歌うように愛する喜びを伝えよう♪
こんにちは。井手愛美です。
前回のつづきで、『聞く』をしてきたことで、
私が、母の中にある娘としての思いを受け止められるようになってきたエピソードです。
高齢の祖母は、ちょっとした手助け(主に掃除)があれば、生活面においての基本的なことはまだまだサポートなくこなしています。
とはいえ、先日掃除を手伝いながら、私自身もショックを受けたのが正直なところ。
子どもの頃に大好きだった祖母の家ではなくなっている。そんな感覚です。
母の言葉は、私の心の声でもありました。
①聞き方を知らなかった。
②聞いてもらう安心体験が少なかった。
③ネガティブな感情を怒りで抑え込んでいた。
大きくは、この3つかなと考えています。
自分の正しさを主張したくなったり、コントロールしたくなったり、そうしてしまうときはまだまだあるものの…
母の話も、本当にようやくここまで聞けるようになった感じです。
私は仕事の愚痴も、人間関係の悩みも、一切家族には話さないのですが、(言ったところで解決しないので)母は違います。
私としては、「相手がどう思うか、どうして欲しいかなんて本人にか分からない」と思うようなこともぐちぐち言ってくる。
知らんがな(  ̄ー ̄)ノ
本人に直接言えば?って聞いてみるんです。
それは「言えない」とくる。
理由を聞くと、相手のプライドを傷つけるから!
かわいそうだから、と答えたこともあったなー
直接本人に言えないことを、関係ない娘の私に言わないでほしい。
それは、子どもの頃から言い続けてきたことでした。聞きたくない話を聞かされる私の身にもなってほしい、と。
子どもが愚痴を言わないんだから、
親も言うべきでない。
かわいそうな話を聞かされている私は、
かわいそうじゃないんかい(# ̄З ̄)
そう。
人に弱音を吐くべきでない、というマイルールを持っている私にとって、母のちょっとした愚痴やぼやきが許せなかったのですよね。
その上、かわいそうな話を聞かされるという拷問。
そのことに、私のひっくいプライドが傷ついていたわけです。
怒りの根っこに気づいてからは、
もやもやしたら聴いて、できるだけ冷静に本音を伝えるように。…なったかな?笑
『聞く』で、聞ける思いがある
3歩進んで2歩下がる。
この繰り返し。
ここ数年、母に『聞く』をしてきて、
特に祖母とのこともあって聞けてよかったと思うこともありました。
それは、母の中にある娘としての思い。
当たり前なんだけど、私と同じように、娘として母親に対して思うことがあるのだなと。
『聞く』をしたからこそ、初めて知れた母の娘としての顔。
『聞く』で、自分を変えていく
母が実際、私に話を聞いてもらえたと安心したかどうかはわかりません。
正直、そこはあまり関係ないと思っています。
母のためだけに聞いているわけではないからね。
まずは、自分のためです。
母が親の老いと向き合うようになってから、私にとっても “自分事として考えるときがきた”と現実味を増してきたし
母も年を取ったなぁと感じることも多くなってきた、自分の心と向き合うためもあるのですよね。
だから母の話を聞くことを通して、葛藤しながらも受け止められるようになってきたのかもしれません。
「自分はどう関われるか?どう関わりたいか?」
母が祖母を変えようとしているように感じることがあって、そういうとき、めちゃくちゃ反応してたんですよね。
それは私が、そう感じているだけなのだ。
人にコントロールされるのが嫌な自分が、勝手に正義感むくむく膨らませてそれをどうにかしようとするのは、私の課題。
家族ではあるけれど、親子としての関わりに、私は口を挟むまい。
そこで出てくる感情は、自分で聴こう。
そう思えるようになってから、
ずいぶんと楽になりました。
ぼけ~っとしていると、
とばっちりがきてイラッとしますけどね。
いつもいつも聞けているわけじゃないですけどね。
『聞く』で変わるのは、自分から。
親の老いと向き合うのも、自分と向き合うことになるんだなーと思うので、今からコツコツ聞いていけたらと思っています。
どんな一日も、毎日がスペシャル♡