萩原健一、ことに出演映画について知りたくて、ググって、そこからあちこちみてまわっていた。
斎藤耕一神代辰巳長谷川和彦今村昌平相米慎二ディレクターズカンパニー佐々木史朗ATG多賀ようすけ葛井欣士郎
伊地智啓山本又一郎多賀英典キティフィルム村上龍
黒澤満セントラルフィルム松田優作、等々。

いろぉ~~~んなことが書いてある。
もはや大概のことはネット(検索)で判ってしまう(or解ったつもりになってしまう)。

『青春の蹉跌』の監督に神代辰巳を推したのは萩原健一だったとか、『青春の蹉跌』の脚本が長谷川和彦で、ついで『アフリカの光』に長谷川和彦は助監督(脚本は中嶋丈博)、
長谷川和彦がどうして30年以上も映画を撮れないでいるのかといったこととか、
長谷川和彦の監督デビュー作『青春の殺人者』のスタッフに錚々たるメンバーがいた。と今回初めて知った。
助監督は4人(その中に石山昭信と相米慎二)で、製作担当に浅尾政行、制作進行に榎戸耕史と平山秀幸。殆どみんな20歳代!だった。原田美枝子は17歳。
二作め『太陽を盗んだ男』
製作山本又一郎、プロデューサー伊地智啓、原案脚本レナードシュレイダー、音楽プロデューサー多賀英典、助監督相米慎二。
山本又一郎は初め出演に萩原健一を考えていたそうだ。
それから、長谷川和彦はディレクターズカンパニーを、相米慎二と根岸吉太郎ら9人で設立して(1982年6月設立~1992年5月倒産)、映画製作(&配給)に乗り出した、のだけれど、このディレカンもなかなかのものだった。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%87%E3%82%A3%E3%83%AC%E3%82%AF%E3%82%BF%E3%83%BC%E3%82%BA%E3%83%BB%E3%82%AB%E3%83%B3%E3%83%91%E3%83%8B%E3%83%BC
相米慎二の『台風クラブ』(’85)はここで製作された。ディレカンが募集した脚本だった。(ディレカンは脚本家や助監督を育成しようとした)
そうそう、池田敏春の『人魚伝説』(’84)を記しておかなくては。これがディレカンの劇場公開映画第一作だった。この年にもう一本、石井そうご(現在は岳龍)の『逆噴射家族』。
1985年に『台風クラブ』と、黒沢清の『ドレミファ娘の血はさわぐ』
1986年に、根岸吉太郎の『ウホッホ探検隊』と、井筒和幸『犬死にせしもの』と高橋伴明『DOOR』、以下略。
こうして、(一番撮りたかったはずの)長谷川和彦は一本も映画を撮らずしまいに終わった。
後一人、大森一樹がいたのだけれど、ディレカンのWikipediaに記述はなかった・・??

と。
長谷川和彦だけでもいろぉ~~んなことあるのに、ディレカンの記述が長くなってしまった。
ネットサーフィンいろぉ~~んなこと書いてあった、そんなところの色々をメモ的に書いておこうと思った、のだけれど。(^^ゞ


高島忠夫死去ニュースに関連して、新東宝について書いたから、萩原健一に関連することも書いておこう。

萩原健一が出ている映画を何本かみている、のだけれど。
ど~~も記憶が薄いものばかりで。さっきから筆が進まない。

『青春の蹉跌』(’74)は、観た、と思う程度。監督、神代辰巳。脚本、長谷川和彦。
『アフリカの光』(’75)は観た記憶ある。丸山健二の小説を読んでいて、これの映画監督がどうして神代辰巳なんだ・・?と不思議でならなかった、ことがある。助監督に長谷川和彦。

『鴎よ きらめく海をみたかめぐり会い』(’75)。これも観た記憶ある程度。ましてや萩原健一が出ていた記憶は全くない。
『影武者』(’80)も然り。
『誘拐報道』(’82)は、けっこう記憶ある。
伊藤俊也監督だし、何より、主題歌が良かった。(作詞谷川俊太郎)
『瀬降り物語』(’85)も、覚えている。サンカ(この語は官憲差別用語との説あり)の物語ということでもあって。
『南へ走れ海の道を』(’86)は、萩原健一が出ていたかすら記憶にない。

