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「古代の叡智の幼稚園」
エデュケーションとセッションが一体化した新しいスタイル、エデュ・セッションで、魂が導く本来の自分の力を取り戻していくセラピーをしています。

黄色い花ホームサロンのご案内黄色い花          



宝石白石の瞑想宝石白


晴れ汗出しドームデトックス晴れ

パー筋肉反射を使った「古代の叡智の幼稚園」セッションパー



オラクルカード無料リーディング【約10分】 限定数


サロン所在地は、


神奈川県座間市です。

 


最寄駅は、相鉄線 「さがみ野」駅

から徒歩7-8分。

サロンへのアクセス方法は、ご予約時にお知らせ致します。




ご予約、お問合せ

電話番号 090-4157-2478

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あさはら さとみ


全日本カウンセリング協議会

2級カウンセラー

言葉が無ければ戦争ってできないな、と思った。


理念や思想や概念の母体は言葉


言葉で伝えられることには限りがある


それでも何かに接続や触れることができるようにしているのは言葉


言葉の奥に広がり繋がっている命、言霊が、言葉の伝えている本体であることを共通認識する必要がある


あなたの心の争いが止んだ時、戦争はなくなると聞いて、以前は腑に落ちなかったが、今は分かる氣がする


一人一人の微力が世界を変えるなんて、以前は理解出来なかった


お金のために戦争商売をしている存在がいるとしても、我々の性(さが)で行っている行為を悪用されているだけだ


言葉自体に良いも悪いもなく、機能を果たしている発明品なだけ


その背景の土台の命に、常に立って生きる社会をそろそろ築く時だろう


七福神のお2人の神様は


恵比寿さんと大黒さんがペアで認識されることが多いですね。


恵比寿大黒


ある時


「笑みす大虚空」


って思い浮かびました。


開けゴマ!みたいな暗号だな、と。


大虚空に微笑む


または


大虚空で微笑むと


次に


毘沙門天と弁天さんがいらっしゃる。


門であり、弁がある。


そこが開く。


弁のある関門を通過する。


すると、布袋さんと福禄寿、寿老人が居る。


布袋さんは、サンタクロースやドラえもんの無限ポケットみたいに、無尽蔵な虚空蔵の袋を持っている。

福も禄もあって、永遠のいのち。


そこで笑む。


そこに笑む。


そうすると、摩訶不思議な宝蔵が開く。


わたしたちに渡された鍵🔑


笑みす大虚空






「あたるも八卦 あたらぬも八卦」

という言葉がありますね。


これは、

八卦は当たったり、当たらなかったりするからあてにならない、とか


当たる確率は五分五分

というような意味ではないと思います。


自分の意志とは異なる、または望む方向と異なる現れが出た時に、


それを変えていく取り組みができるよ、ということだと思います。


変えるために何をするか。


そのアプローチが可能だ、という意味ではないかな。


今の瞬間のエネルギーのままだと、流れはその卦で示すことができる。


その示しが的確だからこそ、それが望む方向と違うなら、何か手を打つ必要がある。または、選択を変えることもできる。


選択を変えないなら、軌道を変える一手を生み出す。

そうすれば、「当たらない」未来を導けることになるよね。


受け身のまま言葉の理解を受け取るか、能動的関わりを受容している言葉として理解するか、世界は変わるように思います。


いつの間にかⅡが出ていました。


Nosso Lar2 Mensageiros 2024

YouTubeで無料で見られます。
ブラジル語の作品です。
設定で日本語字幕を付けて見れます。

日本語版ではないので、今回は「アストラルシティ」という日本語の副題は付いてないみたいです。

日本語として訳がおかしな部分もありますが、全体の流れは理解できます。


映画作品の芸術的な質は、そんなに高く無い氣がしますが、地上とアストラル世界の関係を、一生懸命に可視化しようとしたのだと思います。


アストラル住人の存在が、助けの手を伸べたくても、地上で彷徨う肉体を失った存在が、助けを受け容れなければ、還り道に連れて行くことができない。


アストラル界に居る時に決めたプロジェクトを、地上に受肉してから実行するのは、困難である様子を頑張って描いている感じです。


誰が誰か?ストーリー展開の繋ぎが分かりづらいところもありますが、可視化して見る体験としては、見て見る価値はあると思います。



「かごめかごめ かごのなかのとりは 

いついつでやる

よあけのばんに つるとかめがすべった

うしろのしょうめんだあれ」


籠目は五芒星と六芒星でできている

つまりフラーレン構造


何がフラーレンか


「八雲立つ 出雲八重垣つまごみに

八重垣つくるその八重垣を

いつかはらさむ万代を経て」


膜構造で封印した「わたし」をわたしが解放するには

五芒星と六芒星を使う


その手順書、使用説明書


八重垣は、玉ねぎの皮のように剥いても剥いてもまだ剥ける


皮を剥く度に、涙が出る


だからわたしは、宇宙人カウンセラーとして、35年學んできたんだなぁ。


本質を観る目を持って、人に寄り添い、共に花咲くために。


それはフラワー・オブ・ライフの花


 

閃いた!ので書きます。


(往きの車窓からの富士山)

蓮の花の喩えで、このようによく言われます。


佛の美しい蓮の花は、汚れた泥の中から咲く


でも、わたしはピンと来なかったんですね。


泥は汚れなのか?


