喜劇 眼の前旅館 -23ページ目

喜劇 眼の前旅館

短歌のブログ

ざっと計算したら上半期の収入が計23万くらいだった。11:30 PM Jul 16th

いくらなんでも30万くらいはほんとはあると思うけど、それでも家賃はらったら月8000円しか残らない。おかしい。11:40 PM Jul 16th

電話も携帯も電気もガスも水道も止まってないし、ごはんも食べてるし病院も行ってる。それでキャッシングの残高が11000円。11:43 PM Jul 16th

お金って不思議だなあ。11:45 PM Jul 16th

たとえば銀行に10万円預けると、私は預けてるだけで当然自分の10万円だと思う。でも銀行も借りてる間は自分の10万円だと思って人に貸すし、借りた人も自分の10万円だと思って使う。そのように関わった人の数だけお金は幻想的に倍増してゆく。11:51 PM Jul 16th

あとお金というのは出し入れによる移動によって残像が発生し、実際の額面よりも体感金額は多くなる。11:53 PM Jul 16th

@********* 働くとお金がもうかる、というのは資本主義のつく嘘ですね。税金とはべつのしくみで儲かっただけさっぴかれる感じがします。11:59 PM Jul 16th

@********** 働かない生活を続けると、お金の動きがすごくゆっくりになります。するとゼノンのパラドックスみたいに「アキレスが亀を追い抜けない」みたいな光景が出現します。私がいるのはその世界です。12:07 AM Jul 17th webで

とてもゆっくり通過してゆくようになったお金は、私の視界にあるあいだにさまざまな仕事をしていきます。私はただそれを見守る。辛抱づよく見守り、むやみに手を出さないのがコツです。12:14 AM Jul 17th

まともに働いていると、お金のゆっくりした動きを体が追い抜いてしまうので、体の行く先々で新しいお金が必要になる。12:20 AM Jul 17th

そうやって本来一人の人間がかかわる何倍ものお金が必要になり、ますます働かなきゃいけないという悪循環。でもこれが社会のエネルギーなんだと思う。12:26 AM Jul 17th

働かないと長い目でみたらもちろん赤字だけど、お金の動きがゆっくりだから、たとえば借金しても返済までの体感時間をどんどん引き延ばせる。と考えるとなかなか危険なんで働いたほうがいいと思います。12:34 AM Jul 17th

@********** 動かして他人と共有したお金は社会のエネルギーになるけど、個人においては必ず目減りするんだと思います。べつに株で損したとかなくても、肝心なときに手元になかったりする。12:46 AM Jul 17th

この社会で実際に一人あたり使えるお金は、額面上の所得格差と比べてずっと差が小さいはず。金持ちになるほど、そのお金は社会化していて実際には自由に使うことができない。なんか資本主義のことがわかってきた気がする!12:49 AM Jul 17th

@********** たとえば完全に幻影の入り込めない物々交換とかになったら、私みたいなのが寄生する余地はなくなりますね。幻影だからこそ世の中の隙をついて現金化なんてこともできる。ふつうそこではしないだろ、という不意をついた現金化。1:16 AM Jul 17th webで

プリカの一部は死蔵化されるためにつくってるようなもんだろうけど、貧乏人はそれをきっちり無駄なく使う。それも寄生の一種と思う。1:24 AM Jul 17th



http://twitter.com/gatuma
批評の言葉が透明さを目指すのはそもそも間違いなのだと思う。批評は作品に対して根っからの異物であるはずだろう。
当然のこととして、批評どうしがある具体的な作品について合意を取り付けることもありえない話になる。批評が互いにその噛みあわなさを確かめる場所たりうることが作品の条件であり、作品をそのような場所として目覚めさせられることが批評の条件なのである。

