最後の記事からもうすぐ1年。

ほったらかしすぎですねー(笑)



そしてまたほったらかすっていう。


新しいブログつくりました。



新・宇宙人ブログ



同じようで別人になっているような佐々木明里です。
よければ新しい佐々木明里もどうぞよろしく。笑





私は、ずっと「何も問題のない世界」の感覚を覚えていて。
たまにその感覚が、道端を歩いていて料理店の前を通った時、食べ物の匂いがふっと香ってくるような…そんな空間の隙間のように、感じることはあったのだ。

私の元いたところはそこだと感じて来たし、
このブログやメルマガでも、たまに触れてきた。

自分を癒して行った先には、
きっとあの世界があるんだと思っていたんだ。

何も問題のない世界。
そこには、感情も、ほとんど生まれないのね。(私のいた「問題のない世界」というのは、そうなの)

ここ最近は、
その「問題のない世界」に、まだ戻りたくないでいる自分も感じていて。
だって、すぐそこにあって、いつでもそこに行けるんだけど、まだそこには行っていないってことは、本当にはそこに行きたくないってことだから。

まだどこかで怖がっていたくて、
悩んでいたいのだ、と。

人間でいたかったのかも(笑)
人間じゃなくなるようで、まだしがみついていたかったのかも。



出てみたら、
やっぱり人間らしさはなくなった気がした。
↑サラッと重大発表

動物か植物にでもなったみたいな気分なのね。それか、妖精?


出てみて気づいたのは、
最後の最後は、
「世界観を癒す」ことだったということ。

ネガティブな感情はすべて、
無価値感という土から生えている、幹や葉っぱのようなもの。

この無価値感を癒さない限り、
感情はいつまでも再生産され続ける。

この無価値感は、
「世界観」なのね。そして、概念でも思考でも言葉でもなく・・・「体感」だった。
自分を通して見るもの、聴くもの、感じるもの、すべてこの世界観を通して知覚しているよ。

色眼鏡とかも言えるのかもね。

自分は無価値だという世界観を「出て」
違う世界に身を置いた時、
自分の世界から、すべての問題は消える。
ネガティブな感情はもう、生まれなくなる。

元が消えるから。
(反射では出るけど、すぐに出られる)

不安も、悲しみも、寂しさも、失望も、怒りも、罪悪感も、、
無価値感から生まれているから、
それがなくなると、ネガティブな感情を、経験することすらなくなる。

あと、寂しさや悲しさ(無価値感、満たされてない思い)がベースにある時の、満たされた喜びって強烈だったんだなぁと思うんだ。

無価値感から出た時、喜びとか楽しさもかなり穏やかなものになった。

人間らしさがなくなったかもと言った理由はこれです(笑)
感情の動きが、ほとんどなくなるから。

これはね、もとから私のデフォルトがそれに近かったのかもしれないけど。




人によるんじゃないのかな?
世界観(無価値感)を癒しきったあと、

ポジティブ(統合的・あたたかな)世界観に切り替える人もいるのかもしれないと思うんだ。

そうなったら、きっととてもパワフル。
創造していくの世界なのかな。
そこにいると、また感情や世界の感じ方は違うのかもしれない。
常に愛や喜びで満たされた感覚、というのも、体験できるのかも。

ただ、私はこの立ち位置(なんでもない世界)の人な気がするので、このまま行こうかしらと思っております。今のとこは、だけど。

なんでもない世界にいるとき人生がどういうものに感じられるかいうと、
「やること」を「やる」んだな、という感じ。
なにかしか「やること」は見えてくるのでね。

木だって、自我がなくても光合成して酸素吐くんだもの(笑)宇宙の自我かね?
(宇宙人じゃなくて木になるのか。笑)

というかね、むしろ今までの「これやったらどうなるんだろう(不安)」というストッパーがなくなるので、周りからは前以上に動いているように見えるようになるのかもしれんです。

でも、寝たいときに不安もないので、今寝てたーーいなんてときは、いつまでも寝てるかもしれませんけど(笑)

この感覚に慣れたらまた変わるかもだしね。それはそれで。


今回のはこの辺で。
かなりブログ(日記)的に書いたなぁ。。。
↑佐々木明里基準

前みたいな記事はもう書けなさそうなので、
これからの書き方模索中です。
「こう思われたらどうしよう」が全くなくなると、それはそれでどう書いていいかわかんなくなって書きにくいね・・・まぁいいや。。。

ではではみなさま、ごきげんよう~( ´ ▽ ` )ノ
前作「宇宙人、チキュウを見つめてみた。」からもう8ヶ月。。。
実は2月ごろから構想も収録作品も決まっていたのですが・・・

やっと完成!

短編物語を集めたもの、、ではあるのですが、
このCDひとつで「流れ」があって、
ひとつの作品のようになってもいます。

言葉にならない「感覚」を、物語のカタチを借りて表現したもの。
佐々木明里の世界観がみっちり詰まっておりますヾ(@°▽°@)ノ
あまり「普通の」物語ではないのよね~。
抽象的というか、登場するのも風だったり雨だったりします(笑)
人によっては哲学的とか言われそうだ(笑)

聴き終わったあとの余韻がじわっと穏やかに広がるような、
そんな作品になっていると思います^^

前作よりこっちが気になる!って人、いないかな?
ぜひ!

全然別ものなので、
こっちだけでも楽しめますよー!

