さぐりあい
暑いぞー
今日、ジムのジャグジーで知人にばったり。
知人:「名古屋マスターズ申し込まれました?」
わし:「ええ、申し込みましたよ。何申し込まれたんですか」
知人:「ブレとフリーの50です」
わし:「おお、すごいっすねえ」(とりあえずポジティブに相槌)
と会話は進む。
知人:「そういや、○○のプールも行ってるんですよね」
わし:「最近行ってないんですけどね。そうか、あっちで泳いでるんですね。××くんとかまだいますか?」
知人:「あ、いますよ。そうそう、(こういうクラブって)名前と顔が一致しないことってありますよね」
わし:「。。。。。」
知人:「。。。。。」
気まずい沈黙。
そう、二人ともお互い、これまで相手の名前を言ってないのである。
「しかし、今日は暑いっすねえ。茹ってきたのでお先に」とその場を濁して立ち去る。
ぜってー気づいてるよな
ちゃんちゃん。
ということで、今、洗濯おわったようだ。
今から、涼をもとめて、ジャスコへ出撃するのである。
子供さん持ちの主婦のように。
おかあさんはたいへんだすなあ。
今日の気温 35.5℃ 熱中症お気をつけくだされ。
洞爺湖のサルコ嫁
7日からの主要国首脳会議(北海道洞爺湖サミット)に参加予定の「ファーストレディー」の一人が、配偶者プログラムで「他の夫人と一緒のバスで移動したくない」との意向を日本政府に伝えてきていることが1日、わかった。今回のサミットは環境問題が主要議題となるが、某国首脳の夫人は「エコ」にはお構いなしといったところ。政府関係者は「警備も一層大変になる」と頭を抱えている。
http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/080702/plc0807020018000-n1.htm
さすが、サルコ嫁。
『正義の正体』 田中森一×佐藤優
田中森一の『反転 闇社会の守護神と呼ばれて』を読んだ。
- 反転―闇社会の守護神と呼ばれて (幻冬舎アウトロー文庫 O 90-1)/田中 森一
- ¥800
- Amazon.co.jp
例によって内容は置く。
さすがに分厚くて一気読みはできなかった。
どうも、この本と佐藤優の『国家の罠-外務省のラスプーチンと呼ばれて』が対になっているように思えて、両方同時に買って、両方同時に読み終えたのだが、やはりそういうことらしく、その田中森一と佐藤優の対談本が出ていた。
正直、『反転』にしろ『国家の罠』にしろ、検察や外務省の体たらくにムカつきを禁じえない部分もあったのだが、国家公務員合同初任研修の開講式で、国家公務員Ⅰ種を通過したキャリア組660名に対して「倒産の心配もないので安心して仕事に打ち込んでほしい」というどっかの首相の裏の心理通り、『だから、なんだよ。国家公務員は武士なんだよ。士農工商知らないの』と反論されれば、まあそうなのだろうというところだろう。
キャリアはいいよお~
とカエルくんの声が聞こえてきそうである。by吉田戦車
「反転」と「国家の罠」、やはり進路に悩む中学生・高校生たちに勧めたい。うそ。
正直、小学生にはどうすすめるべきかわからない本ではある。小学生はあまり読まないと思うが。
- 正義の正体/田中 森一
- ¥1,575
- Amazon.co.jp
まあここまではっきり言う人たちも権力側にはなかなかいないので、毒を食らわば皿までと、聞いとくついでにこの対談本も買って読んでいる。
なかなか煮えくり返りぐあいもいい感じに読める。
まあでも、旧防衛庁の元技術研究本部技官が潜水艦情報を中国側に渡していた事件(結局嫌疑不十分で不起訴)とか守屋武昌前防衛庁事務次官のからんだ防衛省汚職事件の幕引きだとかマスコミでは尻すぼみで報道されない事件の裏読み含めて露骨に書いてあって笑える。笑うったって、
へっ
て笑うしかないのだが。
姪っ子たちの『しまじろう』教材をたまに実家に帰ると姪っ子たちと見る。
ぶらんこは順番に乗ろうとか、半分コして食べようとか、なかなかすごく良く出来ている。
ベネッセすげえなあといたく感心しているのだが。。
まあ、それもこれも含めて子供に教育するのは、なかなか至難のわざだが、子供にモノを教えるのにも年齢や順序というものがあるだろう。R15くらいが妥当な本だと思える。
読んで損はないだろうが、やはり事件が風化する今しか読んでも意味はないだろう。
さて、腹も立ったので、ジムで静めて来ようっと。
ということでちょっとづつ収まっているので追記。
