憫笑のくちのかたちで死んでいる犬を跨いでゆく橋まつり
一日警察署長がたすきで拭くめがね われわれは凍るみなもに映る
それはそれは真っ暗な神社を想像したペンキ屋には助手が必要なのだ
ひだまりの犬小屋の壁に「大恐慌」って書くのを見てからすすり泣いた
調度品をむやみに崖で買い込んで三叉路からは勘であるいた
着せたまま縫う 背中にくろい水玉がならぶ動物の検死のように
みずくさと黄色い金魚のよく見えるカウンターにランチの空き皿
蜜を吸う生き物死ねばしばらくは髪飾りとして風にふるえる
希望には翳りを添えて(すばやくてふわふわした動物の剥製)
市街戦と春の立ち去った路地には点々と靴からはえた樹よ
(題詠blog2009 001~010)
向井豊昭『怪道をゆく』。読みながら連想したのは藤枝静男。藤枝静男の小説を一度マンガ化してからもう一回ノベライズし直したような小説、といえばいいだろうか。マンガ化のところを蛭子能収の絵で想像したのは、この作者の最初の単行本(『BARABARA』1999年)の表紙(蛭子のイラスト)に引きずられているかもしれない。藤枝にも多少あるような文体の文学臭がまったくなく、ひどく簡潔で平熱の文章(意識して狙った無骨さというのでさえない)。執拗な描写も詩的なテンションの高さもないのに、語られるのは非現実的な光景で、それをあっさり受け入れてしまえるのは文体の地声とのぶれのなさのせいか。個人的に今もっとも信頼できる、拠り所になる文章がここにあると感じた。小説の内容について語るのは苦手なので触れないが、表題作では短歌が重要なモチーフになっていることだけ書いておく。作者は1933年生まれで昨年死去。この本は昨年出版された。
mixiの外部ブログ設定からはずしたのと、最近Twitterが書きやすくて些事はみんなそっちに書いてしまうので、ここはまたちょっと本来の短歌ブログの感じに戻ると思います。
昨年末あたりから私のようなどこの馬の骨でも献本していただく機会が増え、いただいた歌集や歌誌は順番に少しずつ(というのも読むのが非常にのろいので)ありがたく刺激をいただいています。私も何か始めないとなあ? という漠然とした気分を駆り立てられつつ、何かが何なのかはさっぱりわからぬまま短歌はちっともつくれてなくて、最近は題詠ブログのほうで苦しみながらでも月に数首程度(「半ドア」)。この苦しみにはいちおう理由もあって、作風を意識的に変えてコントロールしようとしてるからなんですが、過去に何度か作風変えを試みたときはその都度、中途半端に元に戻っておりました。今回は徹底的にやろうと思ってますます歌がつくれなくなっているわけです。でも自分が読みたいと思える文体じゃないと、つくっても意味ないと思うわけですよ。歌の出来よりもまずは文体。出来のほうは結果的なものですが、文体は前提だから。そこをまずは思い通りに正したいと。
それはそれは真っ暗な神社を想像したペンキ屋には助手が必要なのだ 我妻俊樹
昨年末あたりから私のようなどこの馬の骨でも献本していただく機会が増え、いただいた歌集や歌誌は順番に少しずつ(というのも読むのが非常にのろいので)ありがたく刺激をいただいています。私も何か始めないとなあ? という漠然とした気分を駆り立てられつつ、何かが何なのかはさっぱりわからぬまま短歌はちっともつくれてなくて、最近は題詠ブログのほうで苦しみながらでも月に数首程度(「半ドア」)。この苦しみにはいちおう理由もあって、作風を意識的に変えてコントロールしようとしてるからなんですが、過去に何度か作風変えを試みたときはその都度、中途半端に元に戻っておりました。今回は徹底的にやろうと思ってますます歌がつくれなくなっているわけです。でも自分が読みたいと思える文体じゃないと、つくっても意味ないと思うわけですよ。歌の出来よりもまずは文体。出来のほうは結果的なものですが、文体は前提だから。そこをまずは思い通りに正したいと。
それはそれは真っ暗な神社を想像したペンキ屋には助手が必要なのだ 我妻俊樹
誰もが知るように、小説というのは日本語で書かれていても本当は日本語ではないものだ。Aという作家の書いた小説は日本語Aローカルな言葉で書かれている。だから日本語が読めるだけでは読めない。
エンタメはこうした作家ごとの訛りを最小限に抑える方向で書かれる。つまり作家ごとの訛りに慣れるというハードルが下げられ、あるいは作家の訛りそのものを読むという要素が縮小され、標準語に近い言葉で書かれる。ただしジャンルや読み手のサークルで共有される訛りというものがあり、ミステリ訛りや幻想文学訛りやラノベ訛りなど。その共有された訛りをいったん受け入れるとジャンルやサークル内の作家がまとめて読めるようになる。このように外部と壁で隔てられつつ内部に膨らむような単位はマニア的な心性と相性がよく、だからマニアはジャンル小説に多く集まるのだといえる。
