【夕顔225-2】「南殿の鬼」偏差値58レベル問題☆ | 【受験古文速読法】源氏物語イラスト訳

【夕顔225-2】「南殿の鬼」偏差値58レベル問題☆

大学入試センター試験の古文は、時間との勝負!

今回のオリジナル問題問題を3分以内で解ければ、

偏差値58レベル超えます☆

源氏物語イラスト解釈ラブラブ

 

【これまでのあらすじ】

天皇(桐壺帝)の御子として産まれ、容姿・才能ともすぐれていた光の君は、幼くして母(桐壺更衣)を亡くし、臣籍に降下、「源氏」姓を名のり、左大臣の娘(あおい)の上を正妻にもらいました。一方、帝の後妻である、亡き母によく似た藤壺宮(ふじつぼのみや)への恋慕、そして、中流の女空蝉(うつせみ)との一夜限りの情事、プライドの高い六条御息所(ろくじょうのみやすんどころ)との逢瀬…。光源氏は尽きせぬ恋を重ねていくのでした。

ただ今、「4.夕顔」の巻です。17歳の光源氏は、惟光(これみつ)の実家の隣家にひっそり住まう夕顔の君に執心し、女の家で一夜を明かした後、彼女を廃院に誘いますが、夜半、夕顔は物の怪に襲われて急死してしまいます。

 

【今回の源氏物語】

右近は、ただ「あな、むつかし」と思ひける心地みな冷めて、泣き惑ふさまいといみじ。

南殿の鬼の、なにがしの大臣脅やかしけるたとひを思し出でて、

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 ☆ 古文オリジナル問題~偏差値レベル58 ☆

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右近は、ただ「あな、むつかし」と思ひける心地みな冷めて、泣き惑ふさまいといみじ。

南殿の鬼の、なにがしの大臣脅やかしけるたとひを思し出でて

「さりとも、いたづらになり果てたまはじ。夜の声はおどろおどろし。あなかま」と諫めたまひて…

 

問)傍線部の説明として、最も適当なものを一つ選べ。

 

1.京の南にある寝殿に住む鬼が、だれそれという大臣をとり殺した前例を、光源氏は思い出さずにはいられなかったということ。

 

2.この廃院の南に以前出た鬼が、どこそこの大臣を脅かしたということを、この時になって光源氏は思い出したということ。

 

3.右近は、南殿の鬼にとり殺された某大殿のことを思い出し、夕顔の死がその生き霊のせいではないかと思ったということ。

 

4.光源氏は、内裏に出たという鬼が、某大臣の威嚇に脅かされて退散したというたとえ話を思い出したということ。

 

5.紫宸殿に住む鬼が、どこそこの大臣を脅した恐怖話を、右近は今回の出来事の象徴として思い出されたということ。

 

基本的問題と言われるセンター試験では、

南殿の鬼」なんかいう古文常識には、

ほぼ確実に注釈がつきますよね。

 

 

ですが、最近では、↑のような問題も出題されうると考えます。

 

 

特に、今年度から学習指導要領が改訂され、

主体的・対話的で深い学び」の実践がされてますから、

 

「南殿の鬼」の話なんか、

注釈なくても文脈で考えろってか!

( ゚∀゚; )

 

 

さて。今回のオリジナル問題の選択肢を検証すると…

 

1.京の南にある寝殿に住む鬼が、だれそれという大臣をとり殺した(△常識ズレ)前例を、光源氏は思い出さずにはいられなかった(△ナシ)ということ。

 

2.この廃院の南に以前出た鬼(△常識ズレ)が、どこそこの大臣を脅かしたということを、この時になって光源氏は思い出したということ。

 

3.右近は(×主語ズレ)、南殿の鬼にとり殺された(△常識ズレ)某大殿のことを思い出し、夕顔の死がその生き霊のせいではないかと思ったということ。

 

4.光源氏は、内裏に出たという鬼が、某大臣の威嚇に脅かされて退散したというたとえ話を思い出したということ。

 

5.紫宸殿に住む鬼が、どこそこの大臣を脅した恐怖話を、右近は(×主語ズレ)今回の出来事の象徴として思い出されたということ。

 

 

「南殿の鬼」のたとえ話を知ってなくても、

「思し出でて」のきちんとした解釈だけで、

選択肢がの二つに絞れますよね!

(σ・∀・)σ

 

 

 

また、後の光源氏が右近に言った言葉から、

選択肢の、脅された話を思い出したというよりも、

選択肢の、追い払った話を思い出したという方が

「より適当」だと考えられます。

 

ここまで捉えられて、偏差値58です!

ヽ(*'0'*)ツ

 

 

 

 

ちなみに、この問題は、

注釈があったり、古文常識を知ってたりすると、

偏差値55レベルでも、かんたんに解けますよ♪

(o^-')b

 

 

大鏡』(平安後期の歴史物語)に、こんな記述があります。

 

この殿、いづれの御時とは覚えはべらず、思ふに、延喜・朱雀院の御ほどにこそははべりけめ、宣旨奉らせたまひて、おこなひに陣座ざまにおはします道に、南殿の御帳のうしろのほど通らせたまふに、もののけはいして、御太刀の石突をとらへたりければ、いとあやしくてさぐらせたまふに、毛はむくむくと生ひたる手の、爪ながく刀の刃のやうなるに、鬼なりけりと、いとおそろしくおぼえけれど、臆したるさま見えじと念ぜさせたまひて、「おほやけの勅宣うけたまはりて、定にまゐる人とらふるは何者ぞ。ゆるさずは、あしかりなむ」とて、御太刀をひき抜きて、かれが手をとらへさせたまへりければ、まどひてうち放ちてこそ、丑寅の隅ざまにまかりにけれ。思ふに夜のことなりけむかし。
 * 『新編日本古典文学全集 大鏡』(小学館)より

 

 

「この殿」とは、貞信公と称された関白藤原忠平(880~949)のこと。

 

【南殿(なんでん・なでん)

【名詞】

①(寝殿造りで)南向きの殿舎。多く、正殿となる

②「紫宸殿(ししんでん)」の別名。「なでん」とも

 

 ※Weblio古語辞典より

   矢印

南殿」とは、廃院の南向きの殿舎とも考えられますが、

「大鏡」の文章では、「南殿」の直前に、「宣旨」とあるので、

明らかに②の意味です!

びっくり

 

【宣旨(せんじ)

【名詞】

①天皇の命令を伝える文書

天皇の言葉や命令を蔵人(くろうど)に伝える役の女房。のちに、中宮・東宮・斎宮・関白などの家で、それに相当する女房

   

紫宸殿」というのは、平安京内裏の正殿のこと。

つまり、帝(天皇)の住む殿舎ってことですね!

 

 

 

ところで…

なにがしの大臣、つまり藤原忠平は、

が怖くなかったのでしょうか…?

 

 

百人一首第26番に、忠平公のこんな和歌があります。

 

小倉山峰の紅葉葉心あらば今ひとたびの行幸(みゆき)待たなむ

 

 

 

この和歌が百人一首に選定されたことも考えると、

 

忠平公は、当時の帝(朱雀天皇、村上天皇)への忠誠が強く、

恐ろしい鬼にも、決死の覚悟で刃向かった

といえるのではないでしょうか?

 

 

 

 

 

 

 

【解答】…

 

 

 

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