R15と書いたが、15歳ではこの本の内容はわからない。ただ彼らが持つなにものかに対する直感は、すでに10代後半では失われている。とくに権力に対する肌感覚。そういうのは男のコだけかもしれないが。
また、20代では著者たちの深みは見えないだろう。
たぶん、社会人10年目くらいの人で初めてこの本の裏も表も踏み分けられる入り口に立つのではないかとおもう。
そういった意味でこれらの3冊は、読む人を選ぶ。そんな気がする。
情報というのは発信し続けないと受け取られない。これは、例えば宇宙へ向けて情報を発信し続けているどっかのプロジェクトと同じ原理だと思う。
発信される情報のどこをとってどこをとらないかは本質的に受け取る人に依存する。発信者は、そんなことなどつゆ知らず。これも、先のプロジェクトの話と同じ。
田中氏と佐藤氏、それぞれにそれぞれの事実を語っているのだけれど、情報発信のスタンスはまったく違う。
田中氏はけれんみがない。佐藤氏はそうではない。
いずれにせよ、情報を発信することは今の彼らにとって生きることと等価なことなのかも知れない。言わずに死ねるかと。
どっかのプロジェクトの目的も結局はそういうことだと個人的には思っている。言わずに滅亡できるかと。
すげえなあと思ったこと
最近なのか、スケーターで自転車競技もやっている大菅小百合ちゃんのブログ がアメブロでリニューアルしたらしく、読者登録して読んでたらすごい練習をしているようで。。
登坂走苦手なんですよね。なんつって書いてあるから、まあ普通の人はキライだろうと読んでったら、
10キロ上りっぱなしで![]()
しかも電柱間はダッシュとジョグの繰返し![]()
途中意識が飛んでいました![]()
。。マジかよ。そんな練習するんだと。まあ、オリンピック目指してる選手というのはそんな感じだと言われればそうかもしれないが、女のコだよとか、一緒の人間だよ、なんていうふうに手元に降ろしてみれば、すごさがわかる。
どんなことでも、人のやっていることは、手触りのあるところまで降ろしてみなければそのスゴさはわからない。しかもそうしなければ、
「おーっし、自分も負けずにやったるでー」
とは思えない。
。。ぜってー負けるだろうが、要は気合だ。気合。
『国家の罠』 佐藤優 新潮文庫
ロシア外交、北方領土スキャンダルで政官界を騒がせた鈴木宗男事件。
外務省でロシア情報に精通し、情報屋として鈴木宗男と密着し行動していた著者は国家よりその罪を断罪され、背任と偽計業務妨害容疑で逮捕される。
その全貌と検察との闘い、獄中記を記したのがこの本である。
- 国家の罠―外務省のラスプーチンと呼ばれて (新潮文庫 さ 62-1)/佐藤 優
- ¥740
- Amazon.co.jp
まあ内容については置くが、外務省の官僚という人々と国民との意識のズレを知るにはうってつけの本かも。
ありがちだが、組織の金がどこから出てるかに対する認識が甘い。
「テメエの食い扶持は当然だけど予算もテメエの仕事で稼ぐ。それができなければ辞めるしかない」。そういう意識で働いている職場の人間からすると、まさに
かんっがえられへん
そういうふうに思う一般社会人の人が多いのではないだろうか。
国家公務員倫理法も、見方を変えれば、国として「公務員はお金をもらうことはできません」逆に「お金をあげることもできません」という宣伝をしてくれているようなもので、特に一般の会社や大学・研究機関とのやりとりにおいては使いようがあると思うのなのだが、「あれで仕事がしにくくなった」と正直に述べているくだりには正直呆れてしまった。ワキが甘すぎだろう。
懐も甘すぎで、カモがネギをしょって歩いてきたと、出張費やら研究費を立て替えて払ってくれると手放しで喜ぶ連中がいたとしてもおかしくはない。自分ならそう考える。
情報社会の特殊性というのはどうしてもあるのだろうけれど、新聞記者や商社マンなど一般社会で情報を扱う職種の人々は仕事の範囲内でやりくりしながら相手との駆け引きで、金も情報ももぎ取っているはずだろうからだ。
金つき情報つきの官僚は相手側からしたらカモにしかみえない。
国策捜査で挙げられたとの意識も、裏の心理や論理の組み立て方も、ちょっと一般社会人の常識からすると考えられないところもあるのだが、まあそれも立ち位置の違いからくるのかとしておこう。
「渦の中にいるものは渦自身が見えない。対岸に立つことではじめて渦を見ることが出来る」とはよくいったもので、情報屋であろうが、検察であろうが、すでに国民からすると対岸から見れる位置に存在する。