こんな具合なのだ。
まずおそらく、私が都会で一人暮らしをしていた時期に映画館で観たものばかりと言えて、記憶が薄いのもそのせいと思われるのだけれど。だとしたら、松田優作は・・?
松田優作と比べてみると、記憶に残っている映画は松田優作の方のが明らかに強い。これは、私にとっての映画俳優として、松田優作のが優れていると言っていい、ことになるかもしれない。
単純に比較できることではないと思うけど。

1986年以後で、みたことがある萩原健一出演映画はない。
『居酒屋ゆうれい』(’94)はみたいと思っている。

高島忠夫死去ニュースをネットで見かけて、チョット検索してみるかなとか思って(高島忠夫って俳優だったらしいけ出演してる映画みたことないし)(それにしてはショーケン死去に対しては・・?(^^;))
そうして、新東宝。
私、チョット勘違いしてました。(^^;)永田雅一と大蔵貢。永田雅一は大映でしたね。
検索によると、高島忠夫が新東宝ニューフェイス第一期生として芸能界入りしたのが1951年で、大蔵貢が社長に迎えられたのは1955年、となっている。
第二次東宝争議の後、新東宝映画製作所創業が1947年、それから倒産が1961年で、その間14年間、大蔵貢が辞任に追い込まれたのは1960年末、だから、新東宝の大蔵貢時代はたったの5年間しかない。。!
14年間に800本ほどの映画を製作。一年間に約57本、1ヶ月4.7、約5本。
そうして、新東宝は、やはり、前期と後期に分けられる。大蔵貢が社長になってからの後期とに。
つまり、私の印象として、新東宝の映画ってエログロものっていう印象がどうもあったのだけれど、今回の検索で、『西鶴一代女』や『野良犬』(黒澤明の)も新東宝映画って判って、吃驚した。それは、勿論前期のものだった。
大蔵貢時代の新東宝映画っていったら、なんといっても1957年の『明治天皇と日露大戦争』。大ヒットした、らしいのだけれど、配給網が整備されていなかったから利益が他社へ持って行かれちゃったそうだ。
そんな中で活躍した若手俳優たちが、宇津井健
天地茂菅原文太三原葉子らだった。Wikipediaでは「健闘した」と書かれてある。高島忠夫の名前はどこにも出ていない。。?
因みに、テレビ放送開始は1953年2/1。

正直なとこ、私は高島忠夫より新東宝(&大蔵貢)に興味関心がある。
私が生まれたのは1956年で、高卒後一人暮らしを初めて一人で自由に色んな(お金はなかったけど映画館は多かった)映画を観ることができるようになった頃は(1970年代後半)、新東宝はなかったし(その頃の新東宝映画っていったらピンク映画だった)、日活といえばロマンポルノだったし(日活のポルノ路線開始は1971年、終了1988年)、とにかく、高島忠夫より新東宝。ってことなのです。(高島まさひろ&まさのぶ兄弟には映画俳優として興味あり)

町の図書館に(郵便局の傍にあるので。ついでに)寄ってみたら、今野敏の新作本(のはず。少なくとも私は未読)があった。ので、その、二冊とも(『キンモクセイ』と『呪護』)借りてきて、そうして二冊とも読んでしまった。

『呪護』について。
これは、お祓い師(鬼龍光一)シリーズの四冊め。(らしい)
https://5rirabooks.com/jugo

なにしろ、
今野敏の小説はシリーズものが多い。
そして、改題して刊行されたりする。例えば、『特殊防諜班』(新人類戦線)シリーズ。これはややこしい。
初め、1986年に「新人類戦線 失われた十支族 禁断の系譜」(廣済堂ブルーブックス)という題名で発売され、1988年に文庫化された際には「新人類戦線 ユダヤ十支族の系譜」(天山文庫)となり、さらに、2002年に再文庫化された際には「ユダヤ十支族の系譜 封印の系譜」(学研M文庫)となっている、といった具合。
シリーズものでは。思いつくままに。
ST警視庁科学特捜班
内閣特命班
警視庁強行犯係 樋口顕
隠蔽捜査
TOKAGE
安曇警部補
任侠(学園、病院、出版、浴場)
孤拳伝
等々。
まさに、などなど、だ。

私が今野敏の小説にはまったのは、確か、
『神々の遺品』と、『海に消えた神々』だった、と思う。なので、初めは伝奇ものの作家の印象があった。ついで、格闘技系小説。(『武打星』『武士猿』『義珍の拳』『虎の道 龍の門』『惣角流浪』等々)。
『我が名はオズヌ』は、両方味わえる、と思う。
それから、警察ものだった。
とにかく、守備範囲が広いのだ。

