誕生死から2日目。2012.09.13 | ~天国からの1週間~天使ママ→不育症乗り越え3児ママになれた彩衣里(あいり)ママのブログ。

~天国からの1週間~天使ママ→不育症乗り越え3児ママになれた彩衣里(あいり)ママのブログ。

◆2012.9.12◆第1子→39週で死産
◆2013.7.13◆第2子→稽留流産
◆2014.8.26◆第3子→男児無事出産!
◆2016.1.16◆第4子→稽留流産
◆2017.6.6◆第5子→待望女の子無事出産
◆2019.4.4◆第6子→3人目無事出産!
彩衣里ママの心のブログをつづっています。

出産(誕生死)から2日目。
目が覚めると、病室のベットの上。パパはもう起きていた。
その間に眠る天使の彩衣里(あいり)。

夢じゃなかったのか。夢でいてほしかった。
そんなわけないのか。。。
2日目でようやく分かろうとしていた。
目をそらせない事実なんだ。。。

朝ごはんを食べ終わり、午前中は検診をすることに。
(昨日縫ったばかりの傷口、もういじるのかよぉーー)
冷や汗かきながらの内診は、傷よりもなによりも心が痛かった。

その後の傷口には特に問題はなく、子宮の戻りも良くなってるから
本人の調子がよければ退院してもよいとのこと。

体重は妊娠前の体重に戻っていた。
-8kg~9kgも減っていることになるが、そんなに減るもんか?と、
嬉しい反面、寂しくもなった。

そしてトイレやシャワーまでも悲しくさせる。
ぺたんこになったお腹が衝撃すぎて見れなかったのだ。
(何も(子供も)残ってないのに、お腹まで何も残ってない…)
((この世で)会えてないのに、なんでお腹がぺたんこなのか…)

おおごとな事が起きたのに、
何事もなかったかのように体が戻っていた様を視界に入るだけでも辛かった。
物理的に理解できない変化に、ぼんやりするメガネが必要だった。
直視できるようになるには数日間かかることになる。


途中で担当が替わった夜勤の助産師さん。
私のトイレのお世話から、彩衣里(あいり)にもたくさん声をかけてくれて、
夜中にドライアイスの様子やお顔のケアもしてくれた。

「なんかあったら何でも言ってね。今は辛くて泣いていいんだよ」
「同い年だもん。だからなんか…」
ほっとけないよという顔で親身になって言ってくれた。

そんな優しい助産師さんが手型と足型を押しましょうかと提案してくれた。
助産師さんが手と足を出して支え、印鑑用のスタンプ台をパパが持ちインクをつける。
大きく育った手と足がぺたっと用紙に記憶される。彩衣里が外の世界に出てきた証拠。
「じょーーずにできたねぇ~(^^)」
と、助産師さんは本当に他の子と同じように接してくれた。どっちも嬉しかった。
だが、ママもやる?と聞かれた時、見るだけで精いっぱいな私は首を横に振ってしまった。

まだ直視できないでいたが、手の指からシワまで私そっくりな手を見て触りたくなった。
まだ柔らかい娘の手を取り、自分の人差し指に小さい手を握らせてみる。
小さい小さい手。可愛い爪。指がしっかり私の手にしがみつく。
生きてたらこの手が動いてるのに。ぎゅってするのに。。。
そんな事を思いながら、そっくりすぎる手が握ってる切なさで
ぶわっと涙が溢れ、初めて声を出して泣いた。
声がひくひく止まらなかった。
旦那さんがそっと肩を寄せて、落ち着かせるように慰めてくれた。

こんなに悲しいものだなんて改めて感じた。
こんなにかわいいのに、こんなにしっかり育ったのに、なんで…。。。
助産師さんが手作りで作ってもらった家族写真付きの手足型の誕生カードは宝物になった。

昼食後に退院することを決めた私たちは先生と助産師さんに伝える。
まだ体調の回復はしていないが、
少しでも我が家に帰って3人でいる時間を作ってあげたいと急ぐように荷物を片づける。
出産して、わずか24時間後の事だ。