しかし純文学にも純文学訛りというのが当然存在する。純文学というのはジャンル小説に対する「その他全部」のことのはずだが、実際にはそうはなっていないことによってかろうじて商品化もでき、ジャンル訛りがあることによってかろうじて読まれているというべきだろう。純文学がもっと全然誰にも読まれず、すっかり忘れ去られる時がきてはじめて「その他全部」として作家ごとの互いにまるで通じない訛りが肯定される場になるかもしれない。場はその時はもうないかもしれないが、純文学という「ジャンル」が下手に生きていることが現状では障害になっている部分もあると思う。純文学(訛り)さえ持たない小説は存在しない(=小説ではない)ことにされてしまうということだ。
エンタメはこうした作家ごとの訛りを最小限に抑える方向で書かれる。つまり作家ごとの訛りに慣れるというハードルが下げられ、あるいは作家の訛りそのものを読むという要素が縮小され、標準語に近い言葉で書かれる。ただしジャンルや読み手のサークルで共有される訛りというものがあり、ミステリ訛りや幻想文学訛りやラノベ訛りなど。その共有された訛りをいったん受け入れるとジャンルやサークル内の作家がまとめて読めるようになる。このように外部と壁で隔てられつつ内部に膨らむような単位はマニア的な心性と相性がよく、だからマニアはジャンル小説に多く集まるのだといえる。
しかし純文学にも純文学訛りというのが当然存在する。純文学というのはジャンル小説に対する「その他全部」のことのはずだが、実際にはそうはなっていないことによってかろうじて商品化もでき、ジャンル訛りがあることによってかろうじて読まれているというべきだろう。純文学がもっと全然誰にも読まれず、すっかり忘れ去られる時がきてはじめて「その他全部」として作家ごとの互いにまるで通じない訛りが肯定される場になるかもしれない。場はその時はもうないかもしれないが、純文学という「ジャンル」が下手に生きていることが現状では障害になっている部分もあると思う。純文学(訛り)さえ持たない小説は存在しない(=小説ではない)ことにされてしまうということだ。
『若草の萌えるころ』ロベール・アンリコ。よくわからんが、なんか下手な気がする。10:01 AM May 6th webで
『バスケットケース』再見。兄弟関係とかバスケットケースかかえてる姿とかにいまいち神話的な強度みたいのがほしい気がした!3:04 PM May 6th webで
「チャンス」よかった。テレビの画面がたくさん映る映画はいいなあ。ハル・アシュビーもう図書館にないんだよな。11:59 PM May 10th webで
スラッガーズ・ワイフはアマゾンで一円で出てた。VHS。12:04 AM May 11th webで
「ショーン・オブ・ザ・デッド」。登場人物がボンクラだとものすごい効果を発揮する小中理論。8:30 PM May 11th webで
バス男見た。こんなに傑作だったのか。10:22 PM May 13th webで
ネットの「大日本人」評を見て回るだけで午前中が終わる。12:03 PM May 15th webで
菊地成孔が何か書いてた気がしたけどそれは評を書くという予告で終わってたみたいだった。12:13 PM May 15th webで
昨日とうとう見た「大日本人」はなんとなく想像してたのより少し面白かった。12:16 PM May 15th webで
昔の写真か映像で、中途半端なでかさの大日本人がふつうの人たちと混じってるのが気持ち悪くてよかった。ああいうのがもっと見たかったな。12:21 PM May 15th webで
もっと隙なく作家のセンスで作りこまれてないときびしいタイプの映画だと思った。笑いがすべった後(笑えないのは全然かまわないと思う)をささえるセンスの強度に頼りなさを感じるというか。12:34 PM May 15th webで
「スーパーマンIII 電子の要塞」みた。とてもぜいたくないい映画。9:51 PM May 15th webで
「おろち」。谷村美月はどっちかというと古賀新一系の気がするけど、そこがよかったかも。傑作。約1時間前 webで
登場人物の関係にこまかい重心の移動とか逆転がたくさんあって、つねに関係が動いてる。養子を売るときの義母と義父の態度のさりげない逆転とか。約1時間前 webで
虚構には虚構の血の通わせ方がある!約1時間前 webで
女優の役で女優を見せること(女優を演じる女優)。画面に入り込んだ観客としてのおろち。佳子を生きる(=プレイする。プレイヤー視点の)おろち。等々、メタなものによる虚構のふくらみ。約1時間前 webで
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