さて、『呪護』。
これは、警察ものに入るだろう。けれども。
伝奇要素たっぷり。
そもそもは、神田明神の近くの私立高校でおきた殺傷事件から物語は始まる。
レイプされている(それは、法力を発現させるための儀式だったのだが)
と見た男子生徒が教師を咄嗟に刺してしまった、事件と思われて、少年係が捜査していくと、・・
そこにお祓い師がいて、なんでそうなったのか辺りの捜査で、天台宗系(台密)と真言宗系(東密)との戦いが出てきて、江戸を開くにあたり(天海上人は)風水と将門の怨念を利用していて、けれども、戊辰戦争を興した背後にいたグラバーのパシリ役だった龍馬がいて政権を分捕った薩長らが東京に新たな結界を作り上げ、そうして敗戦までの70年間戦争続き(誰が儲けてきたか)、今再び東京に争乱を引き起こそうとする者がいて、・・

こういった辺り、なかなかに面白いわけなのだった。



『星をつける女』を読んだ。
星というのはあのミシュランのことだ。ここにハッキリとそうと出ているわけじゃないけど。格つけ星&フランスの会社となれば、もうそれしかないでしょう。
原宏一には、食小説(としかいいようがないもの)がいくつもあって、それはいつの頃からだったのだろうと、ふと思った、のだけれど、考えてみれば(考えなくたって)、原宏一は『とんかつ協議会』(’97)でデビューしたのだった。その後、『こたつ』やら『床下仙人』やら『極楽カンパニー』やら『姥捨てバス』やら『ムボガ』『爆破屋』『穴』『東京箱庭鉄道な』『大仏男』などなど、奇妙な設定の小説を何作も発表してきていて、
何百年の伝統文化「こたつ道」とか、日本じゃぜんぜん売れなかったバンドが遠くアフリカで第ヒットしちゃう(『ムボガ』)とか富士山樹海に暮らしてる老人(『穴』)とか、とか、まったく、どぉ~っからこぉ~~んな発想出てくんのよ~(゚o゚;)って感じで。しかもそれを小説にみごとに仕立てあげちゃうんだから!

食とは関係ないようなものが続いていた。
けれども。
検索してみたら、おそらく、2009年の『ヤッさん』(第一作め)から、食小説が増えているという印象、ありあり。
その翌年に『佳世のキッチン』がでて、それから、『握る男』『ヴルストヴルストヴルスト』『閉店屋五郎』(まぁこれは食小説とは言えないかもだけど)、そして『星をつける女』。

『ヤッさん』の着想もすごかった。確かに、ホームレスの人の食べ物入手方法は残飯だったりするだろけど、そこから東京中の?その時間帯とかさらには台所事情とか、そこまでの事情通のホームレスっていう人物設定が、凄い!と思う。
『佳世のキッチン』も、然り。

『閉店屋五郎』は、中古品買い取り販売屋。
で、ただ単に買い取って売るだけじゃなくて、閉店作業一括仕事もやっている。扱う品目も、厨房や店舗品だけじゃなくて、床屋理容品やライブハウスでのPAアンプ品など、なんでも、店舗内備品一括買い取り。だから「閉店屋」。だけど、ただ単に買い取って売って儲ければいいという男ではなくて、閉店する(しなければならなくなってしまった)お客側の事情にまで踏み込んでしまう、お節介、世話焼き、人情家。
利益度外視で突っ走ってしまったりことに女性には甘くなってしまう、我々男性にとっては愛すべきキャラで、そこらのたずな引き役に一人娘がいる。

そうして、『星をつける女』。
ただ、星をつけるだけじゃあないんだな。
もちろん、星をつけるために、どれだけのことをしてるかっていうところも描かれているわけだけど。
三章の連作短編集になっている。
フランス料理店、ラーメン店、そして南紀白浜の老舗ホテル、が登場する。
主人公女性の牧村紗英もシングルマザーで一人娘がいる。
発表順をみたら、『閉店屋五郎』のが先だった。『星をつける女』は、閉店屋五郎の女性バージョンみたいだ。

