだろう。どうして挑戦しなかったんだろう。どうして人生を信頼できなかったんだろう。中には、「若い人にはもっと挑戦して欲しい。」と言う言葉もアンケートには書いてあるけど、自分が人生を信頼できなくて、若者に勇気を押し付けるのは、最期まで格好悪い。説教くさいと言う言葉は、実体験の乏しい老人の戯言の意味なのだ。実体験の乏しい老人ほど、いかにも老師のような口調で喋る。歳だけ取るのは、誰でも出来る本当の年齢は、魂が重ねた経験なのだ。===ただ、人生を信頼したところで、悩みは生まれる。でも、その悩みは、起こるべくして起こり、それが次のステップへつながって行く。人生の仕組みは、僕たちの知性では解明出来ない。だから不安になるのではなく、だから信頼できるのだ。人生は僕たちを助けてはくれない。それが必要な経験だからだ。そんな時、モノに答えを求めてしまったり、自分の都合の良い考えで行動すると、間違った方向へ進み、物事は縮小、衰退の方向へ進む。ましてや、せっかく必要な人生設計に対して、神社仏閣でお祈りをしたり、高額なお布施を払ったり、苦労を排除しようと努力する事が、不幸の元凶なのだ。じゃ、辛い時はどうすればいいのか。===ただ、じっと現状を見つめる事。(これを諦めると言い、真実を明らかにする意味。)そして、今の状態が必ず良い結果に繋がっている事を信頼する事。そして、ひたすら待つ事。待つ勇気を持つ事。待っているだけじゃ、何も解決しないように思えるけど、ただ無心で待つ。すると、不思議な現象が起こり始める。今まで偶然の一致や、不思議な現象だと思っていた事が、向こうからやってくる。人生の設計図は、自分ひとりだけの物ではなく、全ての人たちとつながっているからだ。その仕組みは、もちろん僕たちには理解出来ない。でも、その瞬間は、いつ、どこで起こるのか、すでに計画済なのだ。===自分はどんな人間になりたいのだろう。常識の洗脳から離れ、理想の自分を求めても、その瞬間は、すぐには訪れない。でも、その瞬間のために、準備は必要だ。技術や知識だけでなく、理想の自分は、一体どんな性格で、どんな優しさを持っていて、どんな素敵な人間なんだろう。そんな事を考えながら準備をすれば、その瞬間は、あっと言う間に訪れるのだと思う。もちろん、壁は高いほど、準備に時間はかかる。その道のプロになるなら1日9時間3年間。合計1万時間かかると言われているけど、それが出来ると言う事は、人生を信頼している証拠で、それが出来ないのは、努力が苦手だとか、頭が悪いのではなく、自分の人生を信頼していない事が、原因なのだ。そんな事をしたって何の保証も無い。こんな努力に一体何の意味があるのか。100円コストがかかるなら、120円の利益が無いと意味が無い。訳のわからない事に時間もお金もかけられない。自分なんかに出来るわけがない。こんなご時世に、好きな事が出来るわけがない。そのうち、自分を否定してこそ、大人になった自分に安心感を覚え、損得勘定が全ての価値観になって行く。それでも、考えてワクワクする事があるなら、それが自分だけの人生の設計図だ。それを設計図だと信頼する勇気が持てるか、持てずに諦めるかは、もちろん自由意思。勇気とは、諦めて恐怖心を手放し、人生に身をゆだねる事で、恐怖心の元をエゴと言う。人生は「心」と「頭」のせめぎあいなのだと思う。そして、心=自分軸頭=他人軸とも言える。これは、昔のお坊さんの道元が著書「正法眼蔵」の中で、「身心脱落」と呼んでいる。人生と自然の流れに身をゆだね、あるがままが人生の本質なのだと思う。=(補)テレビやメディアの発達する前の鎌倉時代でも、今と同じように、相手より上だ下だと言っていたらしい。そんな事を思わない時代は縄文時代で、なぜそれ以降、人は誰かと何かを比較して上だ下だと言っていたかと言うと、それはたぶん、人が人の上に立って、武力で政治や統治を行って、封建社会や弱肉強食の発想がみんなに浸透したからだと思う。明治以降は、イギリス型近代資本主義が、名前を変え、とぼけた顔で封建社会の続きを作っている。そんな感じに、上に行けば、豊かになれると、2600年以上に渡って、僕たちに染み込んできたのだ。=もちろん、1万時間やれば自動的にプロになれるのではなく、そこまで信頼して没頭出来る事があるなら、それが試験であり、自分の人生を正しく歩んでいると言う証拠なのだ。