そのとき演じられる対立はあくまで非対称なものである。作品を挟んできれいに対称をなす対立など、批評どうしが取り付ける合意と同じように本来ありえないものだ。そして具体的な作品をあいだに挟むことなしには非対称な対立すら不可能なはずである。
そのありえないはずのことが実現しているとき、批評は自らを異物として自覚するための作品を欠いているのである。交わされる言葉は互いにその透明さを信じる者たちによって発せられ、その実それぞれが自らの顔の映った表面を向こう側の景色と信じ込んでいるのだ。
もとより不透明さによって語り、不透明さとして言葉を交わす気であればそのようなことが起こるはずもないのだ。

透明さを断念することに失敗した言葉がいずれ“キーワード”化するのである。
“キーワード”はそれを誰が使用しても同じドアを開くことができる、という幻想とともにある。そのドアからどんな作品にも(本当に作品であれば)侵入できないことだけは確かであるが、批評になり損ねた言葉は容易に作品以外のものへの侵入を喜びもするし、それを作品だと思い込むそぶりさえ見せるだろう。
そのとき発動している厚顔な善意に対し、作品も批評もひたすら無力なままである。
紙ふぶきまじりの髪を拭きながら嫉妬が趣味よ、と右目をこする

ヘッドフォンで殴りかかってきたくせに友達なのかキスしてくれ

華氏で読み目盛りから瞳をはなす カタカナ、カタカナ、落ちている蝉

煮こごりのうすあかるい午後の電話でするどく言うてきとうなこと

模型列車でじゅうぶん逃げられる魂ただそれだけを言いたかった

「蝋人形輸送中」の札を垂らしたボートが傘でするUターン

はずれくじこすったコインで水を買う それで飲む解熱剤の空き箱

「永遠に続け、格差社会」と祈りながらくたばる便器に手首漬けて

持ち物リストにあれがないのよ今ふかくノートがこめかみをあおぐ音

貧乏人に武器を売るまたは貸すまたは只でやる海びらきのために


題詠blog2009 011~020)
短歌を読むとき、私は大抵それが短歌であることをすでに知っている。短歌とは知らずに短歌を読んでしまうという経験はまずない。
だが読み始めたものが短歌であることを、短歌自身の声にによってふたたび囁かれることは少なからずある。それは短歌が唯物的にみずからを模倣しようとする言葉の運動、その運動が定型とのあいだにたてる軋みに耳をすませるということである。

短歌には“内側に向かってひろがる波紋”とでもいうべき倒錯性がある。
定型という壁に限られたこの空間には、その行き場のなさが内側に向けて裏がえり、いわば短歌が小さな短歌を無数にはらみ続けるような倒錯した磁場が生まれている。
その磁場がつくりだすこの場所に独特の奇景を観賞することが、私が短歌を読むときのおもな目的として意識される。

したがって短歌が、日本語の美しさを表現するものだとはどうしても思えない。
美しさの定義にもよるが、そこに“正しさ”のニュアンスを少しでも含めるならそれはこのジャンルにふさわしい役割ではないだろう。
短歌のリズムは日本語の中にすでにあったものを取り出しているが、逆にいえば我々が書きあるいは話す日本語から多くのものを無視し切り捨てたものが短歌である。

それは日本語にとってあきらかに異常な環境であるが、日本語として読みにいった頭はそれを読もうとするし、あまつさえ読んでしまう。また定型を介することで共有された約束事が、歪み壊れた日本語を読み手の中で回復するという理由によって、その歪みと壊れは短歌の中では許されることになっている。
短歌であることを口実に、読めないはずのものが読めてしまうということ。
頭に入るべきでないものが侵入を許されてしまうということ。

