象の夢を見たことはない -280ページ目

『蟲師』 漆原友紀

終わっちゃったよ。

マンガ雑誌、読まないので知らなかったのだが。。

「降幕の刻」ってなんじゃ?新しい章でも始まるんじゃろうか?と思って期待して読んでたら

。。終わっちまっただ。

えええっ~

っていう感じ。

うーん、しかしこの喪失感はなんだかなつかしい。

連載モノというのはそうだったのだよ。終わったとき喪失感を味わうのだったなあと。

数年にわたってなにかを読み続けるっていうのは、若いときくらいにしか経験しないものかもしれない。

喪失感を覚えた自分にもちょっと驚いてしまた。

というか、次のなにかを探そうとする自分がいることに驚いた。生きてんだなあ俺ってば。

蟲師 10 (10) (アフタヌーンKC)/漆原 友紀

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ダル

ひよこ豆がある。

ナンパウダーもある。

よっさ、ダル作ったるー。

と煮はじめた。さて、どんだけ煮ればいいのだろう。

ん?圧力なべ?おー、そんな文明の利器があるのか。知っておるわ。家にないが。。

しょうがないので普通のなべである。

待つ。

待つ

待っている。

待ち続ける

待ち続けている。まじダルビッシュ。

ひよこ豆。

①まめ洗う。
②約三倍くらいの水に7~8時間つける。
③なべで約3倍くらいの水で1~2時間ゆでる。
④茹でた後は冷蔵庫で3~4日保存できるそうである。

そういや、こないだベトナムでパラタを久しぶりに食べた。
なにもベトナムでインド料理を食べる必要などないのだが、なんか癖でインド料理屋を探してしまう。
困ったときはインド料理屋で食べてしまう。

ナン、チャパティ、ロティ(ロティチャナイ)、パラタ。
わっしは、パラタ>ロティチャナイ>ナン>>チャパティな感じである。
層が好きらしいということが今わかった。



すげー贅沢なアイスクリームだった気がする。ビエネッタ食いたい。

PS まだ煮えない。

ココシリ

もともと盲目的ななにかというのが好きなわけではない。
ロジカルに考えれば、はなっからばかげていることは見えている。

だが、迷わない人間は強い。

そんなところをいったり来たりしたいものだが、人の本性っていうのは生まれたときから決まってしまっているようで。。

だから、なおさら迷わない人に憧れてしまう。

『ココシリ』を見た。
チベットカモシカの密猟者との戦いに命をかけるマウンテンパトロール隊の物語である。

ココシリ

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われわれ、映画を見る者の視点は、そのパトロール隊を取材しようとしてやってきたジャーナリスト・ガイその人の視点である。
彼の視点でこの物語は展開される。

自然保護区の設置のため。そんな高邁な考え方でやってきた彼は、夜中に叩き起こされ、すぐさまパトロールへ同行することになる。そして、密猟者との戦いのなかで違う問いに向き合うことになってゆく。
「なぜ、命をかけてまでチベットカモシカを守ろうとするのか。なぜ無償で私費を投じてまで山岳パトロールを続けるのか」。そして、その視点は、デビュー作『ミッシング・ガン』で若き才能を評価されたこの映画の監督ルー・チュー・アンの視点でもある。
初代パトロール長、二代目パトロール長はパトロール中に命を落としている。この映画は実話に基づいて作られている。

そんな視点にもかかわらず、あるいは彼の視点だからこそ、誰しも引き込まれるのは、元軍人の山岳パトロール隊長リータイだったりする。
ガイと彼との出会いも戦慄的なシーンである。チベットでは鳥葬が行われている。鳥葬がいかなるものかチベット仏教を知っている人はわかると思う。

そしてまたこの映画の魅力は、チベットの山岳自然でもある。人を寄せ付けない厳しさと美しさ。
あるいはまた、脇を固める山岳パトロール隊員たちだったり、皮剥ぎ職人の老人マーだったりもする。

ガイであるわっしはリータイをどこかで非難しつつも、リータイに惹きこまれる。

リータイは迷わない。決断の人である。
前にも書いたが「決」というののもともとの意味は、川が氾濫してこのままだとすべての村が全滅するというときに、どこかの堰を壊して、ある村を犠牲にして、残りの村を救う、そういう政治をおこなうことがトップの役割としてあって、その堰を壊すことを「ケツ」と言った。そういう意味の決断である。

彼を中心にしてこの映画は回っていく。そしていつのまにか山岳パトロール自体に巻き込まれるのである。

なぜ命をかけるのか、山岳パトロールとはなんなのか。最初にそう問いかけた筈の答えはしかし違うかたちで返ってくる。
生きることの意味ではない。生きるということはなにかということ。
誰もがこの映画を見終わったあとの景色はそういう景色だったりするのかも知れない。

ちなみにこの映画、最初のシーンで出てくる隊員が、どっかダウンタウンの浜ちゃん似だったりする。実はわっしはそこで物語に引き込まれてしまったのだがねこへび

この映画は東京国際映画祭で審査員特別賞を受賞。また、台湾金馬奨の作品賞と撮影賞。中国の華表奨の劇映画賞を受賞するなどアジア各国で絶賛されたとのこと。野生動物好きの人にもおすすめの映画である。

