再開します!
しばらく更新が滞っていた本ブログ、本日から再開いたします。
ブログを中断していた理由は、毎日記事を更新するという目標にとらわれるあまり、自分が楽しめなくなってしまっていたことです。
今後の更新は記事の間隔があくこともあると思いますが、より内容のあるものにしていきますので、よろしくお願いいたします。
10月8日 下山吹
ひさびさに「遊び」ます。
今日は久しぶりに雑俳をご紹介したいと思います。
最近はまじめな「論」めいた記事が多かったので、本日は遊びに関する雑俳を中心をいくつかと。遊びといってもドッジボールやカルタ遊びなどでは当然ありません。遊里での「遊び」を意味します。
十八世紀初め、京にて出版された雑俳集「軽口頓作」から。
おもしろい わきざし指ぬ酒の酔い
武士の遊び。「脇差しをさして武張るよりも、丸腰で遊里で酒を飲む方が面白い」粋なお武家様ですね。きっと遊里でももてたことでしょう。
だからといって、前後考えずに遊んでいると、
つれなさよ 恋が今では借銭こい
借銭乞は借金取り。コイはコイでも、遊女への恋に金を使い過ぎて、今では借金取りに責められる。
そうなると、遊びの感も鈍ってきて、
叶はねば 太夫を見ても何んともない
太夫は遊女の最高位の位。その太夫を見ても、買う金はないのだから何とも思わない。
最後はちょっと寂しい終りかたですが、これで真人間に戻るでしょう(?)
軽口頓作通釈 下山弘 編著 / 大平書屋 より
※解釈については一部補足しました。
あいまいな言葉、表現
大江健三郎の著書に「あいまいな日本の私」という題の講演集があります。
この本が発売された当時、二十代だった私は、この題名が歯がゆい感じがして、正直にいって気に入らなかったのを覚えています。
現在までこの本を読んだことはありません。しかし最近和歌を学ぶにつれて、「あいまいな~」というのは昔から続く日本人の特質を良く表しているのではないかと思うようになりました。
もちろんそれは悪い意味ではありません。なにか物事を表現する際には、あまり意味を限定する言葉は使わないことで、イメージに広がりを持たせる。ある面解釈を他者にゆだねるようなところがある。これをもう少し考えると他者への漠然とした信頼感が背景にあるということになりますが…
「あいまいな日本の私」の内容と関係のないことを書いてしまったと思いますが、日本人の特質が現れす言葉として、とりわけ和歌について自分の感想を記事にするにあたってちょうど良い言葉として拝借しました。
バランスを取り戻す
ここ数日意味の分かりにくい文章を書いてしまっています。
最近の自分のテーマが癒し、もっと言えば心柔らかに楽しく強く生きるということであり、その方面から感じたことを記事にしています。
昔の和歌の名歌を読んでも、その強烈な感情の揺れを見るにつけ、歌い手の心理に興味が沸き、おそらく彼または彼女はその強い感情をはき出すことにより、自分の内面にあるなにかとバランスをとった。
それは彼ら自身にとっての自己を救う行為だったのではないか?
また現在ある事情でストレスを抱えている人(決して珍しいことではないと思います)は、自己を表現することにより、心のバランスを取り戻せる、またはそのきっかけになるのではないか?ということを考えます。
このテーマは今後も本ブログ上で触れることになると思いますが、ここ数日の記事はちょっと隔たった内容になっていたと思いますので、本日からまた修正していきたいと思います。
ストレス対処法?
前回の記事で、「和歌を詠む行為が、感情を発露することになり、詠み手にとってのセラピーになったのではないか?」と書きました。
だとすれば、これは現代人とってもストレスに対処するために有効な方法ではないか?と思います。
ただし言葉は残るものなので、自分の発した言葉自体に自分自身がとらわれてしまうという影響も考えらます。
言葉は、それが強い感情や思いをのせたものであればなおさらのこと、適度な距離感を持ってつきあうことが良いのではないかと思います。
