おはようございます。

 

せっかく頭の中が

あの世モードなので、

もうすこしあの世について

考えてみたいと思います。

 

おっとっとオバケ=3 ヾ(・∀・` ) やぁ

 

自分もあの世が近づいてきてるから。

と言う理由もあるけど、

もっと前から興味があったのだ。

 

どんな感じに興味を持ったかと言うと、

どうもこの世は、話しが上手く出来過ぎている。

 

例えば、皆既日食を眺めてみると、

太陽と月は、全く違う距離にあるのに、

地球から見ると同じ大きさに見えたり、

 

植物は何も喋らないのに、

地球の重力や大気、自分のいる環境を想定して

様々な形の種を遠くへ飛ばしている。

 

昆虫と植物の共同作業や、

草食動物との連携。

そして、草食動物の数を調整する

肉食動物の役割。

 

自分を考えてみると、

意識しなくても、

食べ物は消化、吸収、排出され、

病気や怪我をすれば、

自然に治る。

 

生物は、DNAの設計図により、

色々な形や習性を持ち、

互いに協力をして生きている。

 

そして、最も謎なことは、

自分は知識を持っていなくても、

良心を持っていること。

 

この良心と言うのは、

教典や聖書を知らなくても、

自然に人生の方向を教えてくれるのだ。

 

===

 

学校の勉強や宗教や、

メディアの情報を差し引いて、

自分の感覚だけでこの世を眺めると、

 

バカバカしいほどの

秩序と調和を保っている。

 

これらの仕組みは、

神が作った説や、

宇宙人が作った説があるけど、

どちらも正しい答えは見当たらず、

 

いずれにしても、

何かしらの知性の介入が無ければ

成り立たないと言う意味なんだと思う。

 

===

 

科学の目線で考えると、

電気が存在するためには、+と- が必要で、

磁力が存在するためには、NとS が必要で、

 

道教の世界では、

物事は、表と裏や、光と影で出来ていると考える。

 

そのため、宇宙誕生で生まれた物質は、

それと反対の性質を持つ、反物質が存在するのでは?

 

と考える説もある。

 

だとしたら、物質の反対側に、

反物質としてのあの世が存在しても

良いでは?

 

と思ってしまう。

 

そして生命は、電気や磁力の循環のように、

この世とあの世を循環するダークエネルギー

なのだと思う。

 

この世が存在するためには、

あの世が必要と言うことだ。

 

===

 

そして、そのエネルギーは、

知性を持っている。

 

知性とは、

物事を拡大、発展する方向へ

推し進める力だ。

 

例えば、この世に細胞が一匹いたとする。

 

その細胞を潰してしまえば、

この世は終わるが、

 

その細胞を、1匹から2匹へ増やすためには、

DNAを生み出す知性が必要と言うことだ。

 

喧嘩はバカでもできる。

 

と言われる所以である。

 

===

 

僕は、神と言う存在は考えない。

 

神と聞くと、なぜか眉をひそめてしまうのは、

過去2000年以上に渡って、

政治や権力に利用されてきたからだ。

 

神から免罪符を購入することで、

罪は消えるとか、

 

値段の高い仏像の方が

ご利益があるとか、

 

死んでも、名前は長い方が良くて、

長くなるほど、値段は高くなり、

棺桶すらも、質やデザインによって値段が変わる。

死んでもなお、人より上か下かを競いあう。

 

幸せになるためには、開運のお守りを買い、

不幸を避けたければ、お札を部屋中に貼って、

お金が欲しければ、七福神の置物を

所せましと並べ立て、

何かを買えば、幸せになれると

思い込まされている。

 

逆に言えば、何も買わない人は、

不幸になると言う意味だ。

 

神に逆らうことは、

その時代や国の

その場限りの法律を犯すことであり、

権力に逆らう者は地獄へ落ちると

しつこく説教をされる。


決して神が悪いわけではなく、

その名を語る人間が悪いのだ。

 

そして未だに、

神が誰だかわからない。

 

今後神は、AIに名前を変え、

誰かの都合に合わせて、

ありがたい言葉をテキストデータ音声出力で

語り始めるのだと思う。

 

===

 

しかし、神ではなく、

あの世を想定すると、

色々な謎が解けてくる。

 

最近思うのは、

 

科学はあの世を証明出来ないのではなく、

あの世を隠そうとしているのでは?

