2012年4年 石鎚神社 先達会符 第1番会符 石鎚不動堂 | 旅する石鎚信仰者

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やはり石鎚山は素晴らしい。

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2020,5 再訪修正  

2021.10 加筆

 

石鎚山 先達会符第1番

「山と信仰 石鎚山」という本に石鎚神社の先達会符の事が記されいて、ここに

先達1番会符が展示されている写真が目に付いた。

この1番会符を持っているのは松山市三津浜の木地屋市左衛門という方のよう

で、既になくなられている。

この本には「なかでも三津浜の木地屋市左衛門が所持していた石鎚山の先

会符1番札は権威あるもの、霊能あるものとされ、病気封じ・諸病治癒・

児の疳の虫・夜尿症などに効験があるとされる。 この会符は安永4年に出さ

れたもで菊花紋のある黒漆塗の鞘付きである。そして現在この1番会符の

保存されている場所は「三津町神田町の石鎚分社に市左衛門の墓碑とともに

保存され」と記されている。

また他の書物にも同様の内容記でされているが、資料により表記が違い「石鎚不

動尊」「石鎚不動明王堂」「石鎚分社」と記されている。

そして、この先達一番会符について注意すべき事は、この会符安永四年(1775)

に前神寺から出された物であり、現存の一番会符は石鎚神社昭和9年に新調した会符で、板面は裏表銀製で文字は刻印された少し小ぶりの会符である。

現在では、前神寺が出した元の一番会符の情報は無いが、古い先達より「元の

番会符は割れていた」と聞いたことがあるが、それ以上の情報は何も無く、現

存しているかどうも分からない。

そして今ではこの先達一番会符の存在や権威を知る人も少なくなったが、現在で

7月1の石鎚山お山開き大祭御神像御動座で中予崇敬組合奉仕団の先頭は

この会符を管理している松山市三津浜の「刈屋会」と呼ばれる先達団体が、この

一番会符を背負って登拝している。

 

 

 

 

 


 

松山市神田町の石鎚分社

ここが松山市神田町の石鎚不動尊
何の看板も無いしこれでは分かるはずもない
赤いクレパス君の日記 (>_<)

人気は無く鍵が閉まっていて何も記されてない
小さな小窓がありここから中を覗くしかない
赤いクレパス君の日記 (>_<)
 
この小さな窓から見てみる
赤いクレパス君の日記 (>_<)
 
右側のちょうちんには石鎚不動明王
石鎚大権現も見える
赤いクレパス君の日記 (>_<)
 
左側が木地屋市左衛門の墓碑のよう
そして上には3つの額があり、右2つが一番会符に関係したもの
赤いクレパス君の日記 (>_<)
 
この額の中にあるのは会符の写しであり会符そのものではない
本来の一番会符は安永4年 (1775年) に前神寺から
出されたものであるが、ここにその会符の写しはない
黒い大きな会符、左(裏)右(表)、これは一番会符の外会符(外箱)
あり、現在はこの外会符の中に昭和9年に石鎚神社が発行
した銀製の一番会符が納められている
左に石鎚神社の銀製一番会符(裏)の上半分の写しがある
そして右側「石鎚神社」が表の写しである
赤いクレパス君の日記 (>_<)

隣の石鎚神社の「證」は大変興味深い内容である
證 石鎚神社會符第壹番ハ神社ニ對シ
功勞アルニヨリ左ノ待遇ヲナスモノトトス
一、銀製會符ヲ授與ス
一、木地屋市左衛門ヲ尊霊社ニ合祀ス  
一、當該會符ハ成就社ニ於テ本殿御内陣・納ノ祈念ヲナス
一、當該會符ハ所持者壱名ニ限リ例祭ノ際昇殿ヲ許可ス
一、登山第壱ノ名稱ヲ承認ス
昭和九年四月十六日 石鎚神社々務所
赤いクレパス君の日記 (>_<)
 
2017年お山開き大祭、一番会符を実際に手に取る機会があった
石鎚先達1番会符
これは外会符であり、中に銀製の一番会符が入っている
外会符には(表)第一番  (裏)和気郡三津浜 木地屋市左衛門
2021年7月、この会符をもう一度手に取り、
 
 
 
 

 

 

 

 

 

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