もしかしたら、原宏一にも娘さんがいるんじゃないだろうか?などと思えてしまう。


『パリ テキサス』をみた。
きっかけは、藤原伊織の小説『遊戯』だった。ここに『パリ テキサス』が出てくる。それで、見てみたくなっていた。
ネット内でのビリヤードゲームをやっている本間は、そこで「パリテキサス」というアカウントネームの女性と出会った。それで、本間が「IDはヴェンダース?」と聞くと相手の女性がびっくりする。あの映画を知っている人に会ったのは初めて。しかも監督の名前まで、と。本間は「切ない映画だった」と答える。
「去っていった妻とのマジックミラー越しの会話が強い印象を残した」とある。
本間は、その女性と会うことになって。物語は始まっていくのだけど、藤原伊織の『遊戯』については別の話。
因みに。この『遊戯』が藤原伊織の遺作になってしまった。未完のまま。

さて。映画『パリ テキサス』(’84)
テキサスを一人彷徨っていて、弟が迎えに出向いて、弟の家で実の息子に出会い、息子との距離を近づけようとする辺りまでと、それから、息子と一緒に去っていった妻に会いに行ってから、までの、二つの流れがあるのだが、マジックミラー越しの会話のシーンは、もちろん後半に出てくる。その妻の役がナスターシャキンスキー。
テキサスを彷徨う男は、ハリーディーンスタントン。

正直なところ、長い。いささか、かったるい。DVDでは。
込み入ったストーリー展開があるわけじゃない。サスペンスでもない。もちろん、アクションシーンもない。
これは、やっぱり映画館のスクリーンで観るべき映画だと思った。
ただ、『パリテキサス』のパリは、テキサス州のパリスという小さな町のこと。『パリス テキサス』でも良かったと思う。が。

ハリーディーンスタントン。
この方、2017年9月に91歳で亡くなっている。
1956年に小さな役で映画デビューしてから、ずっと端役ばかりだったのだが、この映画で堂々の主役。1926年生まれだから、この時54歳。・・には見えなかった。
というか。この方は、私には歳とってからの印象が強い。『マイフレンドメモリー』(’98)、それから『ストレートストーリー』(’99)と『グリーンマイル』(’99)。あと、
『エイリアン』(’79)にも出ていた。
『ストレートストーリー』で、ハリーディーンは、ラストの方にチョコッと出てくるだけだったのだけど。私の好きな映画(ロードムービー)の一つなのだ。ラストシーンが、良かった!

『ストレートストーリー』と「ハリーディーンスタントン」で、以前に書いたことある。
垣根涼介の『信長の原理』を読んだ。(直木賞候補作だった)
ここに、朝廷はいっさい出てこない。
山本謙一の『信長死すべし』は、織田信長の性格ゆえからの、帝との軋轢が、本能寺の変に至っているとの観点で描かれていたけれど。
然るに、『信長の原理』は。

織田信長の幼少期から筆を起こしている。
織田信長は、織田信秀の嫡男なのだが、弟がいて、何かと弟と対比されていて、それが面白くない状況で育った。それで、信長は一人で外でよく遊んでいた。そんな中で蟻の行列を飽きずに眺めていたことがあり、その際に、信長はある原理を見いだしたのだった。
母親からの愛情の感受感覚が薄かったというところは、幼児期に母親が死んでいて腹違いの弟がいる私には大いに同感できる。然るに、他人への関心配慮が欠けている点も。自分のことにしか関心がないのだ。
信長の心中には、「何故なのだ?」という思いが常にあったのだ。
けれども。信長を肯定している人物もいた。父親の信秀や松永久秀、など。
例えば、金ケ崎の戦い。
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E9%87%91%E3%83%B6%E5%B4%8E%E3%81%AE%E6%88%A6%E3%81%84
この時、琵琶湖西側の朽木で、松永久秀は、織田信長の助命のために活躍した。その時、松永久秀には裏心もなにもなかった。これに織田信長はひどく感動していて、後年松永久秀を撃つことに積極的になれなかった、そういった描写がこの小説にある。
これまた、信長の感情が私にはよく解る。
幼年期の育ちが育ちだったから、自分を利害抜きに肯定してくれる人物には、織田信長は理屈なしで愛着を感じるのだ。
然るに明智光秀は、どうだったか?

