今日の合気道が一番影響を受けた武術に大東流合気柔術がある。初期の記録を見ると植芝開祖が大東流を教授していた時代がある。技の基本は今日の合気道に非常に近いと思われる。しかし最大の違いは術と道の違い、術は勝つための技術です。術はとにかく勝つこと。しかし、強いだけでは駄目だということになり、そこに和合の合気道が生まれました。道とは武道を通じて人格向上を目的とすること、しかし武道の武は戈と止める漢字で出来ている。戈とは昔の剣です、止めるは盾〔たて〕攻撃を止めることですから止める術と人格向上が同居していると考えるべきです。開祖無き現在は合気道の理念や体系を大切にしながらも色々な武術、武道等を参考にしながら再構築せざるを得ない。だれでもが納得のいく理合の追及。生半可な技は反撃され死にも通じる。昔の武術家は見せることが教えること、解説(詳しく教える)などしたら反撃技を研究されると警戒していたとのこと。中途半端な技がまかり通っている昨今の武道界に疑問を呈する人もいるそうです。
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お陰様とは、感謝の気持ちを表わす言葉ですが、陰に感謝? 合気道のお陰様は稽古相手、指導する師範への感謝、身を守る畳、道具である木刀や杖、短刀。稽古の空間である道場等みえない陰もあらためて観るのも面白い。
善光寺式阿弥陀如来 5月11日(日)午後1時30分から高崎市八幡宮境内 旧阿弥陀堂で年に一度の御開張。
合気道の極意は「身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ」だと思います。力を抜け、脱力、一体化、調和、和合等色々な表現で極意の説明を受けますが、立ち向かうのでは無く、仲良くする。相手の動きに身を任す。変幻自在にして争わない。相手の脳を虚の状態にできれば、捨てた体に相手がついてくる。何を言っているのか理解できない人はできると公言する師範の所に出向いて体験すると良い。
開祖が存命のころの本部道場で稽古していた人の話ですが、開祖が触れずに
倒すのを見たことは無いと言っていました。伝説はあとから作られるもの。
触れずに倒すことに憧れるのは良いが、地道に稽古をすることが良いようで
す。弾丸を避けた話もありますが、誰も見た人はいない。伝説は後から作ら
れる。昔ある武術の名人が殿様との宴席で、殿様から「そなたは壁を歩ける
と聞いた」私に見せて欲しいと頼まれてので、殿ともあろう方がそのような
戯れ言を信じてはなりませぬとたしなめた逸話が残っています。触れずに倒
すなど信じない方が良いと思います。
師範の説明、解説で不足していることは「不足」つまり足の部分です。上半身の解説、説明はしやすいけれども袴をはいている部分は足りていません。つまり不足 聞いている人は不満足。撞木足、巴足、継ぎ足、転身、転換、拇指灸の説明がなされていない道場が多いようです。この動作を知らないと武道の動きは?です。
合気道の稽古方法の欠点は試合がないこと、合気道の利点は試合がないこと。試合がある武道は失敗が成功に導いていく(失敗は成功の本)ことで成長します。合気道は試合のない武道ですが反撃してもらうことはできます。正しい技であるのか確認するために反撃してもらうことは本物の技を探求するために必要なことです。反撃しない稽古(受けが忖度する)が主流になっていたのでは武術(護身術、逮捕術、体術)を求める人にとってはがっかりです。反撃されて(返されて)事実を理解しないと本当の理合い(技術)が理解できないと思います。武術の探究を放棄してなかよし武術ごっこを楽しむクラブも多く見受けられますが。真面目に探究、追求しようと思って入会する人にとっては時間とお金の無駄とともに悪い評判はすぐに広まります。同じ受けを繰り返していると、「パブロフの犬・条件反射」で触れずに倒れるようになりかねません。
※「悪事千里を走る」(よい行いはなかなか人に伝わらないものだが、悪いことをしたという評判はあっというまに世間に知れ渡り、遠方までも広がるものである。
茶の湯とはただ湯を沸かし、茶を点てて、飲むことと、推して知るべし。(千利休)茶道の師匠であり、豊臣政権のブレーンでもあった、千利休の先祖、田中氏は群馬県高崎市榛名町の八幡太郎義家のひ孫である里見義俊公を遠祖とし、歴代の裏千家の代表は現在に至るまで榛名町の里見家の榮域がある光明寺において菩提を弔っています。私も里見一族の代表として、お付き合いをさせていただいています。
里見家二代、義成公は源頼朝公の側近の中から選ばれて、頼朝公の子息に武芸を教授したことで知られる人物です。清和源氏 源義重公の子孫の中で最初に伊賀守に任ぜられた人です。源義重公は八幡荘(高崎市)を拠点とし,東毛地域を開墾し子孫に分け与えた伝説の巨人です。子孫からは房総の里見、四国の蜂須賀、裁判官の大岡越前守忠相、徳川家康、新田義貞、千利休他日本の政治、文化に影響を与えた人物を多数輩出しています。郷土料理の「おっきりこみ」は源義重公が京都から伝えたそうです。
その偉業を称え、八幡町の八幡宮境内に昨年八月に私が企画して「騎馬像」を建立しました。是非お出かけ下さい。
源義重(通称新田義重)公の騎馬像建立に合わせて群馬テレビのご協力で「源義重あり」の30分の解説動画がユーチューブでご覧いただけます。ぜひご覧下さい。これも私が編集しました。
身体の力を抜いて静かに相手に身体を委ねて「浮き身の姿勢」逆らわず呼吸だけはしている。初めのうちは誰でも自分で意識してここに気をつけなければいけない。こうしちゃいけない「正しい理法を念頭に置いて違うことはしない・例えば力を入れる」というように考えながらフォームを作る。色々師範に注意されているうちに 細かいところが気にならなくなってくる。それどころか自分がやっている行為すら忘れるようになる。そうなった時にはじめて最も能率的で合理的なフォーム・「正しい理法・体勢・心法」〔合気道〕が確立してくる。相手も自分も一体になっているように感じられる。「自己の心身および他己の心身をして脱落せしむるなり」の境地に達する。
里見道場庭園内 浅間山溶岩 約3トン