だが短歌をウィルスに喩えることは、ウィルスについての私の無知と、この世にはウィルスに喩えられるものがあまりに多すぎるという理由から避けられねばならない。
ワダチ(松本零士)読了。各回おわりのポエムみたいのがすごくいい。あのポエムみたいのをぶつぶつ呟く空間として四畳半とか屋台とか、パンツとかトリとネコとかタムシがどこまでもついてくる。5:31 PM May 31st webで
すごく内面的な話なのに、主人公が傷つけられたシーンでも全然「感情移入しろ!」ていうコマがないのがいいなあ。そういうとこがセカイ系と違うのかなあ。5:37 PM May 31st webで
四畳半と大宇宙がじかに繋がるとこはセカイ系的ともいえそうだけど。5:39 PM May 31st webで
作家がひたすら主観的に無反省にポエム的なものをたれながしていい空間、というのを作品のなかに確保するのは大事なことだなあ。5:50 PM May 31st webで
無反省なポエム的つぶやきはわりきれない矛盾をはらむのでイイ。6:11 PM May 31st webで
B39-II。吉村萬壱の小説ではじめていいと思った。9:08 PM May 31st webで
ホトトギスが鳴いた。吉村萬壱『ヤイトスエッド』読了。「B39-II」と「鹿の目」がよかった。4:46 AM Jun 2nd webで
サボテン・ブラザーズ。超苦手なタイプの映画で気が滅入る。3:26 PM Jun 2nd webで
最初の数分で、もう泣く準備して見るつもりだったのがなぜこんな凶悪な気分に。3:43 PM Jun 2nd webで
アンデルセンは詩人だねえ。比喩がいっぱい。8:39 PM Jun 3rd webで
視覚的に再現不能な描写、って詩だなあと思う。まあ詩のことはよくわからんのだが。8:40 PM Jun 3rd webで
小説の描写は、視覚的な再現性に過剰にこだわることで時空がゆがむとこがあるけど、8:43 PM Jun 3rd webで
言葉のうえだけの論理で描写を成立させてしまい、視覚的にありえないものを呼び起こすという描写もあって、そういうのを詩的描写ということにしとく。8:45 PM Jun 3rd webで
描写を切り詰めて、少ない言葉でぱっと対象の本質をつかんでみせる、みたいなやり方がもともとあって、8:55 PM Jun 3rd webで
そこから描写の対象を消してしまうということかな。何もないけど脳が読みにいってしまう感じ。8:57 PM Jun 3rd webで
くだりかかってたとこを「新・明日に向って撃て!」みて持ち直す。リチャード・レスターのマンネリにはなんか癒される。9:22 PM Jun 3rd webで
向井豊昭『怪道をゆく』読み中。3:42 PM Jun 5th webで
寺山修司の話し方について、あれは青森なまりじゃなく「アクセント一つない」「青森のアクセントを捨てようとして、東京のアクセントまで捨ててしまった寺山」とあるけど、3:42 PM Jun 5th webで
あの平板な感じは韓国語をベースにしてんじゃないかなとおもったなんとなく。3:44 PM Jun 5th webで
Wikipediaにこんなこと書いてある。「寺山の競馬の出会いは1956年。ネフローゼで入院中でのことで、同室の韓国人から賭博とともにそれを学んだ。」http://bit.ly/kzGrR3:47 PM Jun 5th webで
青森なまりを消すために韓国語をつかったんでわという仮説。3:51 PM Jun 5th webで
サンダーボール作戦。007はマクガフィンだけでできてる映画。12:42 AM Jun 9th webで
オードリー・ローズ。こんな重い映画だったのか…。くだけ散るガラスとともにおとずれるやりきれない救い。
THX-1138/ジョージ・ルーカス。仮面つけたポリス(ロボットという設定)がかっこよかった。4:27 PM Jun 12th webで
メトロポリスのアンドロイド+石森章太郎(ロボット刑事とか)と言う感じ(ポリスが)。4:29 PM Jun 12th webで
ブラックジャック読む。「殺しがやってくる」の回、事故を起こしたピノコを“手術”するBJ。筐体をあけて脳や臓器をむきだしにされるグロテスクなピノコにも手塚の趣味のよさ(反語じゃなく文字通り)は発揮されてるけど、ぎょっとするのは下腹部。8:20 AM Jun 14th webで