あるいは、朝廷。帝。
何故尊いのか?そこのところが、どうにも腑に落ちない。同じ人間ではないか、と。こういうところも同感。
けれども、家臣たちに対しては、あくまでも臣下としか捉えていなかった。これまた、同感。
然るに、「なぜなのだ?」、ということだ。
このあたり、垣根涼介の筆は、執拗なまでに描く。

織田信長によって追放されたり殺されたりした家臣も、何人もいた。
明智光秀は。足利家将軍の幕臣でもあり、美濃源氏係留明智家の嫡男だったといった、明智光秀の背景も、ちゃんと書かれてある。
織田信長と明智光秀。この両者。歴史の悪戯と言えなくもない。
明智光秀が本能寺の変を起こすに至る辺りの記述は、この小説の終盤の一部でしかなくて、そこに至るまでを執拗に記述し続けるところが、この小説の白眉といえるだろう。

『光秀の定理』を著作した作者だからこその、この小説なのだ、と思った。


たまたま、ラジオで、直木賞受賞作家のことを知り、『宝島』を読んでみたくなって、その後、町の図書館にあったのを見つけて、読んだ。のだけれど。その前に、オール讀物を買っていて、160回直木賞候補作の中に、垣根涼介の『信長の原理』があったのを知った。
私としては、垣根涼介に受賞してほしかったとの思いがわいた。
そんなことがあり、秩父のブックオフで『光秀の定理』を見つけて、改めて読んだ。『光秀の定理』との題になっているけれど、その定理の出所となっている、破戒僧の愚息、と新九郎に、より近しい思いを感じて、このような人間を登場させた垣根涼介(の小説)を、また一段と評価した。
そうして、山本謙一の『信長死すべし』をまた読み出した。

山本謙一。
この作家(の小説)との最初の出会いは、なんだったろう?
もう記憶が曖昧だ。『火天の城』だったかもしれない。?
ともかく。山本謙一にはまって、山本謙一の小説を全部読んだ。
私の印象の中では、山本謙一の小説は織田信長との因縁が深い。
いささか、記憶が曖昧になってしまっているのだけれど。
『弾正の鷹』の鷹匠、『雷神の筒』の鉄砲鍛冶師、『いっしん虎徹』の刀剣士(刀鍛冶師、研ぎ師、目利き者、刀剣商など)、もちろん『火天の城』の大工石工、など、総ては織田信長と関連している。
そうして、『信長死すべし』だ。
もちろんそれだけでなく、『神変役小角絵巻』や『命もいらぬ名もいらず』などもある。けれど。

山本謙一は、織田信長に並々ならぬ関心を持っていた、と思う。
しかり。
私は浅学にして詳しくは知らないのだけれど。山本謙一を通して知る織田信長は、まさに非凡なる傑物人だったと思える。
何よりも、帝王になろうとしたのだった。然るに、帝(天皇)との対立は避けられないことだった。
例えば、徳川幕府は。朝廷を縛り付けることはしたけれど、徳川家将軍自身が帝王になろうとはしなかった。
けれども、織田信長は違っていた。そうして、朝廷(時の帝、おおぎまち天皇)とぶつかることになった。然るに。かの、本能寺の変の、背景、を描いている。

  追伸
垣根涼介の『信長の原理』(直木賞候補作だった)を読み出している。そうして、織田信長に私もけっこうな関心を持った。『信長の原理』に関して。続く。

直木賞を受賞した『宝島』を読んだ。
町の図書館にあったから。

いつだったか?nhkラジオのスッピンにゲストで首藤順丈が出ていたのを、たまたま聞いたことがあり、(検索調べてみたら2/26日火曜日のスッピンだった)、『宝島』、面白そうだなぁ~と思っていた。沖縄へは行ったことないし。
首藤順丈という作家の名前も、その際に覚えた。

で。
『宝島』。
正直なとこ、長すぎ。と思った。
もちろん、長いからといって、それが苦になるようなことはない小説がある。例えば、奥田英朗の『オリンピックの身代金』や『サウスバウンド』(今直ぐに思い出せるのはこれだけ)。いや、昔、司馬遼太郎の『龍馬がゆく』や『峠』などを読んだことあったな。ちゃんと読めたねぇ~。

そういった点で、この小説、いや首藤順丈という作家、なぁ~んか、変だ。
首藤順丈の小説は、まだ二作しか読んだことないけど。
つまり。長いと感じて、とばし読みぎみになるんだけど、なんか止められない。それでも、読み続けていられる。読み続けてしまう。
不思議だ。
どぉ~~もダメだと思ったなら、もう読めなくなるところなのだが。例えば、村上龍や恩田陸や井坂幸太郎。ダメでしたねぇ~。面白そうとは思うのだけれど、どぉ~もダメ、読み続けられない。
それなのに。首藤順丈は、どうだろう。二作とも、結局は読んでしまった。なんとなくだけど。とっても、不思議だ。

