石鎚山旧三之鎖
ある日突然来たメールからご縁があり石鎚山の鎖を譲り受けることになった。
安永8年(1779)石鎚山に掛けられた旧3の鎖である。
本来は各地の石鎚神社で御神体として扱われるべきこの鎖が一握りの歴史の中で何
らかの事情から信仰者の元を離れ更には行く先をも失い、もはや出所すら分からない
信仰心ある後継者に引き継がれる事もなくまわりに回って僕のところへきた鎖である。
石鎚神社一千三百年史の年表によれば「安永8年 石鉄山弥山の鉄鎖切れる」とあり
この事がきっかけで今回の鎖に掛け替えられ更に翌年の安永9年には鎖の掛け替え
功労者「木地屋市左エ門 第一番の先達会符を受く」とある事から石鎚山先達会符
発行のきっかけとなった鎖でもある。
この鎖は安永8年以来210年の歳月を経て平成2年(上り)3年(下り)に新たに掛け変え
られた時に外された古い鎖であり、僕の知る限り石鎚山・石鎚信仰の長い歴史の中で
現存する物では最も古い物である。
まずこの平成2年と3年の掛け替え時、古い鎖のことは「石鎚信仰の歩み」の第一篇に
以下のように記されている。
「古い三之鎖について・古い三之鎖上り分は本社本殿前の階段手すりとして設
置し、お山に登れない方々に、ふれて戴く。三之鎖下り分は、教会・遥拝殿で希
望する長に授与する。但し御神体として、神前奉斎する事を絶対条件とする。」
と記されている。
この平成2年と3年に新しく掛け替えられた鎖については先日この日記に記した通り
であるが古い鎖については上記の内容であり、石鎚神社本社の手摺に使われている
事は誰もが知っていることである、そして石鎚本教各教会・遥拝所へ送られた古い鎖
は、珍しい物ではなく、各地の石鎚神社へ訪れた際には御神体として祭壇に祭られる
鎖を見る事は何度もあり、鎖を手に取って触る事ができる石鎚神社もあった。
そしてこの鎖は、本教だけではなく古くから石鎚山に関係した処へも送られていたよう
であり、今手元にある鎖はこの時に贈られた内の1本である。
鎖は奉斎用の立派な木箱に収められ、当時どれだけの数が作られたかは不明だが、
そのほとんどは石鎚本教の教会・遥拝殿へ送られたことと思う、そして鎖の箱蓋には
「 安永八年 霊峰石鎚山三之鎖として懸垂せしもの也、奉斎用」と記されている。
この鎖、本来は持つ者が石鎚山そのもの(御神体)として扱うものであるが今までどの
ような歴史の流れでここへたどり着いたものか?そして今後はどのようにすればよい
ものか?とりあえずいろいろと考えた結果、もう一度この鎖を石鎚山へ担ぎ上げようと
思っている、御縁があり一条の数ある鎖の中からたどり着いたこの1本の鎖、普通に
考えて平成3年に外された後にもう一度石鎚山へ登った鎖は無いだろうと思う、そして
石鎚山の御神徳をいただいてから次のことは考えてみよう。
「この鎖は210年間、数知れない人々がこの鎖にすがり我が(想い)そして(祈り)を運び
続けてきた鎖である 」この鎖をもう一度石鎚山へ担ぎ上げる事は本当の意味で、この
鎖にすがってきた先人すべての思いを背負っての登拝となるだろう。
鎖は立派な木箱に収められている
まさしく石鎚山御神体そのものである
現在の鎖とはまったく違う形状である
長さは約42㎝ 重さは約3.3キロ
現在の3の鎖は1本約50cm重さは約5キロ
摩擦によるくぼみは210年間厳しい環境に耐え
人々の想いと祈りを運び続けた証である
反対側はガスで切断され外された後に元に戻されたよう
これは平成3年に石鎚本教教会・遥拝殿へ
鎖が送られた時の証である
「拝受者は心して神前に奉斎されるよう特に留意されたい」
この言葉はしみじみ感じ取ることができるm( _ _ )m
鎖は今も黒く輝き石鎚信仰の歴史を物語っている
そして後世へ伝えるべき情報としてここに記す
「やはり石鎚山はすばらしい」
m( _ _ )m
旅する石鎚信仰者