幼児のかたちをしたピノコが「奥さん」を気取るたび読者の頭をかすめる疑問に、手塚はちゃんとひとつの答えを示している。つまりピノコはセックスできる体につくられていた。8:26 AM Jun 14th webで
BJ、ピノコの出る回はみんないいな。今さらだけどピノコいい。
医学知識が支えてるリアリティとはべつのリアリティの柱がピノコにはあって、前者のリアリティと地続きなこっち側のもろもろの面での矛盾をあっち側から無効にしてくる!(うまくいえてない)5:54 PM Jun 20th webで
ピノコのリアリティ=人間のかたちをしたものには人間と同じように魂が宿る、というオカルト的な実感。5:55 PM Jun 20th webで
かたちどころか、中身まで人間から詰め替えられてるんだから、それが動いたり喋ったリするのも当然、というリアリティ。5:59 PM Jun 20th webで
医学的リアリティ=劇画的リアリティ、オカルト的リアリティ=マンガ的リアリティというのはどうか? そうゆう二つの柱。6:11 PM Jun 20th webで
ピノコ自身にもその二つは共棲してて、パカッとふたを外すとリアルな脳味噌や内臓が露出して描かれもする。マンガの下から劇画があらわれる。6:17 PM Jun 20th webで
ということはつまり、ピノコがオカルト的(マンガ的)リアリティの代表として作品のリアリティのバランスをとってるんじゃなくて、ピノコ自身がオカルト(マンガ)/医学(劇画)という二つのリアリティが共存したBJとゆうマンガの象徴的なキャラクターなのです!6:25 PM Jun 20th webで
千年女優。今敏はなんか途中で飽きるな。2:16 PM Jun 22nd webで
フレーム乗り越えものはすごい好きなんだけど、ずっとそれで押されると飽きる。乗り越えのバリエーションがいくら抱負でも乗り越えってだけだと単調だから。2:18 PM Jun 22nd webで
回想シーンに現在の人物が介入する、ていうのは先例だと「絞殺魔」とか「ドグラ・マグラ」とか。回想と現在を分けるフレームはそもそも単に映画の約束事だから、そんなものは元々ないんだとも言える。2:25 PM Jun 22nd webで
だから映画が一方的に(観客との)約束を破って登場人物にフレームを乗り越えさせることには、何も障害はないけど、約束がくずれて語りに混乱が起きるわけでそこがおもしろいというしくみ。2:28 PM Jun 22nd webで
でもその混乱もずっと続くと見慣れてしまうし、もともと約束があっての約束破りだから、破れてしまった約束を何度も破ってみせるのはもうジャンル(の約束事の強固さ)へのもたれかかりというか甘えみたいのがにじみ出てきてよくないと思う。2:34 PM Jun 22nd webで
でもフレームを越えたり崩れるときのめまい、みたいなのはやっぱり私は偏愛つうくらい好きかも。ディックなんかはフレームがあからさまに越えたり崩れることはそんななくて、つねにぐらぐらしてるところがいいんだな。あれは技法っていうよりもっと人格とか文章の病気みたいなもんだと思う。2:41 PM Jun 22nd webで
千年女優でアニメならではのうまくいってたとこは、映画(虚構)と現実の間のフレーム越えの所。実写だとそもそもが「現実」と似すぎてるので、映画内の虚構(映画)と現実を分ける約束のこととか、よけいなことがいろいろ目についてしまうと思う。2:45 PM Jun 22nd webで
アニメはもう現実とは別個のリアリティを前提に見てるので、作品内での「映画」と「現実」が見分けのつかない状態で呈示された上で、事後的に「これは現実でした」「映画でした」とひっくり返されていっても違和感がない。2:48 PM Jun 22nd webで
ただそのアニメ的なリアリティの、デフォルメされかげんというのがこういうタイプの作品では単調さにつながるという気がする。実写ならよけいな情報が多くてすっきりフレーム越えられない分、そのよけいな情報が思わぬ見どころになるから。2:54 PM Jun 22nd webで
ディックが開けっ放しの蛇口みたいに小説書いてたときにダダ漏れになってた私生活の悩みとか頭の中のもろもろが、ディックをディック好きの作家が真似るときに技法化するようなものとは一線を画してる。3:02 PM Jun 22nd webで
ディックの書き方には町の中でカメラを回してるようなところが含まれてたんだと思う。3:04 PM Jun 22nd webで