 

と言うことだ。

 

近年、新しい文明の発見が相次ぎ、

最古の文明は5000年、1万年、20万年のように、

どんどん古い文明が見つかっている。

 

文明は滅びても、

人類が滅びたわけでないので、

その英知を受け継ぐ人または

団体があるはずだ。

 

その智慧の中には、

政治的に捏造された神ではなく、

本当の意味で、この世の仕組みを解明した

本や資料もあるはずで、

 

だとしたら、

 

権力者は、その存在を

隠したいと思うのではないだろうか。

 

なぜなら、あの世の知性を活かし、

この世であの世を体現するなら、

 

この世を統治する権力者などは必要無いことが、

バレてしまうからだ。

 

また、科学は先端へ行けば行くほど、

あの世の壁に突き当たり、

 

特に、医療の現場では、

あの世がいよいよ無視出来ない

存在になっているような気もする。

 

===

 

権力者がいるから国民は幸せと言う発想は、

洗脳に過ぎない。

 

その証拠に、今日も昨日もその前も、

税金は払っても、

権力者に助けられた人はいないはずだ。

 

災害があっても、助け合うのは国民同士で、

国はゴミの集積場を提供している

と言うかもしれないけど、

その土地は、国民のものなのだ。

 

もちろん、壊れた橋や道路を直すのも、

権力ではなく国民なのだ。

 

権力者がいなければ、

戦争も起こらない。

 

戦争とは、国対国の戦いではなく、

権力者の国民へ対する一方的な暴力なのだ。

 

戦争でなくても、

100万人規模のデモが起こった場合、

国の軍隊は、権力者を守る。

 

100万人が行動を起こすと言うことは、

明らかに権力者に問題があるはずだから、

もし、軍隊が国民を守る存在なら、

その銃口は、国会へ向けられるはずだ。

 

しかし、実際武力で制圧されるのは、

どこの国でも、そこの国民なのである。

 

===

 

科学の発展は、

宗教の代わりに、政治の方便に取り入れられるようになり、

科学的に正しいことが、真理だと教えてきた。

(直接政治に協力する科学者を、御用学者と言う。)

 

しかし、その科学も宗教と同じく、

時代や国によって、真理は変化する。

 

新しい発見があっても、

今の時代にそぐわなければ、

闇から闇へと葬られるのだ。

 

例えば、火星の表面が地球と同じだと、

今の時代の世界観にそぐわないので、

赤いフィルターをかけて、

大気は真っ赤で、気温はマイナス100度以下で、

一瞬でも人間は存在出来ない。

 

と発表をする。

 

そして、時が流れ、

そんな嘘が隠しきれなくなっても、

その当時の虚偽を謝罪することはない。

 

科学は、時代によって進歩するから、

新しい説が生まれるのは

仕方ないと言う事らしい。

 

つまり、今言ってることも、

政治情勢によって

将来どう変化するかわからない。

と言う意味なのだ。

 

例えば、電子レンジひとつ考えてみても、

便利だと言って使っているのは西側諸国で、

ロシアは栄養素を破壊する機械だとして、

使用する人は少ない。

 

電子レンジは、冷戦時代のアメリカ発祥だから、

科学が政治で変化する良い例だと思う。

 

===

 

つまり、科学であの世を証明出来ないからと言って、

あの世が無いことにはならないし、

あえて、あの世の問題に触れないように

思えてしまうのだ。

 

西洋社会では、

未だに、死を生と対極に置き、

死を最高の不幸だと教え

恐怖心を煽っている。

 

この意味は、

「キリスト=権力者」 に従うことで、

魂は救われる。

 

とすることで、

労働を強制したり、

反政府に走らないように、

脅かしているのだと思う。

 

民衆を助けるはずの仏教も、

権力の一部となった事で権威化がすすみ、

坊主が民衆を見下すようになって行き、

形骸化した結果衰退し、

今、その役割が問われている。

 

本来カルマを解く仏教が、

まさにカルマを背負い、

苦しんでいるのである。

 

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個人的には、

ブッダもキリストも、すごい人だとは

思ってるけど、

問題は、それを都合良く利用した

時の政治家が問題だと思っています。

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逆に、チベットや南太平洋の島々の

いわゆる後進国と呼ばれる人々は、

死を当たり前のこととして捉えている。

 

死は誰にでも訪れる自然現象で、

それを怖がる意味がわからない。

と言う発想だ。

そして、あの世と上手く付き合っている。

 

おかしな教育や常識から離れ、

改めて自分の目でこの世を眺めると、

全くと言っていいほど

違う世界が見えてくる。

 

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生まれて来ることは死に向かっている事とか、

人は、生まれながらに死神を背負っているとか、

死を悪と捉える前提があるから、

ネガティブな言葉も多いけど、

 

あの世にいれば、

この世に生まれる準備期間と考えるだろうし、

この世にいれば、

あの世へ向けての準備期間と考える。

 

そんな無限ループから離れる方法が、

「今」を生きる事なんだと思う。

 

今を生きれば、生も死も関係なく、

今しかないからだ。

 

僕たちは、死んだらどこへ行くのかとか、

来世はどんな人生なのだろうかとか、

あれやこれやと心配するけど、

 

太古の昔から未来永劫、

今ここにいるのだと思います。

 

ちょっと長い話になってしまいましたが、

あの世はあると考えれば、

今どうすればいいか

見えてくると思い書いてみました。

 

本日も最後まで読んでいただき

(´・∀・`)ありがとうございます!