1331年の「元弘の変」を覚えていますか。

後醍醐天皇の二度目の倒幕運動です。

失敗して隠岐に流されてしまいましたね。

 

あ、「二度目の」倒幕運動かどうかは、現在議論があるところです。

というのは、

1324年の正中の変において、

後醍醐の関与が、本当になかった可能性が出てきているから。

マジで無関係なら、

元弘の変は、後醍醐の「初の」倒幕運動ということになります。

 

が、上記の話は保留して、今は元弘の変直後の話。

 

このときの様子が、記されているのが『花園天皇日記』です。

マイナーな天皇ですが、まとまった量の日記を残しているので、

研究者にとっては、とってもメジャーな天皇。

 

花園天皇が即位したとき、立太子したのが後醍醐。

天皇12歳、皇太子20歳。

皇太子の方が年長という珍しい状況でした。

 

さて、その花園院の日記に、元弘の変直後のことが記載されています。

わかりやすく、脚本風にしてみました。

なお、後醍醐天皇のことは「先帝」と表記します。

また、ピンクの文字列の文章については、次回、話を広げるポイントです。

 

脚本風 元弘の変直後の日記

 

 元弘元年10月1日

花園院のもとに様々な情報が入ってくる。

 

公家A 「先帝が捕縛されたとのことです!」

公家B 「和気仲成からの情報では、所領の”安王丸山”で不審者情報があったので、

    深津さんが駆けつけて捕えたところ、先帝だったということでした!」

公家C 「宇治の住人である房資が先帝と妙法院宮をお迎えしているとの情報が

    入りましたが、松井蔵人さんが捕縛したということです!」

公家D 「髪が乱れ、小袖1枚・帷1枚しか身に着けていらっしゃらないという噂で

    す!」

 

一連の情報を聞いた、花園院

 

花園院 なんということ。王家の恥だ。これ以上の恥辱があろうか。

    (先帝が捕まって)天下静謐になったのは喜ばしいことだが、

    わが朝廷の恥、嘆かずにはいられない。

 

さらなる追加情報

 

公家E 「北畠具行、万里小路藤房、四条隆量、六条忠顕など先帝の側近たちも

    生捕られたとの情報がありました!」

 

 

 10月3日

今日、先帝が六波羅に護送されるという話だったが、どうなったのか。

 

 

 10月4日

朝、先帝は北条時益の自宅に護送された。その様子は…

 

見物人  まず側近たち、その次に妙法院護送され、午前5時ごろに先帝が輿で

     護送されておりましたが、数万騎の武士に周囲をぐるりと取り囲まれて

     おりました。武士だけじゃなくって地元住民たちも手に松明をかかげて

     おりましたので、まるで昼のようでございました。

※妙法院…尊澄法親王。後醍醐の子。

 

武家  「今日、先帝側が所持していた剣璽をそちらに届けますが、

    先帝は非常に執着しており、スムーズにいくかどうか。」

 

 

 10月5日

西園寺公宗「剣璽の渡御につきまして、先帝が承諾なさいました。」

花園院  「よし、剣璽渡御の段取りについて協議せよ。」

 

 

 10月6日

武家 「先帝かどうかの身元を確認してほしく、お願いに参上しました。」

花園院「今、貴族たちはみな剣璽の渡御に出払っており、難しい。」

 

 

花園院 「先帝の身元確認なんて前例がないし、重大な任務だし…。

    僕のほうから身元確認をやってと命じるなんて…。

    武家の方から個別に依頼してほしいな。」

 

西園寺公宗「御子左(ミコヒダリ)為定は外戚なので、

      中書王や妙法院と面識があります。

      為定の親族が妥当ではないでしょうか。

      ついでに先帝の確認もしてもらいましょう。」

※為定の姉妹が、後醍醐の側室   ※後醍醐の子、尊良親王

 

御子左為冬 「え~…困る…ゴニョゴニョ」

西園寺   「…」

 

武家    「では(関東申次の)西園寺さんにお願いします。」

西園寺   「…」

 

 

 10月8日

 

夕方、身元確認のため、西園寺が六波羅に出向いた。

先帝  「天魔のせいなんだ! (魔が差した?)

    西園寺! お願いだ! 寛大な沙汰を武家にお願いしてくれ!」

 

西園寺 「…という状況でした」

花園院 「は~…(ため息)」

 

 

 10月10日

次に西園寺公重(公宗の弟)が中書王の身元を確認。

中書王  「西園寺! ぼくは知らなかったんだ。天魔のせいなんだ!

     (魔が差した?) 寛大な沙汰を!」

 

西園寺  「…とまぁ、中書王もこのように陳述してました。」

花園院  「……(絶句)」

 

 

 10月11日

兼運僧都 「今日ですね、六波羅に招かれまして、妙法院の身元確認を

     してきました。中書王と同じようなことを繰り返し発言し、

     号泣しておりました。」

 

花園院 「まことに不憫である。このお方は無関係だという噂だ。」

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

いかがでしたか?

なかなか興味深いですよね。

 

以下、私が興味深いと思った点

 

①捕縛時の後醍醐の身なり

②身元確認

③後醍醐らの言い分

この3つについて、つらつらと感想を述べます。

 

「魔が差した」後醍醐天皇(2)~捕縛時の後醍醐の身なり~

「魔が差した」後醍醐天皇(3)~身元確認~

「魔が差した」後醍醐天皇(4)~後醍醐らの言い分~