それに、知識は短時間で身についても、それを智慧に変換するまでには、時間がかかる。時間は自分の努力ではなんとも出来ない。しかも、そのチャンスはいつ訪れるかわからない。なぜなら、それが人生の見せ場だからだ。===あれもダメで、これもダメで、何をやってもダメだと思う人もいる。でもそれは、答えに近づいている証拠だ。最後に残った一番身近で意外な芥子粒が、本当の自分の目標だと気付く事もある。人生は面白いもので、最初から答えは見せてくれない。最初から見せたら大切にしない人がいるからだ。そんな人には、見つけるまで、苦労をするように設計されている。人によっては、自分には理想が高すぎて、とてもそれが自分の目標だとは思えない人もいる。逆に、人にとっては難解な事でも、自分にとっては簡単で些細な事だから、それを人生の目標にする気にならない人もいる。そんな人には、沢山の失敗を与える事で、苦労の先にたどり着いた時、腑に落ちる深い感動があるように、上手く設計されているのだ。人生はかなりの演出家とも言える。せっかくの演出の途中で、人生を信頼する勇気を持てず、恐怖心に駆られて、また人より上だ下だと言い訳ばかり考え始めたら、せっかくの人生の見せ場がお釈迦になってしまう。そう言った人が、全体の60%と言う事なのだ。===もちろん、40%の人は、自分の設計図を手に入れて、自分自身の人生を楽しんでいる。自分が自分である事への喜びは、他人の上下とは全く違う次元にあり、自分が自分である事が嬉しくてたまらない気持ちになる。新しい車や何かを買う動機は、嬉しさや喜びに繋がるからだけど、本当に欲しい物は、嬉しさや喜び、幸せであり、物は物でしかないと言うことなのだ。そして、僕たちはこのシナリオを最後まで楽しんで、喜びと感動を胸に天国へ向かうのだと思う。映画を観たり、本を読んだり、お芝居を観たり、楽譜を演奏してみたり、人生もそれと同じなんだと思う。主人公が幸せで、そして幸せで、最後まで幸せでした。こんな物語のどこに面白みがあるのだろう。僕たちは、主人公の苦労とそれを乗り越え成長する姿が見たいのだ。そして、この人生の主人公は、自分自身と言う事なのだ。今日も最後まで読んでいただき(´・∀・`)ありがとうございます。
おはよう(´∀`艸)ございま~す。( ◉ਊ ◉) あははここのところ、頭の中身が音符だらけになってしまったけど、今日は落ち着いて文字を書いてみようと思う次第でございます。よろしくq(。・ω・q)(p・ω・。)pです~。===個人的に流行りの心霊現象等々について、テレビレベルの話だけど、幽霊の言い分について考えていました。人や家にとり憑く幽霊の言い分を聞いていると、大抵、恨みや憎しみなど、うらめしい気持ちがメインになっています。もちろん、それは仕方ないと思うシチュエーションもあるけど、良く良く考えてみると、人をうらめしく思う気持ちと言うのは、自分の人生の責任を、他人に譲り渡した。とも言えます。あの人のせいで自分の人生が不幸になった。と言う考えは、自分で自分の人生の責任を果たすのではなく、他人に自分の人生の責任を預けたとか、押し付けた。と言うことになるので、私の不幸は、誰かのせい。と言う発想につながってしまったのだと思います。そんな浮かばれない幽霊は、数十年~数百年にわたって、この世を彷徨うことになったり、他人に災いを引き起こすことになりますが、ただ、いずれは天国に行くはずなので、一旦天国に行けば、そこで、過去を振り返る時間が訪れるらしいです。しかし、天国で反省したところで、その場で成長するかと言うと、どうやらそうではないらしく、実際成長するには、またこの世に生まれてくる必要があるそうです。そこで転生前に、自分の人生設計を綿密に立てることになりますが、前回の人生では、他人やモノなど、自分以外に自分の責任を押し付けたので、今世では、そうならないように注意する必要があります。そこで例えば、前世で自分はひどく傷ついたので、今世では優しい人たちに囲まれたい。と考えたとします。しかし、魂の根幹には責任転嫁と言うカルマ(宿題)が残っているので、もし、優しい人たちに囲まれたら、ほんの些細な裏切りが、再び恨みの念を生み出し、また同じ人生を歩むことになってしまいます。