国策というのはそもそもそういうものだという認識を新たに出来た。
総じてたいへんオモシロイ本であった。
認識論的に『鈍い』とか『考えが浅い』、あるいは『もともと頭になかった』なんていう未分化なところというのは、どの職種や職場の人たちにもある。なにを基準にどう動くかというのは仕事やその人がメインに属する社会で規定されてしまうところがある。それをはみ出すとその会社や社会では生きていけなくなるからだ。
だからそういうのは誰にだってある。
ただ、それは渦中にある自分には決して見えない。指摘されて納得する。
そういうのを指摘してくれる良い友達を持てればいいのだけれど、指摘されても自分が愛しいとおもってしまう。
なかなかいろいろ難しい。
追記 佐藤氏に対する、あるいは佐藤氏に憤慨する自分に対する告発(『モオツァルト』 小林秀雄より抜粋)
ここで、もう一つ序でに驚いて置くのが有益である。それは、モオツァルトの作品の殆どすべてのものは、世間の愚劣な偶然な或いは不正な要求に応じ、あわただしい心労のうちに成ったものだという事である。制作とは、その場その場の取引であり、予め一定の目的を定め、計画を案じ、一つの作品について熟慮専念するというような時間は、彼の生涯には絶えて無かったのである。而も、彼はそういう事について一片の不平らしい言葉も残していない。
これは、不平家には難しい、殆ど解き得ぬ真理であるが、不平家とは、自分自身と決して折合わぬ人種を言うのである。不平家は、折合わぬのは、いつも他人であり環境であると信じ込んでいるが。環境と戦い環境に打勝つという言葉も殆ど理解されていない。ベエトオヴェンは己と戦い己に打勝ったのである。言葉を代えて言えば、強い精神にとっては、悪い環境も、やはり在るが儘の環境であって、そこに何一つ欠けている処も、不足しているものもありはしない。不足な相手と戦えるわけはない。好もしい敵と戦って勝たぬ理由はない。命の力には、外的偶然をやがて内的必然と観ずる能力が備わっているものだ。この思想は宗教的である。だが、空想的ではない。これは社会改良家という大仰な不平家には大変難しい真理である。彼(※1)は、人間の本当の幸・不幸の在処を尋ねようとした事は、決してない。
※1 モーツアルトそれとも不平家?どちらにもあてはまるような気がする。。
ティム・バートン
これもまた敬愛
する友達が日記で紹介していて気に入ってしまったのでパクってしまうのである。
携帯の方はごめんなされ。
ジャジャーン
ステインボーイ
英語がむじかしくて、聞き取れませんですた
。
自信のある方はレッツトライ!!
本体のティムバートンコレクティブのサイトは、
http://www.timburtoncollective.com/sitemap.html
で、ここから辿れます。
ティムバートンって、改めて見たらカリフォルニアの監督なんですね。
なぜ、あんなに明るいところで、こんなブラックな監督が。。
ゴシックな感じとかが、すごくイギリスっぽいテイストだと思うんですが、ぜんぜんイギリスとは家系的なつながりはないのかなあ。不思議です。
彼の映画によく出てるジョニーデップもなんかそういう雰囲気がありますよね。え?ない?
ステインっていうのは、『しみ・汚れ』なんていう意味なのですが、『(英俗)さえないやつら』っていう意味もあるようです。アメリカ英語だとまた違うのかしら。
ロンドンで公園にいくと、Litterってかいたゴミ箱があって、いまはテロ対策で撤去されたのかわからないけれど、それを見てアメリカ人観光客がゴミを散らかすフリをして笑うという光景が見られたと、英国人の英会話教師が話していました。ん?あ、Litter自身がゴミという意味だから笑ったんだっけ?忘れちまった。。
そんなネーティブでもわからんようなニュアンスの違いなんてガイジン的にはほんとはどーでもよくて、勝手にやってろって感じなんですが、なんかそういうのを自分がわからんと腹が立つから不思議です。
操られているのか。
それはどーでもいいですが、ティムバートン、自分の世界観をイメージとして作り上げてく過程というのがたぶん製作している人にとっては魅力的だったりするのでしょう。製作現場を見てみたい監督の一人です。
まあ、そんなことよりも、彼が作る、悲しくてファニーでさびしい、こんなステインボーイのようなキャラ自身に魅力があったりもするのですが。