さて、『はぐれ刑事純情派』などの映像では、お百度を踏むのは100%女性でした。
男性はしないの?
ということで、男性バージョンを探してみました。
まずは中世から。
伏見宮貞成親王。サダフサ親王、と読みます。
詳しくは、「大掃除、改め煤払い」をご覧ください。
彼が書いたのが『看聞日記』。カンモン日記と読みます。
読み方は難しいですよね…。
室町時代中期の有名な日記です。
この日記に、貞成親王自身が百度参りをしている様子が記されています。
男性、という括り以上に、親王がお百度参りをしているという、
ハイクラスな例です。
ただし厳密にいうと、お百度参りをしたときは、
まだ親王宣下を受けてません。貞成王という身分でした。
なぜ彼がお百度参りをする気持ちになったのかというと、
(動機は重要ですね)
応永25年(1418)、称光(ショウコウ)天皇が寵愛してた内侍が妊娠しちゃいました。
身に覚えがない天皇は、妊娠した内侍の相手は誰か、調べました。
妊娠したと思われる頃、内侍は伏見に里下がりしていたので、
伏見居住の貞成親王が怪しいとにらんだ。
そのことを聞いた、天皇の父・後小松院は貞成に対して激怒し、
室町殿(4代将軍義持)に訴えました。
というわけで、けっこう大事になってきました…。
貞成は、この疑いを晴らすため、
「内侍との面識は一切ない!」
「そんな宴会、知らない!」
「僕じゃない!」
というアピールのため、お百度参りを決行したのでした。
お百度参りをする前に貞成親王は、まず、起請文を書いてます。
上記の主張に嘘・偽りがないことを神様に誓うためです。
いや、親王さんだけじゃなく、家臣などの関係者もそれぞれ起請文を書きました。
そのうえで、伏見中心となる神社・御香宮(ゴコウグウ)でお百度参りを実行しました。
ではその、お百度参りの日記を紹介します。
さっくり現代語訳。
【8月18日】
早朝、御香宮に参詣。私はこれから三日間参詣する!
般若心経を私一人で読みつつ、裸足でお百度参りをする!
三日間、真剣に心から祈るつもりだ。家臣たちも同様である。
【8月19日】
昨日と同様、御香宮へのお百度参り。
【8月20日】
御香宮に参詣し、大般若経を転読した。お百度参りは三日目で完了した。
きっと、私の願いは神に聞き届けられたと思う
(原文)
18日。早旦御香宮参詣。三ケ日社参。千巻心経(一身読)。お百度(徒跣)。三ケ日致精誠令祈念。三位・重有・長資朝臣同参。
8月19日。予御香宮参百度如昨日。
8月20日。於御香宮大般若経奉転読。予参詣。御百度三ケ日満了。定有御納受者歟。
御香宮は、今でも伏見にあります。
中世からずっと、伏見の人々の紐帯の役割を担ってきた神社です。
私はだいぶ前に行ったことがありますが、その時はお百度参りに興味がなかった。
なので、お百度石などの有無、わかりません。
ご存じの方があれば、教えてください。
ゆくゆく親王になられるお方が 不倫疑惑を晴らすために 裸足でお百度参り
さて、まず最初に。
裸足(「徒跣」)っていうのはインパクトあります。必死さが窺えます。
貞成さんが伏見宮を継いでまだ1年ほど。
…試練ですね。
また、3日間かけているということも興味深い。
家臣たちも一緒に百度参りしてるのも、興味深い。
(般若)心経の読経がどのように営まれていたのか、よくわからないですね。
「一身読」とあるので、親王自身が読んだのでしょうが、どのタイミングなのか?
お百度参りしつながら読んだ?
「転読」というのは、経文を手に持ちながら、
バラーーーっとアコーディオンみたいに広げて、
左手に渡したり、逆に右手に渡したりして、「読んだ」と認定すること。
あれで読んだことにするんか?…と思いますが、
これはこれで、立派な読経の形態の1つ。
ただ、そうなると、お百度しながら転読って無理ですよね。…謎。
結末はどうなったのか。
まず、貞成さんのお百度が完了しましたという報告を聞いて、
4代将軍義持が「不審は晴れた」と述べました。
貞成さんは、その義持の感想を聞いてめちゃくちゃ安心しています。
なんなら、義持に信じてもらえればそれでいい、とすら言ってますwww
やっぱり院より義持のほうが強いんで。
最終的には、里下がりしていた伏見で内侍が酒宴を催してたとき、そこに出席していた能楽師が「貞成様は、いらっしゃらなかった」
と証言したので、疑いは無事に晴れました。
これがお百度のおかげと思うかどうかは、当人の気持ち次第ですが、
日記の最後に「きっと私の願いは聞き届けられたと思う」と書いてあったので、
貞成さんは、お百度のおかげと思っていたことでしょう。
そもそも当時、天皇家と伏見宮家との間は微妙。
なぜなら、本来なら持明院統の嫡流である伏見宮の血筋が皇位継承すべき家柄。
色々あって、(持明院統の)庶流が皇位についちゃった。
伏見宮家に対して、危機意識を持っていてもおかしくはない。
とりわけ称光天皇は、執拗に伏見宮家を敵視していたのですが、
この不倫疑惑事件は、その走りだと思います。