そして、葬儀屋さんがでかいドライアイスと小さなお棺を持ってやってきた。
彩衣里(あいり)が、お棺に入れられる。
パパは泣いていた。
私も立ちくらみしてベットに座って見届けることにした。

退院の時。歩くことにやっとな私は車いすに乗ることにした。
病院の配慮から、スタッフ用のエレベーターと出入口を案内してもらった。
先生、何人かの看護婦さん、助産師さん、パパ、母、葬儀屋の人、そして棺に入れられた娘。
私は車いすさえも辛くなり、出入口にあったベンチ椅子に横に寝かせてもらった。
産後の貧血か、死産した現実か、お棺の中にいれられた事がショックだったのか。。。
たぶん、全部だと思う。。
最後に1番悲しんでくれてた看護婦さんが泣きながら励ましてくれた。
何言われたか覚えてないが、なんか勇気をくれた言葉にありがたく一緒に私も泣いた。
色んな方に見送られ裏の出口から静かに退院したのでした。。


そして、念願の我が家。ようこそ我が家へ。
「彩衣里(あいり)~、ここがおうちだよ~。」
「彩衣里~、これが外の景色だよ~。」
「彩衣里~、これが彩衣里が来る為に買ったソファだよ~。」
「いつもここで一緒に安静にしてたねーー」
「彩衣里~、彩衣里~」…

何を話しかけても泣けてくる。
何を話しかけても思いだしてくる。
何を話しかけても返事は帰ってこない。
彩衣里~…。

無情にも娘の前で、葬儀屋の人は火葬の話をする。(仕方ない)
旦那さんが事務的なことを全てやってくれた。
私は何も頭に入らない。
彩衣里(あいり)のそばにいることだけ。


初めての我が家での夜を迎えた。
初めての3人でおうちご飯。お皿も3人分用意した。
「彩衣里(あいり)、なにもかもが初めてだね。嬉しいね。美味しいね。」
なんでも彩衣里に話しかけた。
どっから見ても普通の家庭。幸せな家庭。
ただ、娘がお棺に入ってるだけのこと。。。ただそれだけ。

そして大事な使命。それは部屋の温度キープ。
棺の中のドライアイスが溶けて保存できなくなってしまい、
状態によっては一緒に居れなくなるからだ。
1週間後の火葬までにできるだけ状態を保つため、
できるだけ部屋を低くしてくださいとのことだった。

とにかく冷やさないと。部屋の温度を18℃にした。
私達は長袖を着る。特に私は冷え性もあり真冬のパジャマをひっぱり出し着た。
モコモコ靴下もはき、毛糸のカーディガン、ひざ掛けも必須だった。完璧。


初めてのベビーベット。ずっと寝室に用意してたベットの上に棺を置く。
寝る時には室内の温度計が15℃になっていた。
世間はまだ残暑が続く30℃の熱帯夜。
外の世界となんと半分の気温差になっていた。
それでも私たちは、寒いなんて一言も言わなかった。
愛する娘と1日でも一緒にいれる為に、なによりも必死だった。

明日は、夢だった海に連れっててあげる日。思い出を作ってあげれる。
おにぎりも作ろう。楽しみでわくわくでしかたなかった。

少しでも早く(状態がいい時に)連れてってあげたい。
もし明日が終われば一緒にいれなくなるかもしれない。
そう思えば思うほど、部屋の温度なんてきにしない。

初めて娘と一緒に寝る夜。明日のピクニック。なんて幸せな夜なんだ。
「さ、明日も早いから、寝よう!!おやすみ~。彩衣里~。」

1日疲れすぎた私達は、暖かい毛布をたくさんかけて
夜19:30にはぐっすりと寝ていた。




3日目へ続く。。。



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あの日のこと①~運命の1日~
あの日のこと②~陣痛室での告知~
あの日のこと③~出産~
あの日のこと④~非現実と現実の堺~
あの日のこと⑤~原因追究~
あの日のこと⑥~初めての夜~
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