『宝島』は。
やっぱり、長い。
クドいと感じてしまう部分が、いくつもある。特に、後半は。
それでも、読み続けられた。

不思議な文体という他ない。

だから。
私としては、直木賞受賞者は垣根涼介にしてほしかった、と思う。



なんか、『グリーンブック』が評判らしいけど・・
バディ(相棒)映画っていったら・・

まずは、『ミッドナイトラン』
賞金稼ぎの男がお尋ね者(といっても極悪者じゃない)をNYcityからLAまで連れ戻す、ってぇ話しで。飛行機でひとっ飛び、のはずだった、のだけれど。それが、簡単にいかないとこが見せどころ。列車バス車小型飛行機などで、大陸横断していくわけ。(そういや馬はなかったな~?)私にとっては、この大陸横断っていうのが、いいんだなぁ~(^_^)ノ
Rデニーロとチャールズ・グローディンのコンビ。
監督がマーチンブレスト。

マーチンブレスト、といえば。・・
『ビバリーヒルズコップ』、ではなくて。私にとっては、ドイツ映画の『ノッキンオンヘブンズドア』。ここに出ているコンビの役名が、マーチンブレストとルディウルリツァー。
それと。大金積んでた車をとられてしまう下っ端悪役の二人組みも。。!いいねぇ~!!
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8E%E3%83%83%E3%82%AD%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%82%AA%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%98%E3%83%96%E3%83%B3%E3%82%BA%E3%83%BB%E3%83%89%E3%82%A2

余命宣告をうけた二人、といえば。『最高の人生の見つけ方』があった。JニコルソンとMフリーマン。が。私、もう記憶曖昧。?どうも、たいしたことなかったみたい。

あと、やっぱり、アメリカンニューシネマで、『スケアクロウ』(’73。JハックマンとAパチーノ)と、『真夜中のカウボーイ』(’69。DホフマンとJヴォイド)(水野晴郎は「真夜中のカーボーイ」にしようとしたらしいけど)。 あ!『イージーライダー』(’69。Pフォンダとデニスホッパー)を忘れちゃいけない。
アメリカンニューシネマで括られる映画を語る場合は、とくに年代を気にしたいと思っている。そして、その頃の映画は、私の心情によく響いてくる。

それから。アクションor刑事もの。
Aホプキンスとアレックボールドウィンの『ザワイルド』。これ、どちらもそんな役者だったとは。。!!って感じで。驚かされた。
SスタローンとAシュワルツェネッガー共演の『大脱出』もみたけど。ダメだった。なぁ~んか、パッとしなかった。この二人の共演での映画は、もう無理だと感じた。
刑事ものといえば。
『リーサルウエポン』とか『バッドボーイズ』とかあるけど。シリーズものは、パス。

私がみたことあるもので、後思いうかぶのは・・。バディ映画といっていいかどうか?
『交渉人』。ケビンスペイシーとサミュエルジャクソン。これは面白かった記憶あり。
サミュエルジャクソンといえば。『ダイハード3』。これも、いいね!
これ以後、『ダイハード4』(PC世代若者とアナログおじさん)も『ダイハード ラストディ』(でかくなった息子と)も、バディものといっていいんじゃないかな。

そうそう。Dホフマンで。
『真夜中のカウボーイ』だけじゃなくて。Dホフマンて、なぁんか、バディもので光ってるって印象がチョットある。
『パピヨン』は、もちろんSマックイーンが主演だけど、ダスティンホフマンも負けてないんだなぁ~。『レインマン』は、やっぱり!ダスティンホフマンでしょう。トムクルーズも健闘してたけど。
でも。『マッドシティ』('97)は、さえないおっさん役のジョントラボルタのが・・印象に残っている。『ワグ・ザ・ドッグ』('97)は、ロバート・デ・ニーロとの共演、だけど。。?

もう一つ。『テルマ&ルイーズ』もあげておこうか。バディものは、けっして男だけのものではない、ってことで。

こうしてみると。
バディ映画って、ロード映画ものが多いって感じ。
だからこそ、私は好きなんだなぁ~~

なお。
邦画では、『まほろ駅前多田便利軒』と『探偵はBARにいる』をあげておきたい。