菊花紋って、「今ここ」とか中今、と言われる位置の図形化ではないかなぁ、と思います。
図形やシンボルは、脳が理解する時の言語みたいなので、図象化はわたしたちに必要なんですね。
16菊花紋とか18菊花紋とかいくつかバージョンがある様ですが、2つが重なった世界はどんなに複雑で美しいのでしょうかね。
粋な計らいを感じます。
何故、菊花紋が「今ここ」の図象なのかなぁ、と思ったかと言うと、
実在は「今」しかない、とか、「今に永遠がある」とか言われると、
もしブチブチ千切れた今だけをイメージしたとしたら、ハッピーに思えなくて。
過去も未来も、そして近くも遠くも、上も下も斜めも前も後ろも、全部が見えるところが「今ここ」であれば、落ち着くの。
ただそれだけ。
先程、「古代の叡智の幼稚園」お話し会をしていました。
以前わたしがキリストのチャネリング本を読んでいて
「あなたが苦しいのは…」
と書いてあるくだりがたくさん本の中に出てきて、
(本なのに)
「何でわたしが苦しいって分かったの⁉︎」って思ったの!
という話をしました。
お釈迦さんも、「四苦八苦」を説いていますね。
あなたたち、わたしたちは苦しいんだよ、って。
日常わたしたちは、あれが苦しい、これが苦しい、あれで辛い、これのせいでシンドイ、等と言いますが、実はそれ以前に、そもそも苦しい、ということですよね。
そして、
何故苦しいのか、
どうしたらそこから抜けるか、
ということは何千年も前から答えは分かっているのに、わたしたちはまだ苦しみ続けているよねー、という話をしていました。
お釈迦さんは、四苦八苦の4つは、「生老病死」と伝えています。
「生」が苦の根源の最初に明らかにされています。
苦しかったのは、わたしだけではないし、スタンダードな状態ということね。
そこで、飛躍します(ここからはお話し会では話しませんでした)。
「人は死なない」ので、
実は「死」は苦ではないとすると、
「生老病死」全ても実は「苦」ではない、と捉えられる領域があるのではないかな。
「苦」と見え、感じられている領域にしっかり立った上で、
その全てがドン!とひっくり返る領域まで知って
お釈迦さまは説いたのではないかなぁ、と。
実際、お話し会では
「(何故か)生きているのが辛い苦しい」の状態から、
「この人生とこの生命があるからこそできること(の歓び)」に変わったきっかけの原点の話をしました。
「天に持って行けるものと行けないもの」が分かり始めると、何が大事になってくるか、という話もしました
あと、普く全員が持っている、死んでも勝手には変わらない“頑固さ”の話等もしました。
たくさん話したぁ
キネシオロジーの筋肉反射を感じる時も、例えばネガティブなモノを捉えたとしたら、その解決法や転換方法までセットでなければ、意味がありません。
(ついでに、キネシオロジーの筋肉反射が示すのは、その人の幸せになることは、周囲の幸せになることを示します。)
転じた今だからこそ、胸のリンギングは、語らずにはいられませんね
次回の予定です。
第十二回「古代の叡智の幼稚園」お話し会(お茶会形式)は
2024年2月24日13:00-
参加費6,000円
春分の聞香会は2024年3月17日13:00-17:00
定員3名
参加費5,000円
会場は何も相鉄線「さがみ野」駅から徒歩7-8分
(詳細はお申込みの方にお知らせします)