確かに相撲などで、土が付く、というのは負けを意味します。


泥汚れ、などとも言います。


しかし、泥は、土プラス水、なだけです。


嫌気性の微生物の活動があると、臭くはなりますけどね。


今、世の中はカオスが進行していると感じます。


カオスは、橋渡し、移行期、土の入れ替わり時期だと思います。


土と水が大量に混ざっている期間。


新しい文明に移行するサイン。


理想の社会を、弥勒の世、ということもあります。


それについては、別途書きますが…


AIの加速度的な浸透は、移行期が始まったサインでしょう。


AIやITが進んでも、一気には便利になりません。

利権やセキュリティのためのパスワードやら認証やら、サブスクやらで、ガチガチな氣がします。


まだまだセキュリティで守らなければならない社会なんですね。


話が少しそれましたが…


農薬や化学肥料をふんだんに使った土を、自然栽培の土にするには、時間がかかります。


土が元氣になるまで、移行期があります。


橋渡しの時期は、両方の性質が混在します。


土には、化学薬品や化学物質が残留しますから。


わたしが、泥は汚れではない、と思っていたのは、元々の元氣な土を思っていたから。


でも、人間が汚した土が一旦泥になり、化学物質がたっぷりなら、浄化するまで、汚れとも言えるなぁ、と思いました。


地球の自浄作用、自己免疫力を超えたダメージは、人間が汚してしまった、と言えるでしょう。


蓮の花咲く泥が顕れる時が来ましたね。

(還りの車窓からの富士山)


わたしを救いに来てくれたことば「触媒」


お金は「触媒」


裏付けているのは、金でもドルでもオイルでもない。


世の中を豊かにしているのは、人間の活動。


お金はエネルギーと言われることもあるけど、

山川草木森羅万象、万物はエネルギーという意味でそうだと言えると思う。


言葉も「触媒」


言霊、生命に触れるために必要な触媒


わたしもカウンセラーとして触媒


ロッククライマーが手や足を掛ける窪みや突起のようなもの


その一手、足場が在るか無いかは、進退を左右する


その人がその人の力にアクセスし、力を出すために


そしてもうひと花咲かせていくために

AIを使用するのは、人間だけではないかもしれない。

電気的なものは、肉体を持たない意識体も影響を及ぼし易い

子どもの頃に、子ども同士が喧嘩をする時に

決まり文句、ハヤシ言葉のようなものがありました。


♪デブデブ百貫デブ お前のかーちゃん出臍♪


喧嘩の言い合いの内容がなんであっても、内容に関係なく、ハヤス言葉でした。


幼い頃は、泣きながら

「デブじゃないもん!お母さんはデベソじゃないもん!」と言い返していましたが、

次第に事実と大きく乖離した言葉の内容には、言い返さず反応しなくなります。


そのうち、囃すこと自体無くなっていきます。


しかし、人生を何十年生きても、人生ドラマの内容に囚われている我々は、まだハヤシの内容に言い返している童たちなのかもしれませんね。



以前に、こんな話を聞いたことがあります。

和歌に歌が残っていると思います。


高貴な女性が出産すると、

子育てや授乳は卑しいこととされ、

子供は取り上げられて、

乳母が役職として幼子を育てます。


授乳をすると体型が崩れるからと、高貴な女性は美しさを役目として保たなければならないために、子育てができない、ということがあったのかもしれません。


出産をした高貴な女性は、自らの乳が張るのを絞って、我が子に飲ませたいその乳を、捨てなければならない悲しさを、歌に詠んでいました。


また、子供は自ずと乳母に懐いていきます。


人の世の社会や文化の構造で、命が生み出す自然な営みが、空回りすることがあります。


わたしは35年以上、カウンセリングやキネシオロジー、スピリットの學びや能力の向上に精進してきたので、貢献する形で表出をしたい段階に来ています。

しかし、商品化やマネタイズが苦手なので、社会的位置付けの中で表現する手段やそれを助けてくれる人との出会いを望んでいながら、まだ叶わずにいます。


毎週水曜日に無料のzoom40分のお話やセッションをしているのは、初出の女性が、我が子に乳を与えたいと思う自然な営みと似たようなものだなぁ、と思いました。


商品化やマネタイズは、社会の中で立ち位置を獲得する、人為の必然です。

それができないとしても、乳は溢れ出てくる。


そんな憶いを、女性の和歌に重ねて見た感じがしました。


赤裸々な告白でした。

久しぶりにインスピったので、記しておきます。


「天地人」一体と言うと、

天、上、神、霊界

地、地面、土、三次元、この世、現実

人、人間、自分、わたし

に於いて

一体となる、

という風に捉えていました。


しかし、


もしかしたら


地とは


ゲシュタルト心理学で言うところの

「図と地(じ)関係」の

地(じ)のことではないでしょうか。


スポロガムで図をくり抜いた残りが地(じ)。


この説明分かるかな爆笑


結局、両方とも口の中に放り込んで食べますが。


ある意味、スポロガム全体が地(じ)でもありますね。同じ素材で出来ています。


天は点、象(かたち)


それを産み出す地(じ)


そこを一体として体験する人、「わたし」


それが天地人一体


            (三保の松原海岸より)