【収録作品】

1ノック
2ある画家のアトリエ
3旅人は舟をこぐ~前
4風のこえ
5咲いていた
6旅人は舟をこぐ~後
7たんぽぽの想い
8短い物語
9種の物語
10Documentary
(全59分)

詳細はこちらから↓
http://sasakiakari.net/sell/sell_voice_cd2.html

【紹介動画】収録作品「ある画家のアトリエ」公開してます~



youtubeから見たい場合はこちら↓
https://youtu.be/QLgfW_nhH4U


ちなみに前作「宇宙人、チキュウを見つめてみた。」はこちら↓
http://sasakiakari.net/sell/sell_voice_cd1.html

なんとなくこうしたことも書きたくなるので。




説明面倒だし言葉だけだと誤解されやすいから、


あんまりこういうこと言わないんだけどさ。





私は、みんな仲良くしちゃえばいいのに。




って、ずっとそればっかり思ってました。






あまりに単純でどうしようもない想いだけど、

自分の中にある以上否定するのも違和感なのね。








ただ、みんなで愛し合えればいいのに、




って、ほんとうは思ってます。








私がこの世界でショックだったうちのひとつが、


「みんなで仲良く」ができない世界なんだということだったと思います。

どがーん!ってくらいの恐怖だった気がします。




「みんなで仲良く」しちゃいけないんだというくらいに思えてた。










誰かを好きになったら、順番をつけなきゃいけないんだ?

誰かを嫌わなきゃいけないんだ?

好きと嫌いで分けなきゃいけないんだ?

間違っているとたくさんの人に言われるもの(差別とかもね)は、


同じように嫌ってないといけないんだ?








それが「普通」らしい=そうしなきゃいけないと私はそれを思い込んだのね。






だからわりとこの辺、抑圧してきました。


みんなで仲良くできたらいいな、なんてのは非現実的なことだ、




世の中そんなに甘くない(らしいぞ)

偽善者みたい(と思われるらしいぞ)、とかってね。







受け入れられないものは、


攻撃することが正当化されてしまうことも、


すごく怖かったです。


宗教戦争にしたって差別にしたって、特定の誰かが叩かれることだって。








ただ、違ってるのを違ったままじゃいけないの?

なんで、そんなことするの?

害を加えてくるわけでもないのに・・・










子供っぽいくらいの想いかもしれないけど、

消えそうにない想いなのだよ。

消すものでもない気がしてるし。




持っているだけなら無害だし。笑














願いとしては、あるけどね。








この世界のみんなが、仲良くできたらいいのになぁなんて。






仲良く、って、べつにニコニコしてくっついてよう、ってことじゃなくって。








「違うもの」を放っておけるくらいの余裕だったり、


「違い」を豊かさとして楽しめる寛容さだったり。










否定したり攻撃したりするんじゃなく、

ただ存在を認め合えたらいいなぁっていう、


そういう自由な風通しの良い「仲良く」というか。


(ひとりは好きだし。笑)










それに私は、やっぱり人間って、

根本にまでたどって行ったら、


あるのは「愛し合いたい」だけなんじゃないかなぁと思うからさ。












物質世界であり、二極というものがあり、




これだけ「違い」の幅が大きい中で、


壊れもする肉体を持ちながら生きる中で、




それは、難易度としては高いのかもしれないけど、









だからこそ、簡単でシンプルすぎる部分を大事にしていたいと、思ったりするんだ。


















世界の一人一人が





よりお互いを愛するためにのみ何かをするなら。











違いを讃え合えるようになるなら。

















喜びの中で生きられるんじゃないかなぁ、なんてね。



よくあるポジティブシンキングの類って、

私は苦手でして^^;




それとなく逃げます(笑)


本だと閉じてそっと戻します(笑)






やろうとしたことはあったんですけど・・・いや、やろうとしてなかったかしら正直(笑)




発想の転換を意識的にする、というところは、面白いとは思うんですよね。


いつも通りの考え方じゃなくて、違う見方で物事を見てみる、

そういうきっかけとしては、利用してみたりもしてました。






ただー・・・私はなんだか押し付けられてるようで窮屈なんですー(ノД`)






「いい・悪い」で考えるのが苦手なせいでもあるんじゃないかな。






ポジティブシンキングって、

「いい・悪い」が明確にないとできないんですよね。






私はただでさえ何かを「いいもの」「わるいもの」と決め付けることが違和感なので、




こういう状態がすばらしい!(○○はダメだ)

こういう状態でいるべきだ!(○○ではいけない)




・・・って、「こういう状態がいい・悪い」をシャワーのように浴びせかけられてるように感じてしまって反射的に抵抗を感じちゃうんです。






またその思考停止感が怖いというか違和感というか。

考えなくなる感じがするんです。

「上手くやれている感」のほうが重要になって、大事な事に目をつぶってしまう感じがする。




つらいのを我慢(無視)できるようにするための手段にもなってしまうし・・・








ポジティブシンキングって、

自分の本当にやりたいことはこれだとはっきりわかっているときに、

ちゃんと自分のために役に立つように使おう、

と注意して使わないと、





ただの世間に都合の良い人間になってしまうという気がする。

←変な反骨精神?笑








それにひねくれ者だからかなぁ(笑)






「これはこういうものなんだからそうしろ」って言われている気になると、

それが本当に「いい」かなんてわかんないでしょ!ってつっこみたくなっちゃうのー




勉強することでさえ「それほんとに”いい”の?」って疑問でしたからねー。

(そういや「学校行くことはほんとに”いい”の?」ってとこから疑ってたんだものな)


















反発しまくってたせいでしょうかねー(笑)






どっちが面倒くさいのやら^^;