優しい人たちと言う意味は、この場合、「私にとって、都合の良い人たち」と言う意味になるからです。そこで、人生設計は次のように行われます。まずは、甘えを許してもらえない冷たい両親を選ぶこと。その事によって、子供の頃から自立精神を学びます。少し家庭環境に恵まれない子は、他の子に比べ、数年精神年齢が高くなります。人生とは何か、自分とは何かを深く考える機会が普通の子に比べて増えるからです。そして、そんな恵まれない子供時代を送った事で、将来、幸せな結婚があるかと言うと、それはありません。本当に学ぶ事が出来たのか、それを試す試験期間として、結婚生活を送る事になるからです。そして、そのお相手と言うのは、前世で自分を責めて、裏切った相手になります。つまり、いよいよ前世で戦いに破れた相手と対峙し、それを乗り越える機会を与えられると言うことになるのです。しかし、そこで相手を恨んでしまっては、また同じ人生の繰り返しになるので、今世では違うアプローチをします。相手は以前にも増して、自分を攻撃してきますが、それは、前世を思い出すためのきっかけやヒントなので、ここはぐっとこらえて耐えしのぎます。ここで注意したいポイントは、前世では、相手の言葉を鵜呑みにして、無力で非力な自分を責めたこともあったけど、今回は、自分がいかに多くの才能や環境に恵まれているかを探し、認める事です。何も無いとは思っても、今夜のご飯はあるはずですし、歯を磨けば、歯ブラシも歯磨き粉も持っているはずです。とにかく、自分が持っているモノだけでなく、例え些細な事に思えても、自分の性格や才能など、自分が本当は優れた人間である事を思い出す事が大切になってきます。そして、今に集中する事。今自分は、危険や死に直面しているわけでなく、今の状態に何も問題は無い事に気付く事。そして、今に集中して生きる事。それを繰り返す事で、ふっと気付きが芽生えます。ひとつは、自分の不幸は、自分の想像に過ぎなかったと言う事。幸せな生活の中で、不足しているものばかりを探していた自分に気付く事で、自分はすでに、恵まれた人生を送っている事に気付く事につながります。そうなると、相手からの攻撃は、自分の問題に対する意見ではなく、相手の勝手な想像の押し付けに過ぎないと言う事がわかってきます。そこに気付くと、恐怖心は失われるので、相手の言葉に振り回されることがなくなって行きます。と同時に、相手は自分の意見を聞き入れないことに対して、なぜ無視するのか、相手にしてくれないのか、恨みや憎しみを持つようになって行きます。そしてここが山場ですが、この時、恨みや憎しみを持った相手の顔を見る事で、自分自身の、前世の過ちに気付く事ができると言うのが、自然の仕組みなのだと思います。つまり、目の前の相手は、前世の自分自身であったり、自分に関わる人達は、同魂(どうこん)であると理解する事です。その後、自分自身が堂々と生きることで、相手や、周囲の同魂を癒すことができれば、それが真の意味で、今世の最終目的地なのかもしれません。それができなければ、また同じ人生を繰り返します。これはおそらく、自殺経験者も同じで、生まれ変わったとしても、壁を乗り超えない限り、同じ問題は繰り返し目の前に現れるのだと思います。そもそも、自分自身を変えずに、環境だけが、自分の都合の良い方向へ進む方が、不自然だと思います。この世は、自分が作っているからです。===長い話になってしまいましたが、人生や自然は、言葉で意味を教えてくれませんし、文字を読んだり、言葉を聞くだけでは、なかなか自分の考えを変えることは出来ません。天国で勉強が出来たとしても、経験が伴わなので、成長出来ないのと言う事だと思います。そんな感じで僕たちは、自分自身の価値を認めるまで、自分自身の勝手な想像で、不幸と呼ばれる経験を繰り返し、もがき苦しむのかもしれません。人生が辛いと感じる人も多いと思いますが、たぶん人生は、問題無いことを教えるために、問題を見せてくれているのだと思います。ちょっと不思議なお話しですが、テレビで、うらめしや~とか言っちゃってる幽霊を見て、そんな事を考えてしまいました。今日も最後まで読んでいただき、(´・∀・`)ありがとうございます。