ベトナムで撮った意味のない写真シリーズ その1

いまさらであるが、テーマ:ベトナムのシリーズ、写真がデカイので携帯の方はクリックご注意。

バイクでメール ~ ハノイ
メール
どうもベトナムではバイクは自転車のかわりらしい。そういう感覚なのね。なのでメールも普通に使います。道路わたるときバイクは勝手によけてくれる感じもやっと意味わかったさ。

二人漕ぎ ~ 香寺行きの小舟(ダイ川)
めっさ早!
やたら早いのが追いかけてきたとおもったら、二人で漕いでいた。なんで?
写真屋?
記念写真を撮るためらしい。どうやって呼んだのかなんかよくわからんシステム。
金持ち中国人グループかと思ったのだが、今写真を見て思った。違うっぽい。このねーちゃん2人、ガイドにカモられてたのだろうか。

お供え ~ いろんなお寺
めっさチョコパイ
お供えはチョコパイ。どーゆーわけかどこへ行ってもこのチョコパイばっかし供えられてた。

龍のひらき ~ わすれた
へんな顔
なんかめっさあじのひらきみたいだけれど、ピカソ的だと言えなくもない。そういう意味ではキュビズムなんて昔っからある。いや、もしかしたらこっちのほうが新しいものなのか?うーん。わからん。

ノーヘルは罰金10ドル ~ ハノイの郊外の田舎
田舎なので警察も見てない
ヘルメットの値段も10ドルからで、そういう意味でよくできている規則なのかもしれない。
田舎のほうへいくと田んぼの川沿いにこんな道が多いようだが、遠くまで続いていてなかなか風情がある。

とうふ ~ ハノイの市場
とうふ
とうふ。とうふが好きなのである。

あやとり ~ ハノイの道端
はりつく電力会社の人
なんかなんとかなんねーのか?と思わないところが、ベトナムとかインドとかそーいうとこではいろいろ見える。なかなかいろいろこーゆーインフラは、システムがしっかりした国でないと進まない。

ベスパ ~ ハノイの道端
なんと!
なんとベスパ! ハノイで見かけた。
ハノイは実は結構おしゃれな街である。旧市街はシクロに乗って上をみながら走ると、なかなか粋な景色が見れる。ハノイではシクロははずせない。

ハノイの花売り ~ ハノイ旧市街
ハノイの花売り
しっとりした雨あがりの街もなかなかいいものである。

『深夜特急』 沢木 耕太郎 新潮文庫

ベトナム人は地図が読めないと誰かがどこかで書いていたが、ベトナム人ガイドは読めた。

西洋人が箸が使えないというシーンをよく映画で見たが、ベトナムでツアーに参加していたイギリス人やオーストラリア人、アメリカ人、フランス人、それぞれ上手に使っていた。

ベトナムでは小学校を終えて、いちおうの読み書き計算ができたらそれで終わり。働きに出されるという家庭が少なくなかった。子供が多かったからである。今でも多い。今現役で働いているタクシーの運転手も押し並べると中等教育すら受けていないことが多い。数年前だとなおさらそうだ。シクロやバイクタクシーならさらに。したがって、地図を読めない人に地図をみせることが多いというような状況が生まれ、そのためベトナム人は地図は読めないという話になったのだろう。人が悪い体験ほどよく記憶するのは生存するための本能だし、そういう情報のほうを拾いやすい。

ベトナムでツアーに参加しようとする西洋人たちを思い出してみたが、それぞれ大学をでたりしていい仕事についている人たちが多かった。べつに日本食ブームはなくても、中華料理やベトナム料理、韓国料理など箸を使うことのあるレストランは海外にいくらでもある。そう考えると、日本人よりたくみに箸を使うイギリス人の女のコなどがいてもおかしくはない。日本人もけっこう自分を優位に考え勝ちなものだ。

状況も刻々と変化している。

いろんな情報があふれているけれど、ほとんどすべての情報は一部が正しく一部は誤りである。
古い情報、裏のとれない情報、ロジックが見えない情報、ロジックはあるが簡略化されたり感情によって変性されたりしている情報。

わっしのブログももちろん一部は正しくて、一部は正しくはない。

なんにせよ百聞は一見にしかずというのは古今東西変わることはない。現場に行かなきゃわからない。

実は深夜特急、読んだことないのである。で、こないだ買った。ベトナム行ってから買った。おそー。

深夜特急〈1〉香港・マカオ (新潮文庫)/沢木 耕太郎

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買ってから行くか、行ってから買うか。なんにせよ、この本おもしろい。
もうずいぶん昔に書かれた本なので、読んでも意味などないとおもって敬遠していたのだけれど。
というか昔文庫化されて流行ったときオンタイムで読まなかったので、なんだか腹がたって意地でこれまで読まなかったのである。まったく、そんな意地などなんの役にもたたない。

ネットで散逸した情報を繰るより、これを読んで出かけたほうがよほどタメになるかもしれない。
根強い人気がある本というのは、読まれている意味があるものだ。

あるいは、自分が動いていろんなものを見てきたからあらためて価値がわかるのかもしれない。

情報というのは、そんなふうに人の間にあって動くもので、自分も動きながら掴まないと価値などない。

あるいは、自分が動いていないときに掴んだ情報などは意味もないうえに害になることもある。

生き物であるということを忘れると、いろいろ手痛いしっぺ返しをくらう。そういうものらしい。

情報ってけっこう普段思っているより不思議なものだ。

というか、自分が動けてないとそういうことを忘れ勝ちなものである。